4. 攻略知識の意外な活用法
立派な校舎は、貴族たちの豊富な寄付資金で増改築を繰り返したせいか、ところどころに過度な装飾が目立つ。ライオン像や噴水広場の彫刻は一流の彫刻家がデザインし、王宮のような荘厳とした趣になっている。
ラヴェリット王立学園は王子も通うだけあって、格式高い伝統と秩序を重んじる校風だ。
そのため、自然と貴族社会の権力の図式ができあがり、学園の頂点には親の爵位が高いものが君臨する習わしだった。
現在の男子生徒のトップは第二王子、次に公爵令息。女生徒のトップは伯爵家の中でも一番王族に近いと噂される、エルライン家の伯爵令嬢。
学園長や教師陣からも一目置かれる彼らは、文武両道は当然のこと、最先端のおしゃれにも精通し、全生徒からの憧れの的にもなっている。
毎年多額の寄付金をするお家柄ということもあるため実質、学生議会よりも扱いが上で、ひとりひとりの発言力も高い。
「イザベル様、ごきげんよう」
「ええ、ごきげんよう」
廊下ですれ違う女生徒と挨拶を交わしながら、イザベルは教室へ早足で向かう。目指すは高等部一年の特Aクラスだ。特Aとは、成績優秀者を集めた少人数のクラスのことを指す。
特Aの生徒は、学園の最奥にあるサロンも自由に使える。いわば、学園内の特権階級を集めたクラスだ。
そのクラスの絶対権力を持っているのが、第二王子であるレオンだ。
「おはようございます。レオン王子」
レオンは振り返り、目を細めた。
悪役令嬢のイザベルとは、つり目仲間でもある。
幼少の頃からの付き合いだが、彼は王位継承権第二位ということもあり、周囲からの期待の重圧に苦しんでいた。その結果、協調性や愛想が欠け、一匹狼のような風情をかもしだすまでに至ってしまった。
その心の闇を取り払うのが、ヒロインというわけである。
しかし、ジークフリートの白薔薇ルートに入った今、レオンの相手は不在といってもいい。
(そう考えると、レオン王子が不憫に思えてきたわね……)
だが今、イザベルにはもっと重要な事実がある。目の前の金髪碧眼は、乙女心を刺激する神々しさがあるのだ。
(さらさらの金色の髪、ブルーの瞳! 見慣れたはずなのに、こうも完成度が高いなんて。賞賛のため息ものだわ。これが「黄薔薇の王子」、またの名を「ツンデレ王子」の魅力……)
作中でレオンは、冷静沈着な第一王子と対照的に描かれており、俗に言うツンデレの属性を持つ。ちなみに、第一王子はゲーム内では名前のみの登場である。麗しの貴公子と噂される次期国王のご尊顔は、もはや妄想で補うしかない。
「……イザベルは、今日も無駄にきらきらしているな」
(きらきらしているのは、むしろ、あなたの方です……!)
イザベルは喉まで出かかった言葉を飲み込んだ。澄ました顔で咳払いをする。
「無駄とは何です。花も恥じらう乙女になんて言い草ですか」
「小言が多いのは通常運転の証拠だな」
「一言余計ですよ。そんなことを言うのなら、今日のお裾分けはなしにしますからね」
「……な」
お裾分けとは、メアリーこと、我がメイド長お手製デザートのことだ。お昼休みのティータイムはサロンに集まり、おのおのが持参したお菓子を食べるのが、特Aクラスのたしなみだ。
レオンは大の甘党でもある。彼を手なずけるには、甘いお菓子でつる方法が手っ取り早い。ゲームの攻略知識を持ったイザベルに、恐れるものはない。
思ったとおり、レオンは口を開けたまま、言葉が出ないようだった。
「苺とブルーベリーがぎっしり詰まった、春のベリータルト。レオン王子がいらないということなら、他の皆さんでおいしくいただきましょうか」
残念ですわ、とつぶやくと、ぼそぼそと小声が聞こえる。
「……悪かった。その……くだ……い」
「すみません、よく聞こえませんでしたわ。もう一度、はっきりとおっしゃってくださる?」
「っ……俺が、悪かった。だ……だから、デザートを分けてください」
勝った、とイザベルは心の中でガッツポーズを取る。
(案外、悪役令嬢というのも悪くないのかも)
飼い主に怒られた犬のように落ち込んだレオンに、イザベルは優しく告げる。
「わかりましたわ。ちゃんと王子の分も取っておきますから、ご安心ください」
「……よろしく頼む」
ヒロインとは違った角度での楽しみ方を見つけ、満足して自分の席に座ると、隣の席から声をかけられた。
「おはよう。今日もいい天気だね」
クラウドは爽やかな笑顔で挨拶する。黒縁眼鏡からのぞく藍色の瞳に見つめられ、イザベルはめまいがした。動悸が激しくなる。
特有のイベントでしか再生されなかった声が、日常会話でも聞けるなんて、こんなに幸福なことがあるだろうか。
前世で一番やりこんだクラウドルート。彼との恋愛イベントは、ときめきの連続だった。乙女ゲームという閉鎖された空間の中で、自分だけに注がれた愛の台詞が脳内でよみがえり、目頭が熱くなる。
悪役令嬢として転生してしまった以上、クラウドの恋人にはなれないが、イザベルにはクラスメイトという友人枠がある。
