第55話 待ちに待った七の日 中編

「ゆい、むりしすぎなのだ。まりょくもたいりょくもなくなっちゃったのだ。ゆいもソフィーのことをいえないのだ」


 モニターの画面が暗くなり、白の空間に放り投げられるように戻って来たゆいを布団まで引きずりながら、ソフィーはぶつぶつと文句を言う。そして、寝てしまったゆいに布団をかけると、自分もその布団にもぐりこみつつ、


「……でも、ソフィーにはきっとあんなことできないのだ。なにをしてるのか、いつもよりももっと、わからなかったのだ。ゆいがいないと、ソフィーはおつとめできないのだ。ゆいはソフィーとずっといっしょにいるのだ……」


 爆睡中のゆいの白いシャツの裾をぎゅっと握りしめながら、ソフィーもすぐに夢の世界へと吸い込まれていった。






 その頃、ヘンストリッジ辺境伯爵家の屋敷では、アランとエリアーデを中心に明日行われるヘンストリッジ男爵家との面会の準備が進められていた。アランは面会後に行うメイソンとの会談の準備と屋敷周辺の警備計画を、エリアーデは親戚とは言え他貴族が訪問・宿泊するため、屋敷内の準備を主に行っていた。そんな中、執務室へ戻ったばかりのアランの元へ、二人の別々の部隊の騎士たちが息を切らせ、ほとんど同時に駆け込んできた。


「第1部隊隊長と第2部隊副隊長か。どうしたお前たち。お前たちが二人でここに来るなんて、そうあることではないだろう。何があった?」


 アランは二人の騎士の顔を見て目を細めると、低い声を潜めながら尋ねた。二人の騎士は一瞬互いに目配せしあった後、第1部隊隊長が先に口を開いた。


「ご報告します。本日私が担当でソフィアお嬢様の送迎を行っていたのですが、ソフィアお嬢様がお勤め直後に意識を失って神獣から落下してしまい、我々で受け止めることができませんでした。

 エリアーデ様が先ほど処置をなさって大事には至らなかったようですが、我々がついていながら……申し訳ありませんでした。

 今日の担当は私です。処分はどうか私一人に負わせてくださいませ、他の二人は……」


「そこまで言わずともよい。以前もあったが、恐らく魔力不足であろう? この後ソフィーの様子を見に行くが、外部からの襲撃を許したわけではあるまい。

 お前は知らぬかもしれぬが、我がヘンストリッジ家の子はな、代々よく無理をしてはぶっ倒れるのを繰り返しているのだ。やりたいことの加減もわからず、突っ走ってしまうからな。

 ……お前たちに頼んだのは外敵からの護衛であって、ソフィーのしつけではない。あの子が無事ならそれでいい。これからも身体が追いつくまでは、恐らく何度もあることだ。私もそうだったからな。気に病む必要はない」


 第1部隊隊長の声にかぶせるようにして、アランは苦笑いしつつそう話す。「職務怠慢ではない」と重ねて付け加えたアランは、責任を取ろうと覚悟を決めて来た様子の第1部隊隊長を穏やかな声で宥めた。


「……畏まりました。では、今後もソフィアお嬢様の護衛を我が部隊一丸となって務めさせていただきます」


「ああ。よろしく頼む。下がっていい」


 真っ青な顔で報告していた第1部隊隊長だったが、自分も部下もお咎めが無かったからだろう。幾分顔色を取り戻しながら跪いた姿勢を戻し、部屋に控えていた執事が開けた扉から退室して行った。そして、その扉が閉まるのを見計らって、今度は第2部隊副隊長が口を開いた。


「アラン様。メイソン様のご子息であるキリアス様から、急ぎの依頼を受けてご報告に参りました」


「キリアス? メイソンではないのか? キリアスと言えば、まだ10歳くらいの子どもだったはずだが……。依頼された報告は何だ。他家の騎士を使うのだ。遊びでは済まされんからな」


 キリアスの名が出たことに、アランはその表情を険しくした。すると、副隊長は懐から一枚の植物紙を取り出しながら続けた。


「まず、こちらがキリアス様からアラン様への書状です。何分なにぶん、混乱の中書いていたことと、まだノードレス文字がわからなかったようで……アラン様宛てにも関わらず、グラスゴ文字であることをしきりに謝っておられました。

 その書状にも簡単に書いてあることなのですが……我ら第2部隊は、街道警備の第21部隊から男爵家の護衛を引き継ぎ、昨夜領内に入りました。そして、昨日は領境のリンドバーグにあるヘンストリッジ辺境伯爵家の別邸に男爵家ご一行は宿泊され、明日のお昼頃こちらに到着するはずだったのですが、今朝メイソン様の様子がおかしくなってしまい、今別邸の者たちが医者を呼んで対応しているところです。

