熊皮の戦士亭

 大通りから少し外れた路地裏にある〝熊皮の戦士〟亭は、今日も活気にあふれていた。吟遊詩人が歌い、一日の勤めを終えた衛士たちが酒を片手にバカ騒ぎに興じる。ざわめきと、客の立てる様々な音と、それらが合わさってひとつの騒音になっている。


 ゼフが街の一角にこの店を開いたのは、ほんの数年前のことだ。兵士を辞めて酒場の親父に転職し、今では酒樽を背負う姿もすっかり板についている。馴染みの客も増え、商売としてもそれなりに上手くいっていると言えるだろう。


「なんだお前ら、悪巧みの相談か?」

 店の常連であるリッガと用心棒であるヨディンがカウンターの隅で顔を寄せ、なにやら話し込んでいるのを見つけ、ゼフはそう声をかけた。


「まあ、そんなとこ。例の殺人鬼をどうやって捕まえるかってね」

 顔を上げたリッガが冗談めかして言う。その話か、とゼフは頷いた。


昨夜ゆうべも殺されたんだったな。何かわかったのか?」

「今度も手がかりはまったくないってさ」


 リッガはまだ若い、幼さを残す少年だ。成人はしているはずだが、線が細いためか、本来の年齢よりも見た目が下回る印象を受ける。とはいえハーフエルフである彼と人間のゼフとでは、見た目こそ親子ほども離れているが、実際にはそう変わらないだろう。


 一方のヨディンは剣士だ。普段は冒険者をしているが、冒険に出ていない間は店の用心棒として雇っている。人の好さそうな雰囲気を纏った青年だが、剣の腕はそれなりに立つ。──そうでなければ用心棒としては失格だ。傍らに立てかけている剣は長年の相棒で、その革巻きの柄が使い込んでつるつるになっているのは、相応の経験をくぐり抜けてきた証だった。


「だが、盗賊ギルドは何か掴んでるんじゃないのか?」

「んー、知りたい?」

 ゼフの顔をちらりと見ると、リッガは右の手のひらを目の前に突き出し、中指を曲げてなにかを催促するような仕草を見せる。


「ちゃっかりしてるな」

「いちおう飯の種だからね」

 ゼフは苦笑し、情報量代わりに蜜酒入りのマグを少年の手に押しつけた。


「ケチ」

 そう言ったものの、まあいっか、とつぶやいて、リッガは出し抜けに話し始めた。


昨夜ゆうべ殺された貴族を入れて、被害者は三十四人。その半数くらいが鋭利な刃物で急所を斬り裂かれてる。まあ、見事なもんだよ」

 そこで一度言葉を切り、ばっさり、と手で胸を両断するような仕草をする。


「で、残りはなにかで押し潰されたように身体の一部がなくなってる。鎚みたいなんで潰されたか、魔術じゃないかって話だね」

 今度は頭の横に手を持っていくと、ぽんっ、という声と共に握った手を開く。


「……それだけか?」

「それだけ。あー、あと事件が起きるのは決まって夜中で、昼日中に殺されたって話は今のところ聞かないかな」

「噂とほとんど変わらないじゃないか」


 それくらいなら俺でも知ってる。思わず漏らしたゼフの言葉に、リッガがむぅ、と口をとがらせる。ゼフは片方の眉を上げたが、彼が何かを言う前に、リッガがひらひらと手を振って打ち消した。


