第40話「遠征」

 ジャスが支度をしてくれているのを、ハルはぼんやりと眺めていた。登山用のリュックに詰められているのは着替えや資料、それから簡易的なまじないの道具だ。小瓶に入った液状の道具は、それぞれ色が違いラベリングがされている。それらが小さなポケットへ入れられるのを見届けた時、アマテラスの一撃が頭を打ち抜いた。

「ぼうっとしてないで、あなたも準備なさい」

「ひどいな、叩くなんて。声かけてくれればいいじゃないか」

「黙りなさい」

 ハルを叱った彼女自身、のんきにぬるめの茶を飲んでいるがそれには目をつぶろう。ジャスの隣に立ってリュックを手に取った。

「結構ずっしりしてるんだな」

「貴女には軽いくらいでショウ? フフ、もっと重たくしマスか」

「いざって時に素早く動けないから嫌だな」

  両肩にベルトが少し食い込む。何度か飛び跳ねて天井へ飛びつくと、リュックの重さも加わったせいで壁が欠けた。怒るアマテラスを横目に床へ降り立ち、伸びをした。

「天明都へは自力で行ってクダサイ、ワタシはこちらのレディを守りマス。シスターも手助けはできないと言っていマシタが、多少の頼み事は引き受けてくれるでショウ」

「仁科誠を捕まえて、情報を洗いざらい吐き出させればいいんだよな」

「あくまで丁寧に、デス。味方になるかもしれないデスし、敵に回るかもしれないノデ。もし敵になればこちらの情報を掴まれるカモ」

「はいはい」

 返事はしたが、ハルには天明都までの道のりさえ記憶にないのだ。ジャスの説明でなんとなく、太陽が沈む方へ行けばいいことは分かった。車と同じ速度で走れば八時間で行けるらしいことも理解した。軽く走っても二日あれば充分だ。

「本当に大丈夫なんでショウか? 心配になってきマシタ……」

「軍隊に会ったらどうすればいい? 潰していいか」

「昼間ならば一般人のフリをしてやり過ごしてクダサイ、無駄な戦闘は避けマス。夜は見つからないよう、身を隠してどうにか、ネ」

「分かった」

 ちらとアマテラスを見やると、眉をひそめてうつむいている。この作戦には不満があるらしい。近寄って少しかがみ、視線を合わせた。フッと表情が緩んできょとんとしたアマテラスにそっと微笑んでみた。

「大丈夫だよ、アマテラス様。しっかりお使いして帰ってくるさ、いざって時は首輪を引いてくれればいい」

「……あの」

 優しい声色だった。

「わたしはひかりですよ」

「は!? 今は昼だぞ、なんで」

『心配なのでわたしもついていくことにします。元々呼ばれたのはわたしですし、当然でしょう』

 首輪から声がした。そこへ憑依してついてくるらしい。ハルがつまみ食いし放題だったのに、とぼやいた瞬間、バチンと音を立てて身体に激痛が巡った。

「いッ、たぁ!」

「愚か者。無用な殺生はこのわたしが許しません」

 二人がギャーギャーと騒いでいる横で、ジャスがひかりの手を取り跪いた。呆然とするひかりの手へキスをし、恭しく挨拶をする。

「ジャス=フランネツィカと申しマス。ワタシがお守りいたしマスよ、どうかよろしく」

「て……天明ひかりです、どうも……」

「おい、アンタ」

「おやおや、フフ……心配デスか?」

 ハルが睨みつけるとひょいと逃げ出す。大きくため息をついて、ハルはひかりへ向き直る。

「今から用事があって、しばらくここを離れるんだ。ジャスは淫魔だけど信頼できる奴だと思う、本当は私が守ってやりたいけどな」

「いつ戻りますか」

「それはよく分からない。でもすぐに帰るよ、アンタがよければだけど。人喰い妖怪と暮らすのは不安だろうし」

「いえ」

 存外はっきりとした視線でひかりの目がハルを見据えた。色素の薄い髪がカーテンの隙間から漏れた光で輝く。

「無事で帰ってきてください、ハル」

「……了解」

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