第14話 祈りの塔 前編

「え? 祈りの塔? ソフィーは祈りの塔に行く気になったの?」



 明くる朝、日々上達してきた身体強化で自分の身体をバッチリ支え、みんなが集まるダイニングへ向かった私は、全員が席に座って食べ始めるや否や、祈りの塔に行きたい旨を伝えた。



 しかし、返ってきた反応は予想外のものだった。え? 行く気になったってどういうことなの? 私いつ拒否してたの?



 私は頭の中の記憶を探ったが、祈りの塔のことは昨日の授業で初めて知ったのだ。それ以前の記憶にはない。ソフィーの記憶の中を探してみるが、それらしき建物の記憶はない。そもそも、ソフィーは家の外に一歩も出たことがないので、屋敷の中の記憶しかないのだ。私はてっきり、貴族の子どもは7歳まで貴族として認められないから、家から出られないのかと思っていたのだが……



「うふふ、そうよね、ソフィーは前よりぐっと大人になったんだもんね。ソフィーが眠る前は、祈りの塔に行くのを嫌がって、絶対に行こうとしなかったから……つい驚いちゃったわ」



「そうだな。そもそも疲れるのが嫌だと言って、屋敷の外に一歩たりとも出ようとはしなかったからなあ。ソフィー、すごい成長だよ。いいことじゃないか」



 お母様とお父様は、とても嬉しそうに話しているが……おい! これもソフィーの怠惰のせいか! まあ、私も宗教自体にはあんまり興味ないから、人のことは言えない。でも、その時ソフィーは3歳くらいだったんでしょう? 疲れるのが嫌だから外に出たくないって……ある意味あなたいくつよ、って言いたくなるわ。



 ちなみにその張本人のソフィーは、今絶賛爆睡中で頭の中にソフィーの寝息が聞こえている。最近、日中のお勉強や身体強化を一緒に真面目にやっているせいか、それ以外の時間は疲れ果てて寝ているようだ。夢の中の白の空間に行っても、そこでソフィーは疲れた顔をして寝ていることが多い。本当は今起こして文句を言ってやりたい気分だが、やめておく。こうして見ると、やっぱりまだ5歳の子どもなんだな、と思う。



「ありがとうございます。毎日たくさんお勉強させてもらってるからです。うれしいです。だから、祈りの塔に行って、ハルモニア様にお礼を言いたいです」



 私は、この2週間で少しずつ習った話し言葉を駆使して、今までよりはかなり大人になった話し方で返事をする。ソフィーの記憶には、〇〇なのだ! という話し方ばかりで、アホ丸出しなので、改善できて本当に助かっている。ちなみにソフィー本人は、これだけは直す気がないらしいので彼女はそのままである。



「おお、そうだな。ソフィーの未来を教え、助けてくださっているのだから、すぐにでも行くべきだろう。そうだな、今日の朝のリハビリを兼ねて、一番近い祈りの塔にこの後行くのはどうかい? あそこがこの領内で一番大きいところだしね。」



「あら、それはいい案だわ。騎馬で行けばすぐだし、馬の揺れは、屋敷の中で歩いたりするのとはまた違ういいリハビリになると思うわ」



 そうとなったら、私も今日はドレスじゃなくて騎士服を着られるわね、と鼻歌でも歌いだしそうなお母様をよそに、お父様は使用人たちに護衛と馬の手配を手早く指示する。



 私はというと、あまりにもすんなりと祈りの塔に行けるようになったことに拍子抜けしつつ、ここからがある意味勝負だ、と気を引き締めていた。



 そう、当然だが、私にとってはお礼を言いに行くのではない。謝罪に行くのだから。



 そして、もしこの世界に本当に神様という存在がいるのならば、たとえ事件のことを伝えたとしても、私はきっとなんらかの罰を受けるのだから。












 朝食の席で、その後に祈りの塔に行くことになったことを聞いたリタは、自室に戻った私を新しい騎士服を用意して待っていてくれた。普段は濃い色合いのものを基本的に着ていたが、祈りの塔に行くならより格式の高いものを、とリタがクローゼットから出してくれていたらしい。



 真っ白な生地に、両腕の外側と脇から裾までと両方の袖、それからズボンの両端に黒いラインがあり、家紋が彫られたボタンとカフスボタンの付いた、美しい騎士服だ。かっこいい。すごくかっこいいんだけど……現在のソフィーはショートヘアで、今はちょっと痩せてるくらいに回復してて、顔は幼いからか中性的な顔だから、これを着たら3割増しでかっこいい男の子にしかならない気がする。



 リタに着せてもらって、ドレッサーのあまり映りがよくない鏡を見る。うん。いつもよりかっこいい男の子になりました。はあ。



 いや、普段はいいんだよ、このお屋敷の中の人は全員、なぜ私がこんな格好をしているのか知っているから。でもね、お外に出るってことは、事情を知らない人にだって見られるわけでしょう? 現代の日本だって、女の子が制服のズボンを選べるようになってきたのは最近のことだ。お屋敷の中の女性も、女性の先生も、今まで出会った女性全員がドレスだったのだ。いくら子どもでも普通はドレスのはず。



