第228話 重なる魅了


「あれ、離れない」


 ふと、ラモがそんなことを呟いた。


「あっ、違うわ。あたしが……」


 ローザがまた赤面して言葉を返す。

 握っているせいだと思ったが、そうではなかった。


「え……?」


 本当に手が離れなくなっていた。


《互いに望んだ場合は離れぬ》


 わざわざ説明するように、守護者の声がそう告げた。


「え? 互いに……?」


 ラモが不思議そうにローザを見た。


「ち、ちが……!」


 ローザの胸が早鐘のように打ち始める。


「……の、望んだりなんてしてないわ!」


 ローザはさらにその顔を紅潮させて、叫ぶように言う。


 二人が互いを想い、信じ合う心が通った時、挟んでいた石は溶け、力を発揮していた。

 神殿の主が握らせたのは、なんとこの先20年もの間、二人の愛を強く後押しする効果がある強力な愛の石なのであった。


「そうだよね、変なこと言うね。ここの守護者」


 そこにいるかのごとく、ラモが部屋の天井に視線を向ける。

 幸いにも、ラモはローザの言うことを信じて疑っていない。


(やめて……もう)


 そんな一方で、ローザは心の中で守護者に向かって願った。


《………》


 その心の声が聞こえたのか、守護者は黙してそれ以上語らなくなった。




 ◆◆◆




「気にしないで行こう、ローザさん」


「う、うん……」


 二人は手を恋人繋ぎにしたまま、次の部屋へと向かう。


《2つ目の試練を与える。出現する魔物を可能な限り討伐せよ》


 守護者の声が響いた。


「いよいよ魔物か」


 二人は愛剣を抜き去り、構える。

 幸い、ラモは利き手のほうが空いていた。


「ローザさん、大丈夫?」


 ラモが左手で剣を握るローザを見て、心配そうに訊ねた。

 ローザが双剣使いであることを、ラモは当然覚えていない。


「あ、左利きなんだね」


「そうね。ちょうどよかった」


 ローザは一応頷いておいた。


 昔から食事の時などは右手を使うので、ラインハルトに習った時も剣は右で教えてもらった。

 だが、自分に取り憑いていた煉獄の巫女アシュタルテが左利きだったのかもしれない。


 今となっては、剣なら左でも全く差し支えなく扱うことができた。

 むしろ『殺傷の技』となると、左の方が優れているのではないかと思うほどである。


「あれか」


 出口の上にある小窓から、楕円形をした魔物がふわふわと、隙だらけの動きで宙を飛んでやってくる。

 漂うさまは紙風船のようで、実際、脆そうな印象は拭えない。


「あれ……でいいの?」


 ラモがちょっと拍子抜けしたような言い方をした。

 それもそのはず、魔物は全く魔物らしくなかった。


 何の攻撃もせず、ただ的のように宙を漂っているのである。


 だが数だけは多かった。

 次々と現れたそれはすでに百を超え、室内をふわふわと飛び交っている。


「斬ろう。いいかい」


「うん」


 ふたりは互いの動きに干渉しないよう注意を払いながら、近くにやってきた紙風船の魔物を次々と叩き切る。

 魔物は斬られると、パン、と音を立てて破れ、そのまましぼんで床に落ちる。


 それをひたすら繰り返す。

