第188話 振舞


〈勇者レオ視点〉



 レオの背後にいる兵士が、



「ゴクリ……」



 と喉を鳴らす音を聞いた。

 飲み込む唾すら渇いて出ないというのに。



 彼らを見回してみれば、全員の視線が水差しとティーポットに集中していた。

 恐らくそれ以外、見えていないだろう。



 彼らがそうなるのも当然だ。

 バナーネの皮によって森の中を無理矢理、走らされ続けて喉はカラカラ。



 目の前に水溜まりでもあったら、地面に這い蹲って泥水を啜ることも厭わないだろう。



 それでも気力を振り絞り、一滴の水も飲まずにこの魔王城まで辿り付いたのだ。



 そんな状態で目の前に飲み物が出されれば、欲望が刺激されて当然である。



「遠慮することはない。喉が渇いているのだろう?」



 魔王が焚き付けるように言ってくる。



 そもそも、あの罠は魔王が仕掛けたものだ。

 ならば当然、レオ達が延々と走らされたことも承知しているはず。



 それで、目の前のこれだ。



 こちらが水分を渇望していると分かっているからこその振る舞いであると考えられる。



 そうなると、これは罠である可能性が限りなく高い。



 ――毒が盛られているか……或いは……。



 しかし、罠としてはあからさますぎるのが気になる。

 そんな分かり易い罠を仕掛けてくるだろうか?



 それに俺も含め、兵士達ももう限界だ。

 早急に水分を補給しなければ、倒れる者も出てくるだろう。

 だが、どうすれば……。



 考えを巡らせていると、ふと魔王が口を開く。



「で、冷たい水と温かい茶、どちらに決めたのだ?」

「……」



 選択を迫られた。



 ――こちらに選ばせるのか……?



 用意されているのは水差しに入った冷たい水とティーポットに入った温かい茶。



 喉の渇き切った兵士達なら両方飲んでもまだ足りないだろうが、そこで敢えて選択を迫ってきた。



 ――何か意図があるのか、それともただの物惜しみなのか……。



 しかし、選択権がこちらに与えられていることは確かだ。

 両方共に毒が入っている可能性もあるが、それならわざわざ選ばせたりはしないだろう。



 ――敢えて片方だけに毒を入れて、俺がどっちを選ぶかを楽しむような悪趣味な遊びに付き合わされている可能性もあるが……。



「どうした?」

「……」



 返答が鈍いことに業を煮やしたのか魔王が尋ねてくる。

 そして、こう続けた。



「もしや毒でも盛られていると勘繰っているとか?」

「……」



「それならば案ずることはない。ただの水と茶だ。ちなみにティーポットの中には、霊芝を煮出した茶にミルクを加えた霊芝茶ラテが入っている」

「ラ……ラテ?」



 魔王の口から出た聞き慣れない言葉に戸惑う。



 そこで魔王は背後に控えていた別のゴーレムに何か指示を飛ばした。



 奥から出てきたのは紐のような不可思議な服を身に付けたゴーレム。



 その紐ゴーレムはレオ達の近くまでやって来ると、テーブル上に置かれているティーポットの蓋を取ると、器を傾けて中身をこちらに見せてくる。



 湯気が立ち上ったそこには、茶色味がかった乳白色の液体が揺れていた。



 蓋を開けただけでここまで漂ってくる芳しい香り。

 思わず食欲をそそられる。

 兵士達も再び喉を鳴らしていた。



 ――確かに……これは旨そうだ。



 レオの口元が僅かに動く。

 だが――



 ――おっと……いけない。奴とは互いに命を取り合う敵同士。信用するしないの対象ではない。見破るか、騙されるかの二つに一つだ。



 心ではそう思うが、目がかすみ始める。

 体は正直。

 恐らく、脱水症状だ。



「はぁはぁ……」



 背後にいる兵士達も皆、肩で息をしていて呼吸も弱々しくなっている。

 目も虚ろだ。



 このままでは魔王討伐どころの話ではない。

 戦わずして倒れるくらいなら――、



 ――飲むしかない……。



 だが、どうせ口にするなら確実に行きたい。



 走り回って体に熱が籠もっている状態では、心理的に温かい茶よりも冷たい水の方を選びがちだ。体の為にもそちらの方がいいだろう。



 が、しかし、魔王はそれを見越して冷たい水に何か仕込んでくる可能性がある。

 となると、温かい茶の方が安全だ。



 その裏を掻いてくる可能性も無きにしも非ずだが……。



 ――ええい……ここはストレートに……。



「茶をもらおう」



 レオがそう告げると、魔王は紐ゴーレムに促す。



「だそうだ」



 紐ゴーレムは温かい茶の入ったティーポットを手にし、中身をカップに注ぎ始める。

 すぐに人数分がテーブルの上に用意された。



 兵士達はそれを渇望の眼差しで見つめている。



「さあ、喉を潤すといい」



 魔王がそう言うと、兵士達はレオの指示を待つような視線を向けてくる。



 ――ここは彼らに毒味してもらうのが得策だろうか……。



 ヒルダの回復スキルが使えない今、兵士達に何かあった場合、対処出来ない。



 ――俺の考えが外れたら……まあ、恨まんでくれ。



 そう思いながら、兵士達に許可を出そうとした時だった。



「ずずずず……ずび」



「……?」



 すぐ側で何かを啜るような音が聞こえてきた。

 嫌な予感がして振り返ると――、



 誰よりも先にティーカップの茶を口にしているヒルダがいた。



「ちょっ!? おまっ……何やって……」



 レオは身内に不意を付かれ、唖然とするのだった。


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