第二章 追憶・賢者は魔王父娘と語りたい①
あれは……そう……。
魔王を倒して王都に凱旋し、国をあげてのお祭りが行われていた時だった。
どうしても祝宴で盛り上がる気分になれず、私は喧騒から一人外れ、魔王軍に黒く染め上げられていた世界を、白く塗り返そうとするかのように降りしきる雪の中にいた。
傘もささず、私の胸部みたいに薄く積もった雪面に、意味もなく延々と足跡をつけていく。
誰に訴えるでもなく、人間の勝利に対して、ささやかな不満をぶつけるように。
魔王と戦って以来、ずっと心にしこりが残っている。
魔王はこれまで戦った、どんな敵よりも強かった。何度もやられそうになった。
それでも……。
どこか本気で戦っていなかったように思う。
手を抜かれていたのとは、少し違う。ただ、私たちへの殺意がなかった。
いや、もしかすると、勇者の剣によって倒れる最期の瞬間まで、敵意すらなかったかも。
私たちの気迫に臆したんだろうと仲間たちは言っていたけれど、あの目に浮かんでいたのは怯えなんかじゃなかった。こちらを、じっと観察していた。
「魔王……。あなたは、何を考えながら戦っていたの?」
深々と舞い落ちる粉雪を見上げながら、返ってくるはずもない答えを待った。
「……ん?」
あれは、なんだろ。
ふわり、ふわりと、揺りかごのように宙をたゆたいながら、何かが落ちてくる。
それは地面に落ちず、私の目の高さで停止した。なんらかの魔法がかかっている。
真っ白な封筒だ。
「……読めってことなのかな」
『読む必要はない』
「キャッ!?」
驚きすぎて、普段なら絶対に出さないような声が漏れた。
手に取ってすらいないのに封筒が勝手に開き、中から手紙――ではなく、魔王が現れた。
何を言っているのかわからないと思うけど、起こったことをありのまま話している。
『また会ったな、賢者よ』
まさか、生きていたなんて。ここで
『構えずともよい。これは我の思念体だ。実体を持たぬ故、このように話すことはできるが、戦うことなどできぬ。先の戦いの
「私と?」
勇者じゃなくて?
まさか、油断させて、一人ずつ始末しようってつもり?
私は魔王に細心の注意を払い、周囲への警戒も緩めず、誘いに乗る振りをすることにした。
「話って?」
『その前に、一つ確認しておきたい』
「仲間ならすぐ近くにいる。妙な気は起こさないでね」
『誤解するな。そうではない』
「じゃあ、何?」
先を促すと、魔王はどこかバツが悪そうに、もじもじと不気味に身をよじった。
その様子は、最終決戦で対峙した時の威厳ある風格と、イメージが全く重ならない。
『…………我、ちゃんと死んでる?』
「は?」
素っ頓狂な声を出してしまった。
『いやな、このような回りくどい演出をしておきながら、なんやかんやで生き延びていたら、後で凄まじい羞恥に見舞われること請け合いなのだ。うっかり悶死しかねないほどに』
「それ、どう転んでも死んでいるじゃない」
『故に、確認しているのだ。この思念は途中で分離してしまったため、戦いの最後を知らぬ。いらぬ恥をかきたくないと考えるのは、人間とて同じであろう?』
目の前の思念体からは、必要最低限の魔素しか感じない。本当に会話するためだけなのか。
噓をついているようには見えないけど。
『ふむ、疑われているようだな。無理もないことだが』
「とりあえず、話は聞くよ」
隙を見て魔法を叩き込むか。いや、離脱するべきか。
『助かる。ここで断られたら、途方に暮れていたところであった』
「……あなたは、私の言葉を疑わないんだね」
『話を持ちかけているのは我だ。その我が相手を信用せずしてどうする? 常識であろう』
呆れたように言われてしまった。魔物に常識を疑われるなんて……。
「あなた、想像していたキャラと違う。魔王なんだから、もっと他人を見下しているのかと」
『何を言うかと思えば。親しみやすい上司として、部下からの支持も厚かったのだぞ?』
死闘を繰り広げた相手だというのに、その返しに、ぷっと吹き出してしまう。
なんだろう。戦意を削ぐ作戦か? だとしたら、大した役者だ。
「言っとくけど、あなたを倒したこと、謝らないからね」
『其方には其方の使命があり、為すべきことを為しただけだ。其方は何も悪くない』
「大物だね」
『それよりも、先の質問に答えてくれまいか』
魔王がちゃんと死んでいるかどうか。
「死んだ――……と思う。勇者の剣は、あなたの左胸を貫いた。心臓が別の場所にあるとか、何個もあるとかじゃなければ、確実に死んでいたはず。火葬もしたしね」
……私が。
『で、あるか。安心した、と言うのも奇妙な話だが。我のように、人間に近い姿の魔物を手にかけるのは、さぞかし気が引けたであろう。特に其方は』
「どうしてそう思うの?」
『勇者一行については、我のところに逐一情報が入ってきていた。賢者、其方は別の世界から来たそうだな。おそらく、戦いとは無縁な環境で育ったのではないか?』
「戦争がない世界ってわけじゃないけど、少なくとも、私の周りは平和だったかな」
『やはりな。でなければ、何度も失禁したりはするまい』
「そんなことまで報告に上がってくるの!?」
『勇者一行が旅に出てしばらくの間、其方は部下の間で、
私の方が恥ずかしくて死にそう。
『其方は強いな。一年やそこらで、よくぞそこまで成長したものだ』
「その実感は、あんまりないんだよね。素質とか言われても、努力して得た力じゃないから」