 ただそれだけの作業だった。


 魔物は本当に、一切攻撃してこない。


「あの上を」


 ラモが顎で左上隅に固まっている風船の魔物を指す。


「あたしが」


「よし、頼む」


 二人は互いの動きを合わせ、手を繋いだまま跳躍する。


 やぁっ、という声とともにローザが高い位置の魔物をまとめて薙ぎ払う。

 二連撃が決まり、十二体の魔物がパパパパン、と音を立てて破裂した。


 見事、という中性的な声が響く。


「――あっちを」


「うん」


 次に密集している右の壁沿い、右の上隅、左の後ろ隅を同じように排除していく。


 やがて、二人の間では、だんだん交わす言葉が少なくなっていった。


 一方が剣を振るう時はもう一方が信頼しきって体を預け、重心の位置を調整し、その行動を妨げないようにする。

 互いの役割が交代しても、全く同じことを狂いなく成し遂げる。


 その息のあった動きは、たった数分で信じられないレベルに達していた。


 やがて二人は無言のまま、視線の方向だけで協働するようになる。

 時折重なる視線が、全てを伝え合う。


《なかなかやる。ではこれではどうかな》


 中性的な声が聞こえたかと思うと、紙風船の魔物の数が突然倍増した。


「どうかなと言われても」


「うん」


 ラモとローザが顔を見合わせて小さく笑う。


 それはそれで、割る風船の数が倍増するだけであった。


 だがこの神殿の作り主が、ただの風船割りをさせるはずもなかった。

 この魔物はゴーレムの一種で、名は『魅了の風船チャームバルーン』という。


 攻撃してこないのではない。

 実際、この魔物は一体一体が破壊されるたびに微量な効果を放っていた。


 ラモが気づかなかったのは、自身がその効果に耐性を持っていたからである。



 ◆◆◆



 2つ目の部屋をクリアすると、風船を倒しただけに相当する金貨が与えられた。

 ひとつにつき金貨2枚で、合計1830枚にも上った。


 しかも与えられたのは、例の古代金貨であった。

 現代流通しているものより、金の純度が高く、値打ちがある硬貨である。


「王女様達、喜ぶかな」


「そうね」


 二人はそれを懐に入れると、休憩を挟んで体を休め、3つ目の部屋に向かう。


 そこは先程よりやや広い部屋だった。

 前の部屋から流れ込むせせらぎが部屋の中央で貯まりを作り、池を形成している。


 池で流れが弱くなっている分、ここの魔法の水は淡く、しとやかな輝き方をしていた。


「……ここ、なんだか涼しいね」


 ラモがあたりを見回しながら言った。

 どこかから冷気が入ってきているのか、前の部屋よりも室内の温度が低く感じられる。


「………」


 しかしローザからの返事はない。


「ローザさん?」


 ラモが振り返ると、ローザはラモをじっと見つめていたようだった。


「……う、うん。ごめんなさい」


 ローザが小声で答え、うつむく。


「どうかした?」


「な、なんでもないわ……」


 ローザは、戸惑っていた。

 ラモを見ると、やけにドキドキと胸が高鳴るようになっている自分に。


 そしてどうしてか、ラモから視線を外すのが辛くなってきている。


(きっとこのせい……)


