ディルバ村
田畑が広がり、奥に進むとぽつぽつと建物が見えてきた。粗末なものが多く、隙間風が当たりそうな造りをしている。横には薪が積まれていたり、屋根の下で牧草を齧るロバのような動物もいる。
連れていかれたのは中央に建てられた少し大きな建物だった。
「ホト爺、どうする?」
「ふむ」
ホト爺と呼ばれた目の前の皺の刻まれた老人が目を瞬かせ俯く。薬品のような匂いが鼻についた。
丸椅子に腰掛け、左右を男性に挟まれて言葉を待つ。このご老体がこの村の村長だそうだ。
すでにあらましは伝えたものの、明るい反応は返ってこなかった。他の人々も困ったように唸るばかり。
「オニキス殿は、ここではない別の森で暮らしていた」
「はい」
「だが家が燃え、下働きの者がオニキス殿を魔法で飛ばしてしまった」
「その通りです」
「空を飛んで気づいたらこの森に落ちたと」
「はい。困りました」
「そんな淡々と言われてもな……」
隣に座る刈り上げ頭の男が渋い顔をする。
「どういうこった、嬢ちゃんは嫌われとったんか」
「それはないと思いますが」
「飛行魔法なんて使えるやつ知らねえぞ。貴族しかありえんだろ」
「そうだなあ。別邸とか本家とか言うからには貴族が関わってそうだけんど、こんな辺境じゃ何も分からんしなあ」
「コーク町なら誰か知ってるか」
「だめだめ、あそこも田舎さ」
「どっかで探してるかもしんねえぞ」
「昨日の今日じゃ流石にないんじゃないか?」
「貴族さまの情報なんて俺たちがどうやって手に入れるんだ」
頭上で会話が紛糾する。
そろりと挙手したのをホト爺が口をもごもごさせて気付いてくれた。
「なんじゃ」
「家には、できれば戻りたくないのです」
その言葉に賑わいでいた男達が視線を寄せる。
「かなり厳しい家柄ですから……彼女は恐らく、私を逃がしてくれたのだと思います」
そう言うと、場が静まり返る。
暫くしてホト爺が声を上げた。
「そしたら、オニキス殿はどうしたいんじゃ」
私は彼を見て頷く。
「彼らに関わらず、生活します」
すかさず返事をした自分に、両脇の二人が顔を覗き込んできた。眉を寄せているが、純粋に心配されているだけのような気がする。
「家族が悲しむぞ」
そう言ってくれたのは、最初に門を出て声を掛けてくれた男だ。同じくらいの娘がいるから何かあったら気になると道中で話していた。
だが、彼を見て首を降る。
「それは大丈夫でしょう。会ったことがないですし」
「はっ?」
上擦ったような声が上がったのは、刈り上げ頭の男からだ。この村で警備の他に狩りにも行っている働き手だと自慢していた。
「会ったことがない? 家族に?」
「屋敷にはいませんでした」
「家柄が厳しいとかって言ってたろう」
「子供用の屋敷だったのだと思います。成長して、成績がよければ本家に連れていかれるようですが」
口を噤んだ二人を見てそういう反応になるのも当然だなと頷く。
前世の一般家庭を思うと、あまりに特殊と言わざるを得ない環境だった。というか日本なら報道ものだ。
「…………」
冷静だな、と思う。
そう、同時に、及第点を超えれば何ら問題は無いと考えている自分がいるのも分かっている。
二度目の家族も、甘やかすのを良しとしなかっただけだと。
過去の子供時代を反芻して比べようとしたところで、頭に何かが乗ってきた。
無言で頭を撫でてくる刈り上げ男を見上げる。ああ、いけない。初対面の相手を暗い気分にさせるのは失礼だ。
「家でよければ来るか。いい服は着せてやれないけど」
それに多大な心配をかけてしまっている。
村の様子を見れば、貧しいとまではいかないものの裕福でもなさそうなのは見て取れる。余所者を養うのは大変だろう。おまけに、自分は返せるようなものがない。
家族の話はどうでもいい。この場を纏めるために、村長と向き合った。
薬師ヨーラ。