『魔法の才を言っているのではない。人としてだ。想像を絶する苦行であったろうに』
「それは……まあ」
魔王に労われるなんて……調子が狂う。
「それで、話がしたいって言ったけど、どうして私なの?」
『其方は別の世界から来た。ならば、偏見なく物事を判断できるのではと考えたからだ』
「何について?」
『魔物という存在について。其方の目で見て、我々魔物をどう思う? すべからく滅ぼすべき悪だと思うか?』
「思わない」
魔物という言葉自体、人間本位で使われているものだ。
人間に害を為す種族。それを魔物と呼んでいる。
だけど、種族を一括りにしていいとは、私には思えない。人間だってそうだろう。悪い人もいれば、いい人もいる。種族によって、その割合に偏りがあるのは事実だけど。
だとしてもだ。どんな種族にも、無害な存在は確実にいる。
単純だと思われるかもしれないが、この魔王のことも、私にはもう悪だとは……。
『即答されるとは思わなんだ』
「考えたことがないわけじゃないから」
これが勇者なんかだと、物心ついた頃から魔物と戦うための教育を受けているので、魔物のいない世界をひたすら実直に目指し、それが正しいと信じて疑っていない。
「人間と魔物が争わなくてもいい道を探すことって、できないのかな」
『無理だな。人間と魔物は共存できない』
こちらもまた、即答だった。
感情的になっているわけではなく、ただ事実を、結果を口にした。そんな感じだ。
そう思わせるほどに、魔王の口ぶりは確信に満ちていた。
「理由を訊いてもいい?」
『幾度となく試みたのだ。遥か昔のことだが』
当時を思い出しているのか、魔王は遠くを見つめるように目を細めた。
『賛同してくれる者もいた。人間と盟約を交わしたこともあった。しかし、百のうち、一でもこれを
淡々とした物言いとは裏腹に、その瞳の中には沈痛な色が漂っている。
魔王は続けた。
『そもそも、価値観が違いすぎる。魔物が人間を襲うのは本能であり、人間が魔物を忌み嫌うことも同じく本能だ。本能に抗って得た共存など所詮はハリボテ。いつか必ず綻びは生じる。否、抑圧していた分だけ、より大きな歪みとなって跳ね返ってくる』
そうなる未来を想像しているのか、魔王が長い間を取った。
その様子からも、魔王がどれだけ理想の実現に尽力したのか、おぼろげに伝わってくる。
『我はもう人間との共存を諦めている。なればこそ、我は我と同じ魔物を生かす道を選んだ。人間もまた、人間を生かす道を選んだ。そうする他になかったのだ。信じた者に背を討たれるくらいなら、最初から敵として、正面から戦って敗れた方が幾分マシというものだろう』
「……ままならないね」
ああ……そうか。
魔王に敵意がなかったワケがわかった。
この人は、どんな結末を迎えても受け入れるんだ。人間と敵対することを選んだ代わりに、自分が滅ぼされた今も恨み言一つ言わない。互いに譲れないものがあると知っているから。
『そろそろ本題に入らせてもらおうか』
「まさかとは思うけど、人間と魔物が共存できるよう、自分に代わって頑張ってほしいとか、そんなことを私に頼むつもりじゃないよね? 言っておくけど、それは無理だから」
人間と魔物の共存。叶えばいいとは思う。
だけど、魔王でも成し得なかった大業を、私なんかに託されても困る。
『そのようなつもりはない。だが、頼みたいことはある』
「まあ……聞くだけは聞くけど、無茶振りはやめてよ?」
『子を一人、引き取ってほしい』
「誰の?」
『我の子だ。8歳になる。母親は、あの子が生まれてすぐに他界している』
「それ無茶振り。私に親代わりになれっていうの?」
『無茶は承知している。だが、其方にしか頼めないことだ。人間と魔物の戦いは、今や人間が優勢となっている。魔物は日陰に追いやられ、安住の地はなくなっていくだろう』
「だから、私に保護してほしいって?」
『あの子に外の世界を見せてやりたい。人間の世界で、光の下で生きさせてやってほしい』
「簡単に言わないで」
『切なる願いだ』
……だろうね。その目を見れば、本気だってことはわかるよ。
「あのさ、ちゃんと理解してる? 私は父親であるあなたを殺した人間だよ? そんな奴に、子供が懐くと思う?」
『その点は心配いらぬ。我はあの子に、親だと名乗ったことはない。父親らしい愛情も何一つ与えていない。言葉を交わしたことさえ数える程度。我の顔を覚えているかも定かではない。我が死んだところで、あの子が悲しむとは考えられぬ』
「それは、どうして……」
『こうなると予見していたからだ。我は人間に討たれ、魔物に対する迫害は、これまで以上に強くなっていくだろうと。我が父親として接すれば、別れが辛くなるだけではない。あの子は人間を恨むようになるかもしれん。その先に、幸せなどありはしない』
だからって……。
子供の未来のために、親子の関係を犠牲にしたっていうのか。
『このとおりだ。人間と魔物の戦いに、あの子を巻き込みたくはない。なんの罪もないのだ。虫のいい話をしていると思う。これを聞き入れてもらえるのなら、我の命くらい、いくらでも差し出そう』
「差し出した後に言うなんて、ずるくない?」
『少しでも断り辛い状況を作っておきたかったのだ』
笑えないよ。体張りすぎでしょ。
魔王の頼みを聞き入れ、その子供を引き取る。それはつまり、人間に対する反逆行為だ。
発覚すれば、教団は黙っていないだろう。仲間だった勇者が、次は敵になるかもしれない。
そもそも、子供を育てるなんて、私にできるの?
