第五話 プリ・ブリーフィング

「本気なの?」

 アミナは驚いて、手に持った固焼きパンを落としそうになった。

 朝の炊き出しが行われていて、ルシルたちはそこにいた。朝食は固焼きパンと野菜のスープ、マッシュポテト、炒り卵だった。マッシュポテトと卵は粉末のものだ。トレーに乗せられたそれらは量こそ少ないものの、意外と彩りや香りもよく、難民キャンプとは思えないものだった。

 先が二つに割れた細いフォークでマッシュポテトを口に運びながら、ルシルは頷いた。

「ええ、写真だけなら大丈夫だと思う。その新聞が配られる前にあたしたちは出発する」

 それを聞いてアミナは自分のトレーに視線を落とす。

 長く沈黙した後、あのね……と声を絞り出した。その上に、大きな妙に明るい声で、よう、と声がかかった。

 振り返るとティリダが手を振った。ルシルたちの近くに座って食事をパクつき始める。

「で? 答えは出たのか?」

「ええ、やるわ」

 ルシルが答えると、ティリダは少し意外そうな顔をした。

「へぇ、何かあったのか?」

「聞いてない? ウォール・バンガーの近くで女の子が殺されたって」

「ああ、少しだけは。でも別に君たちがったわけじゃないんだろ?」

 当たり前よ、ルシルは首を振る。

「昨日、帰ってから色々とあったの。もうここにはいられない。直ぐにでも出発したいけど、あたしたちが悪者にされたままじゃ、ちょっとやりきれない」

 わからないでもないが……と、ティリダは昨日とは打って変わってどこか乗り気ではない様子だった。

 しかしトレーを空にすると少し上目遣いに考えて、よし、と立ち上がった。

「君たちが決心してくれたなら急がなきゃな。直ぐに用意する。午前中に写真を送れば、明日の朝には号外が届く。君たちはウォール・バンガーで待っていてくれないか」

 写真を送る、ということはデータ通信をするのだろう。イルダールでは通信網が余り整備されておらず、設備も回線もテラリスに依存しなければならない。カード・モバイルとクラウドで当たり前に通話が出来るこのご時世において、イルダールはまだその数世紀前の世界だった。

 ティリダの持つ背後を訝しがりながら、わかったわ、とルシルも立ち上がった。



 ウォール・バンガーにはアミナもやってきていた。ルシルは彼女がどうしたいのか、わからなかった。一緒に来たいのならそれでもいいし、写真が嫌なら外れればいい。ただリコットはルシルとふたりだけでいることに拘っていて、キィンは元よりアミナが同行することにも難色を示していた。

 皆で車体の上で他愛のない話をしていると、三十分くらいしてティリダがやってきた。しかし人影はひとつではなかった。

「よっ、お待たせ!」

 陽気に手を振る彼の横で三人の少女がいた。

 腰が締まった黒いドレスで、胸の回りとスカートに派手なフリルのついた服、要するにゴシックロリータ、を着た化粧の濃い少女、黒髪は花のように派手にロールして後ろで結ばれ、勝気な感じの細い目と紫のアイシャドウ、赤いルージュ、背が低く童顔だが年齢はそれなり、という感じだった。

 さらに同じ白地に赤く大きな文字が書かれたTシャツと破れが目立つジーンズを履いた二人。彼女たちはよく似た顔だちをしていた。同じ栗毛色で、片方はポニーテールにし、もう片方は余り手入れをしていないのか、絡まった乱れた髪が伸ばし放題だった。幼い顔だがひとりはキリッとしてもうひとりを庇うように、もうひとりは親指を吸うようにしてもうひとりに体を寄せていた。Tシャツはかなり着込んであるのか、襟が切れてほつれ、全体的に薄くなっていてスポーツタイプのブラジャーが透けている。

「誰? あれ……」

 さあ、とリコットが首を振る。アミナも身を乗り出して、ティリダと少女たちを眺めた。

 ルシルたちは車体を降りると、ティリダたちと対峙した。

「紹介するよ、彼女はクロア、それにシエラとローエだ、二人は姉妹だよ」

 クロアと呼ばれたゴシックロリータ姿の彼女は、ふんっと鼻息をひとつ強くした。

「わたくしはクロア、リンデルール家の者よ。聞いたことはありまして?」

 ルシルたちは顔を見合わせた。アミナは首を振る。リコットは、どこかで聞いた気が……と首を傾げた。

「確か……テラリスを構成している企業体のひとつにそんな名前が……」

「あら、あなた、ご存じなのね。その通りよ。自分の家が開発に関わっているイルダールを巡っていたのだけど、運悪く戦争に巻き込まれてしまいましたの。お付きの者も全員失ってしまって。この方からあなた方がわたくしを安全なところに運んでくださると聞きましたの」

