第四章 それぞれの想い、それぞれの願い
第一話 旅の仲間
小さな幾つかに目を瞑れば、旅立ちは順調と言えた。
ルシルがウォール・バンガーを運転し、残りの者が交代で周囲を警戒する。運転席を囲む装甲内から外には絶対に出ない。小さな覗き窓からの眺めは決して良くはないが、自分の体を晒す危険は犯せない。
二時間ほど走って最初の休憩をとる。もう後方にカメラを向けても難民キャンプは見えない。周囲に広がるのは荒涼とした錆色に朽ち果てたような寒々しい大地だけだ。それが見渡す限りに続く。
整地されてはいないが道は前後に真っ直ぐに伸びていた。長い間、何度も往復されて自然と踏み固められたのだ。イルダールが発展すれば舗装され交通網が敷かれるのだろうか。
大地はまっ平らではない。あちこちで窪みがあり巨石が転がり、低い丘がうねりを作っている。窪みの大半は“墓穴”だ。それは大小入り乱れて、通りすがりの獲物を待ち構える食虫植物のように口を空けている。ウォール・バンガーですら、大きな穴に落ちれば這い上がることは出来ないだろう。
以前に夜を明かした時と同じように、出来るだけ大きな岩の横に停車させる。擬装と呼ぶにはほど遠いが、ただポツンと停まっているよりかは幾分マシだ。
停まってしばらく動かずにじっと息を殺す。ここで早計に動けば何が起こるかわからない。十分ほどしてようやく大丈夫だろうと安堵する。
「何も音はしない、何か動くものは見える? そう、なら大丈夫そうね」
みんなの緊張が一気にほぐれる。扉のロックを解除すると、真っ先に開けたのはキィンだった。その後、我先にと外に向かった。
「ぶはぁっ、はぁ、はぁ、んだよ、この暑さと臭い! 吐き気が……目もなんかしばしばする……」
「ボクも……ダメだ、むせる……うえっ!」
「熱気とペンキと生臭さと……耐えられませんわ……」
三人が死に体で入り口から上半身を出して、思う存分外の空気を吸い込む。そこにローエが無理やり突入して、入り口は大渋滞だ。
「全く、緊張感がないんだから」
「でも当然ですよ。わたしも最初に乗った時はそうだったんだから」
全員で車体の上に出て深呼吸をする。その間もルシルはリコットと一緒に景色の中に違和感がないか目を凝らした。
その間にも徐々に回復した他の四人が背伸びをしたり首を回したりしてリラックスしていた。
ルシルはリコットの手を握って微笑みかけ、自分たちも楽にしようと誘った。余り気を張り詰めていては先が持たない。幸い、周囲に気になるものは何もない。
腰に手をやって上半身を反らせるルシルの頬を夕刻の冷たい風が撫でていった。直ぐに陽が落ちて辺りは真っ暗になるだろう。これから更に走るのか、それともここで休むのか、思案のしどころだ。難民キャンプから時速六十キロ近くで走って二時間、まだどれだけも進んでいない。
ルシルの横を、ローエの手を引いたシエラが通り抜ける。
「ねぇねぇ、しぃしぃ!」
「わかってるよ、早く行こう」
シエラは簡易トイレセットを手にしていた。これは薄いアルミのトランク・ケースのようなもので、中身は三つに折り畳んだ五十センチ四方の衝立と小さなスコップ《シャベル》、ビデ用洗浄スプレー、ウェット・ティッシュ。
イルダールのような開拓惑星では荒野の長時間の移動や労働現場の設備の問題で、特に女性には排泄の問題は常につきまとう。そこでちょっと離れた場所でスコップで穴を堀り、衝立で隠して用を足すのだ。後はそこを埋め戻せば良い。
入植者の多い辺境では設備が整うまで時間がかかるため、集落でも使われるのが仮設トイレだ。幸いイルダールは地下水が比較的出やすいため、電動ポンプと連動させた水洗トイレが一般的だ。流した排泄物はタンクに蓄えられた後、浄化されて地下のパイプから土中に染み込ませる。これには土壌改良の一面もあるが、それをよく「村の周囲が小便と糞臭い」「飲み水は小便が混じっている」などと自虐的なネタにされる。
「シエラさん、感心ですね。あんなに妹思いで」
どこか懐かしむような羨むような目で眺めるリコットがぽつりと言った。ルシルはそれに、そうね、と答えはしたものの、内心、シエラの熱心さに不穏なものを感じなくもなかった。
何時の間にか姿が見えなくなっていたクロアが、背伸びをしながら満足した顔で帰って来た。頬がやや紅潮して妙な色っぽさがあった。
「どこに行ってたの?」
「もちろん用を足しにですわ」
えっ? でもトイレセットは……と、リコットがシエラたちの方を指さす。
「ちょうど良い岩場の影を見つけましたの。順番待ちしたくはありませんから。よろしければ場所をお教え致しましてよ?」
