第三話 静かな初夜

「で、今後のことなんだけど」

 ルシルが切り出すと、全員が食事の手を止めた。唯一、乾パンをガリガリ噛んでいたローエだけが、ちらりと周囲に目をやっただけで、それを再開する。

「まだほとんど進んでないけど、走ってみてわかったわ。やっぱりぶっ続けで走るような強行軍はきつ過ぎる。あたしだけじゃなく、みんなの体力とか気力とか、これに乗っているだけで消耗は激しい。慣れれば何とかなるかなって思ってたけど……」

「そうですね、もう少し余裕を持って考えておかないと……楽な旅ではないですし……」

 各々が思い当たることがあるのだろう、全員が沈黙したがそれは肯定を意味していた。

「日暮れには停車場所を探して休む。そして夜が明けきる前には出発する。ハルミド到着には少し遅れるけど、夜中に走ってアンダー・コマンドに見つかったり墓穴に突っ込むよりはマシだわ」

「いいじゃん、それで」とキィンが言って、みんなが頷く。

「それとリコット、あなたにウォール・バンガーの運転を覚えてほしいの」

「わたしがですか?」

 リコットは驚いて周囲を見回した。全くの想定外だったのだろう。

「ええ、もしあたしに何かあった時……ウォール・バンガーを誰かが動かさないといけないでしょ?」

「何か……って、そんなこと……」

 俯いて唇を噛み締めるリコットの顔を覗き込む。その不安にかられた顔もまた愛おしい。それは裏返せばルシルへの想いの強さでもあるのだ。

「そんなに深刻に考えないで。お腹を壊したりとか筋肉痛とかお尻が痛くなるとか、そんな理由でちょっと替わってもらいたい時だってあるでしょ?」

 そ、そうですね、と言ったが、リコットはまだ俯いたままだ。

「そりゃ夜は寝るったって昼間ずっと走るのは辛いだろうさ。一刻も早くハルミドに行くなら、それで良じゃね? それに……」

 キィンは食事を終えて、両足を投げ出し、拳を振り上げるようにして体を反らせた。

「整備士なんだからビルド・ワーカーくらい動かせるだろ? なら簡単さ」

 軽く言うキィンにハッと顔を上げたリコットは、顔を強張らせてぶるっと震えた。

「そ、それは……動かすことは出来るけど……なんて言うか、怖いって言うか……」

「はあ? 何時も何時もあんだけ機械いじってるのに、何が怖いって?」

「ま、前に事故になりそうになって……だから、その……」

 んだよ、それ! とキィンが悪態をつく。ルシルはふと初めてウォール・バンガーを動かした時のことを思い出した。リコットが妙に嬉しがったのはそういう理由もあったからなのか。

「運転するだけよ。細かな作業は必要ないから。真っ直ぐ走って、障害物を避ける、それだけよ」

 そういうとリコットはようやく、うんと頷いた。

「どう見たって車に腕が生えただけのシロモノじゃないか。あんなの楽勝だって!」

「キィン、あなたもよ」

 あたいも? とキィンは意外そうな顔をした。

「ええ、あなたがこれの運転を覚えてくれたら、あたし達も楽になる。もちろんみんなが乗っている時は変なことはしないって条件でね」

「変なことってなにさ。まあ、いいや。でもあんたがそんなこと言うなんて思ってもみなかったな」

 ルシルは一瞬の間を置いて、そして静かに言い放った。

「欲しいんでしょ? このウォール・バンガー」

 完全な沈黙が、場を支配する。

「あげるわ。あたし達がハルミドに着いたら。そしたらこれに乗って好きにしたらいい。そのための運転よ」

 妙に長く感じられる沈黙の後、ごくりと唾を飲み込んで、キィンが聞く。

「い、いいのか?」

 それに被さるように、リコットも問うた。

「ル、ルシル、これを手放すの? どうして?」

 いいのよ、とルシルはそれだけ言ってリコットの疑問を遮った。

「シエラやクロアはどう? ウォール・バンガーを運転してみたい?」

 まさか、と言ったのはシエラだった。

「ローエの面倒を見なきゃならないし、ボクにはちょっと……出来そうにないな」

「わたくしも、そういうのはちょっと……」

 シエラとクロアが難色を示す。しかしそれはルシルの想像通りの答えだった。

「じゃあ、決まりね」

「ウォール・バンガーを……あたいが……」

 瞳が爛々と輝くキィンとは逆に深く沈んだリコットの表情が、ルシルの胸を強く締めつけた。



 眠るのはウォール・バンガーの胸の中、流石に全員が足を伸ばして横になるだけの広さはないが、それぞれが丸まってルシルはリコットと、シエラはローエの側で、キィンとクロアは少し隙間を空けて頭を外側に向けて眠る。サバイバル・キットの中にチャージ式ランタンがあったので常夜灯にして壁にかけた。そのうっすらとしたオレンジ色の灯がみんなの影を濃く映す。