 そう言ってティリダを示す。彼は少しバツが悪そうに顔を背けた。

「どういうこと?」

「ま、まあ、仲間は多いほうが賑やかだし安心だろ? それにある程度人が揃っていたほうが写りがいいんだよ」

「ボクたちも安全なところに運んでくれるからって聞いたんだ。ボクはシエラ、このは妹のローエ、ローエは少し……その……ちょっと物分かりが悪いから……」

 そういうとローエはぶるっと震えてシエラの後ろに隠れてしまった。怯えたようにちゅうちゅうと親指を強く吸った。

「大丈夫、何も心配いらないよ、ボクが守るから。全部ボクに任せて」

 そんな二人の姿をみて、ルシルはため息をついた。リコットも少し不機嫌な顔をしていた。それはそうだ。自分たちが招いたわけでもないのにこんなに人が増えてしまったのだから。

「なんだよ、コイツら!」

 そこに聞き覚えのある大きな声が飛び込んできた。顔を向ける。そこにはハンド・リフトに大きな木箱を幾つか乗せて引っ張ってくるキィンの姿があった。

「戻ってきたの?」

 ルシルが聞くと、キィンはムッとした。

「連れていってくれるって約束したろ? それに事件があったことも聞いている。言っておくけど、あれは同胞団じゃないし、あたいだって何も知らないからな。その証拠といったら何だけど、あたいの仲間から支給品を貰ってきたんだ。使ってよ」

 木箱をポンポンと叩いてニッと笑う。しかし直ぐにその視線は鋭くなってティリダたちを射抜く。

「それよりもこれ、どういうこと? それにコイツ、まだいたの?」

 ティリダに敵意の籠もった人指し指を向ける。

 ルシルはまたため息をつくしかなかった。



「全員、乗せていくつもりなんですか?」

 リコットに聞かれて、ルシルはうーんと唸った。別に約束した覚えはない。しかし全員そのつもりでいるようだ。写真を撮ると決めたのはルシルだが、それに彼女たちを付き合わせたのはティリダである。ルシルがそのことに恩義を感じる必要はない。

「わたしはルシルと二人だけが良かったな。他の人がいると気を使うし……でもルシルはあの子たちを放っておけない。優しいから……」

「優しい? あたしが?」

 えっ? とリコットを見ると、リコットも不思議そうに見返した。

「そうですよ。だって初めて会った時だって、ずっとわたしを抱いて守ってくれたし。だからわたしはルシルに全部任せることが出来たの。ルシルがいてくれれば大丈夫だって」

 そんな、とルシルは少しうろたえた。リコットを守ったのは何か自分が役立っていると感じたからだ。つまり自己満足である。リコットの言葉は逆にそれを強く実感させた。優しいなどとは見当違いだ。

 むしろリコットを凌辱したアンダー・コマンドに対する憎しみは今でも全く消えてはいない。出来るだけ考えないようにはしているものの、何時またふつふつとドス黒いものが沸き上がってくるかわからない。それを押し止めているのは偏に嫌なことをフラッシュバックさせてリコットを悲しませたくないという一心からだ。

「ちょっと来てみなよ」

 キィンが声をかけてくる。ルシルとリコットは顔を見合わせ、彼女のところに向かった。

 二人が案内されたのはウォール・バンガーの後ろの車体、コンテナのさらに後方にある、不安定に取り付けられたゴンドラだった。そこは太い鉄の留め金ひとつで留まっている。上に乗るだけでも恐ろしい。

 しかしキィンはそこの上に巨大な鉄のパイプのようなものを取り付けていた。ひと目見てわかった。巨大な銃であった。縦に持つグリップが二つ、長方形の本体には横からベルトのようなものが伸びていて足元の箱に収まっていた。それは黄土色に鈍く輝く弾丸の帯びだった。箱は五箱あった。先端は長い穴が幾つも空いた銃身バレルがある。銃のことには疎いルシルにもそれが異様に物々しく感じられた。