けっこうよ、とルシルが首を振ると、クロエは涼しい顔で派手にロールした黒髪を整えた。所謂ゴシックロリータの真っ白い下地にヒラヒラした黒いレースの派手なドレスが、小柄ながらはち切れんばかりの彼女の体を窮屈に抑え込み、裾の広がったスカートから覗く膝から下の脛やローファーが如何にも場違いだった。
彼女が横を通り過ぎた時、ふと彼女の体から熱を帯びた汗と僅かな生臭さが鼻先を掠め、ルシルの嫌な記憶を刺激した。しかしそれはほんの一瞬でルシルは直ぐに、気のせいだ、と切り捨てた。
「キィンはどうしたのかな?」
リコットが彼女の姿を探す。その顔は心配というより不信感に溢れていた。何か余計なことをされたらたまらないといった風だ。
「彼女なら後ろの……銃座っていうの? あそこにいたよ? 銃を構えてニヤニヤしてた」
ローエの手を引いて戻ってきたシエラが答えた。ローエは顔をしわくちゃにしてグズグスと泣いていた。
「ったく、ひとりで何も出来ないのに、手伝おうとすると邪魔するんだ。お蔭で手こずったよ。全く……」
それを聞いてローエは獣のようにグルルッと歯を剥き出しにして唸った。
「ねえ、トイレくらい出来ないの?」
そうルシルが尋ねると、今度はシエラがキッと睨んだ。
「出来るわけないだろ! ご飯だって満足に食べられないんだから! 何を言っているかも何を考えているかもわからないんだ、ボクが世話をするしかないんだ!」
で、でも、とリコットが口を挟む。さっきはシエラの甲斐甲斐しい姿に感心していたが、今は大分様相が違う。
「わたしの近所にも少し……その……成長の遅れた子供がいたけど、頭ごなしに出来ないと決めつけるのは良くないし、時間をかけて練習させないと。特にトイレとか入浴は本人にとっても恥ずかしいことだから……尊厳? って言うの? そういうのをもっと……」
リコットは言葉を選びながら諭すように言う。リコットはこういうのは好きじゃないだろうな、とルシルは思った。しかしシエラはそれに反してまるで猛獣でも引きずっているかのように、ローエを強引に引き寄せた。
「尊厳って何さ? ローエに? はっ! じゃあ、一時間でもローエの世話をしてみろよ。ボクは丸一日ずっとこうなんだぞ? こんな言い方はしたくないけど、ローエのことを一番よくわかっているのはボクなんだ。連れてってもらえるのは感謝してるけど、ボクとローエのことは余り干渉しないで欲しいな」
ルシルとリコットは息を飲んだ。そこに巨大な岩盤が立ちはだかっているような拒絶感がシエラにあったからだ。
グルグル唸るローエを無理やり連れて行くシエラの後ろ姿を、ルシルは為す術なく見送った。
「その……事情は人それぞれ……だから」
リコットの言葉は自分を納得させているかのようだった。
もう消えてしまった二人の後ろ姿の残像にルシルがため息をついた、その時だった。
ドッドッドッという強い空気の振動が鼓膜を通して脳を揺さぶった。頭痛のような嫌悪感が全身を巡る。嫌な記憶と強い血の臭いが脳の中で再生される。
そこにリコットと一緒に向かった。それはウォール・バンガーの最後尾、不安定なゴンドラの上だった。そこに立っていたのはキィンだった。彼女は備えつけられた巨大な銃のレバーを握り銃身に顔を近づけて、熱を持っているのか揺らぐ空気を強く吸い込んでいた。それと同じだろう焦げ臭い火薬の臭いがこちらまで漂ってきてルシルは戦慄すら覚えた。
「何をしているの!」
振り向いたキィンの顔は紅潮し汗が頬を伝った。恍惚とした顔で目がギラリと輝いて興奮を隠さない。
「何? 試射だよ、試射。こんなゴツい銃、ちゃんと撃てるか確認しとかないと、いざって時に困るだろ?」
「いざって何? 戦わないって言ったでしょ!」
しかしキィンはふんっととぼけて見せた。
「こっちがそうでもあっちが見逃してくれるかどうか。前にも言ったけど、このウォール・バンガーは襲撃から逃れるように改造されてる。だから追手を撃退するにはこいつに馴れておかないとな」
「それはそうかも知れないけど、わざわざ敵を呼ぶようなことはしないで欲しいわ」
強く言うとキィンは頭を掻いて、わーったわーったと繰り返した。リコットが何か言おうとルシルに顔を寄せる。しかし言葉が発せられる前に、シエラとローエ、そしてクロアもそこに姿を見せた。
「どうしたの? 今の音は何?」
「いったい、何事ですの?」
ローエは怯えた顔で親指を吸っていた。
「何でもないわ。今日はもうここで休みよ。夕食の準備をして……それから今後の予定を立てないと。みんな手を貸してね。キィンもよ」
わーったよ、とキィンはふてくされた。ルシルはリコットと顔を見やってため息をついた。
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