第6話 死の鎖とは

「あ、ああ、アラン、どうしましょう! ソフィーが、ソフィーが!」



 再び意識を失った我が子を慌てて抱き上げ、妻のエリアーデが悲痛な声を上げて取り乱している。私はというと、そんな妻の肩を優しく抱きながら、彼女の怪力ぶりをわかっていたのに、止めるのが遅れた自分を責めていた。



 そう、たった今、辺境伯である私が茫然とし、一瞬でも気を抜いてしまうような奇跡が目の前で起こったのだ。無理もないだろう。一時はもうだめだと言われた娘が、再び目を覚まし、そして一年ぶりに彼女の声を聞くことができたのだから。














 時は数時間前に遡る。私とエリアーデは、ソフィーの主治医から、ソフィーが眠る部屋の隣の部屋に呼ばれた。そしてそこで、主治医から厳しい宣告を受けた。



「そ、そんな! ソフィーが明日まで持たないなんて。なんで、なんでそんな急に……解決するまで時間を稼ぐことならできるようになったって言ってたじゃないか!」



 あらゆる医者をあたってもソフィーの病気がわからず困り果てていた時、ある知り合いから『病気だけでなく状態異常も専門にしている医師』としてジンという医者を紹介してもらった。彼曰く、ソフィーの不調はおそらく『呪い』の類であろうとのことだったが、呪い自体が現在ではとても珍しいため、詳しいことは何もわからなかった。ただ、見る限り今すぐに命を奪われるものではないだろうから、時間稼ぎをしながら解決方法を探るというジンの提案を受け入れて、既に半年ほど経っていた。



 あんなに元気で愛らしかったソフィーは、眠り始めてから目に見えて痩せ、直視するのが辛くなるほどボロボロになっていった。それでも、他の医者がみんな匙を投げたあとも、変わらずジンだけはあらゆる方法を試みてくれた。意識はないが、ソフィーの身体が一時的に『起きる』タイミングを掴み、ポーションを食事に混ぜて命をつなぐ方法を確立させたのだって彼だった。



 だから、納得できなかった。命をつなぐ方法はできたのに、なぜ今になってソフィーが死ぬなんてことに……



「アラン様。エリアーデ様。お気を確かにお聞きください。私は、お嬢様の身体は何らかの状態異常ではないかと推測していました。そして、毒物や他人の魔力反応が無い以上、とても珍しいことですが、原因があるとすれば『呪い』ではないかとも。」



 それだけならば、今までの方法でなんとかできたのですが……とジンは続ける。



「今しがた、お嬢様の両足に赤黒い鎖模様が浮かび上がり始めました」



 足から広がる赤黒い鎖模様。私とエリアーデは、それが何を意味するのか瞬時に悟った。



 ミネルヴァ王国の建国から400年。以前は魔法と同様に、呪術を使うものも多くいたにも関わらず、呪術だけが早々に禁じられるようになった。『赤黒い鎖模様』という特徴に一致するのは、呪術自体が禁じられる元となった有名な呪いであり、今もその恐ろしさが語り継がれている幻の禁術、『死の鎖』そのものではないか。



 『死の鎖』はその名の通り、身体と魂をじわじわと鎖で縛り、身体は絞め殺し、魂はその鎖に繋がれ、禁術を媒介する悪魔の永遠の奴隷にされる呪いだと言われている。その死に様は凄惨なものにも関わらず、魔力ではなく悪魔との契約で行われるためか、誰が呪をかけたのかをたどることのできる痕跡は一切残らない。一度鎖につかまって逃れた者はおらず、あまりにも残酷な暗殺方法として、一切使用することはもちろん、この呪術を学ぶことも禁じられた。



 しかし、これは暗殺者にとって便利に見えて、その実恐ろしい諸刃の剣のはずだ。道具を媒介すればよい他の呪いと違って、これは悪魔と契約し、使役することが必要だ。悪魔との契約はリスクが非常に高く、契約した時点で対価を求められ、成功の対価も求められると言われている。悪魔が人間に求める対価が何かなんて想像したくもない。呪が失敗したら? 呪い返しとして、自分がその身に死の鎖を受け、悪魔の永遠の奴隷にならなければならない。



 禁止される前ですら、ほとんどの呪術師がこれだけは引き受けなかったそうだ。もっぱら、とんでもなく高価な呪術師の奴隷を、貴族が金にものを言わせて、最悪使い潰す覚悟でやらせるような禁術だ。それがなぜ今になって、しかもこんなに幼い我が子にかけられたというのか……



 理由はわからない。でも状況は絶望的なのはわかった。



「……非常に言いづらいことですが、かの有名な禁術による遺体は、とても目も当てられないものだと聞いています。お二人は、せめてお嬢様がまだその身を保っていらっしゃる間にお別れをされた方がよいのではないかと」



 ジンは、黙り込む私たちに、とても申し訳なさそうに言った。いや、ジンは悪くない。ここまで来たら我々にも、彼にもできることはないのだから。



 私は、息を一つ吐いた。そして、震えそうになる身体に喝を入れ、なんとか冷静を装ってジンへの返事をする。



「わかった。知らせてくれてありがとう。今日の執務はすべてキャンセルして、私は我が娘のそばにいよう。エリアーデ、すぐに黒の正装に着替えるんだ。覚悟を決めて、ソフィーをちゃんと見送ろう」



