自身の父の

 高度五〇〇〇、YF─23J一番機内。

 亮の乗るYF─23Jは雲より低く飛び、空下への警戒を高めていた。

「五十キロ圏内にロシア艦がいるとは聞いていたが……どこだ?」

 操縦しながら辺りを見渡し、亮は敵艦を見つけようとする。

「あれか!」

 前方に大きな艦艇を見つけ、戦闘機はその艦艇の頭上を旋回し、様子を見る。

「航空母艦にも見えるが、どこか形状が違うな。しかもあの航空機は……」

『艦橋よりユービー1へ。艦長の黛よ。何が見えるか教えて欲しい』

 亮の耳に、茉蒜の声が聞こえてきた。亮は敵艦を見ながら、

「航空母艦です。しかも艦載機が一機、敵艦の周りを飛んでいる。あれは……恐らくヤコフレフ─36MP。艦上攻撃機です」

「かが」よりも遥かに大きなその艦艇は、全長二七四メートルもある巨大対戦巡洋艦「キエフ」。本来は艦種の通り対潜水艦用の巡洋艦として作られた艦艇だが、対艦ミサイルを四基、対空ミサイルを二基、その他にも様々な戦闘兵装を持ち合わせており、かなり危険な艦艇だった。

 ヤコフレフ……あるいは、「Yak─36MP」は、高度一一〇〇〇メートルで最高時速一二五〇キロを叩き出す、一九七六年に作られた軽垂直離着陸艦上攻撃けいすいちょくりちゃくりくかんじょうこうげき戦闘機せんとうきだ。兵装九〇〇キロを持つ戦闘機で、攻撃偵察機で単座であるフォジャーAと、練習機で複座であるフォジャーBがある。

『ヤコフレフ? まだ作られて六十年しか経ってない戦闘機ね……。フォジャーの種類は?』

「Aです。甲板にBもいます」

『攻撃してくる気配は?』

「今のところありません。様子を見ますか?」

『えぇ。通信が取れるまで、警戒を緩めないで』

「了解」

 

 ***


「どう?」

 茉蒜は心配そうにみのりを見つめる。みのりは首を左右に振り、

「駄目。通信圏内だし、さっきから呼び掛けてるけど、何も応答しない」

「そう……」

「茉蒜。あなた、あの艦艇に何か思い入れでもあるの?」

「え? なんで、典子?」

 典子の問いかけに、茉蒜は典子の方を向いて問い返す。

「いえ、あの艦艇キエフを見つけてから、茉蒜の目が変わった気がしたから」

「それは、悪い意味で?」

 典子の勘はよく当たる。それを知っていて、茉蒜はそう質問した。

「えぇ」

 目だけで茉蒜を見て、典子は表情ひとつ変えずに呟いた。

「あ、艦長、通信来た」

「なんて?」

 聞こえてくる信号に集中し、みのりは黙ったままだ。

「待って。信号の種類が日本と違うの。えっと、『敵意は無い。我々は、あなた方に話があってここまで来た。貴艦への着艦許可を要求する』」

「敵意が……ない?」

 驚いた表情をしながら、努が呟く。

「艦長、許可するの?」

 艦長席で考えている茉蒜に、みのりはそう問いかける。

「茉蒜、私はやめておいた方がいいと思うわ」

「典子、それは勘?」

「いいえ、私の直感よ」

 どこか思い詰めた表情に変わった茉蒜を見て、典子は返す。

「……着艦を許可して」

「正気ですか艦長! 相手は敵艦ですよ!?」

 はなだが茉蒜の方を向く。

「これでも正気なの。私は……あの艦艇じゃなくて、あの戦闘機のパイロットに用があるの」

 前を向き直し、茉蒜は声のトーンを低くする。

「艦橋より格納庫へ。哨戒ヘリと、着艦する戦闘機を格納庫へ持って行って。理由は後で伝えるから、急いで」

『は……はっ!』

「艦橋よりユービー1へ。艦長の黛よ。至急着艦してきなさい。着艦したら、そのまま部屋に戻っていいわ。お疲れ様」

『了解。いきなりですね』

 亮の不思議そうな声に、

「ちょっと急用ができたの」

 少し笑いの混じる声で茉蒜は言い放った。

「少し席を外すわ。典子、何かあったら無線でね」

「出迎えるの?」

 受話器を戻し、帽子を被って艦長席から立ち上がった茉蒜に、典子は不安げな声を零す。

「これも艦長の仕事ですから」

 ニコッと笑い、茉蒜は艦橋の扉を開けた。

 

