第293話 実戦


 まだ夜も明けない朝方。すでに特殊選抜部隊アストラルのメンバーたちは配置についていた。前線の中でも最も過酷な戦場──それこそが、最前線である。


 その中で緊張感を保ちつつ、特殊選抜部隊アストラルは進む。前衛はリディアとアビー。中衛はデルク、ハワード。後衛はフロールとレイという構成になっている。


 ヘンリックとキャロルは作戦指揮官ということで、基地に待機して戦況を見守っている。


 今まで幾度となくこのメンバーで作戦をこなしてきた。どんな任務であっても確実に果たしてきた。しかし今いる場所は他でも無い──戦場である。


 人間が平然と死んでしまうような場所に彼、彼女たちは立っているのだ。


 そしてまずは、森の入り口へと進んでいく。


「これは……」

「なかなかに酷いな……」


 リディアとアビーが森の中に入る手前で感じ取るのは、死の匂いだった。実戦経験のある二人ではあるが、ここまでの死臭が漂っている場所には来たことなどない。


 そうして特殊選抜部隊アストラルは森の中へと入っていく。まだ夜明け前と言うことで、薄暗いがリディアは広域干渉系の魔術を発動していた。


 魔術名称は、知覚領域パーセプションフィールド。リディアが得意としている魔術でもあり、レイもまた同じ魔術を使用できる。


 前方はリディアが、後方はレイが知覚領域を展開することで周囲の様子を把握する。地面に転がっている死体は、人間の原型を留めているものの方が少なかった。


 それでも気に留めることなく進まなければならない。どうして、基地にいた兵士たちがあそこまで疲弊していたのか……それは全員ともに理解してしまう。


 こんな凄惨な場所で戦い続け、隣で仲間が無残にも死んでいく光景を目にすれば精神的に参ってしまうことは自明。


 それでも特殊選抜部隊アストラルが到着するまで持ち堪えたその胆力は讃えるべきものだろう。


「……」


 レイもまた知覚領域を広げているため、リディアと同様にこの惨状を理解している。ふと視線を下に向けると、死体と目があってしまう。大人であってもこの光景は耐え難いと言うのに、レイはただ無心にその瞳を見つめる。


 何も宿ることはない虚空。


 吸い込まれるようなその眼窩がんかを見てもレイは取り乱すことはなかった。ただ彼は内心で思っていた。どこかこの光景は、既視感がある……と。


「前方二十メートル先。敵影だ。待ち伏せをしている。こちらから仕掛ける」

『了解』


 接敵。


 相手が知覚するよりも早くリディアは相手の存在を知覚した。そうしてその言葉を合図にして、一気に全員は大地を駆け抜けていく。


 疾走。


 先頭にいるリディアはすぐに魔術を展開した。



第一質料プリママテリア=エンコーディング=物資マテリアルコード》


物資マテリアルコード=ディコーディング》


物質マテリアルコード=プロセシング=減速ディセラレーション固定ロック


《エンボディメント=物質マテリアル



「──冰千剣戟アイシクルブレイズ


 両手に顕現するのは冰剣。


 リディア=エインズワースの代名詞でもあり、象徴でもあるそれは──アトリビュートとも呼ばれている。


 彼女は姿勢をグッと落として低くしたまま加速していくと、一閃。


 相手の首を狙って容赦無く冰剣を振るったが、首を落とすことは叶わない。どうやら敵もまた一筋縄ではいかないようだった。


「どうやらかなりの手練れのようだな。しかし……」


 分析する。今の一瞬の攻防でリディアの攻撃を避けるのは至難の技のはず。そもそも、先手はこちらが取ったというのに避けたという事実に違和感を覚える。


 それは決して傲りなどではなく、純粋なる疑問だった。それ加えて異常なのは、リディアは切り裂いたというのに相手は悲鳴の一つもあげない上に治療する素振りもない。


 苦悶の表情すら浮かべていない。


 じっとこちらの様子を窺うだけで、まるで切り裂かれてしまった腕のことなど意識していないかのような。


「全員。いつも通りいく。ついてこい」

『了解』


 その後。リディアを先頭にして、とりあえずはこの場での戦闘を終えるのだった。



「こんなものか」


 ヒュッと冰剣を振るうと、地面には付着した血が勢いよく落とされていく。戦闘はそれほど時間は掛からなかった。主に前線でリディアとアビーが敵を殲滅し、残りは中衛と後衛で処理をした。


