その頃、日本国内では

行方知れずの空母

「ねぇ、どう思う? 日本国民にはなんの影響も与えないし、かと言って私達に攻撃してくる訳でもない。一体どうなっているの?」

 場所は太平洋沖、時はお昼頃。艦長席に座る若い女性が、そばに居る背の高い女性に声をかける。

「それを私に言われてもね。米海軍あの人たちが何を考えているのかが分かれば、それこそこっちのものよ」

「だよねぇ。また大きな戦争にならないといいんだけど」

 艦長席の女性はため息をつく。その艦艇、多用途支援艦「ひうち」の艦長である汐奏愛海しおかなでまひろ一等海佐は、行方知れずの空母「かが」の艦長である黛茉蒜まゆずみまひるの幼なじみである。歳は違えど仲良くしてきた関係な為、愛海はその行方を不安に思っていた。

 愛海は祖父が海軍軍人な事もあり、この仕事にはとても誇りを持っていた。隣にいる垂井逢鈴たるいあぐり二等海佐は、愛海が防衛大にいた当時の班長と班員という関係で知り合いな為、一回り歳が離れているのにも関わらずタメ口であるなど、とても親しい関係にある。

「艦長、友近からも一つ質問があるであります」

 スッと手を挙げた女性は、交代が来るまで残って作業をしていた通信・リモート員の友近吉永ともちかよしなが三尉。

「あなたが質問してくるなんて珍しいわね、友近三尉?」

 逢鈴の問いに「いえ、大したことではないのでありますが」と愛想笑いをこぼしながら、帽子の上に付けていたヘッドホンを外す。

「もし戦争が始まったとしたら、我々もそこへ出撃して戦わなければならないということでありますか?」

 その問いに愛海が口を開く。

「まぁ、そうなるわね。とは言っても、私達は支援艦隊の一部に含まれるから……本格的に出撃するのは大破着底寸前の艦艇を見つけた時くらいだと思うけれど」

「左様でありますか……」

「友近三尉、それ可愛い語尾ね?」

 微笑みながら言う逢鈴。

「ゲームの推しの語尾であります!」

 問いに答えた吉永はピシッと敬礼をする。愛海もそのゲームをやっているため、吉永の推しは一発で分かった。というか育てすぎてもう練度が上げられない。しかし愛海の推しはまた違う子なため、そちらの練度を上げなければならない。

「私以外の人にその語尾で話すと怒られる可能性があるから、他所ではあまりしないようにね」

「はいであります! とは言えど、もう癖になってしまってるであります」

「聞いているのが私と艦長と艦橋にいる子達で良かったと心から思うわ」

 呆れたようにため息をつく逢鈴。まぁまぁと宥める愛海。

 愛海は現在二十三歳。それでいて一等海佐である。何故こんなにも若くして幹部の上へ上がってきたのか。それはとある人の推薦と、彼女自身の実力が相成ったものだった。

 今から半年前、愛海が二十三歳になって間もない頃、しかもその時期はまだ幹部候補生として遠洋航海をしている最中のこと。インド洋の南回帰線付近を通っていた時、課業終わりに食堂付近を歩いていた愛海が焦げ臭い匂いを感知し、内線で即艦長へと報告。匂いの元がすぐ下の機関室からだということを知っていての咄嗟の判断だった。機関室から謎の火災が起きていることがすぐに判明し、消火活動をするも止められず、愛海は誰よりも早く艦長から順に乗組員達を避難させたのだ。

 おかげで死者は一人も出ず、その後うしろにいた練習艦隊と合流して共に消火活動を行い、大事には至らなかった。当時艦長であった内藤由規ないとうよしのりは、愛海のその判断力と実力を大いに称えた。……のだが、愛海は遠洋航海から帰投後、永江稔ながえみのる防衛大臣と当時の舞鶴教育隊司令である草松芳樹くさまつよしきに呼び出され、単独行動等の危険行為を行ったとして注意処分を受けたのだった。しかし愛海はそんな二人には臆せず、途中で愛海を庇った内藤を止め「これは私が下した、私自身の判断です。叱られて当然の報いですので。続けて下さい、草松司令、永江大臣?」と自分を更に叱るようにと二人へ促したのだ。