 ***

 

「一番機、着艦してきます!」

 航空整備員の一人が大声で言い、亮の操縦する戦闘機は甲板に着艦する。スピードを格段に下げて停止すると、すぐに右舷側に案内された。その後ろに続くように、もう一機の戦闘機が着艦してくる。

 ロシア国のヤコフレフだ。YF─23Jとは異なり、│垂直状態ホバリングの着艦だった。

 着艦するや否や、茉蒜は甲板へと到着し、戦闘機から巻き起こる風に煽られながらもその姿を見ていた。

 ヤコフレフの中から、一人のパイロットが出てくる。黒髪にオレンジの瞳を持つ男性だ。身長は亮と大差変わらない。

 隊員たちが敬礼をする中、茉蒜の第一声は、

「ごきげんよう。敵国であるロシア国が、どうして日本の海域にいるの?」

 ロシア語だった。

「か、艦長……何を言っているんですか……?」

 周りの隊員たちが動揺する中、茉蒜はただそのパイロットを見つめて、ロシア語で話し続ける。

「本来なら領海侵犯で既に沈めてる所よ。ねぇ、どうして?」

「……」

 パイロットは何も答えない。ただ、茉蒜に一つの手紙を差し出したまま。

「ねぇ、答えて。私が祖国で何をしたと言うの?」

「……マヒル、マユズミ」

 パイロットはようやく口を開く。

「あなたに用があって、我々ロシア国艦隊は日本まで参りました。どうか、話を聞いていただけないでしょうか?」

「どうして、私の名前を?」

 問いかけた茉蒜は、すぐになにかに気がついたかのように顔色を変えた。

「もしかしてあなた、パパの……いいや、そんなことは……」

 自分に言い聞かせるように呟いたあと、隊員達の方を向き、「ちょっといい?」隊員の一人に呼びかける。

「は、はっ!」

「あの戦闘機を格納庫へ持って行って。「かが」は最大十四機は入るから、まだ余裕があるはずよ。それと、艦長室まで警備を二人設けて」

「はっ!」

 作業にかかった隊員たちを見据え、茉蒜は艦内にパイロットを案内する。

「日本語とロシア語を使い分けるなんて、ロシアの大学でも出ていなければ、独学でも話せることは少ないのに。あの人、一体何者なんだ……?」

 その小さな後ろ姿を見ていた一人の隊員が、小さく呟いた。

 

 ***

 

「うちの父が、迷惑をかけたわね」

 ロシア語でそう一言呟き、エレベーターのボタンを押す。扉が閉まることも気にとめず、パイロットはそんな茉蒜を見つめ、手紙は未だ手に持ったままだった。

「その手紙、艦長室に行った時でいいから、後で渡してくれる?」

「もちろんです」

 エレベーターは下に降下し、やがて隊員たちの寝泊まりする個室や、艦橋へ繋がる廊下が目の前に広がる。エレベーター前で待っていた警備二人を連れ、茉蒜は広く長い廊下を歩いていく。

「警備、申し訳ないけど、話が終わるまで艦長室の前で待機していてくれる?」

「はっ!」

 歩きながら、茉蒜は考えていた。

 何故、この機会に、このような時に?

 何故、私がこの艦艇に乗っていることを知っている?

