第36話 魔王サタンは何度でも蘇る(2)

 光の粒が空を舞っている。

 モンスター討伐の際ですら微小の光が発生するが、消滅するのが魔王配下の幹部となるとまた格別の量だった。

 意識を取り戻して初めてみた光景は、無数の蛍が空に漂っているような幻想的な光景だった。


「ぐっ……」


 瞬きができる。

 視力は回復しているし、目蓋以外の身体も自由意思で動かせられた。どうやら身体の主導権を取り戻せたらしい。


 主人格に戻った時に自分の身体がどうなるか分からなかったが、即効性の後遺症のようなものはなかった。盛られた毒も完全に解毒されていた。

 もっと自分の肉体のことを確認したいが、今はそれどころではない。


 まずは、アンネ先生が戦闘の余波に巻き込まれていないのか心配だ。

 何も悪くないのに、被害者となって巻き込まれてしまった。

 アンネ先生に駆け寄って脈を確かめる。

 胸に手を当てて上下していることを確認する。

 ちゃんと呼吸できている。


「う、うう……」


 一瞬、眼を開けるが、すぐに閉じる。

 目立った外傷はない。

 ボアによってどのぐらい精神を乗っ取られていたのだろう。


 元々スパイであるとは考えたくない。

 スパイじゃないとしたら、一体どんな経緯で精神汚染されたのだろうか。

 センサーに察知されるので、この国内でボアに接触した訳ではない。外で乗っ取られていたとなると、出国した時になるがそれには手続きが必要だ。調べればすぐにいつ国を出たのか分かるはずだ。


 もし調べて出入国の痕跡が見つからなった時が、最も憂慮すべき事態と言える。

 長年に渡って精神が融合されていたら場合、魂の形が変容している可能性がある。

 つまり、アンネ先生という人格がこの世から消滅してしまっているかも知れないということだ。


 外側から見れば何の異常もないが、内側が壊れていないか心配になる。

 取り合えずは命に別状はないようだった。


「一応大丈夫、みたいだな……」


 あれ?

 脈を確かめるために首筋やら胸を触っちゃったけど、これ大丈夫ですよね?

 救急処置とかにあてはまりますよね?


「自分の身体よりもまず他人の身体を心配するなんて。相変わらずのお人よしぶりだね」


 ブワッ、と光に包まれたサタンが目の前に現れる。

 全体がぼやけて幽霊のようだが、間違いなくサタンだ。


「サタン……! お前、どうして!?」

「君が死んだことによって、私と君の境界線が一時的に曖昧になったのかもね。それに、この空間に充満する魔力のおかげでもあるみたいだ。……もっとも、こうやって話せるのもあと少しみたいだけど」


 ボアが消えてしまった光の粒は魔力の塊。

 それを使って自分の存在を一時的に複写したのか?


「ありがとう。助かったよ。俺一人じゃ何もできなかった……」

「気にしなくていい。私と君は一心同体なんだ。私がこうして喋れているのは君が身体を貸してくれたからだ」


 魔王との最後の戦い。

 あの時、俺達は戦い続け、最後には文字通り身体を半分失った。

 お互いに死にかけた俺達は、死ぬ前に身体を共有した。

 そうすることでしか、あの時は生き残ることはできなかっただろう。

 足りない部分をお互いに補い合うようにして、俺達は一つの身体となった。


 肉体の中に存在する精神も二つとなり、多重人格者のようになった。

 俺が表で、裏が魔王。

 コインのように二つの精神が一緒に存在しながら、それらが同時に現れることはできないはずだった。


 だが、奇跡的にも今、俺達は話し合えることができている。

 精神世界ではなく、この現実世界で。


「不老不死と言っても復活するのに代償がいるからね。それを支払わなければならなくて良かったことには、感謝しているよ」


 魔王は不老不死だが、再生には時間がかかる。

 本来ならば、死んだ後、数十年、数百年かかっていたかも知れないらしい。

 俺の身体を使ったので、こうして普通に喋ることが出来ているのだが。


「……これからどうするつもりなんだ?」


 魔王サタンが目の前にいて質問してくる。

 その光景がまず違和感あるな。


「まずはアンネ先生について調べる」

「それからボアのことについて調べるつもりか?」

「そうだけど。何か知っていることはあるのか?」

「いいや。私は魔族達のお飾りの王だったからね。彼女がどうやってアンネ先生の精神潜入できたのかは分からない。そもそも君の身体にずっといたから、君が知らないことは私も知らないと思っていい」