特Aクラスは学年によって人数は異なるが、だいたい十人前後で構成される。そのメンバーはほとんど変わることがなく、基本的に中等部からの持ち上がりだ。
つまり、クラウドとは、中等部からの築き上げてきた信頼と友情がある。
今世は友人のひとりとして、彼との関係を大事にしていきたい。
「クラウド……お、おはよう」
緊張と興奮で、声がうわずってしまう。だがクラウドが気にした様子はなく、話を振ってきた。
「小説はもう読み終わった?」
「……まだ半分くらいですわ。その、あまりにも楽しくて……。読むのがもったいない気持ちもあり、じっくり読み返しながら読んでいるので遅いのです……」
「そっか。そこまで楽しんでもらっているなら、何よりだよ」
何を隠そう、今ハマっている恋愛小説は、クラウドから薦められたものだ。
クラウドの本に対する守備範囲は広い。マニアックな本から、流行の少女向け恋愛小説まで、幅広くたしなむ。そして感想を言い合うために、イザベルも同じ沼へと誘っている。
おかげで、その底なし沼にだいぶ足を突っ込んでしまっている気もするが、深くは考えまい。今まで紹介された本はどれも楽しかったし、自分の推しカップリングについて意見を交わすのも有意義な時間だった。
(あれ? そう考えると、クラウドもだいぶヲタクよりな性格ってことになるわね)
ゲーム内では、そんな設定はなかったはず。
しかし、これで腑に落ちた。ヲタク気質を持っているなら、ここまで気が合うのは道理だろう。これなら同類として、もっと親睦を深められるかもしれない。
「ねえ、何の話? 私も混ぜてよ」
イザベルが顔を上げると、唯一無二の親友がいた。
今日も長い髪を後ろで結い上げたジェシカは、子爵令嬢らしい気品がある。
けれど、イザベルは知っている。深窓のお嬢様のような外見とは裏腹に、存外と口が回ることを。異性には辛辣な非難を浴びせ、同性には甘い台詞を吐いて誘惑をするのだ。
「おはよう、ジェシカ。おすすめの小説について話していたのよ」
「ああ、なるほど。それにしても、あなたは今日も可愛いわね。初等部から変わらないイザベルが一番好きよ」
「……それは身長のことを言っているのかしら?」
「やぁね。背が少し低いくらい、別に気にしなくていいのに」
頭をなでられ、イザベルはしかめっ面になる。
ジェシカに悪気はない。他意なく言うのだから始末が悪いのだ。怒るに怒れないジレンマを、どこにぶつけたらいいのか。
彼女いわく、女の子は花のように愛でる対象らしい。そこに特別な恋情はなく、いじらしく照れるさまを見るのが趣味だという。
初等部からの付き合いになるが、その点に関しては、いまだに共感できない。だというのに、ジェシカを慕う女生徒が後を絶たないのだから、世の中はわからない。
女子にしては背が高いジェシカを見上げ、イザベルは反撃のカードを切る。
「園遊会ではライドリーク伯爵が現れたわ」
ジェシカはなでていた手を止め、真顔になった。
彼女にとって、紫薔薇の伯爵はいわば天敵だ。男よりも女の子が好き、と豪語するジェシカが一番耳にしたくない名前のはずだ。
「それは……できれば聞きたくなかった名前ね」
「ジェシカは、紫薔薇の伯爵に特に気に入られていたわよね」
あれは確か、どこぞの家で開かれたお茶会のことだ。ジェシカが女の子たちを囲んで喋っているとき、令嬢たちを横からかっさらう形で現れたのが伯爵だ。
女だけの花園に水を差しただけでなく、自分を慕う令嬢の心を惑わせた彼は、ジェシカの敵に認定された。
一方の伯爵は、すげない態度のジェシカに興味を持ったらしく、それから会うたびにジェシカに熱烈なアプローチを繰り返している。
「やめてよ。私は、ああいう浮かれた人間が大嫌いなの。女の子を囲んでいる方が何倍も有意義で幸せだわ」
その点については同類だろうと思ったイザベルだったが、あえて口には出さない。包み隠さずに話せる仲とはいえ、踏み込んではいけない領域がある。友情の決裂になるような一言は、心の中にしまっておくべきだ。
「そうは言っても、いつかはジェシカだって結婚するでしょう? 将来、いい殿方が現れたときに困るのではないの?」
「冗談はよしてよ。望まない相手と結婚するぐらいなら、外国にでも逃亡するわ」
「……決意は固そうね」
だが色男との恋噂ほど、ロクなものはない。海外への逃亡意見は、イザベルもおおむね同意だ。
社交界デビューも済ませ、イザベルたちは結婚適齢期になる。貴族が多い学園内では、婚約者がいる者も少なくない。
(婚約者といえば、ジークはフローリア様と交友を深めているのかしら。確か、ゲーム内でヒロインは普通科クラスだったわよね)
特Aクラスと普通科クラスでは棟すら違う。
これならば、偶然会うような機会も少ないだろう。
なんと言っても、イザベルの人生がかかっている。どんな手段を使ってでも、悪役令嬢のフラグを立てるわけにはいかないのだ。
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