第106話 託す願い


 本格的に文化祭の準備をする期間がやってきた。


 部活動も必ず出る必要があるわけでもなく、今はクラス内での企画を進めることを優先しても良いということだ。


 ちなみに俺が所属している環境調査部は特に何かをすることもない。それは曰く、全員がフィジークコンテストへの調整でかなり忙しいからだ。俺はクラスでのメイド喫茶の準備とそれに生徒会の手伝いで手一杯なので、今年は見送ることにした。


 本来ならば、きっと生徒会での手伝いをしなければ俺は出場していただろう。


 この学院の文化祭のフィジーク大会はかなりレベルが高いと聞く。俺の大胸筋も大腿四頭筋も、僧帽筋もきっと出たかったに違いないが今年ばかりは仕方がない。


 また、エヴィはすでにその話をどこかで聞いたようで、俺にこう話しかけてきた。


「レイ。フィジークに出ないらしいな」

「あぁ。少しやるべきことがあって、な」

「……もしかして厄介ごとに巻き込まれているのか?」

「いやそういうわけではない」


 筋トレの終わった後、俺たちは互いにプロテインを補給しながらそんな話をする。


 滴る汗をタオルで拭い去り、ちょうど寝る前のリラックスする時間だ。俺たちは向かい合うようにして椅子に座って一息つく。


「レイ。何かあれば、頼ってくれよ?」

「……しかし、エヴィは大会への調整で忙しいだろう」

「ま、そりゃあそうだが。でもこの大会に出るか、それともダチが困っているとき助けるかどうかだったら……俺は断然後者を選ぶぜ。だからレイ。本当に困っているときは遠慮なく言え。俺たちはもう、ソウルメイトだからな!」

「ふ……あぁ、そうだな!」


 互いの大胸筋を震わせながら、俺たちはさらなる友情を育む。


 いつかエヴィにも、あの話ができたら良いと……そんなことを思った。



 そして次は園芸部での文化祭の予定だ。こちらもまた、特に何か大きなことをする予定はない。例年の如く、今まで育ててきた花や植物を展示するだけらしい。


 そのため数日前から配置を変えて、見栄えを良くするようにするだけなのでそこまで大変なものではない。


  こちらもすでに話し合って、先輩方とどのようにしていくのかという話し合いは済んでいる。


「はぁ……疲れた〜。でもレイってば、本当に優秀なのね。驚いたわ」

「ディーナ先輩。これくらいならば、いつでも頼ってください。事務作業は徹底的に鍛えられたので」

「……うん。本当にレイって謎よね。いや、もう慣れたから良いけどさ……うん……」


 ということで現在は三人で生徒会室にて作業を行っている。


 すでにクラスごとの企画に関しては承認をしたので、今は部活動や有志団体での企画に関する書類をチェックしている最中だ。


 一度俺とディーナ先輩が手分けして書類を見て、その後にレベッカ先輩が確認してから承認するという流れだ。


 その作業もほとんど終わり、今日の分の仕事は早く終わることになった。


「レイさん。本当にありがとうございます」

「いえ。これぐらいでしたら、いつでも」

「ふふ。本当にあなたは不思議な人ですね」

「恐縮です」

「レイさんってば、一人で何人分もの作業しちゃうんですから。本当に驚きましたよ?」

「レベッカ様のいう通りね。あんたのあの高速の書類捌きは逆にちょっとキモい領域まで来てたわ……うん……。しかも、あの速度でしっかりとチェックできてるし……もう規格外すぎて」

「慣れていますので」


 その際に想起するのは、師匠が家に大量の書類を酔っ払いながら持って帰ってきたときのことだ。


 あの日は飲み会で遅くなると言っていたが、なぜかダンボールを抱えて帰ってきた師匠。玄関でそれを受け取ると、なんでも今まで溜めてきた仕事をアビーさんに「良い加減やれっ!」と怒られたらしい。


「レイ〜。よろしく〜」

「え!? ちょ、師匠!」

「私は寝るよ〜ん……明日までらしいぞ〜」

「え!? 明日まで!?」


 ダンボールに引き詰められた大量の書類。


 これを明日までにやれというのか? 正気の沙汰じゃない……流石に無理だ、と言おうとすると師匠はすでに玄関で寝ていた。幸せそうに、「むにゃ。むにゃ……もう食べられないよぉ……」と言いながら。


