顔出し

 あれから寝る前まで試行錯誤を続け力尽きたようにベッドに沈んだ。

 手足が鉛のように重いような、感覚を失って軽いような。とにかく疲れた。

 闇魔法、想像以上に難しい。

 軽い気持ちで教わったのに、ある魔法で神経をガリガリ削られていた。

 魔法の難易度にも段階があり、火魔法で例えるなら【点火】【火球】は初級魔法、【ファイアランス】【火炎陣】は中級魔法となる。

 闇魔法で最初にシズから教わったのは【影収納】だ。珍しいのだろうが、それは元からある空間を開拓すればいいだけなので維持も簡単、適性があれば誰でもできるとのことだ。日常生活では無視できる程度の維持コストなので確かにその通りなのだろう。希少で応用的であっても、初級魔法といっていいかもしれない。

 問題はその次だ。教わったのは【闇感応】。名前は適当に付けたのだが、肉体にも精神にもかかる負担が大きい。

 これは遠くの景色を見聞きしていたシズの技で、影のある場所なら距離を問わずどこまでも意識を広げることができる探知系魔法だ。また、世界各所に潜む闇の性質のものにも感応でき、視覚があるモノに感応すれば景色を、聴覚を有するモノなら周囲の音を拾い上げる。他にも、ただ漠然と闇の中を漂い、周囲の魔力を感知することもできる。

 とても便利そうだが、聞くのとやるのとでは雲泥の差があった。

 まず、吐いた。

 シズの身体に同調し無理矢理送り込まれたその情報量に数秒で酷い悪酔いを引き起こした。

 超高速で流れ、しかも解像度の異なる多重の映像と、様々な人や生き物の音、様々な匂い、果ては誰のかも分からない感情まで───全て拾い上げたのだ。

 驚いて同調が解けなかったらどうなっていたかと思うと恐ろしい。とりあえず範囲を限定するやり方を教わって、少しずつ拡大することから始めている。今のところ表の大通りまで意識を延ばしてしまうと「拾い過ぎて」酔い潰れる。

 難易度が高すぎて人間の器ではまず無理なんじゃないかと思う。他の魔法と趣が異なるので判定が難しいが、上級魔法でいいのではなかろうか。休憩がてら教わった【黒霧】の方が断然楽だし。

 【黒霧】は煙幕攻撃だ。殺傷性は皆無だが、相手の視野を奪い、霧の漂う空間では闇魔法の精度が上がる。本当ならここに【闇感応】を併せ、こちらだけは視界をクリアに保つことができるはずなのだが……そこまでいくのはまだ無理だ。

 汚物入れを脇に置き、吐くまで気分が悪くなったら休憩しつつ【黒霧】の操作に慣れる。

 何ともまあ汚い練習風景だが、見ているのはシズだけだし、彼女はむしろガン見しているので気にしていなさそうだった。人が吐くところがそんなに興味深いだろうか。

 それからは夜になるとシズを呼んで闇魔法の練習に当てた。せめて使いこなせるようにはなりたいのだ。

 シズも乗り気だ。ついうっかり「おそろい」と口にしたら、前にも増して同調を勧めてくるようになった。可愛いのだが、それは諸刃の剣だ。少しでも油断すると「実地訓練」が始まってしまう。案の定吐く。

《ぼくと同じようなの、いない》

《うるさいのは違う力を使う。あれは別》

《オニキスができたら、おそろい?》

 ……そこまで言われてしまったらやるしかないだろう。





 夜は屋敷でもやらないような過酷な精神訓練を続ける傍ら、昼間に町中を散策していた。本日は出来る限り身なりを整えた上で噴水広場を抜け、北の商業区域へ。

 帽子と羽根ペンのマークがあり、二階建て。向かい側に靴の専門店。

「ここですか」

 目的の店を見つけて見上げる。塗りの跡を残すようなクリーム色の壁が目に優しく、採光様の窓は蔓草で飾られていてお洒落だ。

 どうしたものか、とりあえず入るかと足を踏み出そうとした時、ちょうどその扉が開いた。やや光沢がかった品の良い上着を着た男が穏やかに笑いながら出てくる。

「久々にいい買い物をした。また来るよ」

「有難うございます」

 扉の奥に手を挙げて去っていった男を見遣り、ついでその扉に立つ懐かしい人物を見上げる。

 向こうもすぐ気付いたようで、おやと眉を上げた。

「いらっしゃい。おつかいかな………ん?」

 そして訝しげに目を細められる。何やら見た事のある光景だ。

「ああ、ごめんね。少し知り合いに似ていて。さあ、ゆっくり見ていってね」

 ああ、やはりと目を閉じる。この様子だとディルバ村に寄るのは暫く先にした方がよさそうだ。

 にこにこと微笑む鍵鼻のリムロウに、なるべくこちらも穏やかに挨拶する。

「似ているも何も、本人ですよ。お久しぶりです、リムロウ殿」

「え?」

 しかし無駄だったようで、今度こそ完全に固まってしまった。たっぷり十秒は動かず、そして恐る恐る尋ねられる。

「………オニキス君?」

「はい」

 通りに絶叫が響き渡った。

 サッと青ざめた顔でこちらを凝視し、口元に手をやったり、こちらを指差したりと忙しい。何事かと通りがかった人々が見てくる。

 はっと気がついたらしい彼が私の腕を掴んで引っ張りこんだ。背後でバタンと閉まる音がする。

 ちょうど客足が引いたところに来たようだ。陳列されている装飾品を見渡していると、両肩を掴まれて反転された。

「髪はどうしたんだ!」

 こんなに動揺する姿は初めて見たな。

 皆、寄って集って人の髪を何だと思っているのだろう。

「切りました」

「見れば分かる!なぜそんな暴挙に出た!?」

「暴挙……面倒だったので、普通に」

 そう言うと、両手で顔を覆って天井を振り仰いだ。

「神よ……このようなことが許されるのですか」

 髪だけに、などと寒い冗談を口には出さず、開放されたので店内を物色する。

 村では調味料から器具、アクセサリーまで多様に取り揃えていた記憶があるが、ここに並ぶのはどれも装飾品や小物ばかりだ。しかも、所々に魔力の反応がある。魔法の補助道具としての指輪や首飾りなどが置いてあった。

 補助道具は使い易いものだと杖が一般的らしいが、ここにあるのは全て日常的に身に付けられるものばかりだ。魔法を使う者だけではない。自分の身を守るために買う者もいるだろう。

 ただ、大抵はひとつの術式が刻まれていてそれしか発動できないと学んだので、できれば何も刻まれていない宝石類や金属が欲しい。魔素の変換効率を上げ、魔力の操作を楽にさせる効果のある素材なら嬉しいが、まだ自分の懐具合では手が出せそうにない。

「いつの間にか格好まで変えてるし……美少女が美少年に、か……」

 何かぶつぶつと聞こえだしたのだが、先ほどよりは復活したように見える。

 そういえばリムロウも魔法を齧っていたなと思い出す。あの時の杖も自分で取り寄せたのだろうか。

 宝石類ではないが杖も魔力操作をするには便利な道具らしい。らしい、というのは、それを教えてくれた使用人らは誰一人として杖らしきものを所有していなかったからだが。屋敷で一度、そこら辺にある枝で杖を作る勉強を受けたが、確かに魔素の流れを誘導するのは楽になったが大した差ではないし、指を差して誘導するだけでも事足りたのでそれきり使っていない。

 もしかしたらきちんときた技師が作った杖なら違いが出たのかもしれないが、「道具に頼らず自分で制御しろ」がモットーだった彼らの中に補助道具を使う概念は無かったように思う。だから庭で拾った枝で十分だと判断したのだろう。

 お陰様で日毎に魔力操作の精度が上がっているのを実感している。きっと成長期の身体だからだろう。最早やらないと落ち着かなくなってしまったので、朝晩必ず魔力操作の練習をしている。闇魔法の練習と併せてかなり基本訓練漬けの毎日を送っていた。

