50. 林檎と出会い

 しっかり味わってから、残りのクリームパンをほおばる。アーモンドスライスが載っており、いいアクセントになっている。ほのかに温かく、とろっとしたカスタードクリームに入ったバニラビーンズもいい仕事をしている。

 シンプルながらにおいしい一品だ。お土産に何個か買いたいほどだったが、今は他にやるべきことが残っている。

 ローブに散ったパイ生地のかけらを手でぱんぱんと払い、すっくと立つ。


(空腹の心配もなくなったし、クラウドを探さなくっちゃ!)


 商店街をしばらく歩いたところで、ルルネ商会の看板を見つけた。大きなガラス張りのため、遠目からでも中の様子がよく見える。一階は受付と応接スペースで、仕事用のスペースは二階と三階にあるようだ。

 ふと、イザベルは自分の格好を見下ろした。

 上質な生地を使っているが、いかせん丈が長めなので、ドレスもすっぽり隠れている。フードも被っているため、完全に怪しい人にしか見えない。


(うーん。ローブを着ていたら、かえって怪しまれそうね……)


 背に腹は替えられない。聞き込むとしても、見た目は大事だ。急いでローブを脱ぎ、腕に抱える。

 簡単に身だしなみをチェックしてから深呼吸し、ドクドクと忙しない心臓の音をなだめる。

 ゆっくりとドアを開くと、真正面の受付にいる女性がにこりと微笑む。

 受付の女性は二人。いかにもベテランといった年配の女性と、二十代前半と思しき女性だ。


「あの、フローリア様の誘拐事件があったと聞いて……昨日、ここにクラウドが来ませんでしたか?」


 ひそひそと問いかけると、ベテランの女性が反応した。


「……ああ、彼なら取り引き場所に向かったわよ。お嬢様の誘拐を聞いた大旦那様がお倒れになって、代理人として名乗り出たらしいわ」

「取り引き場所はどこですか?」


 身を乗り出して尋ねると、受付嬢は首を横に振った。


「どうも、憲兵に知らせたら娘の命はないって書かれていたらしくて。彼以外は知らないのよ。その手紙も彼が持っていったらしいし」

「……そうですか。ありがとうございました」


 一礼をしてから建物を出る。数歩進んで、路地裏に身をひそませる。

 腕に抱えたローブをぎゅっと抱きしめる。


(クラウドと合流できれば、なんとかなると思っていたけれど、当てが外れたわ。わざわざ危険を冒してまで来たっていうのに……。これから、どうすれば……)


 帰ったところで、こっぴどく叱られるだけだ。ゲームなら、イベントが起きて選択肢を選ぶだけでよかった。

 けれど、今はそんな便利な案内機能はない。

 完全に詰んだ。暗鬱とした気分を持て余しながら、ふらふらと歩く。

 城壁に沿って歩いていると、ふと視界に赤色がちらつく。視線を定めれば、階段の上から、赤い球体がころころと転がっていく。


(あれは……林檎? なんでこんなところに……)


 出所を探すと、階段をゆっくりと歩く老婆の姿があった。その手元には果物が入った紙袋がある。こぼれ落ちそうなほど、ぎゅうぎゅうに荷物が詰めこまれているせいで、彼女が階段をのぼるたび、上部がぐらついている。

 イザベルは転がった林檎をつかみ、早足で階段を駆け上がる。


「ねえ、おばあさん! これってあなたの落とし物じゃない?」


 手元を見せると、振り返った老婆が目を見張る。林檎を受け取った手はしわだらけで、かすれた声が返る。


「……ああ、すまないね」

「階段をのぼるときは気をつけてね。ところで、黒髪に黒縁眼鏡をかけた男の人を見なかった? 年齢はわたくしと同じで、十六歳なんだけど」


 だめ元で尋ねると、老婆は無遠慮にイザベルを眺めた。頭の先から靴まで観察するように見つめられ、ローブを脱いだまま話しかけたのは失敗だったか、とたじろぐ。

 彼女の探るような瞳がイザベルの顔に固定される。

 なぜか、目がそらせない。

 澄んだ水底のような青い瞳が向けられて、思わず息を詰める。心を読まれているような、落ち着かない思いに駆られていると、さっきより明瞭な声が響く。


「手を出してごらん」

「手? こう?」


 言われるがままに手を差し出すと、しわしわの手に優しく包み込まれる。


「彼の顔を、頭で思い浮かべるんだ」

「うーん……」

「……探しているのは藍色の瞳の子かい?」

「えっ、そうよ。どうしてわかったの?」


 驚いて身を引くと、パッと手が離される。ぬくもりがなくなり、緊張で手が冷たくなっていたことに気づく。

 老婆はかすかに口角を上げ、饒舌に語る。


「これでも占い師だからね。そのくらいお安いもんさ。それより、その子なら向こうの階段を下りた先の見晴台にいるよ。すれ違う前にお行き」

「……見晴台?」


 老婆が指さす方向を見やると、北側に下り階段がある。その上には展望台のようなデッキスペースが小さく見える。


「わかったわ、行ってみる。……って、あれ?」


 お礼を述べようと振り返った先には、風でひらひらと舞った葉っぱしかなかった。

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