 様子がおかしくなったのは、今朝7時過ぎ頃。ダイニングへメイソン様とキリアス様が現れ、朝食を摂ろうと席に着く直前だったようです。夕食からは時間が経ちすぎているため、別邸の食事に何か混入していた可能性は低いかと……」


「様子がおかしい……?」


 アランは、医者を呼んでいる割には具体的に症状を言わなかった副隊長を訝し気に見ながらも、キリアスからの書状を開いた。そこには、拙いグラスゴ文字で慌てたように書いた文字が、あちこちにインクが飛び散った紙にぐちゃぐちゃと並んでいた。お世辞にも書状として人に渡すような状態ではなく、依頼ではなければ読まずに捨てるところなのだが……


「ふむ。メイソンが『乱心した』と表現されているな。このまま領都まで来ても面会は難しいだろうが、ここからキリアスが主導で王都まで戻るのはより困難だから、一旦このまま屋敷まで来てもよいかどうか、ということか。

 我が屋敷まで来ることは構わん。だが、お前はこの『乱心』がどういう状態だったかわかるか?」


「はい。メイソン様が普段どういった方かは、昨夜から早朝までを護衛中に見た分でしか判断ができませんが、少なくとも様子がおかしいのはわかりました。

『ご乱心』と表現されるべきかはわかりかねますが、様子がおかしくなってしまわれるまでは、我ら護衛騎士や別邸の使用人たちへの当たりは非常に強く、正直に申し上げて……まるで我らが『奴隷』か何かのような対応でした」


 副隊長は、嫌なことを思い出したかのように顔をしかめ、目を閉じて一旦言葉を切った後、再度口を開いた。


「しかし今朝方、ダイニングで大声を上げて苦しみ出し、我らも慌てて医師を呼びに行ったりしたのですが、その……長い叫び声が止んだと思ったら、メイソン様は目の焦点が合わなくなっており、まるで魂が抜けてしまったかのようにどこかを見つめながら、ずっと何かを呟いていらっしゃって……。

 その状態が、次の街へ出発する時間になっても変わらなかったため、困ったキリアス様に頼まれ、こうしてアラン様に事前にご連絡するに至った次第でございます」

 

「ふむ。医師の見立ては?」


 アランの言葉に、副隊長は目を閉じて左右に首を振りながら、


「皆目見当もつかない、と。身体面での異常は見つからなかったようです」


「……そうか。身体は元気なのに、おかしい。まるで、少し前のソフィーのようだな……」


 アランは眉間にしわを寄せながら小さく呟いたが、副隊長の耳には届いていないようだった。


「わかった。領内で他貴族がそのような状態なのであれば、我らが保護するより他はあるまい。お前は部隊に戻り、メイソンとキリアスを予定通りこちらへ連れてくるように伝えよ」


 そう言いながら、アランはキリアスでも読めるよう、ノードレス文字とグラスゴ文字の両方で短い返事を書き、ヘンストリッジ辺境伯爵家の紋章が入った封筒に入れて副隊長に手渡した。


「確かにお預かりいたしました。そのようにお伝えし、明日のお昼頃に到着するよう、お連れいたします」


 副隊長は受け取った封筒を大事そうに懐にしまうと、足早にアランの執務室を後にした。嵐のように次々と二人分の報告を聞き終わったアランは、執務机の椅子にどっかりと自分の身体を預けつつ、窓の外を疲れの滲む顔で眺めていた。


「ふう、まずはソフィーの様子を見に行かないとな。あの子は賢そうにしているが、やはり我らがヘンストリッジの血。本能には逆らえないところがあるのだろうな。無理をして周りに心配をかけすぎぬようしつけるのは、彼らではなく私たちの仕事だ。

 それにしても……メイソンの『乱心』か。一体どういうことだ? 私に聞かれてはまずいことがあるから、そんな演技に走ったのか? いや、それならばタイミングが不自然すぎる。キリアスが困っていたのなら、あの子は何も知らないのだろう。いや、そもそもメイソンが『黒』かどうかもわからんのだ。しかし、これで話を聞くのが難しくなったかもしれん。ううむ、どうしたものか……」


 アランはしばらくぶつぶつと独り言を呟きながら頭を悩ませていたが、今悩んでも仕方がない、とでも言うかのように頭を左右に乱暴に振った後、勢いよく椅子から立ち上がった。


「うん、考えても全くわからん。とりあえず、可愛い我が娘の顔を見に行こう。考えるのはそれからだ」


 そう言うと、心配そうに、だが『見舞い』ということで執務中に堂々とソフィーに会いに行けるのが嬉しくて堪らないのがだだ漏れの表情で、アランは執事を伴ってソフィーの部屋へと向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る