『其方ならできる』
「心を読まないで」
頭が痛くなる。
断れるものなら断りたい。けど、ここで私が断れば、ほぼ確実に子供が一人、不幸になる。
魔王の嫡子だとわかれば、問答無用で討伐対象にされてしまうだろうから。
自分の知らないところで誰かが不幸になるのと、自分の選択で誰かを不幸にするのとじゃ、胸に刺さるトゲの大きさがまるで違う。
「あなたは本当にずるい」
『其方の優しさに付け込んでいる自覚はある』
「まともに子供を育てられる自信なんてない」
『其方で無理なら、他の誰であろうと無理だ』
信頼より、この場合は消去法だろう。魔王は私に、藁をも掴む思いで助けを求めている。
私は悩みに悩み、頭に雪が積もるくらい悩み抜いた。
まさか。本当にまさかだよ。
子供は欲しいと思っていたけど、まさかこんな形でなんて。
私は過去最大の溜め息をついた。
「…………引き受けるよ」
『まことか!?』
「どうなっても知らないよ。子供を育てた経験なんて、私にはないんだし。無理だと思ったら途中で誰かに投げるからね」
『しないな。其方はしない』
「根拠なんてないでしょ」
『ただの直感だ。だが、人を見る目は確かだと自負している』
「私はあなたのお眼鏡に適ったってわけ?」
『其方と共に歩んでいく道も、悪くはないと思った』
「口説いているつもり?」
『そうしたいところだが、この身では、それも敵わぬ』
やめてよ。魔王となんて、いろいろと大変そうだからお断りだ。いくらイケメンでもね。
まあ、旦那はナシでも、友達くらいになら……なれたかもしれない。
「あなたが生きている時に、もっとゆっくり話をしてみたかったよ」
『我もだ』
そう言って微笑む魔王の姿は、十年来の友人に向けたもののように和らいでいた。
娘の居場所を聞いた頃には、思念体を維持している魔素も尽きかけているのか、擦り切れたビデオテープ(と言っても、若い子には伝わらないんだよね)を再生したみたいに、声と姿にノイズが混じるようになった。
『賢者よ、其方の名はなんと言ったか?』
「
『その名に込められた意味はわからぬが、良い響きだと思うがな』
「それはどーも。他に言っておくことはない?」
『そうさな……。娘の名はアグリ。此度のこと、移転の可能性があることだけは伝えている。賢者である其方が迎えに来るかもしれないとな』
「かもしれない、ね。断らせる気なんてなかったくせに」
『賢い子だ。それだけで、我が勇者に討たれたことも察しよう』
少しホッとした。普通の親子間で築くべき関係を築いておらず、いくらショックを受けないとしても、8歳の子供に誰かを殺した、殺し合ったなんて説明したくはない。
『アオバ殿、娘をよろしく頼む』
「できるだけのことはするよ」
『恩に着る。ああ、それと、近々、四帝獣も顔を見せに伺うだろう。良くしてやってほしい。彼らの賛同を得られるのなら、我の後を継いで、其方が魔王を名乗ってくれても構わぬ』
「はいはい、わか――……え?」
『では、さらばだ。我が娘と、我ら親子の恩人の行く末に、幸多からんことを』
「ちょ、待って! とんでもない台詞を、さらっと残していかないでッッ!!」
最後の最後で爆弾を投下した魔王は、後顧の憂いはないとばかりに穏やかな顔をしていた。
ゆっくりと、音もなく消えていく様は、静かに溶けていく雪のようだった。
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