冬の章・19 プレゼント
「待ち合わせは? そろそろ出た方がいい?」
お互い注文したドリンクが空になったのを見計らって、智美が気を遣って訊ねる。
「ううん、まだ大丈夫。待ち合わせは先生の研究室だから。時間は具体的に決めていないんだ。でも、暗くなる前には行ったほうがいいかな……」
「なんで、よりによって大学?」
「うーん、慣れた場所だから?」
「えー! それってひどくない。夜景の見えるレストラン……なんてベタなのも引くけどさ、よりによって研究室? せめてカフェくらい連れて行ってくれればいいのに」
智美には不評であったが、ひなたにとっては普段から慣れた場所での待ち合わせの方が気が楽だ。
「でも、待ち合わせの場所としては、一番問題がないか。それに先生とお洒落カフェって、あんまり結びつかないかも」
自分の発言に納得がいったらしい。うんうんと頷きながら、智美は勝手に納得している。
普段なら言い返したいところだが、今は「飛沢に告白する」という目的のお陰でそれどころではなかった。
「……緊張してきた」
「早いってば」
ひなたは手の震えを止めようと、両手を擦り合わせる。
「まだ時間があるなら、一緒にこのパンケーキ食べない?」
智美はメニューを広げる。「これ」と指さしたのは、生クリームがたっぷり、苺、ラズベリー、ブルーベリーもたっぷり散らしたパンケーキだった。
普段なら太ることを気にしてしまうところだが、智美と半分こするなら大丈夫かな、と思う。それに、頑張って勇気を奮うためにも、美味しいものを食べた方がいい気がする。
「食べる!」
「よし! すみませーん、追加お願いします!」
智美はすばやく手を挙げて店員を呼び止めた。
* * *
パソコンのモニタの時刻は、16:05。
窓から差しこむ日差しも、夕暮れの色に染まりつつあった。
さっきからキーボードを叩いているが、どこか上の空で、一向に仕事は進まない。
「夕方に」と曖昧な時間設定をしてしまったせいで、いつ彼女がやって来るのか気になって仕方がない。気もそぞろ、というやつだ。
ちゃんと、時間を決めればよかった。
今更ながら後悔するが、後の祭り。だが、そろそろ「夕方」と呼ばれる時間帯に差し掛かる。
ひなたに気持ちを伝えるか。誉はまだ迷っていた。
マフラーのお返しをしたいと言い訳をして、彼女と会う約束まで取り付けたくせに、まだ覚悟が決まらないとは。我ながら情けない。
カップに残った珈琲は、すっかり冷め切っていた。それをすべての干すと、引き出しから小さな贈り物をそっと取り出す。
身に付けるものがいいと思った。彼女がマフラーをくれたから、というのもある。
喜んで貰えるかわからないが、彼女に似合いそうな気がして買ってしまったが。
「どうしようか……」
プレゼントを渡すことにも迷いが生じる。
自分が選んだものを、果たして喜んで貰えるのだろうか。贈り物など自己満足に過ぎないと開き直ってしまえばいいのだろうが、がっかりされるはかなりの心的ダメージだ。
商品券か、図書カードにすべきだっただろうか。はたまたカタログギフトという選択もありだったか。
父の結婚式の引き出物にあったカタログギフト、あれはなかなかよかった。独り身で食器セットなど貰っても、使うことなく箪笥の肥やしならぬ押入れの肥やしである。
どうせ貰うなら、彼女だって自分が欲しいと思うものがいいに決まっている。
自分の好みを押し付けるなど言語道断。愚の極み。男のエゴである。
誉が後悔の念に苛まれている最中、ドアをノックする音が響いた。
篠原、いや違う。この控えめな感じは間違いなく……彼女だ。
「……どうぞ」
「失礼します」
間違いない。
いかん……。心臓が、ばくばくしてきた。おまけに顔が熱い。不味い。
冷静でいたいのに、今、この瞬間、早鐘のような心臓を鎮める術がない。
そうだ。珈琲を淹れている間は背を向けていられる。ドアが開く前に立ち上がろうとしたが。
「っ!」
慌てたせいで、向う脛をキャスターの角で思いきり打ち付けた。弁慶の泣き所というだけあり、とてつもなく痛い。痛さに堪えているところに、ひなたが中へ入って来た。
「先生!? どうしました!」
苦痛を堪えている誉の姿に驚いたひなたは、慌てて誉のもとに駆け寄った。
「大丈夫だ」
「でも!」
「足を、打っただけだ」
「え……大丈夫ですか?」
「大丈夫だ、大したことはないから」
やせ我慢を総動員させて、何でもないという表情を取り繕う。お陰で余計な顔の熱は引いてくれたが、今は痛みのあまり冷や汗が流れている。
「珈琲でも、淹れようか」
「いえ、わたしが淹れます!」
余裕がない顔を見られたくなくて、逃げ場を確保しようとするが、あっさり退路を断たれてしまう。
「だから先生は座っていてくださ……」
ふと、ひなたの視線が誉の手元で止まったことに気が付いた。つられて自分の手元を見下ろすと、そこには小さな贈り物が置いたままだったことに気が付いた。
「あ……」
もっとスマートに渡すつもりだったというのに。
恥ずかしい。情けない。なぜ、彼女の前でこんな醜態を晒しているのだろう。
再び頬に熱が宿るのを自覚しながら、小箱をそっと手に取った。
「……よかったら、受け取って欲しい」
情けないことに、色々前置きを考えていたはずだったのに、すべて吹き飛んでしまった。ひなたの手を取って、その手のひらに小箱を乗せる。
ふと、無意識のうちに彼女の手に触れていたと気付いた。
不味い。理性を保てるよう、敢えて職場であるこの研究室で待ち合わせることにしたというのに、初っ端からこの調子では不味い。
だけど……。
敢えて、その手を軽く握る。
「あの、これは?」
「……大したものではないが……、家に帰ったら開けて欲しい」
「今開けちゃ、ダメですか?」
そう言われると駄目とは言えない。
「それは……構わないが」
自信無げに呟く。彼女は真っ赤な頬で俯いていたが、思い切ったように顔を上げると緊張を張り付けた真顔を向ける。
「あの、あの……ありがとうございます」
まるでトマトのように赤い。しかも至近距離から告げられて、誉は何も言えなくなってしまう。
不味い。このままでは……不味い。
誉はひなたの手をそっと放す。そして、じりじりと理性が保てる距離を取る。
「……気に入って貰えるかわからないが、気にって貰えると……嬉しい」
言っていることが支離滅裂だ。
「では……失礼します」
ひなたは、手のひらに残された小箱の包装をそっと解く。
彼女の反応が怖くて見ていられない。「珈琲を淹れる」とぼそりと呟いてから、くるりと背を向ける。
時間が掛かるドリップにしよう。カップを用意していると、背後から小さな感嘆の声が上がる。
「わ、可愛い……」
どうやら喜んで貰えたのか、もしくは気を遣ってそう言っているのか。気になって、ちらりと背後を振り返る。
すると、零れんばかりの笑顔のひなたが、誉と目が合ってさらに笑みを深める。
「先生、ありがとうございます!」
「…………どういたしまして」
駄目だ、可愛い。
再び珈琲のドリップに勤しむべく、彼女に背を向け、今にも緩みそうな顔をどうしたものかと頭を悩ませるのだった。
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