嘘
ここが不思議な世界だと気づいたのはつい先ほどのこと。
世界は同じなのに人が違う。
地形は同じなのに空気が違う。
まるで夢でも見ているような気分だ。
だがついさっき起きたばかりで違和感があるだけかもしれない。
今はきちんと制服を着ていると、通学路を歩いている。
ごくごく普通。ありふれた日常のはずだが、それでもなお違和感は消えない。魚の骨が喉に支えたような感覚。
首をかしげながらも学校に通う。
日常と同じように教室に入り、自分の席につく。
偶然なのかそうなのか、そこはきちんと自分の席ではあった。
こんなところまで似通っている。鏡写しの世界。平行世界かなにかだろうか。
不思議がる青年に声をかける誰か。
「新入りかな?」
中性的な顔をした者だった。男子の制服を着ていることから、男子だと分かる。
「君は自分の身になにが起きたのか知らないんだね」
「だったら俺はもっと堂々と振る舞える。この不安もなくなっていただろうさ」
息を吐きつつ彼は言う。
「なあ、教えてくれよ。俺のこと」
「それはできないかな」
「なんでだよ。知ってるんだろ?」
訳知り顔の少年は、あえてはぐらかすような態度を取る。
「うん。あえて教えないという選択肢もあるんだよ」
そう言うがいまいち相手を信用し切れずにいた。
それから二人で色々と過ごした。
日常はちっとも変わらない。
変化は訪れなかった。
「友達にならない?」
ある日、少年がそんなことを持ちかけてきた。
「別にいいけど」
友達を積極的に作ろうとは思わなかったが、来るものは拒まない主義だ。
相手がそれでいいというのならこちらも受け入れる。
彼はそういう性格だった。
「そっか。よかった」
少年はほんのりと笑んだ。
「僕、いままで友達がいなかったからさ。次こそはって思ったんだよ。勇気を出してよかった」
「なんだ、そういうこと」
それは断らなくて正解だった。
しかし彼が友達がいないとは。
顔はイケているし友達くらいは簡単に作れそうなものなのだが、そのあたりはどうなのだろうか。
少しだけ不思議な感覚を抱いたが、そういうこともあるだろう。
彼はあっさりと受け入れた。
「お前、好きな子いるのかよ?」
学校の休み時間適当な質問を投げかける。
「な、いきなりなにを言い出すんだよ」
「別に。気になっただけ」
本気で知りたいと思っているわけではない。
ただ単に雑談がしたかっただけだ。
そのためにネタを投入した。
「そうだな、好みは……」
考え込むように上を向く。
「僕を受け入れてくれる人かな」
「なんだよそれ。そんなもの、どこにでもいるんじゃないか?」
「さあね。心の底までは読めないから。それに僕は嘘なんだ」
それはなにを意味するのか、青年には分からない。
ただ彼との関係はうまく言っている。
互いに干渉しないし、自由にまかせている。
自由行動の際は組む程度。
そのあっさりとした具合が青年にとっては好きだし、気に入っていた。
できればこういう関係が永遠に続けばいいのに。
そういうしがらみのないフリーな関係をいままでずっと、求めていた。
こんな場所で巡り会えるなんて、それこそ皮肉な話だが。
それはそれで有りだのだろう。
しかし、不安はある。
たとえばこの世界。
普段と同じように流れているが、自分はいったいなになのか。
自分はいったいどこにいるのか。
それが曖昧で魔法にでもかかった気分になる。
そんな言葉を口にする度に彼は笑って呼び掛ける。
「気にしなくてもいいよ。君は君の思うがままに生きていればいいんだから。ほら、ここが第二の人生だとでも思ってさ」
そうしたいのは山々だ。
本音を言うと現実逃避をしたかった。
だけどそうしてしまうと眠ってしまう。
自分が自分でなくなってしまうような悪寒が走る。
だから現実へ戻らなければ。
戻ってこられなくなる前に、真実を見つけなければならない。
それでも彼との関係は続けていたい。
真実が分かって元の世界に戻ったとしても、彼との記憶を持ち越したいし、一緒に過ごした日々のことをなかったことにはしたくなかった。
それにこんなに関わっておいて、中途半端な状態で別れるのはよくない。なんというか気持ちが悪いのだ。
なにせ分からないことだらけ。
確かに接するにつれて見えるところもある。
だけど、謎が深まる点も多い。
彼は掴みどころがなくてなにを考えているのかが分からない。
ただ一つ、嘘が嫌いだということは分かった。
