第11話 黒い影と白い影
すべてが束の間の出来事だった。
鮮血が滴り落ち、厨房の石の床を汚す。
もう息は無い。
……たった一撃で……あっさり命を葬った……。
その箱。
その奇妙な宝箱は『ミミック』だった。
ミミックとは。
宝の箱などに巧妙に擬態し、それを開けようと近づく冒険者の命を虎視眈々と狙う、恐ろしい無機質系モンスター。
化けたアイテムを目視で見抜くことは不可能。
事前に、調査や探査タイプの魔法およびスキルを使わなければ区別できぬために、ニューカマーの冒険者たちにとっては、まさに不可避の死刑マシーンである。
執事ルシフィスは、まんじりともしない主人を、眉間にしわを寄せ、やや高揚した顔で見つめる。
わざと演じて見せる時は多々あれども、真実の彼には感情の起伏があまりなく、至極冷静なハーフエルフにとって、この様子は怒りに震えてると言ってもよい。
愚かなミスをした、己への強い怒り。
リザードマン、トカゲの姿をした異人種のコック長、リュウゾウマルもまた無言。
抜刀したままの二刀をぐっと握ったまま、この極限にまで張り詰めた空気を、開放してくれる誰かの一言が……発せられることを切に待っていた。
ゆっくりと。
とてもゆっくりと、頭に手を添え……絶望に満ち満ちた声で……。
「ああ……」
微かに絞り出す声。
「なんて…………ばっさり……じゃ……ない…………」
コック長は、その様子を見ていられなくて、目を伏せる。
「こ、こんな事って…………」
あっていいのだろうか?
ダンジョンは言うに及ばず、町どころか……屋敷の外へも一歩も出ないうちに!
物語のヒーローたる青年が! 冒頭で、こんな悲しい運命に会うなどと……。
「こんな事って! ある!?」
……カピは、もはや大声で思いの丈を思いっきり叫んだ!
「なんで! なんで~! いきなり、こんな初日から! 僕はもう~!」
彼は、バッサリといかれた髪の毛を、惜しむように頭を抱え込む。
「頭をツルツルカッパにされなきゃならないんだよぉ~!」
執事は、まだ自分への怒りが収まりきらぬまま、押し殺すように答える。
「カピ様……申し訳ございません。……わたくしの、ミスでございます。……油断をしておりました。何の言い訳のしようも無い……」
コック長は顔を背けているが、その背中が……時折震えてはいないか?
ご主人の、ちょっと面白くなったヘアスタイルを見て……まさか! 耐えているのではあるまいか? ……込み上げる……笑いを。
カピは、おしゃれ命の青年ではない。
だがしかし! お年頃、変な髪形には抵抗があるのだ! 落ち込んじゃうのだ。
最初の一時の、呆然自失状態から抜け出すと、しばらくは激しく落ち込み、その気持ちも落ち着きだした今は、恥ずかしいやら、腹立たしいやら、色々入り混じった感情で周りを良く見れない状況。
ポトリ、ポトリ。
その微かな音に、ここで初めて気が付く。
原因を見て、カピの感情の荒波が一気に沈静化する。
傍らに立つ、執事の腕。
「ルシフィス……手…………大丈夫?」
少し時を戻し、出来事を思い返してみよう。
ーー数分前
カピはテーブルに運んで載せた、青黒い箱を開けようとした。
(いかにも、宝箱って感じ! これはすごいアイテムが入ってるぞ……)
ワクワク感が最高潮に達し、何の不安を覚えることなく夢中になって開けようとする……だが彼は、同時にあることに気が付く。
(ん? でっかい鍵穴が付いてるなぁあ……)
ふと、気になったその穴。
なぜか彼は、無性に覗いてみたい衝動にかられた!
結果的に、カピはどう動いたのか。
宝箱を開ける動作は継続中……5センチほどの隙間を見せる程度に、箱のふたが持ち上がると、その直後は、バネ仕掛けが作動して一気に全開した!
