第7話 美女に話しかけられた?
晴天の中、王宮の前に仮設のテントのようなものが張られ、挨拶をする人間たちの検査がされている。
当然のように、そこにも長蛇の列ができていたが、検問ほどではない。
「いい天気だなぁ」
俺はその最後尾に並ぶ。
皆がやけにじろじろと俺を見るのだが、まあ気にしない。
衣服を扱っている店にいくつか出向いたが、残念ながら今日はどこも閉店。
そういうわけで、しかたなくボロボロの衣服のまま、並んでいる。
空を見上げてにんまりしながら、久しぶりの日光浴を楽しんでいた。
腹が満たされ、ぽかぽかとした陽に当たるということがこんなにも癒やされることだとは。
そんな時。
「なんだか、すごく幸せそうですね」
風鈴が鳴ったような、涼しげな声が後ろから響いた。
「ん?」
振り返るとそこには、黒髪をポニーテールにした、ワインレッドのマーメイド型ワンピースを来た女性がこちらを見て微笑んでいた。
16,17歳くらいだろうか。
精巧に作られたような整った顔立ちに、肌理の細かい肌。
理想的なボディラインに、スカートから伸びる雪のように白い脚。
美しい人だ。
「すごく満ち足りた表情をされていたので、つい羨ましくて」
どうやらぽかぽか感とともに、かつてない満腹感が顔に出てしまっていたようだ。
「こんにちは。挨拶に来た人ですか」
「はい……あ、ごめんなさい、初対面なのに馴れ馴れしく接してしまって」
そう言って女性が名を名乗ろうとする。
俺はそれを手で制した。
名乗られると、俺も名乗らなければならなくなる。
「それは別にいいよ。でも羨ましいって?」
俺の言葉に、女性は小さな苦笑いを浮かべて頷いた。
「私、嫌なことが続いていたので、ここのところ……なんだか笑えなくて」
そう言って、女性はポニーテールを揺らして俯いた。
「なりゅほど」
ばったり会った俺が詳細をいきなり尋ねるのは少々疑問なので、ひとまずスルーする。
すると、女性が俺の顔をじっと見て、訊ねてきた。
「参考までに聞かせてもらえませんか。どんなことをお考えになって、それほどの笑顔でいたのでしょう」
「太陽がぽかぽかするって、いいなと」
「……えっ……?」
女性がきょとんとした。
「もっと突飛なことだと思った?」
きっと俺だけじゃない。
魔界の殺伐とした日々を過ごせば、誰しもこんなささやかなことで幸せを感じるに違いない。
しかも俺、回廊に囚われたしな。
「なんだかすごく話しやすい人ですね。構えなくていいのが不思議です」
女性がその顔に微笑を浮かべた。
「どこにでもいる凡人だよ」
「そうでもないですよ。私の周りは常に気を張らなければならない対人関係ばかりですし」
「うへぇ……なるほど、だから笑えないんだね」
「小さなミスも咎められる日々です」
「じゃあきっと、こんなボロなんて着てられないね」
俺は焼け焦げてところどころ穴の空いた神官服をつまんで持ち上げる。
いや、もはや神官服なのかもわからないだろう。
女性がくすっと笑った。
「でも、そうやって欠点をさらけ出せる人ってすごいなと思います」
そういう構えないところが、話しやすさを感じさせるんですよ、と付け加える。
「俺、欠点でできているんで」
女性がぷっ、と吹き出しそうになる。
もう少しだ。
「……そんなふうに言い切れる人、初めてお会いしました」
「あ、そう?」
「世の中、背伸びして自分を良く見せようとする人が多い気がして」
「あなたの前ではきっとそうだろうねー」
「え?」
そりゃこんな綺麗な人を前にしたら、誰だって背伸びしたくなるに違いない。
すごいとか素敵とか言われたら、その日一日、すべてが光り輝く。
男ってそんな生き物だと思う。
「ああ、こっちの話。……まぁ人生は山あり谷ありですよ。あなたにもきっともうすぐ山が来ます」
「なんだか地獄に着いちゃうんじゃないかしらというくらい、最近は谷ばかりですよ」
「あなた、なかなかうまいこと言いますね」
「うふふ。うまいこと言っちゃいました」
女性がとうとう、右手で口を押さえて笑った。
「あ、笑ってるじゃないですか」
「わ、笑ってません」
「笑ってるよ」
「うふふ」
