カノンはカノン
僕は走りに走った。
これ以上走ったことはない、というほど全速で走った。
千草さんを助けないといけない。そのためにはカノンの力がどうしても必要だ。僕は、カノンに助けるため走り続けた。
とりあえず我が家へ。しかし、カノンが素直に家に帰っているかどうか疑問であった。拗ねていじけて帰っていない可能性だってあるのだ。
だが、この世界に来てまだ日の浅いカノンの行動範囲がそれほど広いとも思えない。僕の家以外に、カノンが帰る場所などないのだ。
「カノン!」
家に着いた僕は、玄関を開けると同時に叫んだ。返事は返ってこなかったが、カノンの靴の有無を確認すると、今朝履いていったカノンの―正確には妹である秋穂の靴なのだが―が並んで置いてあった。安堵した僕は、息を整えて靴を脱いだ。
廊下を歩いていると、リビングからテレビの音が聞こえてくる。そっとリビングを覗いてみると、カノンがいた。ソファーの上で体育座りをしながら、じっとテレビを見ていた。
「カノン……。帰っていたのか」
「帰ってちゃ悪い」
カノンは、こちらを見ずに応えた。ちょっと涙声になっていた。
「お前、泣いているのか?」
「な、泣いていないわよ!馬鹿!」
と言いながらも、目の辺りを腕でごしごしこするカノン。
泣いていたんだな、こいつ。それほど思いつめていたのか。僕は、深く反省した。
「カノン。千草さんが魔王デスターク・エビルフェイズに攫われた」
カノンがぱっとこちらを見たが、すぐにテレビの方に向き直った。一瞬であったが、カノンの目が真っ赤になっていたのを僕は見逃さなかった。
「へ、へぇ~。だから何よ。私は、忙しいの」
「僕に力を貸してくれ。僕にはお前の力が必要なんだ」
「……」
反応しないカノン。まるで僕の言葉の続きを待っているようだった。
「教室でのことは反省している。僕が無神経だった」
ずずっとカノンが鼻を啜る音がした。
「千草さんをお前のモデルにしたのは事実だ。千草さんへの遂げられない思いが募って、妄想という形でお前というキャラができたのも事実だ。でも、お前は千草さんじゃない。逆立ちしても千草さんにはなれない。カノンはカノンだ。そんなこと分かっていたはずなのに、あの時は勢いで馬鹿なことを言ってしまった。ごめん……」
「ピザ……」
「うん?」
「『海産物なら何でもこい!超贅沢海の幸ピザ』。これ食べさせてくれたら、許してあげる」
カノンが宅配ピザ屋のちらしを差し出した。その一番目立つところに『海産物なら何でもこい!超贅沢海の幸ピザ』の文字が。お値段は……、お、お高い。こいつ、どこまで食い意地を張っているんだ……。いや、これはカノンなりの照れ隠しなのだろう。そう思いたい。
「分かった。今度の仕送りが振り込まれたら注文してやる。だから、これで手打ちだ」
お財布的には厳しいが、仕方あるまい。僕もせめて半分は貰うからな。
「しょ、しょうがないわね。その、千草さんだっけ?助けてあげるわよ。だって、彼女は魔法使えないもんね」
お前も使えないだろう、と突っ込みたかったが、ぐっと堪えた。我慢だ、我慢。
カノンがテレビを消し、立ち上がった。やはり目が真っ赤だった。
「そうよ。私は魔法使い。私にしかできないことだもんね。そうよそうよ!」
自分に言い聞かすように何度も自分が魔法使いだと言い続けるカノン。だからお前は魔法を使えないだろう……。
待てよ。モキボがあれば、例えば僕でも魔法が使えるようになるのだろうか?いや、無理だろう。それはイルシーが言うところの物語に反する。やはりカノンにしか無理なのだ。
「そうだな。やはりカノンはカノンだ」
「そうよそうよ」
いつになくテンションの高いカノン。自分が認められよほど嬉しいのだろう。
「千草さんとは似ても似つかない。千草さんは、魔法を使えないもんな」
「よく分かっているじゃない」
「まぁ、顔は似てなくもないが、千草さんの方が優しげだもんな。それに胸も……」
しまった!とんだ失言だ。僕は一瞬にして肝が冷えた。テンションが高いカノン。気が付いていないよね……?
「へぇ、どうしてここでお胸の話がでるのかしら?続きを言ってごらんなさい?」
声のテンションこそ高いカノンだが、湿り気のある目でじとっと僕を見るカノン。これがジト目ってやつか?興奮よりも、恐怖が先立ってきた。
「さぁ、言ってごらんなさいよ」
「そのね……。いや、あれだ。別にお前の胸が小さいとか、千草さんと比べるのもおこがましいとか、そういうことは……」
言っているじゃないの!と叫んで飛び掛ってきたカノン。
コブラツイスト、キャメルクラッチ。どこで覚えたのか知らないが、数々のプロレス技を繰り広げてきた。
こ、これでこそカノンだ。
僕は、薄れる意識の中、改めて思った。
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