 更にこうとも言った。

「しかしこれだけは言わせてください。

 我々幹部候補生は、艦隊や艦長の緊急時に一番迅速に動かなくてはならない存在なのではないのですか? 永江大臣や草松司令が納得出来ないと仰るのであれば、最悪私を懲戒処分していただいて構いません。その覚悟の上で、艦長含む皆を避難させました。私の代わりに生命が助かったのであれば、私は何をされても構いません。さぁ、ご命令を」

 永江大臣も草松司令も、動揺を隠せなかった。やはりこの子は祖父そっくりだ。そう思ったのだ。

 祖父である汐奏海斗しおかなでかいと元一等海佐も、似たような事があった時に「なら、俺を除軍処分にしてください。他の奴らは何も悪くありません」と同じことを言っていたのだ。海斗の同期が親族にいる草松司令は、その親族から海斗の武勇伝をよく聞かされていた。その中で、そんな話があったことを思い出したからだ。防衛大臣にも既に話しているため、二人とも動揺した……という事だった。

 その後、この話が田口統合幕僚長の方まで行き渡り、愛海は次に田口統合幕僚長に直接呼び出される。この時ばかりはさすがに愛海もヒヤヒヤしていた。何せ自衛隊を纏める「統合」なのだ。あの茉蒜でさえ何回かしか食事をしていないという田口統合幕僚長が目の前にいるのだから、誰だってヒヤヒヤするに決まっている。愛海はそう思った。しかし放たれた一言は、

「君のおじいさんと、同じ海の世界を見てみないか?」

 てっきり叱られるのではないかと身構えていた愛海にとって、その一言は衝撃的だった。そして長い話し合いの末、田口統合幕僚長直々に昇任許可が降り、三尉から大幅に飛んで一佐へと昇任した……というのが経緯である。普通に考えれば当然おかしい話だ。三尉から一佐など、第二次世界大戦後にあった兵長から一尉に飛んで上がるという事例と程似ている。今では笑って話せる愛海も、当時内心はとても嬉しい気持ちを抑えきれなかった。亡くなった祖父の階級とほぼ同じだったからだ。防衛大に入ったのも、海上自衛官を選んだのも、全て祖父の影響とも言えるのだから。

『ミサイル艇「はやぶさ」から多用途支援艦「ひうち」、汐奏一佐応答願う。どうぞオーバー

 と、あとから合流してきたミサイル艇「はやぶさ」から通信が入ってきた。愛海は受話器を取り、「こちらひうち、艦長の汐奏愛海です。どうしました?」と答える。

『二等海曹、通信員の渡辺皐月わたなべさつきです。そちらに我々の艦長と私が到着する予定です。到着次第、艦内へ入れるようにとの指示が入っております』

「分かりました。ありがとう」

 受話器から続けて乗組員に示達し、愛海は艦橋の窓越しに海を眺める。それから五分後、愛海の視線から左側、内火艇がブォーンと音を立ててひうちを追い越していくのが目に見えた。ひうちの速度は十五ノット、時速で換算すると約三十キロというノロマなペースで走行している。それ以上に早いということは、おそらく二十ノット以上出ていたのだろう。

「愛海ちゃん、来たけど?」

「どう見ても通り過ぎてるでしょ。何やってんのあの人達?」

 それからゆっくりとひうち側へと後退してくる簡易ボート。それに乗っている二人のうち一人の男に、愛海と逢鈴は見覚えがあった。

「もしかして……」「もしかして……」

 二人同時に声をあげ、顔を見合わせる。

 それは二人にとって、忘れられない人物の一人なのである。

 

 ***

 