 疑問は疑問を生むばかりで、茉蒜は艦長室につくまで押し黙ったままだった。

「どうぞ」

 警備員が室内へ案内する。パイロットは抵抗する様子も、敵意を見せる様子もなく、指示に従い部屋に入っていった。

 警備員が扉を閉めると、茉蒜は「そこ、座ってどうぞ。一般人は中々座れないわよ」と、すぐ側にある椅子に促した。

 茉蒜は整理された机の引き出しの中からとある物を取り出し、パイロットに見せた。

「私の父よ。それと……隣は、あなたで合ってる?」

 それは一枚の写真。キエフが映る景色を背に、二人の若い男性が敬礼をしている。一人は茉蒜の父、黛成実まゆずみしげさね。そしてもう一人は、

「はい」

 パイロット本人であった。随分と顔が変わってしまっているが、それでも印象に残るオレンジの瞳が、茉蒜の記憶から離れなかったのだろう。

「そ、良かった。やっぱりあなた、パパの同期なのね。小さな頃にこの写真を貰ってから、ずっと頭の中で引っかかってたのよ。合っていなかったら、警備に殺してもらうか、私が銃に手をかける所だったわ」

 パイロットとの椅子に、テーブルを挟んだもう一つの椅子へ、茉蒜は腰を下ろす。

「さて。手紙の内容を確認したいわ。手紙を渡してくれる?」

「はい。どうぞ」

 手紙を受け取り、茉蒜は表裏を確認する。裏に微かに「親愛なる娘、黛茉蒜」と綺麗な日本語で書かれていたのを、茉蒜は見逃さなかった。

「……親愛、なる……?」

 手紙をカッターで切り開け、中身を確認する。

 そこには、一枚の家族写真と、二枚の便箋が入っていた。家族写真は、茉蒜が小さな頃に、ロシアのニジネヴァルトフスク町の自宅前で撮った物であった。

 茉蒜はこの写真が、三歳の頃に撮ったものだとよく覚えている。頬に湿布を貼った幼く小さな茉蒜が、向かって後ろの右の母、左の父の二人の腕を抱えるようにして、皆笑顔で写っている。

「……パパ、こんなもの隠し持っていたのね」

 懐かしい気持ちに囚われながら便箋を開くと、茉蒜の目に見慣れた字体の日本語が見えてきた。

『親愛なる娘、茉蒜

 元気にしているか。これを読んでいる時、既にパパはお前が思うパパでは無くなっているかもしれない。

 ママは元気にしているか。パパはとても心配だ。茉蒜がちゃんと学校に行っているか、いい成績を取っているか。離婚してから何もかも弱くなったパパを許して欲しい。

 この手紙をお前に送ったのには、二つの理由がある。一つは、お前がいつか海に出ることを知っているから。お前は俺と似ていて好奇心旺盛だ。きっと俺にならって海へ出るだろうと、きっと思っていた。

 そしてもう一つは、今日本が、戦争を始めようとしているから。

 お前は知っているか? 日本国が、『自衛隊』の名を、もう一度『軍』へと戻そうとしていることを。

 我々はそれを阻止するために、何度か日本の領海へと艦首を踏み入れた。しかしいくら話しても信じてもらえず、結局は追い出され、ロシアに帰るばかりだった。

 茉蒜、お前は真実を信じるか? 俺が言ったことは全て真実だ。この手紙を託す一人のパイロットは、俺の右肩を支えてきた友であり、共に海を、日本を見てきた者だ。どうか信じて欲しい。

 日本を、止めろ。

 二〇三三年三月一日 黛成実まゆずみしげさね


 日本を、止めろ?