「やっぱり思った通りだ。これは銃座だよ。あたいの仲間が持っていたのを貰ってきたんだ。どうだ? ぴったりだろ? 口径は約十三ミリ、一分間に百二十発、排熱も気にせずずっと撃ち続けられる。連射性能はともかく威力は抜群だ。あのスマート・タレットに匹敵する。当たれば人間なんてバラバラだ」

「どうするの、こんなものを取り付けて」

「こんなものはないだろ? 簡単にくれたわけじゃないんだぜ? それにここまで引き上げるのにどれだけ苦労したか」

 キィンの足元には重いものを引きずった擦り跡が幾つもあった。それを見てリコットが歯噛みする。

「これじゃあ、まるで本当にウォール・バンガーが戦闘用になったみたいだわ」

 戦闘用? ルシルの言葉にキィンが反応する。

「これが戦闘用だって? マジで言ってんの?」

 そうじゃないの? とリコットが聞き返す。

「はあ、これだから素人は。だいたいこのウォール・バンガーのどこに戦闘の要素があるって?」

「だって……運転席を囲む鉄板とか、その銃とか……」

 違う違う、とキィンが被りを振った。

「このウォール・バンガーの運用方法ってやつを考えてみなよ。銃火器は後ろにひとつしか積んでないし、でっかいコンテナはあるし、確かに運転席は鉄板で覆われてるけど、腕で敵を蹴散らすことも出来ないし」

「じゃあ、これは同胞団が戦闘用に改造したものじゃないのね?」

「あたいの見立てじゃ、これはテラリスに関係のあるブローカーが作ってたんだと思うね。セリセアとリスタルの結ぶ長いルートには輸送品を奪おうって奴らも多い。要するに強盗だ。車体を連結してトルクとスピードを増強してあるのは、そういう強盗の襲撃から逃れるためだ。後ろの銃座は追撃してくる強盗を撃退するため、だからひとつしかない。コンテナは貴金属とか稀少鉱物なんかを運ぶためだろう。戦闘用どころか戦闘から逃れるために改造されているんだよ」

 そう言われてルシルは納得した。前は乱戦の中に突入したので細長い腕も届いたが、銃撃戦でこのウォール・バンガーがどれほど役立つものだろうか。

「これで少しはサマになったってもんだ」

 キィンは満面の笑みで機関銃を撫でた。

「まだ他にもあるぜ」

 そう言ってキィンが下に降りる。そこにはまだ開けていない木箱が幾つかあった。

 三人の様子に気づいたのか、アミナとクロエ、シエラとローエもやってきた。

 みんなで木箱を取り囲む。キィンは得意気にその蓋をこじ開けた。

 中身を見てルシルたちは声にならない声を吐いた。それはため息でもあり悲鳴でもあった。

 入っていたのは大きな銃、アサルト・ライフルと呼ばれるアンダー・コマンドが使っているのと同様のもの、それと弾丸、だった。

 他にも四角い白色の粘土のようなものがぎっしりと詰まっていて、他の箱にはダーツの矢を数十倍に大きくしたようなもの、手榴弾などがあった。

「どうしたのこんなもの」

「仲間に譲ってもらったんだよ。難民キャンプは武器を持ち込めないから隠してあったんだ。これだけの量だと徒歩の連中には持っていけないし、これから突っ走るにしても襲われて反撃も出来ないなんて死に行くようなもんだよ」

 アサルト・ライフルは六丁あった。弾丸は箱に入っていて十箱以上、持ってみるとかなり重い。

「白い四角いのは爆薬だ。強力なやつ。そんでこっちがロケット弾。肩に乗せて狙って撃つんだ。使い捨てじゃないぜ? もっとも起爆装置も携行の発射器ランチャーもないから直ぐには使えないけどな。ライフルの弾はあたいがマガジンに詰めておくよ。これで準備は万端、どこからでもかかってこいってんだ!」

 山のような爆薬にロケット弾、使えないと聞いてもこれだけの量があると気持ちの良いものではない。恐らく同胞団だろう、何故このようなものを隠し持っていたのか。それを何故ルシルたちに渡すのか。

