2.火気厳禁 ジローの家

 ジローは適度に怠け、適度に働く、常識的なブタだった。極端な兄や弟たちの中では常にツッコミで忙しく、ボケる暇などない。一人暮らしを始めてからはそのわずらわしさから解放され、ログハウスで気楽な生活を送っていた。


 ある日、木彫りの美少女ブタを彫っていたときのことである。


「おーい! ジロー、開けてくれ!!」


 血相変えたイチロー兄さんの突然の訪問に、ジローは驚いた。


「どうしたんだい兄さん! その慌てよう、借金取りにでも追われているの?」


「そんなちんけなもんじゃねぇ! 怖ろしいオオカミに命を狙われているんだ。しばらくかくまってくれ!」


「あ、ごめん今ちょっと散らかってるからさ……外で待っててくれない?」


「そんなことしておれがブタの骨だけになったら、後悔してもしきれないだろ。入るぞ!」


 しかしいざ次男の家に足を踏み入れたイチローは、その光景にちょっと引いた。


 テーブルの上にも、床の上にも、ソファーの上にも、木彫りのブタ、ブタ、ブタ。大小のブタがあらゆるポーズを決め、所狭しと並んでいる。しかもそれらはすべて、美少女ブタであった。


「ジ、ジロー、これは……」


「ちがうんだよ、兄さん!!」


 ジローは顔を真っ赤にしながら、彫刻刀をぶんぶん振り回した。


「これは全部商品なんだ! ひとり立ちしたからには稼がなくちゃならないだろう? ぼくは手先が器用だからさ……マニアにはけっこう売れるんだよ」


「そうか、長年いっしょに暮してても知らないことってあるんだな。安心しろ、おれはこんなことでお前を蔑んだりしない。いやむしろ、自分の手で稼いでいるんだから立派なんもんだ」