「そうか……」


 俺がさっき人格が入れ替わった時。

 サタンが何をやっていたのか、ほとんど記憶が残っていない。

 心臓が止まって仮死状態になっていたせいなのか。

 もしもこの状態がずっとサタンにも起きていたのだとしたら、サタンが分からないのも合点がいく。


「それから忠告するけど、これからは護衛を付けた方がいい」

「護衛って、他にも刺客が送り込まれるってことか?」

「あり得ない話じゃないよ。私達魔族はきっと勇者を恨んでいるだろうからね」

「魔王様が魔族達を止めてくれればいいんですけどね」

「常に君の身体の中にいるからそれは無理だね」


 この状態のままでいれればいい。

 だけど、感覚で分かるのだが、あとほんの少しで再び俺が主人格になる。魔王の精神は再び俺の身体に入りかけている。ずっと心が磁石みたいに引っ張り合っているようだった。


「そういえば、君にずっと言いたいことがあったんだ」

「え…………」


 言葉に詰まる。

 こうしてサタンが姿を見せられたことは奇跡だ。

 この現実世界でこうして迎え合えることは、もうないかも知れない。

 これから重要なことを話すに違いないと、俺は覚悟を決める。


「……最近正妻を決めるので揉めているようだが、一心同体であるこの私がいることを忘れないでくれ。誰が正妻なのか少し考えれば分かるはずだ」


 え?

 なんでいきなりそんな話に?

 いや、そうか。

 俺が政略結婚したら、同じ体であるサタンも色々困るってことか?


「分かっているよ。同じ肉体なんだから、正妻にする相手は考えろってことだろ? よく分からない奴とキスとかしたくないってことだろ? 安心していいよ。正妻とかどうでもいいし、これから一生そういう恋愛みたいなことを考えないつもりだから!」

「そういうことじゃないっ!!」

「な、なんでそんなに怒っているんだよ」


 おっかしいなー。

 サタンのためを想ったのに。

 何か間違えたのか?

 いや、間違えといえば、俺はもっと大きな間違いをしてしまった。


「なあ、サタン」

「どうした?」

「……同じ仲間なのに戦わせて悪かったな……」


 俺はどうしてサタンに戦わせてしまったんだろう。

 俺がもっと強ければ、正しいことができたのに。

 だけど、サタンは俺を批難せずに、悲しい笑みを浮かべていた。


「それはいい……。私も、そしてあいつらもきっと仲間だと思ったことはない……。私とあいつらはあまりにも遠すぎた……。私のことを持ち上げるだけ持ち上げて、近づいてくれる奴はいなかった」

