第十五話 鉱石

 翌日、メアリが再び尋ねてきて、少女に本を見せてくれた。表紙には様々な花が描かれていて、中には花の生態や逸話について詳細に記載されている。少女には読めなかったが、たくさんの花の絵を眺めているだけで楽しかった。

「あのね……メアリ。昨日の、その……名前に、ついてなんだけど」

 なにやらもじもじと指をこねながら少女が告げる。

「昨日、蜘蛛が持ってきてくれたの」

 揺り椅子の傍に、白百合が無造作に置かれている。少女はほんのりと頬を赤らめて続けた。

「初めて見たわ……こんなに綺麗なお花だったなんて。いいのかしら、わたしなんかの名前にしてしまっても」

「もちろんですわ」

 言いながら、メアリはかがみ込んで花を手に取った。小さく上を向いた鼻先にそっと近づける。

「そう、この香り……なんという清廉さ。まさに、お嬢様そのものですわ」

 少女はくすぐったそうに口元をほころばせた。

「すべてが終わったら、皆に報告いたしましょう。これからは、お嬢様のことをリリー様とお呼びするようにと」

「様は、いらない……」

「それは、言ってもおそらく聞かれないと思いますよ。彼らにとって貴女は崇めるべき方なのですから」

 もちろん私にとっても。

 メアリは立ち上がり、スカートの裾を軽くはたいた。

「さて、お嬢様、今夜行われる作戦についてですが、お話してしまってもよろしいでしょうか」

 少女がごくりと唾を飲む。揺り椅子に腰掛けたまま、なんとなく居住まいを正して、うなずいた。

「かしこまりました。では申し上げます。お嬢様には、一度この『塔』を出ていただき、森の外に埋められている鉱石を取り除いていただきます」

「鉱石……」

 小さく反芻する少女にメアリはうなずく。

「ええ。人間はこれを森の周囲に埋め込むことで、魔力を持つ我々を封印しているのです。空にはその力が及ばないため、私のような鴉や鳥たちは出入りができますが、蜘蛛などは為す術もないでしょう。私も実物を直接見てはおりませんが、屋敷の書庫を整理する際、文献を確認いたしました」

 これがその切り取りですわ。そう言って、メアリはどこからか折りたたまれた用紙を取り出した。戸惑う少女の目の前で広げてみせる。豆粒ほどの小さな模様がびっしりと連なる中に、くすんだ薄緑色の塊の絵が大きく描かれている。

「この、色……」

 興奮気味に指さす少女に、メアリは深く頷いた。

「お嬢様は聡明でいらっしゃいますね。今私たちの立っている『塔』の壁は、この鉱石によって作られているのです」

 少女はふらりと立ち上がった。そして、ゆっくりと首を巡らせる。頭上高く、重々しく積み上げられた石の壁。これらは、その鉱石によって作られていたのだ。

「さて、この資料には、次のように書かれていますわ」

 メアリのほっそりした指先が、鉱石の絵を取り囲む細かな模様を指す。これらは文字だったのだ。

「『この鉱石には、魔女の力を無力化する力が秘められている。鉱石そのものはやや軟質のため加工しやすいが、一旦加工された物は非常に堅固な物となる。魔女は鉱石そのものを目視することは不可能であるが、加工済みの物は目視できる。どちらであっても魔女が触れることはできない』」

「待って、その鉱石はわたしが取り除くのよね。これじゃあ、魔女であるわたしは、触れないし見えないのでは」

「いいえ」

 メアリは用紙を小さく折りたたんだ。

「お嬢様は確かに神である魔女のお姿をしておられますが、肉体そのものは人間なのですわ」

「どういうこと?」

「これは私自身も母から伝え聞いたことなのですが、神である魔女は、人間に裏切られる直前に、自らの魂の一部を封じた人形を作ったのです。まるで裏切られることを見越したかのようですが、その人形は当時の領主の死後、子息の子を孕んでいます。……蜘蛛の長から聞いておられませんか?」

「……そう、だったわね」

 確かに、そのような内容の言葉があったように思う。しかし濁流のように押し寄せる情報の波に頭がついて行かず、半分聞き流してしまった部分があるのは確かだった。

 改めて事の真相を呑み込んだ少女は放心したように呟いた。

「わたし、人形から生まれたってことなの……」

「お嬢様だけではありませんわ。お嬢様の父である現領主も、その前も、その前も……屋敷で生まれた者は全て、神の人形の子となります。その中でもお嬢様、貴女は神そのもの。歴代領主の子の中で最も価値あるお方なのです」

「……」

 人形というものは、遠い昔、屋敷の中で見たことがあった。小さな女の子の姿で、母親が来ていたような綺麗な洋服を着せられ、透明なケースの中に入れられて廊下の台座に置かれていた。地下から脱走した時、目についたので思わず手を伸ばしたのだ。その瞬間、横から怒声が飛んできて突き飛ばされた気がする。あれは、母だったのだろうか。

 人形の硬い頬や小さな手足は作り物だ。そんなものから生きた人間が生まれるなどありえるのだろうか。

「とにかく、見た目にはわかりませんが、お嬢様のお身体は代々領主から継いだ人間の肉体によって形成されています。それ故に、我々が見ることも触れることも叶わない鉱石を、貴女は取り除くことができるのですわ」

「……わかったわ」

 機械的に言葉を返す少女に、メアリは小さく息を吐く。

「お嬢様、ご安心ください。貴女がどのようなお生まれであっても、その魂は崇高なる神のもの。ですから、そのようなお顔をなさらないでくださいませ」

「わたしは、大丈夫よ」

 少女はなんとか口端を上げて見せる。

「ちゃんと、鉱石を探すわ。それさえ取れば、みんな外へ出られるのよね」

「はい。ただし、他の生き物たちまで飛び出して、麓の人間の街へ出られては困りますから、あくまでも屋敷方向への出口だけを開けていただきます」

「うん」

「開けていただければ、そこから先は我々の務めですわ。お嬢様は一旦、この『塔』へ隠れていてください」

「え……」

 少女はぽかんと口を開けた。

「私の役目は、それだけなの」

「はい。後のことはお任せください。きっと、お嬢様のお望みの形でお屋敷をお渡ししますから」

「でも、そんな、だって、わたしのことなのに」

「だから、です」

 メアリは少女の肩に優しく手を置いた。

「大切なお嬢様に、万一の事があっては困ります。外が安全に、綺麗になっていることを確かめてから、私が誘導いたしますわ。『塔』にはこの護衛を残しますから」

 後ろで静かにじっとしている蜘蛛に目配せする。蜘蛛の鋏角が微かに動いた。

 ――本当に、そのまま遂行するのか。

 流れ込む蜘蛛の意思に、メアリはそっと微笑んだ。

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