その理由はなぜかと尋ねたことがある。
彼は答えた。
「自分が嘘そのものみたいなところがある」と。
わけが分からない。
いったいなにが言いたいのだろうか。
いや、彼の言葉なんて全てそんなものだ。
よく考えるだけ無駄なのだ。
どうせ深く考えずに発言しているだけなのだから。
今日もまた学校に行く。
下校時刻になって生徒玄関を抜けて、二人はふらふらと校舎の周りをうろついていた。
「あーあー、もったいないな」
花壇を前につぶやく。
完全に踏み荒らされている。
「へー。直してあげようか」
彼はそんなことを口に出す。
「ん? できるのか?」
「当然」
彼はそちらを向くと、手のひらをかざす。
瞬間、光があふれ。
収まると同時に目の前には花が咲いていた。
「おおー」
まるで手品でも見たかのよう。
素直に驚き、感動しておく。
「ね、すごいでしょ?」
彼はそっと微笑んだ。
それから休日、彼の家に遊びに行く。
その折、庭に到着。
彼の庭に咲いたはずの花が枯れていた。
「珍しいな。手入れでもサボったか?」
「ああ、うん、そういうことでいいよ」
やけに変な言い方だな。
不思議そうな顔で眺めると彼は素直に打ち明けた。
「別に隠すようなことでもないよ。これは単なる代償なんだ」
「代償?」
ピンと来なくて聞き返す。
「僕の力はそういうことになってる。嘘にする対象に応じて代償を払う。花壇の花を蘇らせたら、こっちの花が枯れる。つまり、そういうことなんだ」
等価交換というやつだろうか。
ノーリスクというものはないため、そちらのほうが信じられる。
逆に安心した。
「とりあえず遊ぼうよ」
彼はそんなことを言い出す。
「ああ」
青年も答え、二人は家の中に入っていた。
日常は続く。
わけが分からぬまま、時間を停めたように。
その内、自分はこのまま人生を終えるのだろうかと考え出した。
そんなことはない。あってはならない。
だけど、不安になる。
本当にこれでいいのかと。
自分はなにか知らなければならない事実があるのではないかと。
今日もまた考えている。
シャープペンシルをペン回しのマネごとのように弄びながら、窓ガラス越しに曇った空を見つめて。
「気になる?」
少年が視線をよこす。
「前に踏み出したいのなら、好きにすればいいよ」
やけに投げ遣りな態度だった。
「あの女を頼ればいい。丘の上に建つ、魔女の家だよ」
指し示す。
そうかそこに手がかりがあるのか。
彼方を見上げ、彼は立ち上がる。
かくして青年はそちらへ向かう。
丘を登り、魔女の家でへ。
扉を開く。
そこには女性がいた。
とりあえず中に入って、そちらに寄る。
「あんた自分の正体を知りたいのね?」
「はい」
「ふーん。そんなの聞かずとも分かるようなものだけどね」
タバコを吸いながら彼女は気怠げに話す。
「それっていったい」
きょとんと首をかしげる。
「あんた知らないの? ここは死後の国。未練あるものが留まっている場所なんだって」
衝撃の発言。
自分が死んでいる。
死後の国。
頭が真っ白になる。
世界ごと空白に染まり、その中に自分一人だけが残されているような気分。
急に薄ら寒くなった。
気温が下がる。
得体の知れないなにかに触れているような感覚。
彼は動けない。
石像と化したかのように。
それでも自分の気持ちだけは激しく動き、動転しているのが分かった。
「嘘だ」
反射的に叫ぶ。
今にも彼女に殴り掛かりそうな勢いだった。
「信じられないのなら確かめてみたら? 確かにそこにはあるはずだよ」
言葉を受け、否定しながらも、心は早鐘を打つのをやめない。
現実逃避をしたくてたまらない。
いてもたってもいられなくなり、背を向ける。
青年は飛び出した。
無我夢中で駆ける、目的の場所へ。
そこは墓地だった。
その石を順番に見て回る。
そんなはずはない。
これは夢だ。そうに違いない。
全ては自分が見ている悪夢なのだと。
そう確かめるように、証明してくれることを祈るように、一つずつ確かめていく。
そしてついに見つけた。
一つの真新しい墓石。
ピカピカと光り輝く石には自分の名が刻まれていた。
あらためて見ると笑いが出てくる。
ああ、そうか、そうだったのか。
自分はすでに死んでいた。
そんな現実を突きつけられてなんとする。
未練がないわけではない。
現実ではまだやりたいことがあったし、やり残したことがある。
