深山の霧原

 霊境崩壊だいれいさいから一夜明けた桜路町区。

 神主の静虎は霊魔から逃れた人々を保護すべく、櫻花神社の境内を避難所として開放した。

 御神木である彼岸桜の加護なのか神社の周辺区域は瘴気が薄く、霊障に耐性の無い者でも気分を悪くするくらいで生活に大きな支障は無かった。

 亜樹と設楽は瘴気から身を護ることのできる外套インバネスのお陰で、神社周辺にやって来る霊魔を祓ったり、避難を終えていない住民を保護したりと花守として出来るだけの務めを果たしていた。

 榎坂区えのざかくから使いの花守が来たのは二日目の事で、生存花守の点呼と現状報告、今後の方針などの報告の為に、上層部から花霞邸への招集が掛かったと報告を受けた。

 使いの花守の方が引き継ぎをしてくれると言うので、櫻花神社は彼らに任せて二人は花霞邸へと向かうのだった。

 榎坂区は霊魔の被害が少ないようで、桜路町区の被害が嘘のように思えるほど、人々は普段の生活を営んでいた。

 花霞邸の門番も花守の人で、すんなりと二人を通してくれた。

 屋敷の中には怪我をした者、悲しみに暮れる者、霊魔に奪われた区域の奪還に燃える者と、様々な想いで集まった花守達が集結していた。


「これで全員なのかな、生き残った花守は」


 設楽が見回す姿に倣って、亜樹も他の花守達を何気なく見回す。

 ふと。

 刀も持たず、ぽつりと椅子に座っている少女の姿が目に付いた。

 歳は亜樹と同じかそれより幼いぐらいか。眼鏡を掛けたその目は虚ろで、まるで生ける屍のように青褪めた顔をしていた。


「亜樹ちゃん、どうしたの?」


 よそ見をしている亜樹に設楽が声を掛けると、我に返って振り向いた。


「ん。ちょっと気になる娘が……居ない」


 目を離した隙に、少女は何処かへ行ってしまった様だった。

 もしかしたら、花霞邸の給仕だったのかも知れないと、亜樹は追いかけるまではしなかった。


「そっか。花霞邸に居るのなら花守だろう?いつか会えると思う。それより、そろそろ集会が始まるって……大広間に行こう」


 大広間に集まった花守の数は、それなりに多かったが、何回かに分かれて集まって居るらしく、壁には桜路町区、囲区、朝霞区管轄報告会と銘打った張り紙がしてあった。

 広間の上座には夕京五家と誉れ高く、その容姿も端麗な朝霞神鷹あさかじんようと、その隣には頭の切れそうな眼鏡の男が立っていた。


「誰、あの偉そうな感じの眼鏡」

「亜樹ちゃん、言い方!実際偉いんだよ」


 本人に聞こえたらどうするんだと、設楽は辺りを見回したが幸いこちらの声は届いて無かったようでホッとした。


「朝霞殿の隣に居るのは、囲麗華かこいれいか様の参謀の羽瀬様だよ。ちゃんと覚えて」

「そうなんだ」


 初めて羽瀬斎宮はぜいつきの存在を知る亜樹だった。

 朝霞神鷹の初めの挨拶の後、羽瀬が紙束を開いて声を上げた。


「皆様、お集まり頂きありがとうございます。第二十二代内閣総理大臣、南条志信なんじょうしのぶの言付けを私、羽瀬斎宮が代読致します。まず、勅令三五六號の発令と……」

 

 何だか難くて長くなりそうな話だと、亜樹は直感的に理解した。

 分からない所は設楽くんが聞いておいてれると勝手に解釈して、要点になりそうな所だけを集中して聞く。

 まず初めに、深山の花守達はほぼ全滅してしまった事。

 原因は不明だが、深山と迫間にある霊境が崩壊してしまったらしい事。

 そして丸奈川を挟んだ東側は勿論のこと、西側の幾つかの区も溢れ出た霊魔によって破棄を余儀なくされた事など。

 最後に桜路町区を対霊魔防衛最前線として定め、政府は内閣府を榎坂区に置く事にしなったと羽瀬は報告した。


「設楽くん。結局私達は何をしたら良いのかだけ教えて」

「え!?ちゃんと話を聞いてたんじゃないの!?」

「聞いたけど……情報が多すぎて」


 呆れ顔の設楽に、亜樹は首を横に振った。


「亜樹ちゃん……まぁ、いいや。結局の所、僕達に関しては今までと変わらず桜路町で霊魔を祓うことに専念するだけでいい」

「……分かった」

「ただ、防衛拠点として花路町区の配備が強化される。そして市外からの花守達にも集結を呼びかけたそうだよ」


 内閣府は移動しても運営する事ができるが、皇居にある社や神器は簡単に動かす事は出来ないし、寧ろ霊魔がそこまで侵攻しているという事実が絶望的な状況に置かれている事を再認識させた。


