第五話 キィン
最初、ミルスは何が起こったのかわからなかった。外が騒がしいと妻に起こされ、しかし彼はまだ夢の中から抜け出せてはおらず、どうせ駐屯しているテラリスの連中が何かやってるんだろう、或いは斥候として周辺を回っているアンダー・コマンドが戻ってきたか。奴らは第一次入植者の連中と同じで自分勝手で騒がしい手に余る奴らだ、関わると損をするだけだ。そんな風に思って夢に舞い戻ることにした。
変よ、何が起こっているの? そう言って妻は出ていった。その直後に彼女の悲鳴が、母さん? と言って追っていった娘も今まで聞いたことがない小犬が吠えたように鳴いて、それで初めて、どうしたんだ? と起き出した。
大きな岩を四角く削って組んだだけの家はシンプルだ。輸送できる質量が限られているので、建築用ユニット材すら揃わない最前線の開拓村では、取り敢えず夜の冷え込みと風を凌ぐためのこうした石造りの家はどこにでもあった。内装さえ最低限上手くやれば見た目に反してなかなか快適に暮らすことが出来る。
そんな家が寄せ集まった開拓村はどこにでもあった。ここもそんな名もない村のひとつだ。第一次入植者で作るイルダール同胞団はことさら新しい入植者を締め出しているので、村は必然的にテラリスの庇護を受けることになる。近々に同胞団が勝手に首都と定めたリスタルへの進攻が迫っており、ここは通称“水飲み場”と呼ばれる、テラリスやアンダー・コマンドの休憩所となっていた。
といってもアンダー・コマンドは元々同胞団のはみ出しものばかりでテラリスの管理下でないと村でも受け入れない厄介者ばかり、今日はこの部隊の指揮官フィティスが気を利かせ、アンダー・コマンドに夜の周辺の偵察を命じてくれたのだ。だから子供も安心して休むことが出来た。
しかしそろそろ明け方を迎えようとして、この騒ぎは何なんだろう。ちょうど夢もクライマックス、このまま横になっていれば素晴らしいエンディングを迎えられたものを。
ミルスは少し苛つきながら、騒がしい妻と娘を叱るつもりで外に出た。
何が起こったのか。何が起きているのか。
直ぐには理解できない。足元をみて、妻と娘が地面に仰向けになっていた。こんなところで寝ているのか、バカだな。そんな風に思って起こそうとして、妻の顔が半分無いことに気がついた。欠けた部分から赤黒い塊が落ちてそこを血溜まりにする。
娘も同様だった。おかしな格好をしていると思ったら、胸が斜めに千切れて頭と左腕が離れたところにあった。
「な、何が……」
まだ夢の中にいるのだろうか。ミルスはその有り様に言葉が続かない。その時、ごうという熱風と共に、石造りの壁が粉々に砕け散った。その破片に襲われ、尻餅をつく。見ると巨大な機械の塊が、テラリスのトラックを潰していた。
テントはグシャグシャになって、燃えて火柱を上げている。銃をもったテラリスの兵士、恐らく彼らも寝起きだったのだろう。上半身が裸、或いはタンクトップ姿でライフルだけを持って、その機械、そこでようやくそれがビルド・ワーカーだと気付いた、を追いかけていた。
しかし彼らも、ビルド・ワーカーの最後尾にある銃座からの銃撃で次々と倒れ、騒ぎで起き出してきた村人にも容赦なく攻撃がくわえられていた。
「や、やめろ、やめてくれぇっ!」
ミルスは叫んだ。
目の前で次々と倒れていく仲間や兵士たち。子供も女も関係なく、無慈悲にその餌食になっていく。
しかし激しい銃撃がミルスをそこに縛りつけ、体を動かすことさえ困難だった。
ミルスは家の中に転がり込んで、その片隅に両膝を抱えて座り込んだ。
恐怖に体が竦み、何も考えられなかった。まるで小さな子供が夜に怯えるように、目を瞑り、耳を塞ぎ、歯を食いしばって唸った。
銃撃、悲鳴、そして大きな鉄がぶつかる音と振動。
そんなものがミルスの体を揺さぶり、さらに恐怖のどん底にたたき落とした後、ビルド・ワーカーの
ほんの僅かな時間だった。
ミルスは長くそこから動けなかったが、静寂が続き、もう終わったと認識してから家から出た。
夢から叩き起こされたミルスが見たのは、本当の地獄に落とされた哀れな村の姿だった。
何も出来なかった。
