第4章 騒がしい時間 前編
藤野遼二は自宅に戻ると、乱雑にリビングの扉を開けそのままテーブルに突っ伏した。そして、何度もテーブルに頭をぶつける。
遼二はゲームからログアウトした時部屋を見まわすと、他の三つの筐体はまだ稼働していた。遼二はそそくさとその場を後にしていたのだった。
「何……やっている……」
少し遅れて帰ってきた藤野由梨花は唖然としながら遼二を見ていた。その声も遼二には届いていなかった。遼二はなおもテーブルに頭を打ち付け続けていた。
(何があったか知らないけど、重症ね……)
小さくため息をつくと、由梨花は遼二の横に座った。
「俺、何やっているんだろ……」
誰に言うわけでもなく遼二は呟いていた。
「何があった。ゲームの中で何かあった?」
由梨花は遼二に聞いていた。
「和幸は好き勝手に暴れているだけ。他の二人も片方は適当にやってるし、もう片方は俺に当ててくる。そんなのと一緒には無理だ」
遼二はスマートフォンを出し、アプリを起動させた。そこには、戦闘の記録が事細かに記録されていた。
「これを見てくれ。いろいろ言いたいけど、最高にくそったれな戦績だ。あそこまで味方に当てるか、普通。効率が悪すぎるんだよ」
憮然としながら遼二は言った。由梨花は遼二の端末を手に取り、そしてじっくりと見る。遼二は首をかしげながらその様子を見守っていた。
「なるほど……和幸さんが前で暴れて、梓さんは遥さんにいいところを見せたく、遥さんは遼二に梓さんを取られたくないと」
「待った。遥のそのくだりまで説明した覚えはないし、てか、そうなのか?」
遼二は驚きながら由梨花を見つめた。由梨花は頷いている。
「ええ。梓さんのお母様は私の後輩で、遥さんのお父様は私の元夫」
由梨花の口から衝撃的な言葉が聞こえた。一瞬遼二の頭が真っ白になる。
「バツイチなのは知っていたけど、そんなところでつながっていたのか……」
苦笑しながら遼二は呟いていた。
「遼二、もう少し言い方を考えて!」
由梨花は叫んでいた。あまりの剣幕に、遼二は浮かしていた腰を下ろす。そして、遼二は額を抑えた。気まずい沈黙が流れた。
「で……父さんとは結局何なんだ? 俺が生まれる前に再婚していたんだろ。」
「ふふっ、聞きたい」
恐る恐る聞いた遼二に、由梨花は笑みを浮かべた。
「長そうになるから、寝るぞ」
遼二は立ち上がった。その遼二の肩を、由梨花は抑え座らせる。
「聞きたい、私と光彦さんの恋愛話を」
「ふざけろ! もう聞き飽きた。帰ってきたとき、たいていその話から始まってるだろ。別れた後、さんざん慰めてもらってアタックしたらいい感じになったとかそんなのもう聞きたくない」
遼二は必死に由梨花の手を振り払おうとしたが、由梨花の力は思った以上に強かった。しばらくしたのち諦めたのか遼二は椅子に座りなおす。
由梨花ののろけ話はかなりの時間続いた。げっそりとした遼二はテーブルに突っ伏す。
「今日の夜ご飯は、カレーだ」
「あっ、はい。もう何でもいいです……」
楽しそうに言う由梨花に、遼二は言い返す気力を完全になくしていた。ほどなくして、遼二の前に湯気を立てるカレーが置かれる。
「で……遼二はどうしたい?」
出し抜けに由梨花が聞いていた。遼二はすぐに返事をすることができなかった。再び気まずい沈黙が覆った。ため息をつき遼二はスプーンを置いた。その時、スマートフォンが鳴った。遼二はちらりと由梨花を見た。由梨花は小さく頷いていた。遼二はスマートフォンを見た。テスターをしているゲームの掲示板にメッセージが入っていた。梓からだった。
『さっきはゴメンね! 遥にはきつく言っとくから、連絡してね!』
遼二は複雑な笑みを浮かべた。そして、由梨花に向きなおる。
「俺は……その、人付き合いがあまりうまいほうじゃないし、友達だって多くない。でも……正直言って同じ目的持っていろいろやるのは嫌いじゃない。ただ……やり方がわからないんだ。ずっと一人でやってきたから」
それを聞いた由梨花は立ち上がった。
「遼二、出かけよう」
「出かけるって……どこに?」
首をかしげながら遼二は聞いていた。由梨花は唇に人差し指を当てていた。
買い物かごに、次々と食材が入れられていく。その様子を遼二はげんなりしながら眺めていた。由梨花は鼻歌を歌いながらスーパーマーケットの店内を歩いていく。
「えっと……母さん?」
戸惑いながら遼二は由梨花に言った。由梨花は笑みを浮かべるだけだった。
「こうして買い物するのも久しぶりだ」
「いやあの、そうじゃなくて」
楽しそうにしている由梨花に遼二は困惑しながらも、どこか穏やかな表情を浮かべていた。遼二はちらりと買い物かごを見た。中のものは、明らかに二人分よりも多かった。
「こんなに買って何するんだ? それに、またしばらく帰ってこないだろ。俺だけじゃ食べきれないんだけど」
「そう。これは四人分の食材。明日から、みんなを呼んで家で泊りがけで親睦を深めてもらいます」
遼二は、由梨花が言っていることがわからなかった。だが、すぐに由梨花の言いたいことが理解できた。
「なんでそうなるんだ!」
遼二は叫んでいた。何事かと周りの客の視線が遼二に向けられる。
