翳りゆく太陽(サン)②

「行ったぞ涼平!」

 俺が追い立てた〝獲物〟が、まんまと狙った方向に逃げた。


「大地よ! 我が呼び掛けに応えよ……そして我に仇なす物を叩き潰せ! 大地の槌!」

 千田木は初歩的な呪文を唱える。詠唱の内容も人間の耳に言葉として聞き取れるレベルのものだった。しかし……


「フゴッ!」

 暴れイノシシは千田木が使った初級魔法……地面を盛り上がらせて敵を叩く〝大地の槌〟を頭に受け、一発で気絶した。


「よォし!」

 俺は千田木に駆け寄ってハイタッチをする。その直後、千田木は用意した網でイノシシを包んで、何やらまた呪文を唱えた。今度の呪文は、俺には聴き取れない。コイツは攻撃魔法より、補助的な魔法が得意らしい。


「……よし。これでもう、逃げられないぞ。私たちの害獣ハンター稼業も、なかなかサマになってきたな」

 額に浮かんだ汗を拭う千田木。俺は相変わらず作業服だが、千田木はスーツ姿を辞め、魔道士のローブを着ている。


「そうだなァ。今日の仕事だけで、二人で十日は困らない様になった」

 俺はイノシシを包んだ網を担ぐ。この世界に降り立って一年の鍛錬で、俺は自分の身長程度のイノシシなら、軽々と持てる様になっていた。



 俺と千田木が出会ってから、すでに二年の時が経っていた。

 俺たちはあの日、ミネルウェルという国の国境近くに降り立ち、国の真ん中に向かって歩いていたらしい。もちろん、地球上にそんな国は無い。


「ここが日本……いや、地球ですら無かった時には絶望したけど……日本語が通じるし、都合のいい、マンガみたいな世界で良かったよ」

 千田木はローブについた土を払う。


 そう。本当にマンガの様な世界だ。

 日本語が通じ、どこから来たかも分からない俺たちの様な者でも住む家を買うことが出来た。家を買うための金は、最初はそれぞれ街の店や大工の下働きで稼いだが、ある時農家が害獣に困っている事を知り、俺たちはそれを仕事にする事にした。情報は俺が集め、交渉は千田木、狩りは二人でやった。


「たしかに都合のいい世界だよ。まあ、害獣倒して腹から金が出てくりゃ、もっと楽だったけどな」

 俺は担いだイノシシを揺らしながら笑った。


「さすがに、ゲームみたいにはいかないさ」

 千田木も笑う。


「でもよ、魔王は居なくても、魔法はあった」


「そうだね。流司はまだ、使えない?」

 千田木は苦笑いしながら、指先から炎を出した。千田木はいつのまにか、独学で魔法を覚えていた。いわく、「見様見真似が得意」とのことだ。


「……アレだろ、俺にゃ、MPがないんだろ。ゲームで言うところの、戦士なんじゃねえの?」

 俺は力こぶを作る。ここに降り立った時の、倍は筋肉が付いていた。


「なるほど。魔法は使えなくても、一年鍛えただけでその筋肉だから、戦士ってのも、あながち間違いじゃあなさそうだ」

 千田木は腕まくりをして力こぶを作ろうとするが、木の枝の様に細い腕は、頼りない膨らみを作るだけだった。



 農耕地帯を抜け、街道を歩き、俺たちは街に着く。魔王は居ないが、見たこともない肉食動物はいる世界だ。そのため、大きな街は高い塀に囲われていることが多い。俺たちの住む街もそうだった。


 役場で害獣駆除の報酬を貰い、肉屋でイノシシを換金して、俺達は市場に向かおうとしたが……街の中心で、軽い騒ぎが起きていた。


 人間が、街の中央にある噴水広場に、突然現れたらしい。


「まさか……」

 俺と千田木は顔を見合わせる。


「俺達と同じ日本人じゃないのか?」


「そうかもしれない。行こう」


 俺達は騒ぎの中心に割って入っていく。そこには、まだ成人していないと思われる少年。パーカーにジーンズ姿で、ニット帽を目深に被っていた。


「おい、あの服装……」

「ああ、間違いないね」


「なんだよここは!? 誰だお前ら! 近づくな!」

 少年はあたりを不安そうに見回しながら、手に持ったナイフを振り回している。怯えている様だ。


「……おい、お前……」

 俺は少年を止めようとしたが、千田木が腕を伸ばして制止する。


「おい涼平、あいつ、混乱して……」


「……」

 千田木は何か呪文を唱えている。


「わああああ!」

 少年が、ナイフを構えてこちらに向かってきた瞬間、千田木は手のひらを少年にかざす。


「うっ……」

 少年は千田木の放つ白い光を受けて気絶した。


「ああ、センダギさん! 良かった!」

 近所に住む主婦のアリーが俺達に駆け寄る。


「大丈夫だった!?」

 アリーは心配そうに千田木を見上げる。


「ええ。まあ……」

 千田木はいつも通り、冷静なフリをして対応している。初めてアリーに会ったときはずいぶん緊張していたのに、今では取り繕うのも上手くなった。


「この子は何者なの?」


「……魔の者ではなさそうです。むしろ……私達の知り合いかもしれません」

 千田木は少年を見おろしながら、アリーに告げる。


「やっぱり! アンノさんにちょっと服装が似てるものね!」

 アリーは両手の平をくっつけて得心したという顔をする。それは、俺たちの感覚では「お願い」や「感謝」「合掌」のポーズだった。


「街の皆では、この子が魔の者か異世界人か区別がつかなくてな……怯えさせてしまったようじゃ……世話をかけるな、アンノ、センダギ」

 毎日噴水の手入れをしている老人、ダズが俺たちに頭を下げた。


「いえ。ただ……今回のことで、噴水広場近くには、戦えない者が多いという事が分かりました。我々もそうだが、戦士、魔道士、衛兵などの戦闘職だけでなく、若い職人も皆、街の外側に住んでいる。これでは本当に魔の物が現れた時……困るだろう。ダズさん、この事を町長に話してきましょう。流司、その子を頼めるか?」

 千田木はそう言うと、ダズと町長の家に向かって行った。


「あ、ああ……」

 噴水の前に残された俺と少年。街の連中は、興味を失ったかの様に散っていく。


「目ェ覚ましたら、また襲ってくるんじゃねえだろうな……」

 俺は少年の顔をのぞき込んだ。


 目が合う。


「うおっ!?」


「きゃっ!?」


 ……きゃっ?


「お前……女か?」


 この出会いが、200年続く闘争と破滅の始まりになるとは、当時も、そして今となっても……俺とヤツしか、知らない事だ。

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