妻と娘の骸には触ることも出来なかった。余りにも
「おい、ミルスか? お前は大丈夫か?」
声をかけられ、ふと顔を上げると、普段は陽気に鼻唄ばかり歌っているサレグが、全身を血塗れにして顔を蒼白にして立っていた。頬がこけるほどやつれ、手足が見てわかるほど震えている。
「どうなってんだ? どうなってんだよ、これは!」
彼は怒鳴った。ミルスに対してではない。何か別のものにぶつけるように激しく怒鳴りつけた。
テラリスの軍人はフィティスを含め二十名以上が死亡、生き残ったのは七名だけだった。村人もほぼ全員四十名近くが殺され無事だったのは四人だけだ。ミルスとサレグ、そしてアルドの妻のマーネ。チェイスの次女のセリアはまだ九歳、無残な遺体となった両親と弟の横で、幼子のように泣きわめいていた。ミルスたちにはそれを慰めることはとても出来なかった。
村は惨憺たる有り様だった。余りにも悲惨で、少しだけ村を歩いたミルスは仲の良かった友人や、しばらく前に子供の誕生日で祝ってやった後輩、娘と勉強を一緒にしていた少女、村を良くしようとテラリスとの仲介役を引き受けてくれた年配の男性など、もう動かなくなってしまった村の仲間たちを見つけるたびに、ただ呆然とそれを見つめるだけだった。
サレグと話し合い、死んだ村人を集めて葬ることにした。そのままにはしておけない。それには生き残ったテラリスの兵士も手を貸してくれた。
遺体を集めるのは困難だった。体に大穴が空き、手足が千切れたり、顔の半分がない遺体もあった。余りにむごくて触ることすらためらわれた。
それでも涙と吐き気に必死に耐えながら、広場に運んできた。死んだテラリスの兵士も同様に集められ、折り重ねるようにして寝かせる。
下には木材や雑誌などを敷いて、遺体の隙間にもそれを詰めた。それに液体燃料をかけて焼却するのだ。幸い、テラリスの部隊には水素電池の充電のために液体燃料を使う発電装置があった。
遺体を燃やす前に村の整理をしている時、サレグを息を切って走ってきた。そして彼に促されそこに向かった。
サレグが教えてくれた先にあったのは、あのビルド・ワーカーの後部で機銃を撃ちまくっていた者だった。土埃にまみれて倒れたまま動かない。何かの理由で逃げる時にゴンドラが落ちたのだろう。側にへしゃげたそれが転がっていた。
「何だ、まだ娘じゃないか」
迷彩服を着ているが良く見れば歳が十五、六くらいの短髪の黒髪の少女だった。
「こんな娘が、まさか……」
髪の毛を掴んで顔を持ち上げる。全身から力が抜け、肉の塊となっていた。汚れた顔は赤黒く大きく晴れ上がり擦り傷だらけ、だが意識はあるようだった。
「へ、へへっ、み、みたか、テラリスの……ぶ、豚、ども……」
まだあどけなさの残る顔だが、その笑みは醜悪で怒りを駆り立てた。こんな娘が妻や娘や他の住民、兵士たちを殺したというのか。
ぐぼっと口から赤黒い血を大量に吐き出す。
「内臓をやられているな。もう助からん」
しかし娘はニタリと笑った。
「テ、テラリスは、みんな……死、死ぬ……殺す……」
うわ言のように呟く娘には、何一つ同情は感じなかった。ただ静かな怒りが募り、そのままにしておくわけにはいかなかった。
「サレグ、砂袋と銃を持ってこい」
そしてサレグの持ってきた砂袋を娘の頭に被せた。拳銃を手にとり、わざと聞こえるようにスライドを引いてみせる。
「おい、聞いているか! まだ楽にはしてやらん。村の連中にお前が詫びを入れるまではな!」
「殺せ……」
「ダメだ! 俺が殺すまで勝手に死ぬなよ!」
ミルスはそう怒鳴ってから、拳銃を腰にしまった。
「こ、殺……せ……よ、殺し……て……」
娘が何か言ったが、ミルスは無視した。
再びサレグと手分けして村を回る。遺体の他に遺品になりそうなものを探して集めた。
しばらくして娘のところに戻った。砂袋を被ったまま、ぐったりと横になって動かない。
そこにサレグもやってくる。
「火葬の準備が出来たぜ」
ああ、とミルスは頷いて、娘の体を蹴った。
「おい、起きろ! 死んでないよな!」
しかし娘はぴくりともしない。
「起きろ! そんな楽に死ぬな! お前は、お前は!」