丸まった背中。垂れ落ちた頬。棒を持つ手首は細く筋張っている。
髪を後ろにひっつめて頭巾を被った彼女が、ここの家主、薬師のヨーラだ。
昔は王都にいたこともあるとの話だが、数十年前に故郷に戻り薬屋を開いたとのこと。
壁に掛かる籠や棚の隙間から吊るされた植物から漂うのか、蒸した土のような、時折甘く、そして清涼な香りが鼻腔を擽る。
壁に打ち据えられた机に腰掛け、すり鉢を操る手を止めないまま生返事した彼女だが、何かに気づいたように顔を上げた。視線が合う。
「暫く厄介になります、オニキスと申します」
深々と頭を下げる。その様子をぼんやりと観察していたかと思うと、ややしてから「ホト爺」と声を上げた。
「駄目だよあんた、家は子供なんかいらないよ」
しわがれた声だが、言葉選びははっきりしている。棒を回す手首も細いがぶれることはない。
ここまで案内してきた村長が杖で体を支えつつ返事をする。
「ヨーラ、お前、雑用係がほしいとか言っとったろうに。オニキス殿もずっといるわけではないぞ」
「下の世話まで見なきゃならん歳の奴が欲しいとは思っとらん」
「このお嬢さんは凄いぞ。普通の村娘とは違うわい」
「賢しい奴ならいらんぞ。言われたことをきっちりやれる、無駄口を叩かない奴だけいたらいいんだ」
「むう、やれやれ」
緩く頭を振ってホト爺が振り返る。眉を下げてこちらを見下ろした。
「何か言ってやってくれんかの」
説得を幼い少女に任せていいのかとも思うが、そうも言ってられなさそうだ。
紹介してもらった好意を無下にしないために前に歩み出る。
ちら、とこちらを眺める彼女。皺で目尻が垂れているものの、瞳の色は澄んだ紫色を湛えている。
そういえばこの村の人々は灰色がかった緑やくすんだ茶色の眼をしていたが、どこか別の血が混じっているのだろうか。
「手足は劣りますが、雑務でしたらお任せ下さい。それと、身の回りのことは一人でこなせます」
「家じゃなくてもいいだろう」
「ですが、手が足りていないと伺いました。この際、無いよりはましと思ってはいかがでしょう」
「オニキス殿は、部屋を借りるなら働きたいと言ってくれたんだ。町に行くまでここに住まわせてやってくれんか」
「……ははあ、あんたも面倒そうだね」
町に行くまでの滞在。それもこの出立ちで一人なのだ。誰が見ても面倒事の類いには違いない。
村長には、町にある孤児院の話を聞いた。そこで成人になるまで世話になり、働き口を探すのが孤児の一般的な身の振り方だという。町で働くのも、どこかの屋敷に買われるのも自由のようだが、生活は楽ではないという噂だ。
それでもどのような所か確かめに行ってみるのも悪くないと思った。時間だけはいくらでもあるから。
といっても、辺境地からそこそこ栄える町に行くまで大人でも徒歩で半月はかかる。旅商人が来たときに一緒に連れて行ってもらう方が安全だというので、それまでどうするか話し合った末に出たのが薬師ヨーラだ。
この村、否、この地方で唯一といっていい熟練の薬屋が村はずれにあり、働き手を探していたというので、町への移動手段を確保するまでは厄介になればいいのではと提案された。気難し屋だが悪い人ではないと。
「ホト爺が諦めなきゃこの話も変えられないね……仕方ない、まともに働いておくれよ」
「有難うございます」
「子供はいらんからね」
「承知しました」
もう一度丁寧に頭を下げる。使えない人間が不要だというのなら、その時は自由に捨ててもらって構わない。互いに上手くいかない生活は、互いにとって不幸になる。畑仕事や狩りなどもあるというし、何なら別の村を転々としてもいいだろう。
諾々と従う自分を見る彼女の目は冷静だった。薄紫の光が頭上に注がれているのを感じた。
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