 スペースがないのでスタンドライトは使えない。まだ走った時の熱と食事の温かさが体に残っていたが、夜中の冷えを考えて毛布を敷いてさらにもう一枚に包まるようにして眠る。意外とみんな直ぐに眠りについて、大小の寝息が響いてきた。

「どうしてあんなことを言ったんですか?」

 リコットが静かに聞いた。最初から寝ているとは思っていなかったのだろう、ルシルももちろん起きていた。

「ルシルはこのウォール・バンガーが大切じゃないんですか? あんな人にあげるだなんて……ちょっと信じられない」

 それには深い落胆が籠もっていた。だがルシルには想定内の言葉だった。

「あたしが大切なのはリコット、あなただけよ。元々、このウォール・バンガーはあたし達のものじゃない……持ち主が生きている可能性もあるし、こんな改造されてちゃ後々使えないし。それに」

 体を横に向ける。目の前にリコットの顔があった。熱い息が吹きかかった。

「あたしはこのウォール・バンガーで人を……殺してる。それに難民キャンプでも事件があったし……だからハルミドに行って、自由になりたい」

 そう言って、自由とは何か、とルシルは思った。戦争だから、酷い目にたくさんあったから、恐らく感覚が麻痺しているのだろう。だが時々、恐ろしくなる。ハルミドに辿り着いたとしても、その恐怖が消えるとは思えない。胸を押し潰すようにずっしりとのしかかる恐怖と焦燥。それに耐えられるのは偏にリコットのためだと思えばこそだ。

「そのためにキィンに?」

「そうよ。あの子の目的は分かりきってる。きっとリスタルに行って、このウォール・バンガーでアンダー・コマンドと戦いたいんでしょうね。そのためなら……これは想像でしかないんだけど……」

「ウォール・バンガーを奪うと? でもそれじゃあ運転なんか教えたら尚更……」

 だからよ、とルシルは言った。リコットはまだ納得いかない顔だった。

「これは保険みたいなものよ。ねえ、キィンが積み込んだ爆薬とかロケット弾のこと、覚えてる? あれはきっと同胞団が使うものよ。つまりあたし達は同胞団の武器を運ばされているの。あれが見つかったら大変よ? これ以上、難民キャンプの時のようなトラブルはゴメンだわ。だからハルミドまでって条件をつけて余り下手なことは出来ないように牽制したの。それで後でキィンがこれに乗っていってくれれば厄介払いになる。あたし達は関係ありませんって」

 少しの沈黙の後、リコットが口を開く。

「まさか……ルシルがそんなことを考えているだなんて。でも……そうですね。私の家は修理屋だから、物を大切にしなきゃって思うし扱ったものには愛着も沸くけど……まず自分達のことを考えなきゃならないんだわ」

「キィンに厄介事を押しつけてあたし達の身代わりにさせようだなんて、あたしも随分と汚いわよね」

 そんな! とリコットは少し声を強くした。周囲に響くギリギリの声量であった。

「ルシルはずっと私のことを考えてくれてる。それは分かってます。それにキィンは……あの人はちょっと……変です。危ないっていうか……わたしの常識にはない人で……」

 それはルシルも感じていた。今までにあったことのないくらい危険な人間だ。正直、一緒に連れて来たことに若干の後悔もある。他の少女たちも全く得体の知れない連中ばかりで、こんな大所帯でなければリコットと二人で気負わない旅になったかも知れない。

「一週間、さっき決めたペースで走れば早ければ一週間でハルミドに到着する。その間だけ我慢すればいいのよ」

「はい……」

 ルシルはリコットの頭を自分の二の腕に乗せ、その体の温かさを確かに感じながら、目を閉じた。

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