「だから最初にそう言っただろ。出し惜しみしてるわけじゃなくて、これ以上のことはギルドでも掴めてないんだ。言っとくけど、どこの情報屋でも似たり寄ったりだと思うよ」

 ふむ、とゼフは目を細める。このハーフエルフの少年は情報の売り買いを生業とする情報屋だ。見た目は若いが腕は確かだ。リッガがそう言うのなら、実際その通りなのだろう。

「……実は盗賊ギルドの仕業じゃないかって噂もあるがな」


「ギエフの盗賊ギルドは暗殺を請け負ってはいないよ」


 そう口を挟んだのは、リッガと同じく店の馴染みであるサリオンだ。カウンターに空の樽を置くと、短く用件だけを告げる。

「いつものやつを」

 付き合いの長さからそれだけで通じるのか、ゼフは樽を受け取ると、奥に並ぶ別の樽から酒を詰めていく。


 重くなった樽をカウンターの上に置いてから、ゼフはサリオンへと顔を寄せた。

「表向きは、の話だろ。裏では何をしてるかわからないぞ」

「だとしても、こんなに騒ぎになるようなやり方はしないよ」

 そう言い置くと、サリオンは酒の入った小さな樽の紐を指に引っかけて背に回し、そのまま店を出ていく。ひとつにまとめた銀の髪が、背中の中ほどで揺れていた。


「……相変わらずマイペースな人だね」

 サリオンを見送って、リッガは思わずつぶやいた。そうだな、とゼフが応じる。

「魔術師ってのは大概あんなもんだろ。あいつはマシなほうだ」

「酒呑みの魔術師ってだけで、十分変わってると思うけど。……でもまあ、サリオンの言うとおり、ギルドは関係してないと思うよ」

 リッガが言う。


「ギルドも情報集めに躍起になってる感じだもん。さっき顔を出してきたけど、妙にピリピリしててさ。手がかりになるような情報があれば高く買い取るってさ」

「盗賊ギルドもお手上げってことか」

「そうかもねー」


 もしかすると被害者の中に、ギルドの関係者がいたのかもしれない。ちらりとその可能性が浮かんだが、ゼフには告げずにおく。


「ゼフこそ、なんか情報ないのかよ。店に来る衛士連中から何か聞いてたりしないの?」

「そんなもんがあったら、とっくにこの騒ぎも収まってるだろ」

 薄く苦笑いしながら、ゼフは肩をすくめる真似をしてみせる。


「そうだよなあ……」

 その言葉に、リッガは再び嘆息する。両手を頭の後ろに差し込み、少年はしばし唸った。

「ほんと、何がしたいんだろうな」

 ぼそりとつぶやく。彼が言葉にした疑問は、この場にいる誰もが抱く共通の思いだった。


「もしかすると、目的なんてないんじゃないか?」

「つまり、ただの頭のおかしい奴ってこと?」

「そう考えるのが、一番しっくり来るかもしれん」

「でも復讐劇とか魔王の呪いとか、そういう方が盛り上がるんだけどなあ」

「盛り上げてどうする」


 事件の被害者はそれこそ多岐に渡っている。冒険者、仕立て師、鍛冶屋、芸人、娼婦、石工──出自や階級、職業は多種多様で、市井しせいの人から身分のある貴族まで、満遍なくという言葉が非常によく似合う。その中には運の悪い目撃者も幾人か含まれているのだろうが、それを差し引いても犠牲者は無差別で、共通点も関連性もないように見える。

 種族も人間、エルフ、ハーフエルフ、ドワーフとばらばらだ。エルフやハーフエルフが多いように見えるのは、そもそもこの国セーヴェルに暮らす彼らの数が多いからだろう。店の客にしても、半分ほどが亜人デミヒューマンだ。


「あとはまあ、貴族が二人ほど殺されてるのが、めずらしいといえばめずらしいかな」

「そういえば、昨夜ゆうべ殺されたのも貴族だって言ってたな」

 何気なく口にして、ゼフはふと首を傾げた。


「……なんで貴族が、そんな夜中に出歩くんだ?」

 ゼフの発言に、リッガとヨディンが同時に顔を上げる。口を開いたのはリッガだった。


「夜遊びでもしてたんじゃないの」

「ぞろぞろと護衛を連れてか?」

「それだけ護衛を連れてれば安全だって思ったんじゃないの。まあ、無駄だったみたいだけど」

「護衛は全員殺されたんだよな」


「そ。護衛ごと皆殺し。従者が一人、護衛が九人。当の貴族様を入れて全部で十一人。恐ろしく腕の立つ奴だってのは確かだね」

「……護衛が随分と多いな」


 連れていた護衛の数は、どう考えても街中を歩くために必要な数ではない。いくら夜中とはいえ。

 とすると、その貴族は自分の身になんらかの危険を感じていた、ということだろうか。

 殺人鬼がうろついているのだから、用心していただけとも考えられるが、それならば何故、そんな夜遅くに外出したのだろう。


「……何かあるかもしれないな」

 考えを口に出してしまったかと思ったが、そうではなかった。ゼフは顔を上げ、声の主を見た。それまで二人の話を聞くともなしに聞いている風だったヨディンが、剣の柄を節くれだった指でもてあそびながら、難しい顔で考え込んでいる。


「お前ら、程々にしとけよ」

 自分から話題を振ったことは棚に上げ、そう言ってゼフは釘を差す。


「わかってるって。賞金稼ぎじゃあるまいし、そんな危ない奴に正面から挑もうなんて思ってないよ」

「だといいが」

 軽い口調で応じるリッガに、ゼフは肩を竦める。


 犯人には高額の賞金が懸けられた。数年は遊べるだけの金額だ。

 そのせいで、馬鹿な賞金稼ぎや冒険者が群がって、そして死体になるのだろう。それが彼らの仕事なのだから、ゼフとしては特に同情するつもりもなかった。その前に店に金を落としていってくれれば上々だ。

 ただ、馴染みのこの若者たちが無茶をしなければいい、そう思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る