その体を何度も蹴り上げる。余りの悔しさに涙が溢れてきた。
「起きろって言っているだろう!」
拳銃を取り出し、太股に一発、撃ち込む。ズボンに穴が空いて、じわりと赤いものが滲んできた。
それでも娘は動かなかった。
「ミルス、もう、死んでるよ……」
「ダメだ! コイツはそう簡単に死んだらダメなんだ! みんなの、みんなのためにも……」
起きろ! ミルスは叫んで、足にもう一発、腹にも一発、撃ち込んだ。
全く無反応な娘に、ミルスは大声で、畜生! と吠え、残った弾の全てを頭に向けて放った。砂袋が弾け、中身が飛び散った。赤黒いものが全体を濡らしていく。
「なあ、もうそんなもの放っておけ。仲間だけでもちゃんと弔ってやろう」
サレグにぽんと肩を叩かれ、ミルスは、ああ、とだけ言った。
「お、おじちゃん……」
背後からの声に、慌てて振り向くと、目を真っ赤に腫らしたセリアが立っていた。泣いてはいないが、涙の跡が汚れた頬をそこだけきれいに洗っていた。
「こいつなの? こいつがパパやママやイエクを殺した……」
「そうだ、だから……俺が、俺が殺した。村は……もうダメだ。これから死んだみんなを火葬にするからセリアも弔ってやってくれ。それからテラリスに保護を頼もう。村を攻撃して逃げたビルド・ワーカーのことも……」
しかしセリアは、イヤッ、と大きく首を振った。
「みんなの仇を討ちたい! あたしがあいつらを殺してやりたい!」
「バカなことは考えるな。お前はまだ子供だ、何も出来ない。仇は俺たちに任せろ、奴らを必ず探し出して全員殺してやる」
それを聞いてセリアは駆け出した。まだ九歳なのに、こんな思いを……とミルスは辛くなった。
だがしばらくしてまたセリアは自分がそのまますっぽり入るくらいの大きなキャリーバッグを引きながらやってきた。それは緑色の無骨な長方形の箱で、持ち手は金属製、左右に大きな車輪がついている。
「お前、それは……スマート・タレットか?」
「フィティスのおじちゃんに見せてもらったの! あたしにも撃てる物凄い武器があるって! これがあればあたしにもあいつらを殺せる!」
人当たりの良かった部隊長のフィティスが、子供たちに装備を説明していたことを思い出した。村人たちを安心させるためだったのだろうが、こんなことになろうとは……。
「使い方はわかる! だからお願い、あたしも連れてって!」
一度見たくらいで使い方なんてわかるわけがない、そう思ったが、セリアの必死の願いを却下させられるだけの言い訳を、今のミルスは見付けられなかった。
ミルス自身、この怒りを止められそうにない。これほど酷い光景を見せつけられたのだ、セリアにも復讐の機会を与えてやりたい。
「わかった、何とかしてみよう、でもまずみんなを弔うのが先だ。いいな? そしてテラリスに合流する。そこであのビルド・ワーカーを探し出してもらって……、みんなの仇討ちをしよう」
セリアの顔がパッと明るくなる。おいおい本気か? と問うサレグに、このままには出来ん、とだけ言った。
「なあ、復讐なら俺にやらせてくれ。俺だってはらわた煮えくり返っているんだ。敵がビルド・ワーカーなら俺もテラリスに借りて同じビルド・ワーカーでやってやる!」
サレグは歯を食いしばって拳を振り上げた。今まで見たこともない形相にミルスは息を飲んだ。
「ああ、その時は頼む。一緒にやろう」
遺体を火葬にし、その炎が消えるまで長く待った。大きな灰の中に僅かにオレンジ色の火の粉しか無くなった時、小さな白い欠片がそこに山を作っていた。
どの欠片が誰なのか、もう分からない。ミルスはそのひとつひとつを人数分だけポーチに入れた。そして灰の周辺に一人一人の名前を書いた岩と遺品を置いていく。それが墓代わりだ。
全てを終わらせたミルスは、南下するテラリスの部隊と合流するため、生き残った村人と兵士たちと一緒に、そこを後にした。
セリアはずっとスマート・タレットのキャリーバッグを離そうとはしなかった。
奴らに必ず復讐する! 約束だ、セリア!
ミルスは悲壮な決意を固めた。
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