第72話 イザイの依頼1

 

 年の暮れになり、雪がちらちらと降り出す季節になっている。

 朝方の気温はそれぐらいまで下がっており、仲冬といってよい季節だ。


 でも「剣の国リラシス」では陽射しが強いので平地で根雪になることはほとんどなく、夜に積もっても、だいたい昼までに雪は消え去ってしまう。


 寒暖差が激しいという意味にもなるが、日中になると、冬といえどそれほど寒くなく過ごすことができる。


「あー終わったー」


 今日は授業が終わった後、1年生と2年生で学園の集中清掃をする日だった。


 僕は用務員さんに借りていた竹箒をまとめて返しに行く役目を頂戴し、前が見えぬほどに両手で抱えながら用務員室へと向かっていた。


「おお、取りに行こうと思ってたのに、わざわざありがとう」


「こちらこそありがとうございました」


 僕は礼をして、用務員室を後にする。

 このまま寮に帰っていいことになっていたので、体育館裏を通り、近道することにした。


 背の高い木々が並ぶ風景。

 今の季節、緑は失われて寂しい限りだが、ここを通ると、フユナ先輩と鍛錬していた日々が思い出される。


「懐かしいな」


 そういえばフユナ先輩とはまるまる三ヶ月会っていない。

 聞けば、寮に戻ってこない日もあるらしかった。


 当然だ。


 王族護衛特殊兵ロイヤルガードだからな。

 並大抵の訓練ではないだろう。


「先輩、念願かなって嬉しいんだろうな」


 フィネス第二王女にライバルと言ってもらえたみたいだし、『ユラル亜流剣術』の継承者にもなれたし。


 あの日、この上なく幸せそうだったもんな。


 努力家のフユナ先輩のことだから、今日も王族護衛特殊兵ロイヤルガードになるべく、きっと努力の日々を……。


「……あれ」


 僕は我が目を疑った。


 体育館裏のいつも練習していた場所に、人がひとり立っている。

 ブロンドの髪を風になびかせて、どこか遠くを眺めている。


「………」


 その人は、今、僕が脳裏に描いていた人だった。

 そして、多くの生徒の憧れの的。


 そう、フユナ先輩だった。


 僕が駆け寄ると、フユナ先輩はこちらに気づき、小さくため息をついたようだった。


「先輩、なにをしてるんですか」


「お前を待っていたのではないことは確かだ」


「では誰かを?」


「お前には関係ない」


「もしかして彼氏――あゔ!?」


 グーで殴られた。

 相変わらず暴力的な人だ。

 そこで気づいた。


「……ご、ごれは?」


 僕は鼻を押さえ、立ち上がりながら、もう一方の手で地面を指差す。

 足元に、二本の木刀が並べられていたのだ。


「……まあいいか。お前で」


 なにか失敬な言い方をすると、フユナ先輩は僕に向かってその木刀を一本投げて寄越した。

 僕がそれを受け取ると、フユナ先輩は木刀を中段に構えた。


「どれ、久しぶりに手合わせしようか」


「僕と打ち合うと?」


「学園祭以来だな。お前は腕を上げたのかな」


 フユナ先輩が楽しそうに笑った。




 ◇◇◇




 カァァン、カァァン、カァァン、バキャ!


