第52話 待ちに待った七の日 前編

 お爺様の剣術の特訓とお母様のストレッチ講座が始まってから数日後、私はようやく七の日を迎えていた。

 今週は、シウヴァ家のお爺様とお婆様が来たり、新しい鍛錬が始まったりして変化の多い一週間だった。そのためだろうか、この週は身体的にも精神的にもかなり疲れていた。だから、鍛錬や特訓の無い七の日が、いつも以上に待ち遠しかったのだ。


「お嬢様、今日はなんだかいつもとご様子が違うように思うのですが……ご体調はいかがですか? もし、優れないようでしたら、このまま馬を引き返させましょう。無理をなさってはいけません」


「ううん、大丈夫。なんだか今週は忙しかったなあ、と思い返していたの。いっぱいリュフトシュタインを弾ける日を励みに頑張ってきたから、このまま祈りの塔に連れて行って?」


 七の日はお母様付き添えないので、毎週交代で護衛騎士が私を馬に乗せて送迎してくれる。今日は、その中でもよく馬に乗せてくれる、第1部隊というところの隊長さんが私を自分の前に乗せ、慣れた手つきで馬を駆っている。


「そうですか? いつもならもっと、周りにお花でも飛んでいそうなくらい、七の日はとっても嬉しそうになさっていましたから……てっきり何かしら無理をなさっているのかと。差し出がましいことを申しました。

 ただ、お嬢様が団長と鍛錬を始めたと耳にしました。団長の鍛錬は、見習いを終えた新人でも慣れるまで吐いたりするくらい、相当なスパルタです。我々は、むしろそれを求めているので良いのですが……お嬢様はまだ病み上がりでしょう。団長に言い辛いようであれば、私からもそれとなく伝えましょうか? そちらもどうか無理をなさらないでください」


 「実は、騎士団の皆がお嬢様を心配しているのです」と隊長は穏やかな声で付け加えた。何でも、今週はいつも以上にお爺様の気合の入った叫び声が訓練施設に響き渡っているので、一体誰がしごかれているのかと騎士たちがこっそり鍛錬を見に来たのだそうだ。すると、相手は新人の誰かではなく、私だったのでものすごく驚き、とてつもなく心配していたらしい。お爺様の訓練は耐え抜けば確実に力が付くが、とても厳しいことで有名なのだそうだ。


「そうなんだ、心配してくれてありがとう。確かに大変だけど、私も強くなりたいからいいの。自分のことも守れないのに、領民を守るなんてできないもん。早くみんなみたいに、強くなりたいの」


 一番の理由は、何とか盗賊を返り打ちにしたいからだが、それは伏せておく。それに、ここにいる家族、屋敷のみんな、そして領民を守りたい気持ちがあるのは事実だ。まあ、実際に大変なのは、結果的に鍛錬を代わってくれることになったソフィーであり、私ではないというのもあるのだが……ソフィーはなんだかんだ言って、楽しそうにしているから良しとする。

 私が馬上で前を向いたままそう話すと、後ろで隊長がふっと笑うのを感じた。


「お嬢様、素晴らしい心構えです。いつかお嬢様が我らとともにこの地を守り、闘う日が来るのが楽しみになりました。

……我らはあなた様の覚悟を甘く見ていたようです。大変失礼いたしました」


 そんな話をしつつ、気が付けばもう祈りの塔は目の前だった。入り口の前で馬を止めてもらい、左右を護衛する騎士にも手伝ってもらって馬から降りた。そして、馬を留め終わるのを待ってから、3人の護衛を伴って、人がまばらな祈りの塔に足を踏み入れた。






「おお、ソフィー。今日も仕事をしようぞ」


「むぐむぐ、もっとごはんー! おなかすいたのー!」


 いつも通りリュフトシュタインに魔力を食べさせると、パル爺に続いてフルフルが口に何かを入れたような声で話しかけてくる。何かというのはもちろん魔力だろう。いったいどういう構造で魔力を吸収して消費しているのか全くわからないが、自分が『食べられて』いるのは変わりない。想像すると気持ち悪くなりそうなので、考えないことにする。


「お、今日は七の日か。長時間練習すんのか? 昼食はちゃんと食べに帰れよ、人間は飯が必要なんだろ?」


「はあ、あんたが帰らないと、あんたが連れてきた人たちもご飯を食べられないさ。ふう、空腹はイライラの元。あたしたちの余計な仕事が増えるからね」


「ははは……」


 二人に続いて発せられた、トラ兄とスト姉の言葉にぎくりとした。初めての七の日にやらかしてから、毎週釘を刺されている。嬉しくて我を忘れた結果だが、これは一生言われるだろうな、と軽くため息をつきつつ、私は今日のお勤め用の曲と練習のための準備を始めた。






「ん? 音はいっぱい使った方がいいかじゃと? それはそうじゃ。一音につき、一種類の負の感情の浄化を担っておるからの。使う音の種類や数が増えれば、それだけ儂らにできることが増えるのは間違いないことじゃ」


「やっぱりそうだよね。まだ実質弾ける曲が少ないから、どうしてもゆったりしていて音の数が多くない、難易度が低い曲ばかり使っていたけれど……今日は練習する時間もたくさんあるし、ちょっと難しい曲にもチャレンジしてみようかな」


「お、そりゃいいな。実は、お前が使う音が結構偏ってるから、なかなか使われないやつが最近ちょっと不満そうにしてたんだ。丁度いいぜ! おい、お前ら出番だってよ、支度しろ!」


「え、トラ兄、ちょっと待っ……」


 パル爺に確認しながら、もう少し難しい曲を、と頭の中で楽譜を漁っていたところで、トラ兄が先走ってそんなことを言い出した。するとそれに応えるように、リュフトシュタインのあちこちから、そのパイプや演奏台が震えるほどの大きな歓声が聞こえ、やる気満々なのが伝わってくる。パイプの一本一本が仕事を求めるかのように動き、いつも以上にこちら側にせり出し始めた。まるで、早く歌わせてくれと言わんばかりの状態である。


「え、えっと、ちょっと落ち着いて……こんなにぐいぐい来ても、ウネウネしてる間は弾けないから、とりあえず止まって? それから、いつもよりは音を多く使う曲にするけど、一曲で全員に仕事を振るのは無理だから、最初の曲で出られなくても怒らないでね。今日は色々練習するから、どこかで全員使うようにするからさ」


 動きの止まらないリュフトシュタインの演奏台にしがみつきながら、なんとかそこまで言い切ると、途端にリュフトシュタインが動きを止めた。パイプの部分は相変わらずゆらゆらウネウネと動いてわくわくしていそうな感じがするが、とりあえず理解してくれたようだ。よかった。こんな巨大な神獣に振り落とされたら、それこそ死んでしまいかねん。


 私はふうっと一息つくと、リュフトシュタインの希望と私の練習を兼ね、いつもより数段難易度が高い曲を選ぶ。そして、以前作ったストップリストを騎士服のポケットから取り出すと、時間をかけてその複雑なコンビネーションを一つ一つ記憶させ始めた。

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