 エリアーデは、諦めたくない、この国の貴族にとって永遠の別れを意味する黒の正装なんて縁起でもない! と最初は強く抵抗した。しかし、時間がないこと、それから7歳になっていないソフィーに、貴族として正式な葬儀はしてやれない。遺体の状態が酷くなってしまうのであれば、なおさらだ。ならば、見送りの今、私たちだけでも彼女を貴族として見送ろうと言えば、力なく頷いてくれた。







 急いで着替えを済ませ、ソフィーがいる部屋に戻った。私はベッドのそばにある椅子に腰かけ、ジンの言ったことを確かめるためにソフィーの足元の布団をそっとめくった。



 細く、筋肉が落ちてしまった小さな白いソフィーの足。その華奢な彼女を内側から壊すように、皮膚の下から鎖模様に隆起したおぞましい何かが、足元から膝に向かって不規則に蠢きながらずるずると這っていくのがはっきりと見てとれた。



 鎖が通った場所は、肉が破られるのか、血が滲み、鎖模様を残して赤黒くなっていく。まるで、鎖にソフィーが文字通り喰われていくようだ。あまりの惨さに鳥肌が立つ。



 ソフィーはまだ……かろうじて生きている。






 ……でもそれがどれほどの慰めになるというのか。



 私は怒りで自分の身体が熱くなっていくのを感じた。目の奥がじんじんしてくる。



 愛する娘が、目の前で呪いに喰われていく。私には何もできない。冗談じゃない、娘が何をしたっていうんだ!



 ……結婚後、エリアーデはなかなか子どもを授からなかった。悩む彼女を支えながら、やっとできた待望の我が子がソフィーだった。ソフィーが生まれた日は、感動のあまり、つい男泣きしたことは一生忘れないだろう。



 妻の美しい銀髪と私のお気に入りの紫色の瞳を受け継いだソフィーは、本当に可愛らしい子だ。親バカと言われようが、世界で一番かわいいのはソフィー。ちょっとわがままだけど、まだ小さい子どもなんてそんなものだ。私の貴族仕様の時の口調を一生懸命まねしようとして、変わった口調になっていたのも、それはそれで可愛らしかった。



 わがままだけど、根はとても素直で優しいソフィー。愛するソフィー、娘を救うためならこの命さえ惜しくないというのに!



 私は、自分の目からほろりと一滴の涙が落ちたのを感じた。そして、元気だったころのソフィーを思い出せば思い出すほど、あとからあとから流れてくる。



 ほんとうに、一体だれが、どうして……



「……もう、もうやめて……やめてよお! 私はどうなってもいい、これ以上ソフィーを……ああああああ!」



 鎖がソフィーの膝まで達していた。そしてなお、それは上へ上へと這っていこうとする。ソフィーの残り時間が、目に見えて減っていくのを感じた。私の隣でエリアーデが、悲痛な叫び声を上げながら、両手で顔を覆い、さめざめと泣いている。愛する娘を目の前で残酷に奪われていく苦しみ。とても見ていられない。耐えられない!








 ――許せない



 絶対に許さない。



 愛する一人娘を殺し、妻を、私をこれ以上なく苦しめるその所業。



 呪いは痕跡が残らない? だからなんだというのだ。



 一生をかけてその呪術師を探し出し、この手で裁き、死ぬより辛い目に遭わせてやる!














 ……そうとでも思わなければ、あの時の私は、怒りと悲しみでとても正気を保っていられそうになかった。ソフィーのために復讐を誓うことで、今にも壊れそうになる自分を保つことで精一杯だったのだ。



 だから、膝まで到達した鎖がいつの間にか動きを止め、隆起した鎖が徐々に小さくなり、皮膚に鎖模様の痕を残して消えていたことに全く気づかなかった。



 そしてソフィーが目を覚まし、エリアーデの呼びかけに、小さくとも声を出して応えたことがにわかには信じがたかった。まるで、死んだ者が蘇った、それくらいにあり得ないことが起き、喜びより先に、驚きで固まってしまった。



 そのせいで、不覚にもエリアーデに後れを取り、彼女にとどめを刺させることになるところだった。



 そして状況は冒頭に戻る。ソフィーは危機を脱した。理由はわからないが、死の鎖の呪は失敗したのか、力を失ったようだ。もうきっと大丈夫だ。



「エリアーデ、ソフィーはとりあえず今のところ大丈夫だろう。しばらく侍女たちに任せて、私たちは着替えて軽食でも取らないか? お互い、ソフィーに見せられないくらい、酷い顔をしているだろう?」



 もう見られてしまったけれどね、と苦笑いを浮かべながら提案すれば、エリアーデもこわばった顔を少しほころばせ、賛成してくれた。



 そして、人払いをした部屋の扉を開け、廊下に顔を出して誰かソフィーを頼めるものがいないか探そうとしたところで、扉の前に侍女長のエマがその眼に明らかな動揺を浮かべて待ち構えていた。



「旦那様、奥様、緊急のご報告がございます」



 そういえば、ソフィーの目覚めやらエリアーデの怪力ハグで、完全に意識から抜けていたが、さっきどこからか、誰かの叫び声が聞こえていた。なにかあったのか。



 私は、目でエマに先を促す。エマは、まるで恐ろしいものを見たかのような表情をぐっと飲みこみ、言葉を吐いた。



「屋敷の一室で、何者かが亡くなったようです」



 私はすぐにエマにその部屋へ案内させた。部屋に足を踏み入れ、私はなぜ、エマが『誰が』亡くなったのかを言わなかったのかを理解した。





 部屋の床に転がっていたもの。



 それは、恐らくつい先ほどまで人であったものであり、



 今はその表面に赤黒い鎖模様を浮かべた、大きな肉塊の骸だった。

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