「渡辺二曹、通信入れたか?」

 二人がそんなことを話している数分前、ミサイル艇「はやぶさ」艦橋内で、鼻下と顎に髭を生やした男性、吉川潔きっかわきよし一等海佐が通信を入れている渡辺に声をかける。

「はい、入れました」

「よし。星野、俺は渡辺二曹と少し出てくるが、任せられるか?」

 星野と呼ばれたその男性は副長である。星野は「ん? あぁ、いいが……出るのか?」と吉川に問いかけた。

「あぁ、俺の教え子の所にな」

「教え子ォ? お前、人を教えられる人だったか?」

「その口調はなめてるのか? 前話しただろう、防衛大の教え子が舞鶴にいると」

 星野は首を傾げ、「いたか?」とわざとらしく声をあげる。

「お前なぁ……」

「冗談だよ! ちゃんと覚えてるさ。去年に頭の回らん落ちぶれの女の子が一人いたって話だろ?」

「覚えてんじゃねえか。そいつに命令書が出てるんだ、行ってくるから任せたぞ」

「おう、任せとけ……?」

 星野はまた首を傾げた。一年前、ということは、今は三尉かそこら辺りの階級だよな、と。そんな階級の低い者に命令書……? などというそんな星野の思考は残念ながら吉川には届かず、渡辺と吉川は内火艇に乗り込んだ。向かった先は、隊列の前にいた多用途支援艦「ひうち」。ひうち型多用途支援艦の一番艦であり、同型艦に「すおう」「あまくさ」「げんかい」「えんしゅう」がいる。どれも名付け元は「燧灘ひうちなだ」「周防灘すおうなだ」「天草灘あまくさなだ」「玄界灘げんかいなだ」「遠州灘えんしゅうなだ」と、灘の名前から来ている。

「あっ艦長、通り過ぎてますって!」

「あ? あぁ、本当だ! あっはっは!」

 愉快に笑う吉川の後ろ、艦橋内で冷めた目が見えたのを渡辺は確認した。

 二人はひうちへ乗艦すると、早速艦橋へと向かった。

 この哨戒任務の司令官に着任した報告と……懐かしき教え子に会う為に。

 ひうちの艦橋に上がると、艦長席には一人の女性が座っていた。吉川と同じく茶色の髪の毛、その左の横髪に桜の髪留めピンを付け、柔らかい目付きをしている。身長は一五〇センチより少し高いほどで、歳は見た目で言うと幼く見えるが、こう見えても二十三歳である。

「よ。久しいな、愛海」

 吉川は歯を見せて笑った。

 その声に振り向く愛海と呼ばれた女性。彼を視界に入れた途端、誰が見ても分かるほど嫌そうな顔をして「……相変わらず変わっていませんね、吉川副班長」と艦長席を立って吉川に近づく。

 吉川が三佐の時に防衛大学校にて班の副班長を任され、その班の中に愛海がいたのだ。愛海が卒業した後はそれぞれ別の場所へ転属していき、それ以来実に一年ぶりの再会だった。

「愛海もあれから立派になりおって、ついに俺と同じ階級にまでなったか。ははーん、あんなに頭の回らなかった奴だったのに、今じゃ艦隊の司令官にまで出世したか」

「副班長があちこちでドンパチやってるから昇級してないだけでしょうに。本来ならあなたも既に海将補へなっててもおかしくないのに、そんなに出世逃したいんですか?」

 ため息をつく愛海、そしてヘラヘラと笑う吉川。副長の垂井逢鈴たるいあぐり二等海佐が隣で同じくため息をつき、「昇任の件については私もこの子と同意見よ。あなた、まだ一佐やっていたの?」と呆れたように呟く。

「おぉ垂井、まだ二佐やっていたんだな?」

「私よりも歳下の癖にタメ口を使うその心意気だけは褒めてあげるわ、吉川一佐。あなたの方が階級が上だということは承知しているけれど、こっちは半年前に体調を崩して休みを貰っていたから昇任を逃しただけなの。あなたと一緒にしないで」

「あっはっは! 似たもの同士だなぁ!」

「いやいや、だから違うって」

 と、このタイミングで昼食を終えたのか吉永が戻ってきた。吉川を見るなり後ずさりをし、

「きっ……きききき、吉川一佐!? 何故ここにおられるでありますか!?」

 何故か慌てた様子で敬礼をした吉永。彼女を見つけるなり近づき、

「おぉ友近! すっかり大きくなったなぁ!」

 そう言って吉永の頭を乱雑に撫でる吉川に「いっいいいえ、吉川一佐程ではないであります!」と更に慌てたように返す吉永。それもそのはず、吉川は吉永に一度きつく叱責した事があり、吉永はその出来事がどうしても忘れられず、以来気を遣うようになったのだ。決して嫌いという訳では無い事は、吉川も充分分かっていた。