 その後、師匠をベッドに放り投げると俺は徹夜で書類作業に励んだ。


 ちなみにこの出来事は複数回あった。そのため俺のこの処理能力はその時に半ば無理やり生まれたものだ。


 当時は師匠を恨んでいたが、今となるとあれがこうして活かされているのだから人生とは分からないものである。


「ディーナさん。クラスの方、行ってきてはどうですか?」

「そう……ですね。今は時間もありますし」

「こちらの方は私がやっておきますので。レイさんもそうして良いですよ」

「了解しました」


 その場で自分の手元にあった書類を綺麗にまとめると、それをレベッカ先輩の机の元に置く。そして俺とディーナ先輩は、レベッカ先輩に挨拶をしてから生徒会室を後にするのだが……。



「レイ。ちょっといい?」

「なんでしょうか。先輩」


 生徒会室から少し離れたところで、ディーナ先輩の顔つきが真剣なものになる。


「レイは教室に戻らないとまずい? クラスの進行具合は?」

「今は自分がいなくても回っています。そのようにローテーションを組んでおりますので。もとより、今日もずっと生徒会室にいるつもりでした」

「そう……ちょっと頼みごとがあるんだけど、良い?」

「はい。何なりと」

「……内容くらい先に聞きなさいよ」

「ディーナ先輩の頼み事を、自分が断ることなどありません」

「無茶言うかもよ?」

「先輩はそんな人ではありません。自分はそう思っています」

「はぁ……全く、もう。レイは本当に良い子なんだから」


 優しくふっと微笑むと、俺の頭を撫でてくる先輩。それはまるで、子どもをあやすようなものであったが悪気はしなかった。


「レイ。聞いてるわよね、婚約の件」

「はい」

「あれは思っている以上に根が深いわ」

「と、言うと?」

「エヴァン=ベルンシュタインには何かあると思うの」

「何かとは? 具体的に分からないのですか」

「それが分からない。でもこの時期にこんな急に婚約なんておかしいと思わない? 私も貴族の一員だからわかるけど、特にレベッカ様とはずっと一緒にいたのに……私が把握していないうちに婚約が決まっていたの。これはおかしいわ」

「なるほど……」


『私が把握していないうちに婚約が決まっていたの』と言う言葉には少し突っ込みたいところもあったが、ディーナ先輩がレベッカ先輩のことを誰よりも大切に想っていることは入学直後から知っている。


 ディーナ先輩本人は熱心なファンだと言うが、実際二人は親友だと俺は理解していた。


 いつからそうなったのかは知らない。


 だがディーナ先輩は、そんな親友であるレベッカ先輩にことが心配なのだろう。それは声音と、その表情を見れば分かる。


 その言葉を聞いて、俺もまたあのときの先輩を思い出す。


 ──助けて。


 と言ったあの日。悲しそうな表情で哀愁を漂わせながら、そうレベッカ先輩が言った気がした。


 俺はあの日の違和感を払拭するためにも、こうして生徒会へ手伝いに来ている。


「レイ。私とレベッカ様は近すぎる。だから問い詰めても、彼女は何も話してくれない。私を大事に想ってくれているからこそ、私たちは決してこれ以上近寄れない……でも、あなたならきっと何かできると思う」

「……自分はそんな大層なものではありません。しかし、ディーナ先輩はそれでも自分にレベッカ先輩のことを頼みたいと。そう仰るのですか?」

「そうよ。レイ、あなたのことは本当に信頼してる。入学当初は一般人オーディナリーでそれに男だからって理由で、あなたのことを勝手に先入観で嫌っていた。その時のことは謝るわ。本当にごめんなさい……それで都合がいいかもしれないけど、レベッカ様の側にいてくれない? 時々、辛そうな表情かおをするの。特に最近は。レイのことは、レベッカ様も気に入っているし……側にいてくれると私も安心できる……」


 辛そうな表情かおで俺の両手をギュッと包み込みながら嘆願してから、ディーナ先輩は頭を下げた。


「お願い、レイ。私も自分でもっと調べてみるけど、今は近くにいない方がいいと思うの。だから……」

「……先輩」


 夕焼けに染まる俺たち二人。


 そして俺が言うべき言葉は、すでに決まっていた。


「先輩。任せてください。その願いは、自分が果たします」

「……ありがとう、レイ。本当にあなたに会えて良かったわ」


 その後、俺はディーナ先輩と別れると生徒会室へと戻っていくのだった。


 一体、レベッカ先輩に何が起こっているのか。


 俺はもうこの歩みを止めることなど、できなかった。

 

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