「言っておくけど、もしアンダー・コマンドと鉢合わせても戦いはしない、襲われたら逃げる、いい?」

 ルシルが釘を刺すと、キィンは、わかってるって、と返事をした。しかしそこに誠実さはなく、ルシルは不安になるばかりだった。

 その後しばらく、キィンは全員を集めてアサルト・ライフルの扱い方の講義を行った。思ったほど難しくはない。数発ほど試射をして感触も確かめてみる。ローエも触りたがったが、シエラが断固としてさせなかった。

 結局、中に積み込んだのはライフルとマガジンだけで、爆薬とロケット弾、手榴弾はコンテナの一番奥に放り込んだ。



 難民キャンプからの支給品を受け取ったルシルは、それらをウォール・バンガーの胴体の中に積み込んだ。そして着替えを始める。それはキィンが用意した褐色の迷彩服と黒いブーツで、ゴワゴワと肌触りが悪いわりに軽く暖かかった。予備を持ってきていたので、全員分あった。

 キィンは回りに気を使うわけでもなく当たり前のように裸になった。ショーツ一枚になった姿は全身が傷だらけで、一体何があったのだろうと気にせずにはいられなかった。上下から潰されたようなへしゃげた乳房を突き出すようにして、体を迷彩服に詰め込んだ。

 ルシルとリコットもそれに倣う。リコットの分は明らかにオーバーサイズで、やたらとブカブカして腕と脚の裾を三重に折ってようやくサイズを合わせた。ブーツをお蔭でリコットはようやく子供用のサンダルから解放されたが、それを大事に迷彩服の内側、腹のベルト付近に突っ込んだ。

「せっかくの頂き物だから」とリコットが微笑む。

 アミナとシエラも同じように着替えたが、ローエを着替えさせるのは一苦労だった。

「ほら、ボクが手伝ってあげるから。自分じゃなにも出来ないだろ? 全部、ボクに任せなって」

 シエラが親身になってローエを着替えさせようとするが、ローエはそれを拒み逃げ回った。

「そいつ何なのさ、頭イッちゃってるじゃん」

 キィンがイライラして言うと、シエラがキッと睨み返した。

「ローエのことを悪くいうな! 大切な妹なんだ!」

「大切かは知らないけど、よくそんなのが生きて来れたよな」

 吐き捨てるように言って、キィンは運転席から出ていった。

 シエラは、大丈夫だよ、と何度もローエに言い聞かせて、ウーウーと唸る彼女を着替えさせた。

 クロアは終始、迷彩服には難色を示し、こんなものに着替えるくらいなら裸でいるほうがマシですわ、と触ることもなかった。

 そんな服でいると目立つし危ないわ、とリコットが説得するが耳も貸さず、もうルシルたちは諦めることにした。



「これだけしかないわ……」

 支給品は少なかった。二週間分の食料という触れ込みで乾パンを四袋、缶詰を十個、ペットボトルの水を二十四本入りケース、五人以上のグループには缶入りインスタント・コーヒーが一缶、女性にはそれとは別に生理用品がつく。

 難民キャンプでは炊き出しは朝と夜しか行われないため、昼はそれで我慢しろということだ。もっとも今後の配給の見通しは立っておらず、難民キャンプの撤収時期や今後の安全な地域への移動を考えると、難民たちの間には不安の声ばかりが広がっていた。

 キィンが持ってきた木箱には真空パックされた加工肉や酢漬けのキャベツの缶詰などの他に替えの下着類も入っていた。さらに簡易トイレセットやチャージ式コンロの小型バッテリー《チャージャー》、軍手やビニールテープ、ロープなどもあった。ちょっとしたサバイバルに必要な品は一通り揃っている。しかし生活用品ともなると如何にも心許ない。

 特にリコットはナプキンを手にしてため息をついた。ひとり二袋、種類は選べない。

「いいわ、あたしのをあげる。多分、まだ来ないから。あなたは何時くらいから始まる?」

 ルシルが聞くとリコットの唇が途端に震えだした。俯いてその震えが全身に広がっていく。

「リコット?」

「……多分、昨日か一昨日……」

 え? とルシルが驚くと、リコットの瞳からぽろりと大粒の涙がこぼれ落ちた。

「わたし、今まで遅れたことないんです……。なのに……なのに……」

 それが意味することをルシルも理解して、背中に冷たいものが走った。

「リコット……大丈夫よ、色々と大変なことがあったんだから、生理くらい遅れるわよ」

「だと……いいんだけど……」

 ルシルの慰めはリコットにはどれほども届いていないようだった。

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