「友近ちゃん、吉川一佐は今ミサイル艇の艦長。私の元副班長なの、前話したでしょう」

 呆れたように呟く愛海に、「そ、そうでありましたっけ?」とキョトンとして答える吉永。

「その語尾も変わらんなぁ」

「変わっていないとよく言われるであります……それと、もう怒ってないでありますよね……?」

「まだあの事引きずってるのか。もう怒らんって、大丈夫だ」

「な、なら良いのであります」

 笑顔が戻った吉永を見て、「じゃあ逢鈴、少し任せていい?」と区切り付けとして愛海が言う。

「えぇ、いいわよ。吉川君、愛海ちゃんには手を出さないようにね。その子彼氏いるんだから」

「逢鈴、一言余計。って、なんで私が彼氏いること知ってんのよ!」

「出すわけないだろう、こんなチビに」

「副班ちょ……元へ、吉川一佐も一言余計!」

 重々しいため息をついて艦橋へ出た愛海は、吉川と渡辺を艦長室へと案内した。中へ入ると、右には二段ベッド、左には書類が綺麗に整えられた作業用机、そして奥には足の短い円卓テーブルに、左右にソファが二つずつあった。

「やはり広いな」

「渡辺二曹、ほかの艦艇の艦長室に入るのは初めて?」

「はい、私は初めてです。入る前は護衛艦でも入れてくれませんでしたから。まあ吉川艦長はズカズカ入れてくれますけど」

「……」

 呆れ顔で二人を席へ案内し、吉川と渡辺は腰を下ろす。愛海が向かいのソファに浅く座ったのを見て、吉川はファイルに入った一つの書類をカバンから取り出して愛海に渡した。

「舞鶴上層部からの命令書だ、目を通しておけよ」

「あの上層部が私に? 珍しい。私嫌われているのになんで今更───」

 目を平たくして命令書に目をやる愛海。

 しかしそれもつかの間だった。

「はぁ? 二週間後に呉でひうちの改造・改修工事があるですって?」

 愛海は驚いたのか、思わず席を立つ。

「知っての通り、日本の情勢はもはや自国のみで防衛をするような形になっている。防衛活動を行えるように、ひうちの大型改造が施される予定だ」

「信じらんない。まさか支援艦これまで改造されるなんて……」

 また明らかに嫌そうな顔をしているのが目に見えた。態度が顔に出やすいというのは渡辺も吉川から聞いていたが、まさかこれ程までとは……と、渡辺も少し驚いていた。

「防衛強化の為に、俺のはやぶさにも搭載されてる速射砲をひうちにも搭載。速度もエンジンの改良で十五ノットから二十三ノットまで引き上げられる見通しらしい。支援艦がまさかそこまで改造されるとは驚きだな」

「あのケチな国家がよくそんな事に予算出したわね……」

 日本がこうも焦って支援艦や補給艦を改造するのは、日米安全保障条約の破棄によるアメリカ軍の撤退が大きく絡んでいる事は明白だった。この条約やMSA条約等の破棄の影響により、自国防衛の為に予算はほとんど防衛費に回され急ぎ軍事力を強化する必要があったのだ。

「……失礼。とりあえず命令書は受け取ったわ。副班……元へ、吉川一佐はこの後はやぶさへ戻られるのですか?」

「もちろんだ。だが、もう一つ愛海に伝えておく事がある」

 吉川は深刻そうな顔を浮かべる。

「茉蒜の事でしょう?」

「なんだ、知っているのか?」

「横須賀港を出港してから数時間後に連絡途絶、そしてアメリカ海軍の異様なほどの数が太平洋沖に出没。これがもう一ヶ月以上続いているのよ? 全部繋がっていない……なんて、誰も思えないでしょう」

 吉川は愛海が既に伝えるべき事を知ってた事に安堵していた。もし知らずに入ればどんな顔をすればいいのかずっと悩んでいたからである。

「無事だといいな」

 泣きそうな顔をしている愛海にそう声をかける吉川。

「黛一佐はお強い方だと聞いております。無事を祈りましょう、汐奏一佐」

「……えぇ、無事でいてほしいわ」

 表情が少しだけ和らいだ気がした。

 命令書を渡した吉川は、再び簡易ボートに乗ってはやぶさに戻る。愛海は窓から帽振れをして二人を見送り、それからずっと海を見ていた。

「こんなの挟まないでよ。バカなんじゃないの、あいつ」

 命令書の中に、小さい紙切れが挟まっていたのである。

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