戦う乙女達~千尋編~
「好きだなんて恥ずかしくいえないから。想いをサクラに託すの。それが私達の恋愛ルール。サクラオトメジェネレーション……」
イベントのバックステージ。大鏡の前で、ダンスと歌詞をチェックする千尋。つい数週間前に決まったことなので、まだ録音されたものはない。当然、口パクでの対処はできない。千尋自身が生で歌うしかない。
イベンターは、事前の打ち合わせで、歌はなくてもいいと言ってきたが、プロデューサーの秋月がそれを拒否した。ソロデビューのお披露目に歌がないのは駄目だろう、との判断である。勿論、千尋としては異存はなかった。もし、千尋自身に判断をゆだねられても、歌うと答えただろう。
ただ、ダンスの振り付けが最後まで完成していない関係上、歌うのは一番だけ。時間にして二分もない。その短い時間の間で、千尋のアイドルとしての人生が決まる。
「完璧じゃない!いつぞやの不調が嘘みたいね」
傍で見ていたダンスコーチが静かに手を叩いた。お世辞を言わない人だから、真に受けてもいいだろう。
「ありがとうございます」
首にかけていたタオルで汗をひと拭い。時計を見ると、イベント開始まで三十分を切っていた。
「さぁ、練習はここまでにしましょう。喉渇いていない?」
マネージャーがミネラルウォーターのペットボトルを差し出してきた。ありがとうございます、と受け取って一口飲み干す。冷たい水が喉を流れている感覚が、実に心地よかった。
「緊張していない?」
「大丈夫です。マネージャーの方が緊張していません?」
そりゃするわよ、と苦笑するマネージャー。続けて何か喋ろうとしたマネージャーだったが、イベントスタッフに呼ばれ、ダンスコーチと一緒に行ってしまった。
残された千尋は、歌詞を口ずさみながら、簡単にダンスのおさらいをする。不安があるわけではない。より完璧を目指したいのだ。
『あいつ、見に来てくれるんだ……』
鏡に映る背後に、新田先輩の姿があるような気がした。
千尋は、おかしなものだと自嘲気味に思った。あれほど馬鹿にされ、殴り飛ばすほど嫌悪していた相手なのに、ただ一度、慰めなのか説得なのか激励なのか判然としない言葉をかけられただけで、こうも気になる人になっているなんて……。しかし、それが新田先輩の魅力なのかもしれない。ああ見えて優しいし、面倒見がいいのだ。
『でも、あいつが見に来るのは、私じゃなくてアニメのイベントだからなんだよね……』
そう考えるとショックではある。あのアニメオタクは、きっと二次元の女の子なんて興味ないんだろう。
ただ、傍から見ている限りでは、結構女の子と仲良くしているように思われる。
千尋の親友である紗枝ちゃんを筆頭に、部室で見たモデルみたいなお姉さん。紗枝ちゃんの話では陸上部のエースと言われている楠木美緒先輩とは幼馴染らしい。
『私も、オタクになってあのクラブに参加したらもっと仲良くなれるかな……』
千尋は踊るのをやめた。じっと自分の容姿を見つめる。うん。紗枝ちゃんにも、あのお姉さんにも、楠木先輩にも負けていない。
オタクについても、勉強のため見始めた『メイドと執事のあれやこれ』に結構はまっている。携帯電話の待ち受け画面も、家で飼っている愛猫から三条院さんに変えた。しかも、他のアニメにも密かに興味を持ち始めており、軽度のオタク化が進んでいると自負している。
でも、新田先輩の傍にいようとすることは、即ちアイドルを辞めることであった。
当然ながらアイドルの常識として『ふーちゃーしすてーず』でも恋愛はご法度。過去に数名ほど恋愛沙汰で辞めさせられている子もいる。
いや、それ以前に今の調子でアイドルを続けていれば、テレビ収録、コンサート、レッスンなどで忙殺され、新田先輩と一緒にクラブ活動なんかしてスクールライフを楽しむだなんて到底無理なのだ。
「一層のこと、アイドルなんて辞めちゃおうかな……」
そうしたら、新田先輩はどう思うだろうか?千尋に幻滅するだろうか?
「は~い!『メイドと執事のあれやこれ』のシークレットイベント客入れしま~す!」
若いスタッフがそう叫びながら走り回っていた。まずは、声優さんによるトークショー。千尋の出番は、その後だ。
「よろしくお願いします」
千尋の横を雪平なぎさ役の野矢麻衣子さんが舞台袖へと移動する。千尋も、お願いしますと返す。大人っぽくて美人だ。しかも美声。声優として人気がでることも頷ける。千尋も、後に続いて舞台袖へむかう。
新田先輩はいるだろうか?ちらっと舞台袖から客席を覗いてみたが、客電が暗くて人の顔など判別できなかった。
「集中しなくちゃ!」
千尋は、パシッと頬を叩いた。新田先輩が存在は気になるが、今は『ふゅーちゃーしたーず』のチッヒーなのだ。最高の歌、最高のダンスを観客全員のために披露しなければならないのだ。
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