 呪の痕を隠したいのも、ドレスが重くて負担なのも所詮私のわがままなのだ。これでもし、お父様やお母様が領民の前で恥をかいたり、非常識だと謗られるようなことがあったら……



 私は、鏡に映る美しい騎士服と自分としばらく見つめ合ったあと、外聞を考えてやっぱりドレスにしようと口を開きかけたところ、



「ねえ、リタ……」



「まあ、お嬢様。ヘンストリッジ家の正装の騎士服がとてもお似合いですよ。白はこの領地全体を、黒は暗黒龍の森を、金色はこの地を導く星となるヘンストリッジ家を表しているのですよ。さあ、きっと皆様お待ちですから、急いで向かいましょう」



 何事かを察したリタが、私の言葉にかぶせるように一気にまくしたて、私を部屋から追い立てた。そうか、ただかっこいいだけの服じゃなくて、ちゃんとうちの正装なのか。それなら大丈夫なのか? うーん、でもどうなんだろうなあ……と頭の中でぐるぐると悩みながら歩いているうちに、屋敷の玄関まで来た。



 私はこれから初めて家の外に出る。せっかくだからソフィーに声をかけてみるが、返事はない。まだ寝ているようだ。勉強ではないし、そのままそっとしておこう。



 そして、使用人たちが両開きの大きな玄関のドアを開けてくれるのを待って、一歩外に踏み出した。



 目の前には、赤茶けたレンガ造りの街並みと、街のいたるところを覆いつくす雪のように真っ白な土が広がっていた。











「あら、ソフィー、もう外に出ていたのね。屋敷の外に出るのは初めてじゃないかしら? お外はどう?」



「はい、初めてです! 土が、地面が真っ白です! あれは雪ですか? もうすぐ夏なのに雪が降ったのですか?!」



 私は一拍遅れて外に出てきたお母様にはしゃぎながら聞いてみた。地面が本当に一面真っ白なのだ。それは日本では見たことの無い光景で、とても美しく、幻想的に見えた。しかし、お母様は少し困った顔をしながら、



「あれはね、もともとは普通の茶色の土だったそうよ。でもここは、すぐそばに暗黒龍の森があるでしょう? 暗黒龍が発する魔素の影響で、ヘンストリッジ領はとても魔素の濃度が高い土地なの。魔力のある魔石が白く輝くように、魔素に染まった土だから真っ白なのよ。おかげで普通の食物はほとんど育たなくてね……」



 おっと、美しいと思った土はとんでもないものを含んでいたらしい。白土は、魔素は多いがその分土としての栄養素を失うらしく、サラサラの砂のようになってしまうそうだ。この土も曾お爺様が領主だったころは、まだ明るい茶色くらいだったのだか、ここ数年で完全に真っ白になってしまったらしい。この地で唯一育てられているのは、魔素に強く、痩せた土地でも育つ、タローム芋という私もおかゆで食べたものだけだそうだ。しかし、そのタローム芋でさえ、最近は育ちが悪く、収穫量が下がってきているという。



 あれ、もしかしてヘンストリッジ領が貧乏なのって、この白土というか、魔素というか、暗黒龍の森のせいなのかな? でも、普段の生活だと決して贅沢はしていないけれど、別に貧乏な感じはしないぞ? なんでだ?



 お母様の話を聞きながら、私は初めて得た実家が超貧乏だという部分のヒントについて必死で考えていた。しかしその途中で、お父様と騎士団長をしているお爺様を筆頭に数名の護衛騎士と思われる騎士たちが全員騎馬でやって来た。



「エリアーデ、ソフィー、待たせてすまないな。エリアーデの馬は連れてきてある。ソフィーは私の前に乗せてあげよう」



 そう言って、馬で私の目の前まで来たお父様に、お母様が私を抱き上げて手渡した。目線の高くなった私は、改めて自分の周りの人たちを見回して、気づいた。



 みんな服が白い。両親とお爺様は私と同じ。護衛騎士たちはちょっと意匠が異なるけど、白と黒がベースなのは同じだ。リタが言ってたけど、これって正装なんだよね? 祈りの塔に行くのってそんな大層なことなの……?



 ……いや、違う。民が毎日のように行くんだもん、みんながみんな毎日正装して行くわけない。祈りの塔はもっと、この世界の人たちにとって身近な存在のはず。






 そうか。






 きっと、私のためだ。






 みんなお揃いの正装なのも、






 お母様まで、ドレスじゃなくて騎士服なのも、






 私が変に目立って嫌な思いをしないように。






 好奇の目に晒されないように。余計な詮索を受けないように。






 今ドレスを着られない私のために、きっとみんなで合わせてくれたんだ。






 私が両親のことを心配したように、両親もきっと私のことを心配してくれたんだろう。






 これから謝りに行くのに緊張するのは変わりない。それでも私の心の中には、何か温かいものが広がっていた。

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