その瞬間にほんの僅か手前、頭をひょいと下げ、鍵穴を覗こうと目を当てる。
ミミックの最初の一撃、本当ならば必殺の一撃は、箱を開けた愚か者の頭のあるべき場所で空を切った。
カピの頭部をかすり、そして……大事な大事なてっぺん周辺の髪の毛が! バッサリといかれてしまった。
ここからワンカット、矢継ぎ早にすべてが起きる。
ルシフィスの反応は早かった。
すぐさまご主人の首根っこを掴み、手前に引き倒す!
ミミックもまた素早い!
新参者はおろか、中級冒険者までも軽く葬り去れる戦闘力は伊達ではない。
箱の奥から覗く、不気味なむき身の目玉がギョロギョロと俊敏に動き回り、状況を判断すると、間髪入れず鋭い鎌状の刃が、第二第三の攻撃を繰り出してきた。
執事は、防御魔法『プロテクトボディ』を唱え、自身の防御力を高めた。
ヒュン!!
すぐ迫って追ってくるミミックの斬撃から、カピを守るため、素手で弾く。
高速の硬い刃! 無傷では、受けきれない! 鮮血が飛ぶ。
ヒュヒュン!!
逆方向から、次の刃! 対の腕で受け、軌道を変える。
白い肌に、ザックリと傷が走る。
防御魔法は唱えたが、時間的にあまりにも猶予なく、魔法の練度が足りなかったのだ。
ルシフィスの詠唱速度をもってしても!
だが言っておく、このミミックの攻撃。
並みの詠唱者なら到底間に合わず、両腕が飛んで、主人の髪の毛だけではなく、見事に首も一緒に刎ねていたであろう。
「コック長!」
執事の掛け声。
「承知!」
即座に応じるサムライ。
リュウゾウマルもすでに、本能では戦闘状態に入ってはいたが、あまりの想定外で起きた不意打ちのため、頭の準備がまだ追い付いていなかったのだ。
執事の言葉は、コックの剣技をより早く始動させるきっかけになった。
抜き放っていた、妖刀『ミズチ』と直刀『銀二』が光り揺らめいた。
ミミックの方へ跳躍すると同時に十文字に切り裂く!
「斬!!」
剣豪が名刀で放つ、必殺の一撃! 衝撃波の十字架が宝箱の化け物を瞬時に絶命させた。
命絶えたミミックは、ただの無機質な残骸。
壊れた箱と魔法の呪いを封じ込めていたであろう宝石類が、散らばっていた。
ーーそして、時は戻る。
主人を、身を挺して守った執事。
ルシフィスの細い両の腕から、床に滴る血を目にして、カピはもう一度尋ねる。
「か、かなり血が……ねぇ、ルシフィス、大丈夫?」
執事は苦悶しているように見える。
だが、それは傷の痛みによってではなく、自分の愚かさによってだった。
(懸念していたことが……現実に起きてしまった。……誰かが、狙っている……カピ様の命を……、このカピバラ家を……いよいよ……)
この家の、周囲を取り巻く黒い影が、一段と濃くなるのを彼は感じた。
リュウゾウマルが、清潔な白い布を執事に渡した。
無言でルシフィスはそれを傷に巻く。
自分自身に『ヒール』の治癒魔法をかけ、骨が見えそうなほどの深い傷は抑えた。
執事は魔法全般の心得があるが、ヒーラーではないため、ごく初歩的な応急処置程度の治癒しかできない。
「申し訳ございません。危うく……」
その先の、恐ろしい言葉は口にできず、一瞬、執事は言葉に詰まる。
「それより、カピ様! わたくしのことなどより、カピ様は、どこにも怪我はないでしょうね!」
そう言われて、あらためて頭を良く撫でてみるカピ。
(ああ、よし! よかった、血は出ていない。大けがの場合、あまりの痛さにマヒして、その事に気が付かないなんて話も聞く……想像しただけでゾッとする~)
彼のカッパの皿にヒビは無かった。
結局のところ、頭の一部を坊主頭にされるという、斬新な髪形にされただけで、命に別状はなかった。
命どころか、かすり傷一つなかった。
カピのピンピンしている様子に、すっかり安心したリザードマンのコック。
「いや~若様! 初日から散々な目に遭ったでござる~。しかし! あやつのあの高速の一撃を、紙一重で見切るとは! 拙者、本当に恐れ入ったでござる! まあ、髪の毛の分が……計算外でござったな。ワッハハハハっ!」
頭の切り替えの早いリザードマンは、微妙にかかった洒落で面白がり、話し続ける。