 レイといえば氷で足止めをするだけで、相手に直接手を下してはいない。それは自分の役目だからとリディアにいい聞かされているからだ。


「しかし、奇妙だ。まるで恐怖心などなかった様子だった。それに怪我の治療も優先しようとはしない。どうなっているのか……」


 アビーの言葉に対して、フロールもまた自分の考察を述べる。


「確かにおかしいわね……人間としての機能が欠落していると言うか、なんと言うか。そもそも魔術領域暴走オーバーヒートによって壊れている、という見方もできるけれどこれではまるで──」


 と、その言葉の続きはレイがボソリと呟くのだった。


「まるで傀儡のようだった。自分はそう思います」


 そう。レイだけではなく、リディアも感じ取っていた。今の戦闘において第三者における介入があったことを。


「レイの言う通り、相手は操られていたな。微かな別人の第一質料プリママテリアが漏れ出していた」


 リディアは分析した結果を雄弁に語り始める。


「そもそも、痛覚を遮断している。さらには恐怖心もない、と言うのは人間としてありえない。おそらくは何者かにそのように操作されている可能性があるな」

「精神干渉系の魔術か?」


 ハワードが軽く首を傾げながら、そう言うがリディアの表情は険しいままだった。


「あぁ……そうかもしれないな」


 まだあくまで可能性でしかないため、彼女が詳しく述べることはなかった。しかし、精神干渉系の魔術にしては第一質料プリママテリアの量が少ないと彼女は思っている。


 その一方でレイは先ほどまで戦っていた相手のことをじっと見つめている。顔色一つかえずただ静かに。まるで何かを感じ取っているかのように。


「レイ。大丈夫か?」

「はい。問題ありません」

「そうか……」


 リディアとしては複雑な胸中だった。レイがここで取り乱してしまえば、作戦の参加を取りやめることができる。しかしレイは確実に戦力になるのは間違いない。


 もはや、レイなしの特殊選抜部隊アストラルは考えられないほど、彼は中心的な存在になりつつあった。


 相反する感情。


 それをグッと飲み込むとリディアはそっとレイの頭を撫でる。それはいつものように、とても優しい手つきだった。


「戻るか」

「はい」


 それを合図にして特殊選抜部隊アストラルは最前線から引いていく。現状、他に近くには敵がいないと言うことで引いていくのだが……レイだけがその瞬間──微かな兆候を感じ取って後ろを振り向いた。


「レイ? どうかしたのか?」

「いえ……なんでもありません」


 気のせいだろう。それにリディアが感じ取っていないのだ、きっと気のせいに違いない。そう思って特殊選抜部隊アストラルは無事に最前線から引いていくのだった。


 敵対する存在が近くにいるとは知らずに……。



「あっぶな。今の私の隠密、完璧だったよね?」

「えぇ。間違いなく完璧でしたが、どうやら彼は本当に規格外のようですね。かのリディア=エインズワースを超えていると言うのは本当かもしれません」

「ふぅ……焦ったぁ。でも大体の戦力は把握できたよね?」


 少女がそう尋ねると、男性の方はメガネを軽くあげてそれに応じる。


「はい。おおよそのメンバーの実力は把握できましたが、やはりあの二人の底を見ることはできませんね」

「そっかー。七大魔術師は私たちに匹敵する奴もいるけど、あいつらは特別だね」

「リディア=エインズワース。彼女はある種の特異点でもあります。殺すには慎重を期するべきでしょう」

「そうだね。じゃ、戻ろうか」

「えぇ」


 そうして二人の存在は森の暗闇の中に溶けるようにして、消えていくのだった。

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