第三話 讐撃
キィンが呼びにきたのは、まだ夜が明ける前、遠くの稜線がうっすらと藤色に染まり始めた頃だった。頭上にはまだ黒い雲が厚く、夜が続いていることを感じさせた。
ルシルは眠れたわけではなかった。ただ目を閉じて少女たちの呼吸を数えながら、時間が過ぎるのを待っていた。
それはルシルだけではなかった。その証拠に、キィンがウォール・バンガーの扉を開けて、起きて、と小声で言った時、全員がほぼ同時にむくっと上半身を上げたからだ。
外に出て空を仰ぎ、背伸びをして肩を回し、体が動くことを確かめる。風は強くはないが凍えるほど冷たい。
僅かに明るみ始めた空の下で、作戦を確認する。
「あたいの見立てだとテントひとつに十人くらい寝ているはず。と言っても全部のテントが兵舎ってことはないだろうから、数は多くて三十人、村人も五、六十人ってところ。歩哨はいないようだから、テントを銃撃しながらウォール・バンガーで突入して、装甲車とトラックの運転席を潰す。そして直ぐに撃ちながら逃げる。それだけだ。あたいは後ろの銃座を担当する」
「銃撃……ということは、相手を殺すの?」
「当たり前だろ? でも殺すっていうよりはパニックにさせるってのが目的だから安心しろ。でも殺れる時は殺る」
リコットはそれに口をつぐむ。もう何を言っても無駄だと思ったのだろう。ただ彼女の横顔には悲壮感の中に決意のようなものが感じられた。それが不可解にルシルを心をざわつかせた。
「ルシル、成功の鍵はあんただ。あんたがどれだけ早く車両を破壊できるかにかかっている。なあに、トラックは簡単だ。運転席なんてウォール・バンガーからみたら
キィンはもう既に少し興奮していた。早く突撃したい、そんな性急さが感じられ、ルシルを不安にさせる。
ルシルの不安はそれだけではない。出来るだけ早くということは、ウォール・バンガーの車体を動かすハンドルと、腕を動かすレバー、それを持ち替え、ほぼ同時に操作しないといけないということだ。
「いいか? 時間との勝負だ! 応戦されればあたいらには勝ち目はない。車を潰せなければ追撃されて終わり。でも大丈夫、そんなに難しい作戦じゃない」
やる気を漲らせるキィンとは裏腹に、全員のテンションは低い。しかしもう止めるという選択肢はない。
「さあ、みんな、ウォール・バンガーに乗って。落ち着いていきましょう。あたしたちならやれるわ」
ルシルは自分にも言い聞かせるように、みんなに言った。
村までは以外と長く感じられた。このまま夜が明けてしまうのではと思うほどだった。だがまだ空の端は夜がしがみついていて、煮え切らない朝の一歩手前だった。
丘の上に一度停車させ、カメラで村を見下ろす。モニターに映るそれはルシルが双眼鏡で覗いたものと変わりない。
「リコットとシエラ、クロアは銃をお願い、シエラはヤバくなったらローエを守って。ローエ、シエラの側にいるのよ?」
ルシルが全員に声をかける。それに、はい、わかりましたわ、了解、とそれぞれが返事を返す。ローエも怯えた顔で頷いた。キィンはもうウォール・バンガー最後尾の銃座に陣取っている。
「じゃあ……」
深く深く息を吸い込む。一瞬だけ目を閉じて、やる! という決意を漲らせる。
「いくわよ!」
ゆっくりとペダルを踏み込んだ。
ガクンとひとつ揺れて、ウォール・バンガーのキャタピラが唸りを上げる。
丘から身を乗り出すと、緩やかな勾配にドスンと前部が落ちた。そのまま滑るように下っていく。
急勾配を落ちるような感覚。ハンドルがガタガタと揺れた。キャラピラを滑らせれば、横転することも考えられる。ブレーキは踏めない。左右に車体を振ることも出来ない。ペダルを細かく調整しながら、真っ直ぐに丘を下っていく。
長く続いた斜面が終わり、跳ねるように機体が揺れて、平地になった。そこでルシルはグッとペダルを踏み込んだ。立ち並んだ石造りの家が正面に見える。ハンドルを少し振ると、広場の中心に地下水の組み上げ装置のタンクが見えた。
さらにハンドルを切る。そこには丸い大きなテントが繋がり、その向こうにトラックが見えた。
その時、ウォール・バンガーの背後からドッドッと低い振動が伝わってきた。火線が伸びてテントの穴を開けてゆく。キィンが銃撃を始めたのだ。
早い! とルシルは思ったが、もう遅い。相手の反応もなかった。
少し間を置いて、驚いた顔で兵士がテントから飛び出してきた。上半身は白いタンクトップ、ヘルメットもない。その彼をキィンの銃撃が襲う。胸を撃たれ、血飛沫の中で兵士は崩れ落ちた。
カメラで見ながら、ルシルを顔を背けた。パニックにさせるだけだって言っていたのに……。しかし分かっていたような気がした。キィンならそうすると、半ば理解していた自分がいる。
それを見ていた三人からも、酷い……、と悲痛な声が上がった。
テントが燃え上がる。何かに引火したのだろう、大きな炎がテントを嘗めていく。その脇を通り過ぎ、僅かにハンドルを切ってその先にあるトラックを見据えた。
ギアを低速に入れ、ハンドルを固定し、レバーのグリップを握る。折り畳まれていたウォール・バンガーの長い腕が展開した。
前方にトラックが迫る。そのとき、リコットが叫んだ。
「テントから人が出てきました!」
「みんな、撃って!」
ルシルの合図で、三人が銃撃を開始する。まだ相手からの反撃はない。混乱しているのだろう。キィンが撃ち続けているのも振動からわかった。
トラックの前に停車すると、ハンドルからレバーに持ち替えた。ウォール・バンガーの左腕を振り上げ、運転席の上に落とす。鈍い大きな音を立てて、そこがグシャグシャにへこんだ。さらに右腕で横から殴る。それは狙い違わず、もう一台のトラックのフロントガラスを叩き怖し、内部をメチャメチャにした。
心配していたハンドルからレバーの持ち替え、同時の操作はスムーズだった。それがルシルの自信になった。
よし、大丈夫! ウォール・バンガーは手足のように動いている!