「物知りの執事殿も、さすがに聞いたことないでござろう? ミミックが化けた箱を無策で開け、無傷でいられる強者なんて! 拙者、盗賊系クラスの者でも聞いたことないでござる! まったくたまげ申した、さすがは若様!」
達人のサムライからの、主人に対するおべっかではない本音の賛辞にも今一つの反応のカピを見て。
「……、ところで、そんなにその髪型がお嫌と言うのでござれば、拙者が、くるくる坊主にして差し上げましょうかな?」
エルフにドワーフにリザードマン。
そんな色々な異種族の集うカピバラ家の中で、外見や髪形にいつまでもこだわっているのも、なんだかおかしな話かも? と、落ち着いて来た今となっては、思わなくもないカピだった。
が、自分の青白いツルツル頭を想像すると……。
(そ、それは~ちょっと恥ずかしい……な、せ、せめてスポーツ刈りぐらいで……お願いしたいな……)
まだまだルックスを、完全に捨て去るには未練があった。
いったんカピは答えた。
「う~ん、しばらく帽子でもかぶって過ごそうかな」
(どうせ、この屋敷には髪型を気にしなきゃならない相手もいないし…………美少女のメイド軍団や、幼馴染の令嬢でもいれば、別だけどっ)
了解してくれた、使用人たちの顔見て主人は続けて呟いた。
「……とにかく、ホントに君たちのおかげで命拾いしたよ」
(……命……この世界で死ぬと……どうなっちゃうんだろう……)
命という言葉が、自分の口から出たことによって、彼の脳裏に……初めて感じる嫌な感覚、不気味な恐怖がよぎった。
ルシフィスが、やっと本来の執事に戻って発言した。
「カピ様、このような事になり、真に面目ございません。……そうですね、これからは差し当って……、まず、ここの後始末はコック長にお願いいたします」
「了解したでござる」
「帽子は……、メイドのプリンシアさんに、何か探してきていただきましょう。では、次に向かいましょうか? 離れにいらっしゃる、職人ロックさんを紹介いたします」
カピは、早くも平常運転に復帰した執事の言葉に。
「そんなに、急がなくても……。紹介する家の人って、まだまだたくさんいるの?」
執事は、腰を曲げてかしこまる。
「……いいえ、ロックさんで最後です。……少ない使用人ゆえ、ご不安に感じられるかもしれませんが……、それぞれの者が責任と誇りをもって、きっちりと屋敷の仕事を回しておりますので、そこは、どうぞご安心を、カピ様」
首を横に振るカピは思った。
(な~んだ、もう一人しかいないのか……)
彼は執事に告げる。
「もう終わりじゃん」
そして命じた。
「ルシフィスは、先にその腕の治療をちゃんと済ましてくるんだ。挨拶回りももう終わりなら、離れには僕一人で先に行くよ。まあ、ゆっくりと屋敷や庭を見物しながらね」
執事は少し考えていたが、結局。
「分かりました。では、カピ様、後ほど」
と、言い残して厨房を出て行った。
リュウゾウマルも、何かの鼻歌を歌いながら、掃除を始めた。
カピは、それを見て軽く会釈をし、厨房を出て次へ向かおうとしたが……何かを思い出し、コック長に話しかける。
「おお、若様! それはよいでござる。お任せくだされ!」
カピは厨房を出て、廊下の様子を見る。
右手方向、つまり正面玄関方向には戻らず、左手の廊下の行き止まりにある裏手に出るドアを抜け、屋敷の裏庭に着いた。
見渡すと、何棟か離れと呼ばれる建物がある。
近い方だと言われていたので、目の前に見える小屋に向かうことにした。
考えてみれば、この世界に来て初めて外に出たのだと、気づいたカピ。
(外っていっても、庭だけど、フフッ)
足を何度か上げ踏みして、じっくり土草の感触を感じてみた。
そうして、穏やかな風、陽の光を肌に浴びながら、周りの林の方をなんとなく眺めていると……目の隅、どこかの茂みで……何かが動いた。
白い影だ。
(まさか! またモンスター!?)
とっさにカピは身構えた。
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