 その後も色々考えながら店内を物色していたのだが中々回復の目処が立たなかったので諦めて声をかけた。

「素敵なお店ですね。ギーガーは裏手ですか」

 ディルバ村で怖がられないようにと気を遣っていた人物は表にはいないだろうと考えていたのだが、どうやらその通りらしい。この店構えにあの無言の迫力は相性が悪過ぎる。

「オニキスか」

 従業員口らしき扉が開き、噂の彼が現れた。相変わらず酒場や冒険者ギルドの方が似合いそうな雰囲気だ。

「あれ、近くにいたんですね」

「いや……主人の声が聞こえ、何事かと」

「ああ」

 叫びというか悲鳴に近かったからか。

 現場の様子を見渡した彼は大体の状況を把握したのか、僅かに緊張を解いてみせた。

「お騒がせするつもりではなかったんですが、貴方にお礼をしたくて」

「……俺に?」

「魔物の素材、貴重な物だったらしいですね」

「ああ」

 今度は向こうが納得したように頷いた。

「構わん。ところで、ランクはどうだ」

「さすがにそれは───」

「待て。待て待て。君たち。何で平然としているんだ?」

 背後から完全に復活したらしいリムロウに遮られる。二人で振り返ると、変な物を見たような複雑な顔でこちらを眺めている。

「これといって気にするものも……」

「ああ」

 何でと言われても、と互いに首を傾げると、一拍ほど間を置いて重い溜め息が聞こえてきた。

「……分かった。この件はこれで終わりだ。納得いかないけど」

「そうですか」

 どうやら髪型については落ち着いてくれたらしい。ギーガーの反応の方が普通の気がするのだが、それは恐らく議論しても埒が明かないだろう。

「ランクは1です」

「は?」

 しかしそう言った途端、ギーガーの方が驚いて口を開けた。先ほどリムロウがしたような有り得ないといった表情をされる。

「何故だ。試験に受からないのか」

「そもそも受けていません。今パーティーを組んでいて」

「そいつらか?」

 眦に剣呑な光を湛えて背中の得物に手を添えるギーガーに思わず両手でどうどうと抑えた。

 そいつらがって、一体どんな想像をしたんだこの男は。というかその顔で睨まれるとその辺りの大人でも涙目で逃げ出しそうだ。

「パーティー仲は良好ですよ。薬の納品だけ続けていれば、勝手にランクは上がるでしょう? なのでのんびりやっていこうという話にしました」

 だから槍から手を離してくれと訴える。

 彼は力が抜けたのか、呆れたような視線を向けられた。

「……魔法も使えるのだろう。魔物の素材はどうしている」

 そう問われ、あれ、と彼を見つめた。

「言っていましたか?」

「いや、普段の様子で分かる。事実だったか」

 なるほど。何をどう観察されていたのか知らないが、普通に過ごしていても分かる者には分かってしまうようだ。生活魔法くらいなら普通かと思って多用していたのがまずかったろうか。町の中ならまだしも外で綺麗な水や火がすぐに利用できないのは割と不衛生で避けたいのだが。

「そうそう、その素材なんですが、ギーガーから頂いた物も含めて武具店に売り払いました。代わりに私の防具を作ってくれることになったのですが、知っていますか? ドワーフ族のウェス殿がやっている……」

「あの人物がかい!?」

 またもや背後から肩を掴まれて振り返される。何だ今日は、驚かれてばっかりだな。

 興奮したようすでまくし立てられた内容を整理すると、ウェス氏はどんなに頼み込んでも自分が気に入った相手以外には特注を受けない、しかし市販用の防具ですら生半可な売り物とは比べ物にならない一級品になるそうだ。大抵は冒険者が売り払った中古を手直しして売り出している物を押し付けられるらしい。そう言えば、あの時の入口近くに飾ってあった防具類はそれか。確かに一度勧められた。

「なぜ彼が……」

 しきりに何故と聞かれるがそれこそ分からない。ギーガーは無言だったが、表情からしてどこか納得しているような気配がした。個人的にそちらの方が気になった。

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