さらに先に進み、残りのトラックも同様に、ウォール・バンガーの両腕を使って運転席を潰していく。それは意外と呆気なく終わった。
間断なく銃撃は続いていた。時々、リコットが、ウッと顔を背ける。反撃にあったのではない。フラフラと出てきた兵士を撃ったのだ。
次は装甲車!
トラックの奥に並ぶ赤茶色の鉄の塊のような車は、
大きくハンドルを切って車体を旋回させる。狙い目は装甲車が並んで停まる、その隙間だ。
ガクンと機体が大きく揺れた。勢いに押され、装甲車が横腹を見せる。だがまだ倒れない。
ウォール・バンガーの両手で装甲車の上部を押し続ける。
早く、倒れろ!
ペダルを押し込み出力を上げていく。しかし装甲車はかなり重い。グラグラと大きく揺れるがなかなか倒れそうにない。ウォール・バンガーの腕で殴ってみても、ただ跳ね返されるばかりだった。
流石に堅い! でも早くしないと!
その時、遠くから銃声が聞こえた。カメラを振ると、小銃を持った兵士が数人、装備も整えないままに迫っていた。彼らの撃った弾丸がウォール・バンガーの装甲で跳ねた。
リコットたちが応戦する。しかしそれらはほとんどがキィンによって撃ち倒された。
「ルシル! 村人がいる!」
叫んだのはリコットだった。
視界を上げると立ち並ぶ建物から続々と人が出てくるのが見えた。この騒ぎに起きてきたのだろう。四、五歳くらいの子供の姿もあった。
その周辺で地面に土煙が幾つもの立ち上り、数人が倒れた。まさか、とルシルは愕然とした。キィンが構わず撃っているのだ。
「やめてぇ!」
リコットが叫ぶ。彼女は銃を放り出すと、ウォール・バンガーの扉を開けた。
「リコット! ダメよ!」
「今出ちゃ危ない!」
「お止しなさい!」
全員で叫ぶが、リコットの耳には入らなかった。彼女を捕まえようとしたシエラの腕をすり抜けるように、リコットは構わず飛び出していった。
「なんて方なの? わたくしたちまでやられますわ」
クロアが慌てて扉を閉める。
「シエラ、クロア! とにかく撃って! 二人を守らないと! あたしは装甲車に集中する!」
リコットのことが心配でたまらない。しかしここで逃げ出すわけにはいかない。
二人が銃で牽制する。薬莢がバラバラと床を埋めていく。
ルシルは目一杯、アクセルを踏み込んだ。そしてすくい上げるようにして、装甲車を一台、横倒しにする。
よし、やった! 次!
ウォール・バンガーの右腕を最大まで後ろに伸ばして、装甲車の運転席にぶつける。三台並んだその真ん中の装甲車は、押し倒すことは出来ない。正面から運転席を潰すのだ。
二度、三度と腕を叩きつけ、指を上手く操作して、運転席の装甲をグシャグシャにする。そこに指を突っ込んでかき乱す。何度もそれを繰り返し、中なから何かを引きずり出した。
それはハンドルだった。基部までごっそりともぎ取っていた。
「よし、これでいいわ! 後、一台! そっちはどうなっているの?」
二人は銃撃を続けていたが、それよりもリコットとキィンのほうが心配だ。
「出てくる兵士はだいたいやっつけてる! ってか、ほとんどがキィンが
「これではただ無差別に殺しているだけですわ!」
くっとルシルが歯噛みする。
リコットはどうしたの? 無事なの? とにかく最後の一台を破壊しないと!
ルシルはウォール・バンガーを少し下げ、三台目の足元に排土板をめり込ませた。ペダルを最大まで踏み込み、両腕で押し上げるようにして装甲車を揺さぶる。二台目で少し時間をとった。同じ方法ではダメだ。
「うおおっ!」
ルシルは気合を込めた。ウォール・バンガーが鈍く低い唸り声を上げて、ゆっくりと前に進む。
レバーにその感触がびりびりと伝わってくる。余りの重さに肩に痛みが走る。それでも構っていられない。
二人は銃撃を続け、銃座からの衝撃も伝わってくる。銃弾の跳ね返る甲高い音がずっと響いているが、キィンが撃っているなら、恐らくリコットもまだ生きているはずだと、ルシルは自分に言い聞かせた。。
リコット、キィン、無事でいて!
二人の身を案じながら、腕をいったん引き、そして突き上げるようにしてぶつけた。
その勢いが勝ったのか、装甲車はゆっくりと倒れていき、ルシルにその裏を見せた。
はあ、はあ、と大きく息をして、ルシルは終わったことを実感する。
「よし、やったわ! 全力で走るからみんな何かに掴まってて!」
ルシルはハンドルに持ち帰ると、アクセル・ペダルを全力で踏み込んだ。
お願い、リコット! キィン! 死なないで!
そう強く願いながら。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます