第16話 転生帰還者、その名は福山雅治(仮名)(その一)
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福山雅治(仮名)はマンションの一室にいた。
室内の壁という壁は、アニメやゲームのポスターで埋め尽くされており、本棚にも関連の書籍がズラリと並べられている。
そんなオタク全開の室内で、雅治はローテーブルに着いてコーラを飲んでいた。
雅治の目の前では、この部屋の主である妹がパソコンデスクに座り、ネトゲ(FPS)をプレイしている最中だ。
妹の名前は『猫耳娘』。
そのハンドルネームを名前とする彼女が、『トラック転生指南書』、というサイトを立ち上げた。
「猫耳娘、ちょっといいか?」
雅治は猫耳娘に問いかけた。
実の妹でもこうしてハンドルネームで呼んでいる。
「なにかニャ?」
猫耳娘はディスプレイから視線を外さず、陽気な声色でそう答えた。
頭には猫耳のフードをかぶり、猫を模したスウェットのツナギを身につけている。
ツナギの柄は茶トラ模様だ。
ネットとリアルを混同したその言葉づかいに関しては、雅治もとくに気にしてはいない。
それに妹は五つ下の二十歳。
すでにキャラが確立しているのに、兄がとやかく言う必要もなかった。
「オレはトラック転生に行くことにした」
「いつ行くのかニャ?」
「今日だ」
とはいえ、トラック転生は初めてのことではない。
雅治は異世界からの転生帰還者であり、一年ほど前、こちらの世界へ帰還した。
しかし、戻ってみれば転生する前となにも変わらなかった。
チビのハゲデブキモオタブサメン。
それが今の容貌だ。
転生した異世界では、金髪碧眼の超絶イケメンに生まれ育ち、その容姿とチートを武器に、ハーレムを築いてウハウハの生活を満喫していた。
そんな生活によもやの誤算が生じたのは、魔王を倒してからである。
最終目標を達成したとみなされ、女神様によって強制的に日本へ帰還させられたのだ。
女神様には転生前のイベントで一度会っている。
トラックに轢かれたあと、真っ白な神殿で目覚め、そこでチート能力を授かった。
「でもお兄ちゃん、最近は転生志願者が多くて、トラック運転手も警戒してるんだニャ」
「大丈夫だ。魔力はまだ残してある」
強制帰還させられた雅治だが、ひとつ特約がついていた。
それは魔力だ。
異世界と同じように、火の魔法や水の魔法、風の魔法などが使える。
しかし、そんなものはこの日本ではなんの役にも立たなかった。
ガス代の節約、水道代の節約、突風を吹かせて女子高生をパンチラするぐらいしか、使い道はなかった。
それに魔力の回復はない。
使えば使うだけ魔力は減っていき、底をつけばそれでおしまいだ。
「魔力を残してるって言うけど、それをトラック転生にどうやって使うんだニャ?」
「スタンドダトマリーナを使う」
スタンドダトマリーナ。
それは対象物を一定時間制止させる、暗黒魔法の一種だ。
この魔法でトラックの運転手の動きを封じれば話は早い。
ハンドルを切ることも、ブレーキを踏むこともできないからだ。
高速道路を走るトラックの前で立っていれば、それだけで死ねる。
「やっぱり、狙うのは大型トラックかニャ?」
「もちろんだ。大型トラックなら異世界転生できる確率も高い」
雅治は女神様から聞いたので知っている。
十トンの大型トラックであれば、転生率は八十パーセント。
四トントラックなら六十パーセントだ。
二トントラックになると、転生率は二十パーセントにまで激減する。
それに子どもや年寄りを助けて死ねば、転生率が十パーセント上乗せされるのだ。
つまり、大型トラックのケースでそれが上乗せされると、九割の確率で異世界へ転生できることになる。
だが、そんな幸運にそう巡り会えるものではない。
ゆえに雅治は、人助けをすることなく、転生率の一番高い大型トラックに狙いをつけた。
「猫耳娘、おまえはトラック転生しないのか? 異世界は楽しいぞ」
「あたしはこっちの世界のほうが楽しいのニャ」
「ふ、愚問だったな」
ネトゲに夢中になる妹に笑みをこぼし、雅治はすっと立ち上がる。
そして、M字のハゲ頭にキャップをかぶると、掃き出し窓を開けてベランダに出た。
二十五階に位置するそこからは、熊本市街の景色がジオラマのように広がっている。
まるで自分の門出を祝うかのような、雲ひとつない日本晴れだ。
雅治は遠くに見える熊本城の方角に視線を定めた。
その先に自分の死に場所、九州自動車道がある。
「じゃあ、猫耳娘。達者でな」
「お兄ちゃんも達者なのニャ。それと、もう異世界から帰ってこなくてもいいのニャ。お兄ちゃんがいると、家族みんなが迷惑するんだニャ」
辛辣な送別の言葉を背に、雅治はためらうことなくベランダから飛び降りた。
そして、眼下の景色が瞬く間に拡大されていく中、魔法を唱える。
「テレポリーナバニッシュ!」
その刹那――。
自身の体は一閃の光とともに掻き消え、雅治は九州自動車道へテレポートした。
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「なんか順調すぎて、眠くなってくるな。ふわぁ~」
「文ちゃん、しっかり運転しないとダメよ」
文太郎が気の抜けたあくびをすると、エリコがムスッとしたようにそれをたしなめた。
注意を怠ってはいけないことはわかっている。
しかし、九州自動車道を50㎞ほど走っても、転生志願者が一人も現れない。
もちろん、それにこしたことはないのだが、張り合いが乏しくて逆に眠気を誘う。
それにもうすぐ福岡の広川サービスエリアだ。
そこを越えれば熊本はすぐ近くということもあり、よりいっそう緊張感が薄れてしまう。
エターナルロードでの緊迫したせめぎ合い、それがまるで嘘のような、のどかなドライブ日和が続いていた。
ちなみ、エリコとは風呂屋で激しいバトルを繰り広げたものの、なんやかんやで仲直りすることができた。
そこはお互い大人である。
そして広川サービスエリアも越えて、熊本県の県境に差しかかったとき――。
「お? 転生志願者はっけ~ん!」
久しぶりの転生志願者だ。
路肩の茂みの中から、フルチン全裸の男がトラックの前に飛び込んできた。
おそらく、トラック運転手の意表を突くため、股間をさらけ出しているのだ。
意表を突くもなにも、そのちっこいサイズでは女子高生も驚かない。
文太郎は軽々と男をかわすと、残念でしたとばかりに、
プップー!
とクラクションを鳴らした。
「ダメだな~あのフルチン。まるでズブの素人じゃないか。プロならもっと直前で飛び込まないと。お? またまた転生志願者はっけ~ん!」
今度はノーヘルのバイクが逆走して突っ込んできた。
大型バイクなのでかなりのスピードが出ていると思われる。
しかし文太郎は直前でハンドルを切り、いともたやすくそれを回避した。
転生志願者が逆走してくる場合、直前でハンドルを切るのがコツである。
間違っても、スピードを落としたり、急ブレーキをかけてはいけない。
敵はそこを狙い澄まして突っ込んでくるからだ。
ゆえに、このようなケースでは、直前でさらっとかわすテクニックが求められる。
逆走はパトカー以降も何度か経験しているので、文太郎はそれ学んだ。
「文ちゃん、ゲームじゃないんだから真面目に運転して」
「大丈夫だエリコ。そんなふくれっ面しなくてもわかってるって」
エリコはドングリを蓄えたリスのように頬を膨らませ、プンプンと注意する。
文太郎はフンフンと鼻歌を歌い、楽勝とばかりに片手でハンドルを操作した。
「お? またまた転生志願者はっけ~ん! 三連発とはツキが回ってきたみたいだな」
今しがたのバイクと同じように、軽自動車が逆走してくるのが見えた。
文太郎が走行車線を走っているのに対し、向こうは追い越し車線を逆走している。
車線が違うので、このまま走っても正面衝突のおそれはない。
しかし、敵は直前で車線を変更し、トラックに突っ込んでくるはずだ。
このようなケースでは、臨機応変に対処しなけれならない。
ゆに文太郎は、軽自動車を待ち構えるようにして慎重にハンドルを握った。
しかし――。
軽自動車は車線を変えず、それらしい挙動も見せず、トラックの横を通りすぎていく。
スピードもあまり出てはいないようだった。
「ねえ文ちゃん、あの転生志願者、ぶつかってこなかったわよ?」
「いや、エリコ。あれは転生志願者じゃない」
「そうなの?」
「ある意味、ああいうのが一番危ないんだ」
文太郎はすれ違いざまに見た。
軽自動車を運転していたのは、百歳近いようなじいさんだった。
なんだか体をプルプル震わせながら運転していた。
あのじいさんは(たぶんボケてる)、一般道と間違えて高速道路に進入したらしい。
年寄りにはたまにある。
高速道路は危険がいっぱいだ。
それからほどなくすると、前方に深い谷が広がり、それを架け橋するための高架橋に差し掛かった。
コンクリートの橋脚で支えられた橋の長さは、およそ五百メートル。
だがその中ほどに、一人の転生志願者がポツンとたたずんでいる。
文太郎から見て、片側二車線の左側だ。
むろん、その者とは距離が離れているので、慌てるようなことはなにもない。
「なんだ、あいつ? あんなとこに突っ立ってたらバレバレだろ。トラック転生するなら、もっと真剣にやってくれないと困るんだよな。こっちも遊びで相手してるわけじゃないんだぞ」
文太郎はチッと舌打ちを鳴らし、やれやれとばかりに首の後ろに手を回した。
これまで見た中で、まったくやる気の感じられない転生志願者だ。
エターナルロードの猛者たちを見習えと言いたい。
ちなみに文太郎が一番印象に残るのは、アスファルトに擬態した転生志願者である。
そこまでしてトラック転生したいのか、という本気をマジマジと感じた。
ある意味、あれは賞賛に値する。
「だからって文ちゃん、油断したらダメよ」
「心配するなエリコ。トラック転生が免許制だとしたら、あいつは筆記試験で必ず落ちる。そんな素人以下のペーペーに、トラック転生ができるわけがないだろ。せめてトラック転生指南書でも見て出直してこいっつーの」
文太郎も出発前にそのサイトで勉強したのだ。
猫耳娘の言葉づかいにイラっとしたものの、かなり役立つ情報が書かれていた。
転生志願者、トラックの運転手、双方が一度は目を通すべきおすすめサイトだ。
そんなとき――。
「うぐッ!」
文太郎は声をくぐもらせ、硬直したように胸をピンと反らした。
己の意思ではない。
なぜだかわからないが、体の自由がまったくきかないのだ。
「どうしたの文ちゃん! なにが起きたの!」
「う、動かねえ……体がまったく……動かねえ……」
エリコは切迫したように文太郎の肩を揺らした。
しかし、文太郎はしどろもどろに話すのがやっとだ。
ハンドルを握る両手、アクセルペダルを踏み込む右足、それが石のように固まっている。
運転操作というものがいっさいできない。
転生志願者は目前にまで迫っている。
そしてその者は――。
片腕を前に伸ばし、手のひらをこちらに向け、ニヤリと不気味な笑みを漏らしていた。
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