まだまだこれからだったのに、それをいともたやすく打ち砕かれた。
その現実に打ちひしがれる。
雨が降ってきた。
雫に濡れる。
だが、今の自分にとってはどうでもよかった。
体が濡れても風邪を引いても。
なにしろすでに終わっている身。
自分の体はすでに生命を失っている。
もはや動くブリキと変わらない。
「風邪引くよ」
頭上に影ができる。
雨音が止み、あたりが静かになった。
後ろに立っているのはあの少年だ。
分かっていながら彼は苛立ちを隠せなかった。
「今ごろなんの用だよ」
「別に」
そっけなく彼は返した。
「帰ってくれ」
「君がいいなら、それでいいよ」
あっさりと答える。
その態度にイライラする。
「お前、知ってたのか。俺のことを。俺たちがすでに死んだ身だってことを」
振り返って当たり散らすように叫ぶ。
その行為になんの意味もないと知りながら、それでもなお、叫ばずにはいられなかった。
「ずりぃよ。そうやってあざ笑ってたんだろ。哀れんでたんだろ? 俺だけなにも知らなかったんだ。こうしてまだ希望はあると。そんなことを思って」
頭を抱えた。
絶望しかない。
自分の命は終わっている。
この世界で生きていたところでなんの意味もない。
ここは自分の世界ではない。
ただ、それだけなのだから。
「生をやり直したい?」
「当たり前じゃないか」
そんな問い、いちいち答えるまでもない。
「もう消えてくれ」
誰も自分の気持ちなんて分かってくれない。
誰一人として共感してくれるような相手はいない。
彼は完全に打ちひしがれていた。
そんな彼の心に寄り添うよに、ぽっかりと淡く光を灯すように少年は口にする。
「嘘にしてあげようか?」
その問いかけに、顔を上げる。
目の前の霧が晴れたように錯覚する。
だがそれでも相手のことを信じきれずにいる。
そんなことありえるのか。
それを彼がしてくれるのか。
恐る恐る彼の顔を見る。
「君の死を嘘にしてあげる」
真っ直ぐな目をして彼は言う。
それを見て安堵したような、戸惑ったような、信じていいか分からないような、微妙な気持ちを抱く。
だがすぐに冷静になり、首を激しく横に振った。
「待てよ。お前は嘘が嫌いだって。そう言ってたじゃないか」
彼に向かって呼び掛ける。
「ああ、言ったよ」
あっさりと認める。
「だけど今は四月一日なんだよ」
「エイプリルフール」
「うん。だからいいんじゃないか。別に構わないさ」
かすかに笑む。
「待てよ。だってお前は」
そうだ、彼の嘘には代償が伴う。
自分の死を嘘にしたら、その代償に自分も消える。
それだけは絶対に避けなければならない。
けれども、相手の覚悟は変わらなかった。
「ありがとう。楽しかったよ。君と出会えて、本当によかった」
今際の際に走馬灯を回想するように青年は口に出す。
その顔が実に少女らしく脳が混乱する。
「君から受け取ったものはただの思い出だけじゃない。僕にとっての大切なものなんだ。だからもう、いいんだよ」
「待てよ」
改めて呼び掛ける。
「お前、どっちなんだ」
いままで思考停止で男だと思いこんでいた。
だが実はそうではなかったのではないかと。
今更ながら気付く。
けれどもその問いに彼は答えない。
次の瞬間、視界は白く塗りつぶされる。
***
目が覚めると彼はベッドの上に横たわっていた。
自分はきちんと生きている。
外には青空が広がり、小鳥がチュンチュンと囀りを響かせる。
いたって普通の日常的な光景。
平和そのもの。
「朝ごはんよー」
一階から母親の声。
「分かったよ」
頭をかきながら起き上がる。
彼は一階へと下りていった。
日常に戻った今でも思い出す。
あの世界の不思議な出来事を。
あれは夢だったのか否か。
あの人物は何者だったのか。
本当に存在したのか。
詳細は掴めない。
全てが夢だったのかもしれない。
否、そのほうがそれらしい。
嘘にふさわしい出来事だ。
だが、あの日のことは彼の胸に焼き付いて離れない。
もしかしたらまたどこかで会えるのではないか。
エイプリルフールの夢なのだ。
自分と引き換えの死もなかったことになるのではないか。
そんな淡い期待をしては、まあ無理かと首を横に振る。
それでも少しくらいは夢を見てもいいのではないか。
彼はまた、その嘘に会える日を待っている。
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