第108話 お礼

 完全に日が落ちたマーリエの村に、いくつものテントが張られていた。僕は音もなくそのテント群へと近づいていく。目的はシアンと一対一で会う事。そのため他の騎士に気づかれないよう、完全に気配を消して歩いていた。

 まさか自分の意志で駄犬に会いに行く日が来るなんて夢にも思わなかった。ちなみに、ファルはベアトリスに会いに行っている。ファラもそうだが、どうにも彼女に憧れを抱いているらしい。確かに、戦闘力の高さもさることながら、仕事の早さ、容姿、性格、家柄、どこを切り取っても非の打ち所がないからね。しいて残念なところを上げるとしたら、あいつの部下だっていう事くらいかな?


 そんな事を考えていたら目的のテントにたどり着いた。だが、人のいる気配が全くしない。少し逡巡した後、意を決してテントの入口を開けてみても中はもぬけの殻だった。

 不審に思っていると、僅かに魔力の動きを感じ、顔を上げる。これは……誘ってるね。はぁ、本当に気が進まない。

 とは言っても、ここまで来て引き返すわけにもいかず、僕は気配を消したまま魔力の出所へと足を進める。テントから少し離れた木の家の裏に、腕を組みながらそいつは寄りかかっていた。


「……明日は悪い奴らを退治しに行くから部下達をゆっくり休ませてやりたくてな。ここでなら相手になってやるぞ?」

「今回は喧嘩を売りに来たわけじゃないよ……今回はね」

「なら何をしに来たというんだ?」


 少しだけ顔を動かし、シアンが僕の方を見やる。僕はゆっくりと息を吐き出してから、その視線を見返した。


「お礼を言いに来たんだ」

「……ほう?」


 僕の言葉に、奴が興味深げな表情を向けてくる。


「ドブガラスが誰かに感謝できるとは驚きだ。これは明日は雨が……いや、季節的に雲一つない青空が広がりそうだな」

「相変わらず嫌味しか言えないみたいだね。円滑なコミュニケーションをとる方法を優秀な部下から学んだ方がいいよ」

「なんだ? やっぱり喧嘩を売りにきたのか?」


 シアンがからかうような口調で言ってきた。ぐっ……今回ばかりは売り言葉に買い言葉ではダメだ。この男に助けられたのは事実なんだから。


「……ヴォルフの事、他の騎士達に言わないでくれてありがとう。それと明日の山賊退治の件も」

「…………ふん」


 僕ができるだけ無感情かつ早口で言うと、シアンはつまらなさそうに鼻を鳴らす。第六騎士団が山賊退治に出るのは明日の朝……ということは、夜中のうちは一切手出しをしないという事。つまり、僕達に時間の猶予を与えてくれたというわけだ。


「勘違いするなよ? 別に貴様のためじゃない。貴様の仲間に借りができたから、それを返したに過ぎない」

「借り?」

「あぁ、さっき言っただろ? あの男がうちの部隊を壊滅させた、と」


 それは聞いた。そもそも、それがあったせいで王都から第六騎士団がこっちに来ることになったんでしょ。でも、借りっていうのはどういうことだ?


「今回もそうだが、貴様の仲間は俺の部下達を奇麗に気絶させたんだ。多少の外傷はあるものの、後遺症となり得るものは一つとしてない」


 ……なるほど、そういうことね。山賊相手に戦って無傷で済めばいいが、そう甘いものでもない。鎧で守られているとはいえ、身体の一部を欠損したり最悪死に至る事だってあり得る。それを避けるためヴォルフは自ら騎士団を相手取り、無力化したという事か。恐らく、最初に騎士と遭遇したのは彼の想定外の事だったんだろう。


「奴が山賊の味方をする理由は?」

「それを知るためにヴォルフを追っているんだよ」


 僕がうんざりした口調で答える。シアンはヴォルフが過去に'金狼'と呼ばれる山賊だったことは知らない。それならば余計な情報を与える必要はないだろう。事実、僕もさっきまでは理由なんてわからなかったし。今は……心当たりがあるけど。


「正直なところ理由などどうでもいいのだがな。奴が山賊の肩を持ったことには変わりない」

「……そう言われるとぐうの音も出ないな」


 いかなる理由があろうと女王の命でもない限り、国に仕える者が山賊を助けるなんてあってはならない。元山賊を国に仕える者として雇ったことが大概なんだけどね。


「ちゃんと尻拭いはしろ。部下の不始末は上に立つ者の責任だ」

「別にヴォルフは僕の部下ってわけじゃないよ。零騎士に上下関係はないからね。……まぁ、やる人がいないから僕がまとめ役をやっているけどね」

「同じことだろ? 普段、筆頭と持てはやされているのだから、それくらいの事はしてもらわないと困る」

「……お前に言われなくてもわかってるよ」


 僕が顔をしかめて言うと、シアンは小馬鹿にしたように笑い、話は終わりだと言わんばかりにスタスタと自分のテントの方へと歩いていった。やっぱりあいつに助けられることだけはあってはならない。ストレスで胃がやられるかと思った。

 僕は気を取り直し、待ち合わせ場所へと移動する。一足先に着いていたらしく、そこにはファルが上機嫌な様子で立っていた。


「ちゃんとお礼言えた?」

「もちろん。最高に楽しい時間だったよ」


 ぶっきらぼうな口調で言うと、ファルがくすくすと笑う。本当に機嫌がよさそうだ。こんなファルは久しぶりに見る。


「そっちも楽しい時間を過ごしたようだね?」

「うん! ベアっちに色々と話を聞いてもらったんだ! いいアドバイスももらっちゃった!!」


 ふむ、ベアトリスと会話ができたのはファルにいい影響を与えたようだ。こういう場合は異性の僕や同性でも双子の姉であるファラよりも、零騎士とは違う立場にいて見識のある年上の女性の方が頼りやすいのかもしれない。

 少しだけ安堵しながら僕は笑顔のファルに微笑を向ける。


「そうなんだ。どんなアドバイス?」

「『ファルさんを悩ませるような男には、一発どぎついのをお見舞いするのがいいですよ』って!」


 ファルがブンブンと腕を振り回しながら、ニカッと白い歯を見せた。結構過激なアドバイスをするのね。こりゃ、僕が落とし前をつける前にヴォルフの命は風前のともしびかもしれないな。


「それじゃ駄犬がくれた時間も少ないし、さっさと行こうか」

「うん!」


 体内に取り込んだヴォルフの魔力を元に僕が駆け出すと、ファルもそれに続いた。

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