「兄さん……」


 ジローはほっとして胸をなでおろす。


「ただ、問題はおれが寝転がる場所がないことだ。ちょっとベッド借りるぞ。今日はもう走り回って疲れた。昼寝が必要だ」


「あ、待ってそっちの部屋は……」


 ジローが止めるのも聞かず、イチローは寝室に入った。そこで、絶世の美ブタ……の彫刻と目が合った。大きさは成人したブタと変わりなく、フリルのついたドレスを着ていた。


「わーっ!! やめてーっ!! 見ないでーっ!!」


 イチローは静かに扉を閉める。


「兄さん、あれはね、とあるお得意さんに頼まれて作っただけで、私物じゃないんだよ。こっちの部屋には置き場がないから、寝室に置いてあるんだけど……」


「わかったよ。もう昼寝はあきらめる」


 イチローは他人の家に勝手に入るのは金輪際やめようと心に誓った。


「ところで、どうしてまたオオカミに追われるはめになったの?」


「ああ、それはな……」


 イチローはことの成り行きを話した。


「え、それ悪いの兄さんじゃん! ダメだよ勝手に人の家に住むなんて」


「ぼろっちいから空き家だと思ったんだよ」


「電気もガスも通っていたのに?」


「うん、それはまあ、あとで謝ればいいかなあって」


「もうそれ確信犯じゃん! 怒られて当然だよ。まったく、よりによってオオカミの家に住み着くなんて……」


「巻き込んで悪かったな。ほとぼりが冷めたら出ていくからさ。今度は間違いなく本物の空き家を見つけてみせる!」


「いや、自分で家建てろよ」


 そのとき、ジローの家の戸をたたくものがあった。


「すみませーん。注文品を受け取りに来たんですけどー」


「あ、はいはーい」


 飛んでいこうとするジローにイチローは待ったをかける。


「客のふりをしたオオカミかもしれない。気をつけろよ」


「ははっ、ちがうよ兄さん。あれは本当にお客さんだよ。寝室にあった大きなブタの彫刻を注文した人で、うちの一番のお得意さんだよ。ちょうど今日が引き渡し日なんだ」


 そういうとジローは寝室から木のブタをよっこいしょと運んできて、ドアを開けた。


「はい、こちらご注文の品です」


「ああ、どうもすみませんねぇ、こんなに大きなもの頼んじゃって」


「いえいえ、やりがいがありましたよ。でもここまで大きいと場所もとるでしょう。さぞかし広いお家に住んでいるんでしょうね」


「そんなことないですよ。もう笑っちゃうくらいぼろっちい家で。そろそろ建てかえようかと思ってたくらいです。この木彫りのブタは、当分狭い家の真ん中に置いておくつもりです」


「へえ、真ん中に。それは、ピグ子……失礼、この彫刻も喜ぶでしょう」


「さあ、どうですかね。なにしろサンドバック代わりにするんですから。狩りの練習ですよ。より標的の形に近いほうがやる気が出るでしょう? こんなリアルに作ってくださってありがとうございます」


「へえ、サンドバックですか、あはははは」


「あはははは」


 ジローの中で何かが切れた。


「テメエ俺の力作を傷モノにしようってのか!? そんな奴にこのピグ子を嫁に出すことはできねえ! とっとと帰んな!!」


「はあ!? こっちは金払ってんだぞ! 客のことナメてんのかあああん!?」


「うるせえ! お客様がみんな神様だなんて思ってねーよ! 俺は俺の作品を愛でてくれる客を選ぶ!!」


 ジローはオオカミの鼻先でバーンと扉を閉め、かんぬきをかけた。


「おい、開けろこのヤロウ!!」


 オオカミはドンドンと扉をたたく。


「ジロー、あの客は……」


「兄さんも聞いてた? ひどい奴だよまったく! ぼくが手塩にかけて育てたピグ子をなんだと思ってるんだ! ああ、待てよ、ていうことは、今まで嫁に出したアケミやサチコも奴の毒牙に……」


「いや、そうじゃなくて……あの客、オレが不当に占拠してた家の住人だ。おれのこと追いかけてるオオカミと同一人物だよ!」


 そのとき、ドーンとすごい音がして家が揺れた。オオカミが扉に体当たりしているらしい。


「開けろ! 早く開けないと扉をぶっ壊すぞ!」


 どーん、どーんと体当たりのたび、ログハウスはぐらりと揺れる。


「このヤロウ、せめて代金を返せ!!」


 ジローはピグ子をぎゅっと抱いている。


「そんなもの、もう新しい彫刻刀を新調するのに使っちゃったよ!」


「なんだと!?」


 オオカミの怒り狂ったような声が聞こえ、しばらく沈黙が降りる。


「なあジロー、ここはいったん、ほかに避難したほうがいいんじゃないか? いっしょにサブローの家に行こう。あいつがこのまま引き下がるとは思えないし」


「いやだよ、せっかく住み慣れてきたところなのに。それに、娘たちをおいていくことなんてできない!!」


「娘って木彫りのブタのことか? そんなものまた作り直せるだろ……ん? なんか焦げ臭くないか?」


 イチローはくんくん鼻をうごめかす。それはオオカミがログハウスに放った火の煙のにおいだった。


「大変だ、この家燃えてるぞ! おいジロー、つべこべ言ってないでさっさと脱出しないと、おれたち仲良くブタの丸焼きになっちまう!」


「い、いやだ! 兄さんにはわからないかもしれないけど、同じ彫刻は二度と彫れないんだ。彼女たちは、ぼくの大切な家族みたいなもので……」


「このままじゃ本当の家族にも二度と会えなくなるぞ。ほら、早く!」


「せめてピグ子だけでも……」


「邪魔になるからやめておけ!!」


 イチローはぶうぶう泣きわめくジローを引きずるようにして、火を噴くログハウスの裏口から転がり出た。


 オオカミはそれには気づかず、今夜はごちそうだとひとりキャンプファイヤーに熱中するのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る