女性がにこっと笑った。
とても愛らしい、惹きつけられる笑みだった。
こんな素敵な笑顔を持っている人が笑えなくなるなんて、世も末かもしれん。
いや待て、世は救ったばかりか。
「お二人のご結婚を祝いに来たら少しは気持ちが晴れるかなって思ったのですが、正解でした」
「そりゃぁよかった。こんなところでお役に立てて」
「うふふ。あー良かった」
それから少し打ち解けて話をした。
どうやら彼女は日々気の乗らない見合い話ばかりで、疲れてしまっているのだという。
良家の娘といったところか。
年頃だし、政略的なものもあって、きっと仕方がないんだろうな。
「ところで、これからおふたりにご挨拶されるのですか」
「そうなんだ。こんなナリだけど、どうしても言いたいことがあってね」
一緒に、今日はどこも衣服屋が休みのようだと伝える。
「……どうしても言いたいこと?」
女性は影を落とすほどの長いまつ毛をぱちぱちと揺らして、瞬きする。
「二人とは縁があってさ。挨拶と一緒に、きちんと別れも告げたい」
アラービスのやつが俺を嫌っていたことくらいは、俺でもよく認識している。
二人の安否は確認できたから、挨拶を済ませたら、さっさと去るつもりさ。
しかしそこまで言うと、女性はなぜか神妙な面持ちになった。
「別れってもしかして……三角かんけ……」
「――次の方どうぞ」
女性がなにかを言いかけたところで、俺が呼ばれ、検査の番になった。
彼女から離れて、検査を受ける。
しかし。
「申し訳ありませんが、そのような衣服での祝辞は許可できません」
検査をしているメガネのお婆さんが、俺を見るなりきっぱりと言った。
「少し顔を見るだけでいいんです」
「だめです。あなたは検査をするまでもありません。お帰りください」
「ですよねー」
少々考えが甘かったようだ。
はぁ、とため息をつく。
ひとまず出直しか。
まあいいか。
明日明後日になれば衣服屋も営業してくれるだろう。
名乗らなければならないだろうが、それから王宮に直接申し入れて挨拶にいくか。
などと考えていると、後ろからカッカッ、とヒールで走り寄ってくる音がした。
すぐに腕を組まれて引っ張られる。
むにっ、という感触。
「……ファ?」
「一緒に来てください」
俺を引っ張っているのは、さっきまで後ろにいた黒髪の女性だった。
◇◇◇
俺たちは王宮から離れ、街のメインストリートを駆けていた。
俺は相変わらず、謎の美女に引っ張られている。
「い、いいの? 並んでたのに」
「すぐでしたし」
「いや、すぐでもなかったろ」
「どうしても言いたいこと、あるって言いましたよね」
走りながら、俺を見る黒髪の美女。
「……まあ、後日でも……」
「言うタイミングは今しかありません。私も手伝いますから」
「……へ?」
言うタイミング?
もしかして何か、誤解してる?
「あのさ……」
「――ここです」
女性はメインロードに面していた衣服屋に俺を連れた。
ここは先程訪れたところだ。
「待っていてください」
そう言って女性は鍵を取り出し、ひとり店の裏に回ると、裏口から入ったのか、中に入って店を開けてくれた。
「どうぞ」
女性は閉められていたカーテンを開けながら言う。
「おお、いいのか」
「身内が経営する店でして。左手側に布装備がありますので」
「まじかー。ありがとう」
なんていい人なんだろう。
俺は頭を下げると、左の棚のところへ行き、陳列されていた衣服を手に取る。
「これにしようかな」
今と似たような色合いの服を探し、すぐに決めた。
白地が多いが、随所に黒の紋様をあしらっている軽い生地の衣服だ。
サイズもピッタリ。
「買われます? 貸すならお金はいりませんが」
「買うよ。金貨3枚と銀貨5枚でいいんだね」
「あ、それは定価なのでもっと――」
「はいどうぞ。ホントありがとぅー」
俺は彼女の手に硬貨を握らせる。
「あっ……」
彼女は気のせいか、その白い頬を朱に染めたように見えた。
「じゃあ早速」
俺は更衣スペースに入ってそそくさと着替えた。
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