 手紙を読み終えた今、茉蒜はさらに疑問が生まれていた。

 この人は……私の父は、何を言っているのだろうか。ニュースでさえ戦争の予知を見せなかった日本を止めるなど、それこそ持っての他ではないか。

「書いたの、四年前? それも、私の誕生日の日に。ねぇ、パパ……じゃないや、お父さんは今どうしているの? あのキエフに乗っているの?」

 パイロットに問いかけると、パイロットは首を左右に振った。

「じゃあ何処に……」

「いいのですか? 本当のことを言ってしまって」

「それ、どういうこと?」

 思い詰めた表情をするパイロットに、茉蒜はまた問いかける。少し間を置いて、パイロットは意を決したような表情に変わり、言った。

「あなたの父は、成実提督は、この手紙を書いたすぐ後に亡くなられたのです」

「……え……?」

 身体から力が抜けるような、そんな感覚を覚えた。

「交通事故です。母であるアガーフィヤさんには、この事は伝えられているはずです」

「え……え、ごめん、ママからそんなこと、私聞いてない。だって、私は……」

 私は、パパに……。

 そこまで考えたところで、茉蒜は吐き気を催し身体を折り曲げる。

「大丈夫だから。そのままで、いいから……」

 心配そうに近づいて来たパイロットに、茉蒜は言う。パイロットはその声に、ただ従うしかなかった。

「……ありがとう、落ち着いた」

 深呼吸をした茉蒜に「成実提督と、何かあったのですか? あなたのことは彼から常々可愛い娘だのなんだのと聞いておりましたが」と、半ば半分愚痴るかのように問いかける。

「いいや、何も無いのよ。そう、パパ……私のことをそんな風に言っていたのね。家ではあんなんだった癖に……」

 同じく愚痴るかのように呟いた茉蒜の言葉を聞き、「常日頃から、「うちの娘は可愛くてな。まだ〇歳なんだが、愛をあげると、パパって何度も呼んでくれてさ」と」

 全身の毛が立つような感覚を覚えた。ゾワッとした空気にまとわりつかれ、茉蒜は思わず両腕を両手で掴む。

 私の父は、あれが愛情だと言い張るの? 私を『壊した』、あれを愛情だと、そう言うの……?

「それで、私はこれからどうしたら良いでしょうか? 判断はあなたに任せます。私は任務を果たしました。ここで殺されても、何も文句は言えません」

 その言葉に、茉蒜は我に返る。

 どうしようか。ロシア軍の元へ返すのも良し、このまま捕虜にしておくのも良し……どちらもリスクはあるが、どちらを選んでも避けられない道が目の前にあることを、茉蒜は既に分かっていた。

「……あなた、自衛隊で働く気はある?」

 そう問いかけた茉蒜の顔を、驚いた表情で見据えるパイロット。茉蒜は表情を変えず、話を続けた。

「私達、今上層部や司令と連絡が取れないの。だから、今日本がどうなっていて、どういう状況なのか……この艦艇に乗る隊員達は誰も分からない。補給は来ると思うけれどね。

 もしあなたが自衛隊で働く気があるのなら……私は日本に住んで、再就職先として自衛隊を希望したらいいと思う。どうせパパのことだから、あなたに基本的な日本語でも叩き込んでいたんでしょう?」

「……お察しの通りです」

 頭が上がらない、とでも言わんばかりに、パイロットは呟く。

「一応捕虜にするから。じっくり考えてみてね」

 立ち上がり、茉蒜はそう言って便箋と家族写真を手紙の中にしまい、引き出しの中に入れた。

「どうするかはあなた次第。さ、立って。艦内で少しでも敵意を見せたなら……分かってるわよね?」

「……」

 部屋を出た茉蒜に、敬礼をする警備。

「この人、捕虜にして艦に乗せておく。待機場所は隊員部屋を使わせてあげて。着替えとかもね」

「はっ、しかしよろしいのでしょうか艦長、この方は敵艦のパイロットであり、我々の敵となる存在であります」

 警備員の言葉に、前に出た茉蒜はくるっと警備員達の方を向く。

「「戦いが終われば、皆仲間だろう」?」

 ニコッと笑い、茉蒜は前を向いて歩き始める。警備員の二人は顔を見合わせ、パイロットを連れて茉蒜の後を追った。

「あぁ、思い出した」

 警備員に連れられ、歩いていたパイロットは呟く。

「黛家は、あの英国を助けたという「工藤家」と由縁があったのだったな」


 日本を、止めろ。

 手紙のその言葉が、茉蒜の頭の中にいつまでも残っていた。

  

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