「桜路町区が防衛拠点の最前線になるなんてね……此処を凌がなければ夕京は、いや日ノ国は終わってしまうかもしれない」


 設楽の額から冷や汗が伝う。


「うん。頑張ろう」

「亜樹ちゃん……最近何か反応が変じゃない?大丈夫?」


 設楽の心配をよそに、亜樹は同じ桜路町区の神宮家当主である桜寿の姿を探した。

 桜寿の姿が何処にもいない事に気がついて、情報に詳しそうな羽瀬に尋ねる。


「羽瀬様、神宮……桜寿殿は、何処にいらっしゃいますか。もしかして、病院でしょうか?」

「あなたは櫻花神社の……いえ、神宮殿は病院には居りません」


 羽瀬は首を横に振る。


「霊魔との戦いにおいて、神宮殿はお亡くなりになりました」

「そんな。神宮殿には娘さんが……」


 絶句する亜樹。

 羽瀬はただ静かに、起こった出来事だけを淡々と伝えた。


「親族の方にはもうお伝えしてあります。刀霊の方も無事回収できたそうです。桜瀬さんは、桜路町の防衛の方に集中して下さって構いません」

「……分かりました、ありがとうございます」


 羽瀬に一礼すると、設楽のいる所へと戻ってきた亜樹は、眉を顰めながら呟いた。


「……感じわるい」

「え、亜樹ちゃん、何で怒ってんの?」


 急に不機嫌になって戻ってきた亜樹に、首を傾げる設楽だった。


 櫻花神社に二人が戻ってからも霊魔の侵攻は衰える事は無かったが、他の地区からの救援も増えたお陰で初顔の花守と顔を合わせる事が多くなった。

 設楽と亜樹も、別々に組んで行動する事が増え、巡回ですれ違った時に挨拶を交わす程度の忙しいお勤めを毎日過ごしていた。

 その日は偶然に一人で巡回をする事になり、亜樹は人気の無い裏路地から霊魔の気配を感じたので、警戒しながらその道を進んだ。

 薄暗い裏路地に入ったばかりで、視界が真っ暗のまま警戒して歩いていくと、不意に脇道から何かに腕を掴まれて引っ張られた。


「……っ!」

「ねぇ。何してるの君?」


 年は自分より上そうな男の影が二つ。


「夜間は外出禁止令が出ている筈です。あなた達こそ、何をしてるんですか」


 掴まれた腕を引き剥がそうとするが、若い男の力はそこそこ強くなかなか離してくれなかった。


「んんん?見てわかんないかな?君みたいな子が来ないか待ってたんだよ」


 ニヤリと笑う男。


「いや、まて……このお姉ちゃん、刀持ってないか?花守なのでは?」


 もう一人の男が、怖気づいたように震えて言った。


「はぁ?花守が怖くて女が口説けるかっての!ねぇ、ねぇ、お姉ちゃん。俺と一晩楽しんでみない?」

「お断りします。それより、早くここを離れて……霊魔が近くにいるから危ない」

「霊魔!?ひいい!」


 亜樹の言葉に、一人の男は震え上がって腰を抜かした。

 もう一人の男は、まだ腕を離そうとせずに壁に亜樹を押し付けて顔を近づけた。


「脅かそうってたって、駄目だよ。俺は霊魔なんて怖く……はぐあ!!!」


 掴んでる腕は離れて、男は何かに殴られて吹っ飛んだ。

 白い粒のような物が飛んだので、きっと歯が折れたかも知れない。

 腕が自由になった亜樹は、男を殴り飛ばした空間を刀霊【彼岸桜】を抜いて切り裂いた。

 吹き出す瘴気と、血飛沫。

 亜樹の顔に少しかかった血糊を見て、腰を抜かしていた男は這いずりながら逃げていった。


「あがが……かおが……おでの美しいかほが……」


 ふっ飛ばされて顔の腫れた男に、一応は手当をしようと刀を収めて近付いた。


「ひぃいい!ゆるじで!」


 血糊のついた亜樹の顔に怯え、這って逃げた男を追って、殴られた男も蹌踉よろめきながら逃げてゆく。

 瘴気も晴れ、誰も居なくなった裏路地はとても静かになった。

 折角手当をしようと出した手拭いをじっと見つめ、亜樹は仕方がないので顔を拭く事にした。


「すみません、霊魔を見かけませんでしたか?このあたりに瘴気が漂っていたので」


 後ろから掛かる声に、亜樹は振り向いた。

 よたよたと太刀を抱えて近寄って来る少女。

 何となく場違いな雰囲気に、亜樹の方が少し驚いた。


「霊魔は祓ったから、もうこの辺りは平気……あなた、花守なの?」


 言ってから失礼な事を聞いてしまったなと、はっとするものの、眼鏡をかけた少女は意に介した様子もなく、ぺこりとお辞儀をした。


「はい。まだ花守を勤めて間もないので、右も左も分からぬ有様ですが、宜しくお願いいたします。深山の……霧原灯花と申します」

「深山の……」


 華奢な感じの彼女ではあるが、深山の大霊災を生き延びたと言う事は、実は凄腕の花守なのだろうかと不思議そうに見詰めた。


「私は桜路町の桜瀬と申します。こちらこそ、よろしくです

ですね、同じ位の歳の花守のかたに出会えて嬉しいです」


 朗らかに笑う霧原。

 その顔を亜樹は花霞邸でも見かけた様な気もしたが、あまりにも雰囲気が違ったので、人違いだと思うことにした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る