「……サタン」

「――君以外はな」

「…………!」

「君は私を受け入れてくれただろう? そのことを間違えたと思うのか?」

「いや、それだけは絶対にない。俺はお前を助けたことは絶対に正しいと思っている」

「そうか……。ならいいよ。私は君のやることを赦すよ」

「はっ……!」


 下を俯いて、鼻で笑ってやったように見せた。

 だって、泣きそうだったから。

 敵わないよな、やっぱり。

 長生きどころか、不老不死なだけあって言葉の重みが違う。

 あんまり感動させるなよな。


「泣いているのか?」

「泣いているわけないだろ」


 今は、な。

 そんな心のつぶやきも、今、サタンには聴こえているのだろう。

 心を共有しているせいで、隠し事ができないのが痛いな。


「私の半身たる剣持勇士。君がピンチになれば、また私が助けてやろう。――ただし、私の力を多用するなよ。あまり使い過ぎれば、君は――」

「分かっているって! 安心してくれ。俺はお前に頼りきりにならない。自分の力だけでなんとかするよ。これからお前にも負担かけちゃうかもしれないけど、大丈夫だよ」

「……そうか。それならいい。君が今から何をしようとしているかぐらい、ずっと君といた私には分かるつもりだ。そうすればいい。君は君のやりたいようにな」

「ありがとう……」


 ポツリ、と瞳から涙が流れた。

 その涙は一体どちらのものだったのだろうか。

 俺か、それともサタンのものなのか。

 心が繋がっているせいで、分からなかった。

 分からなかったが、その消えた涙が落ちた光の粒は縮小し始めた。

 そして、消えていく。

 周りに広がる光が陰っていく。


「さて、と。そろそろお別れの時間だ」

「もう、か?」


 足元から既に、サタンの身体は消え始めている。

 消えていく光は俺の中に入り込んでいた。


「そろそろ私は寝るよ……力を使い過ぎた。完治するまであと少しだったんだけどね」

「ごめん、俺のせいで、傷がまた……」

「まあいい。たとえ身体が全回復したとしても、再び肉体と身体が分離できるとは限らないからね。……自分の肉体と身体を分離することに長けていたボアだったらもしかしたら方法を知っていたかもしれないけど」


 今となってはもう手遅れか。

 聞き出す余裕などなかった。

 手加減できるほどボアは弱くなかったのだ。

 消耗しきっているサタンを見れば一目瞭然だ。


「また、会えるのか?」

「こうして向い合せで話すのは難しいだろうな……。だけど、安心しろ。君と私はずっと一緒なんだから」


 確かにそうだな。

 だけど、見られない寂しさは残る。

 それを少しでも払拭したい。


「握手しないか」

「――ああ、そうだな。しようか」


 ギュッ、と握った手の中から光がこぼれる。

 やがて手が空を切って、サタンは俺の中に消えていった。

 もっと話したいことがたくさんあったのにな。


 ――それから、余韻に浸る暇もなく、バタバタと複数人の足音が聴こえてきた。

 集まってきたのは城の人間達で、先頭にいたのはサリヴァンだった。

 どうやら戦闘の騒ぎを聴いて駆けつけてきたようだった。


「どうされたんですか!? 勇者様!?」

「魔王の幹部にやられた」

「…………!」


 それだけでみんな察したようだ。

 今までずっと沈黙を保っていた魔族達が動き始めたということは、大きな戦いが起こるかもしれないと。

 そしてそれに対抗できるだけの戦力はいま、世界各地に散らばっている。

 もしも魔族達がボアのこの動き呼応して徒党を組めば、国はひとたまりもない。

 その前に俺達が可及的速やかに、何らかの効果的な対応を取らなければならない。

 そのためには、最早逡巡は必要ない。


「ワガママを言わせてもらってもいいか?」

「…………」


 無言でうなずくのは事の重要性を分かっているからだろう。

 心配そうにしながら、肩に手を置いてきてくれる。


「これから魔王の幹部が活気づくだろう。そして奴らの狙いは恐らく俺になる。魔王を倒した勇者の俺だ。ここに俺がいればこの国そのものが危険だ。だから、旅に出ようと思う。それに、もしも奴らが集結して一気にここに襲いかかってくれば、きっと俺でも勝てない。だからその前に集めるしかない。こっちも戦力を集めるしかない」

「まさか」


 旅に出るしかない。

 ある意味魔王よりも厄介なあいつにだけは助力を乞いたくはなかったが、そうもいっていられない。

 居場所が明確に分かっているのは、俺やマリー以外では奴しかいない。

 まずは奴に会い、そしてそれ以外の全員を見つけ出す。

 それが旅の目的だ。


「ああ、そうだ。再び集結するしかない。俺達『七英傑』が――」

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