 木刀が重なり合う音が響き渡る。


「う、腕を上げたのは……先輩です……」


 僕は何度目か知れずに立ち上がりながら、言う。

 打ち合ってすぐに気づいた。


「当たり前だ。フィネスやカルディエと日々打ち合っているのだからな」


 フユナ先輩が息を乱さずに言う。

 言葉の通り、フユナ先輩はたった三ヶ月で見違えるほどに強くなっていた。


「お前には言っただろう? 私は第一学園に転校することになってな」


「来年の4月からですよね」


 先輩は優勝したあの日、フィネス第二王女に直々に王族護衛特殊兵ロイヤルガードを頼まれ、承諾している。

 つまり次の『連合学園祭』、フユナ先輩も敵になる。


「でも強くなりすぎじゃないですか? ただお二方と打ち合っているだけではない気が」


 僕は打ち込まれる剣を押し返しながら、言う。


「ほう、お前でもわかるのか。というかお前も案外打ち返してくるじゃないか」


 フユナ先輩が目を細めた。


「なんというか……剣にいちいち自信がのっている気がします」


「サクヤのくせに、なかなかうまいことを言う」


 フユナ先輩がくすっと笑った。


 そう。

 フユナ先輩の剣は、いつになく自信に満ち溢れていた。


 今までの先輩の剣を例えて言えば、それはいわば、迷いの剣だった。

 自分の追求する剣の道がこれで正しいのかと、不安を抱えながら歩んできた内心を表していたのだろう。


 だが今は、まるで違う。

 自信に裏打ちされ、剣は迷い無く的確に振るわれる。


 それが鋭さを増し、今まで咎められなかった相手の隙までも咎められるというわけだ。


「どうやってこんな短期間に」


「ここでお会いした方に教えてもらったのだ」


「……は?」


 僕は軽く呆けた。


 フユナ先輩が剣を止め、思い出すように遠くを見ると、頬をうっすらと紅潮させた。


「私の『努力の剣』が最強であることを、あのお方が自ら教えてくださった。それが私にとって、どれだけ価値があったか……言葉では言い表せない」


「………」


 それ……もしや。


「その価値は計り知れない。今やあのフィネスから一本とることも不可能ではなくなったのだから」


 無駄に力む癖もなくなったということか。

 予想以上の効果だ。


「それはすごいですね」


「ありがとう」


 私も嬉しいのだ、と先輩は微笑んだ。


「継承者となり、フィネスにも認められた私は満ち足りて、もはや願うことなどないと思っていたが」


「……思っていたが?」


 フユナ先輩は真剣な表情で言った。


「お会いしたくてたまらない。きっかけをくださった、その方に」


 強くなった私を見て頂いて、今度はきちんと礼を申し上げたい、と先輩は続けた。


「もしや、それで……?」


「そう。それで手合がない日はずっとここでお待ちしている」


「………」


 マジか。


「だがそれも、3月までの話になってしまうのだが」


 言いながら、先輩は少し悲しそうな顔をした。


「………」


「どうした? 何を青ざめている」


「いえ、なんでも」


 そこでフユナ先輩が何かを思い出したような顔をする。


「そういえば、あのお方の剣はお前と少し似たところがあった。もしかして知り合いだったりしないか」


 名はラモチャー様と言うのだが、と先輩が真顔で言う。


「知り合いというか、それは僕本人……」


 僕はぽつりと呟いた。

 聞こえたらしいフユナ先輩が堪えきれずに吹き出した。


「笑わせるな、お前とは決定的に違う」


「あ、そんなに違います?」


「論外だ。お前にはそもそも男性としての魅力が欠如している」


 フユナ先輩が断言する。

 褒められているのやら、けなされているのやら。


 ともかく、すごく言いづらくなったのは確かだ。


「で、会ってどうするんです」


「………」


 僕の問いかけに、フユナ先輩は目を合わせたまま、ぽっ、と頬を赤らめた。


「先輩?」


「……お、お前には関係ない!」


 いたたまれなくなったように、先輩がくるりと背を向けた。

 ブロンドの髪がふわりと揺れて、柑橘の香りが流れてきた。


「まさか……へぶしっ!?」


 言う前に裏拳で殴られた。


 うん、だめだ。

 これは黙っておこう。


 ちょっと舌も噛んだし、言いたくても言えなかったということで。

 いや、すぐ治っちゃうけど。




 ◇◇◇




 窓の外では、静かに雪が降っていた。

 だがそれは地上につくやいなや、すぐに水滴となって姿を変える。


 剣の国リラシスでは新年を祝う儀式が王宮で行われており、街中の人々がめかした服装で王宮前に集まっていた。


 朝から続いていたその儀式も昼をまたぎ、終わりを迎えると、街の人々が帰路につき、出ていた出店も畳まれていく。


 そんな時刻の、とある王宮の一室。


 磨かれた白大理石の壁に、真紅のカーテンと、真紅の絨毯があしらわれた厳かな造りの部屋。


 そこに、四人の生徒が一列に横並びで立っている。

 フィネス、カルディエ、フユナ、そしてサクヤの4人である。


 今日、四人は王宮での新年の儀式に呼び出されていた。

 昨年秋に行われた『連合学園祭』で印象に残る戦いを演じたペアが投票によって選ばれ、招待されたのである。


 これは毎年、新年の儀式で恒例で行われている形式的なものである。


 彼ら四人は先程までたくさんの人が見守る中で、国王エイドリアン八世より直々にお褒めの言葉を頂戴していたところであった。


 盛大な拍手とともに王の言葉が締め括られ、退場となった四人はそそくさと帰るつもりだったに違いない。


 しかし、舞台袖に降りたところで、とある人物に呼び止められた。

 そしてこの部屋に連れられ、閉じ込められている。


 この正方形の小さな部屋は堅牢な二重の壁で覆われ、外からは物音ひとつしない。

 内密な話をするために作られたとされる、王宮『第四の間』である。


「どういう要件か、さっぱりなのだが」


 フユナがブロンドの髪を後ろに払いながら言った。


 14時を過ぎていながら、昼食がまだなこともあり、フユナは少々疲れた様子を見せていた。


「ホントですわね。学園長でしたら大抵は事前に連絡をくださるのに」


 その疑問に、赤髪の王族護衛特殊兵ロイヤルガード、カルディエが答える。


 そう、彼らは第一国防学園の学園長、イザイに呼び出されていた。

 しかし当の本人はまだ現れていない。


「カルディエたちも聞いていないのか? 自分の学園なのに?」


「もちろんですわ。ねぇフィネス様?」


 フユナ&サクヤと、フィネスの間に立つ格好のカルディエが、振り向きながら訊ねる。


「………」


 答えるべき人が答えなかったため、しーん、と静まり返る部屋の中。


「フィネス様?」


「あ……はいっ、はい?」


 フィネスがはっとする。


 フィネスは同じように居並んだ一人の横顔をじっと見つめていて、自分が呼ばれていたことに気づかなかった。


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