 ローザは視線を自分の右手に落とす。

 さっきからこの手が離れないせい。


 ローザはそう決めつけ、努めて意識しないようにする。

 指輪にはまだ感知されていないのが、幸いであった。


《これが最後の試練である。少々過酷だが、二人で協力して成し遂げよ》


 例の中性的な声が二人に告げる。


「よし、最後か。がんばろう」


「うん」


 ラモとローザが頷き合う。


《まず池に沈んでいる宝石箱を女が引き上げよ》


 言われて二人は目の前にある池に視線を落とす。


「あれかな」


「うん」


 池は水深がそれほどなく、澄んでいて底までをたやすく見通せる。

 水底に、それだけでも値打ちの有りそうな20cmほどの宝石箱が鎮座していた。


 千年以上の月日が経っているにも関わらず、宝石箱には汚れ一つない。


「うーん……ねぇローザさん、やめておこうか。ああいう取りやすい位置にあるのは、たいていトラップが」


《この神殿内に罠は一切存在しない》


 すぐさま中性的な声が、ラモの言葉を否定した。


「ホントかなぁ……」


「大丈夫。やるわ」


 ローザは宝箱を見つめながら、羽織っていた外套を脱ぎ、足元に畳んで置いた。

 白のジャケットに、白のタイトミニからすらりと伸びた素脚があらわになる。


「ここをつくった人は、きっと訪れる人を心待ちにしていたのよ。入り口を通過できさえすれば、害するつもりなんてないんだわ。それに」


 ローザもすでに、ラモと同じことを考えるようになっていた。

 あの宝石箱を持って帰れば、あれだけできっと、数え切れないほどの民にパンが当たる、と。


 そう考えると、ローザの中で、やらないという選択肢はあり得なかった。


「わかった。でも引き込まれたりしそうになったらこの手で引っ張るから、しっかり掴まってて」


「うん」


 そう、二人の手はまだ繋がれたままである。


「じゃあいくね」


 ローザが素脚を揃えて屈み、池の水に左手をつけ、水温を探る。

 そして意を決して、一気に足から水に飛び込む。


 水の冷たさがローザの体を鋭く突き刺すが、ローザは池に頭までを沈め、素早く水の中を見通した。


 白銀の髪が水面に浮き、遅れて沈んでいく。

 宝石箱を視界に捉えたローザが、潜ったのだ。


 ラモもローザの邪魔にならないよう体を倒し、繋いでいる方の肩までを水面に沈める。

 ローザはラモの手をしっかりと握りながら、空いている左手で水底を探っていく。


「………!」


 そこでふいに、ローザの身体がびくっと痙攣した。

 水底の方は、異様に水温が低くなっていたのだ。


 ローザの心臓が驚き、急激に走り出す。

 口に残っていた空気が泡となって、こぼれていく。


 だがローザは慌てず、宝石箱から目を逸らさない。

 守護者の言う通り、宝石箱はなんのトラップもなく、たやすく抱えることができた。


 そのまま、浮上する。


「ぷはっ」


 ローザが顔を出す。

 銀色の髪が頬に張り付いている。

 血色の良かった唇は、紫がかっていた。


「上げるよ!」


 ラモがローザを抱きかかえるようにして引き上げる。


 ローザは宝石箱を床に置くと、水を滴らせながら、ラモにもたれかかった。

 水底の低温で、想像以上に身体が消耗していたのである。


「冷たい……なんでこんなに」


 ラモは血相を変えると、足元に置いてあった自身の外套をつかみ、そんなローザの背にかけてタオルの代わりにするようにローザを拭き始めた。


「はぁ、はぁ……」


 ローザは支えられたラモの耳元で呼吸を整えながら、ラモにされるがままになっていた。

 銀色の髪と、その白いミニスカートの裾からは、輝く魔法の水滴がぽつぽつ、と滴り落ち続けている。


「………」


 ふと、ローザが驚く。

 どうして自分はラモに抱かれたまま、抵抗しないのだろう、と。


「ご、ごめんなさい……」


 ローザが慌てて離れた。

 しかし繋がった手が、例によって大きく離れることを許さない。


「ち、ちょっとぼーっとしてしまって……」


「気にしないで。でもおかしいくらいに身体が冷えてるよ。大丈夫?」


「………」


 その優しい言葉と、まっすぐに見つめてくる視線に、ローザの胸がきゅんとする。


「大丈夫。そ、それより、取れたから……」


 赤面したローザが床の宝石箱を指さす。


「うん、ありがとう」


《まだ終わりではないぞ》


 そんな二人のやり取りの最中、守護者の声が再び響く。


《再び魔物が現れる。それを倒すのだ》


 その声とともに、先程と同じ紙風船の魔物が、出口の上に開いた小窓からやってくる。

 風船の魔物は先程までと違い、明らかにローザに狙いを定め、やってきていた。


「僕に任せて」


 ラモが右手に剣を握る。

 ローザを引っ張らないようにしながら、次々と剣を振るった。


 パン、パンと音を立てて風船の魔物が足元に落ちていくのは、先程と変わりなかった。


「………」


 だがそれを繰り返すごとに、ラモを見つめるローザの目がまた、とろん、としていく。




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