第95話「観察」

 四日ほどの時間が過ぎ、ひかりはすでに目を覚ましたらしい。しかしハルはその顔を見ていない。昼間の姿になってすぐに枝の隅々まで歩き回って、人間達の様子を眺めていたからだ。夜は窓辺でジッと耳を澄ませ、漏れてくる会話を拾う。妖怪の感情を胸の奥底へ潜め、人であることを意識した。

「うぅ……っ」

「どうしたんだ? そんなに泣いて」

 南東の地区へ足を伸ばした時、ツタの橋に立ち尽くしている少女を見つけた。歳は翠と同じくらいだろうが、彼のようなどこか達観した雰囲気はない。子供らしい子供、という印象を受けた。

「名前は?」

「うっ、うぅ……」

「泣きじゃくるばかりじゃ分からないよ、私と話をしよう」

 少女の前にしゃがみ込んでようやく、靴が片方ないことに気づく。濃い茶で光沢がある小さなそれはかなり上等な品物のようだった。その位置から見える限りに視線を走らせるが、靴は見当たらない。

「どこかで脱げたのか」

「かく、された」

 しゃくりあげながら、少女が震えた声を出した。

「あたし、人外なのが学校の男の子たちにバレちゃったの。ものが透けて見えるなら、探してみろって。でもあたし、遠くのは無理だから……」

「見つからないんだな。よかったら私も手伝おうか、歩き疲れたんじゃないか」

「うん、ありがとう」

 横抱きに少女を抱え上げ、辺りをうろつく気配に殺気を当てる。途端に逃げ出した後ろ姿は、少女よりやや年上らしい少年達のものだ。

「人外ってことは知られたらダメなのか」

「そうだよ。人じゃない奴は街にいるなって、みんな言ってるの。お母さんもあたしが力を使うと怒るし」

「人間同士で差別ね」

 少年達の動いた道筋は匂いで分かる。それとなくそちらへ向かいながら、大人の視線を窺った。ここは決して人通りが少なくはない。しかし明らかに様子のおかしい少女に気づきながら、声をかけた者はいないらしい。

「どうだ、靴は見えそうか」

「うーんと……あっ、待ってお姉ちゃん」

 ピタリと足を止める。ハルにはすでに左上の枝に置かれ木の葉を貼りつけられた靴が見えているのだが、口には出さない。少女の眼を見つめていた。少女の両眼の中に、何かが渦巻いている。

「あった!」

「よし、取ってくるから待っててな」

 少女の指した先へ軽く飛び上がり、木の葉を払って渡してやる。目に涙をためて喜ぶ少女の頭に手をやりながら、太い枝に身を潜める少年達を睨みつけた。

「これを必死に守る意味が、あるのか」

 大人でさえ冷たい視線を投げかけるようなこの種族に、深い慈しみは持てないと確信した。ならば妖怪よりこちらを喰うか。それでひかりが納得するはずはない、むしろ泣き叫び訴えかけるだろう。

『やめて、殺さないで!』

「やっぱり、どっちもは無理だよ」

 四日間の観察で答えは決まった。靴を履き揃えた少女が手を振りながら帰っていくのを見送って、ハルはくるりと踵を返す。

「選ばなきゃいけない。私に戯言を吐く余裕はない」

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