「でも、仲良くなりたい。だったら、この方法が一番手っ取り早い。それに……私は昔この方法で仲直りをしたことがある」
由梨花の口調は、有無を言わせないものだった。遼二はその剣幕に押される。だが、遼二には強い懸念があった。
「俺は遥に嫌われているみたいだし、和幸と梓は俺でもわかるぐらい仲が良くない。バーチャルの中だと目的が一緒だからやっていけるけど、目的がないんだったら一緒にできないと思う」
「だからこそ。一緒に過ごすと案外仲良くなる。だまされたと思って一度やってみたらどう?」
なおも遼二は抗弁したが、由梨花は全く聞いていなかった。遼二は大きくため息をついていた。
翌日、遼二の家に梓達三人は来ていた。玄関に集まった時点でギスギスした雰囲気が辺りを覆っていた。にらみ合う梓と和幸に、遼二に露骨に敵意を含んだ視線の遥。遼二は何もしていないにもかかわらず疲れ切った表情になった。
「せっかく来たんだから、ゆっくりしていってくれ」
呟くように遼二は言った。一斉に梓達の視線が集まる。
「なるほど……勝手に帰ったのによく言いますね」
和幸が抗議の声を上げた。遼二はそれに無反応だった。遼二の様子に和幸は首をかしげる。そして、和幸がさらに何かを言おうとした時だった。
「ここが遼二の家? てか、この高そうな写真立てに入っているのって……」
梓が写真立てに気づいた。そして、遼二に視線を戻す。
「ああ……それは母さんがレバノンだったっけ? で買ってきたやつで……結構高かったらしいから触らないでくれないか。昔、倒してひどい目にあったことが……」
「その写真立てきれいなの~~。あたしにも見せて」
遥が駆け寄ろうとした。そして、遥は足元に置いてあった彼女の荷物に躓く。
「わっ!?」
転びそうになった遥は、とっさに靴箱に手をついた。靴箱が激しく揺れる。靴箱が揺れた拍子に、写真立てが靴箱から落ちた。
「待て待て待て待て待て待て!」
叫びながら遼二は写真立てに手を伸ばした。写真立てにはかろうじて手が届いた。遼二は安どのため息をつく。そして、注意深く写真立てを見た。傷はついてはいなかった。
「いや……本当にこれだけは勘弁してくれ……本当に傷でもつけたら、母さんに殺される」
遼二は写真立てを抱き、辺りを見回しながら小さな声で言った。一瞬遥に嫌な笑みが浮かんだ。それを梓は見逃さなかった。
「遥。よその家でおいたしたら、座れなくなるまでお仕置きするわよ?」
梓に言われ、遥は小さな悲鳴を上げた。慌てて遥は写真立てに伸ばそうとした手を引っ込める。梓はそれを見て、眉をひそめた。
「本当に、何しようとしていたのかしらね……」
「いや……お仕置きって何するつもりなんだ……」
小さくため息をつく梓に、遼二はひきつった表情で聞いていた。梓は片目をつぶり、笑みを浮かべるだけだった。遼二と梓の雰囲気に何かを察した遥だったが、何かをする前に梓と目が合った。とたんに遥は視線を逸らす。
「遥、先に上がってて。後、余計な事したらわかってるわね?」
梓は遥に向かい言った。遥は何度も頷くとローファーを脱ぎ奥へと入っていった。
「本当に、一晩やっていけるのか……?」
遼二は不安だった。そして、先ほどから何も話していない和幸を探した。遼二は下を見た。和幸の靴がすでに置いてあった。
「なじみすぎなの……何回もここにきてるの?」
リビングから遥の声がした。遼二と梓はリビングへと向かう。リビングにあるソファーで和幸は、横になりスマートフォンを眺めていた。
「ああ。先に上がってます」
「一応ここは人の家なんだ。もう少しそういう意識を持ってくれないか」
あたかも自分の家のようにくつろぐ和幸に、遼二は眉をひそめながら言った。だが、和幸はそこから動こうとはしなかった。遼二も慣れているのか、気にすることなくキッチンに向かって行った。それを見て梓と遥が目を見張った。
「お兄ちゃんがお料理するの!? お湯入れて終わり、とかじゃないよね」
「いや……さすがにそれはない」
遥が叫んでいた。遼二は苦笑しながら返していた。遼二はキッチンに行くと、慣れた手つきで準備を始める。
「何か嫌いなものとかあるか?」
思い出したように遼二は梓と遥に聞いていた。
「ピーマンは絶対やめて! あと……カレーもあんまり好きじゃないの」
遥が強い口調で告げた。あまりの剣幕に遼二は驚きながら頷く。
「いや……カレーは昨日食べたばっかりだし、ピーマンは……抜くか。抜いても死ぬことないし。梓は何かないのか?」
「あたしは特にないわね。でも遥、ピーマンは食べれるようになりなさいよ」
遼二へ返していた梓は、視線を遥に移した。遥は強く首を振った。
「嫌なの! お姉ちゃんの頼みでも、それだけは聞けないの!」
「それだけ? ふ~ん」
声を荒げた遥に、梓は嫌な笑みを浮かべた。そして、遼二の右腕を取り、起伏の全く見られない胸に当てる。遥は目を見開いた。
「なっ……!」
「遥、これならどうかしら? ピーマン食べる? それともこのまま?」
にやにやしながら梓は遥を見た。遥はわなわなと体を震わせる。
「なあ……こうなるって知っててやってるんだろ?」
ひやひやしながら遼二は梓と遥を見比べた。梓は気にすることなく遼二に体を寄せている。遼二と梓の距離が近づくたびに遥の眉間にしわが寄る。
「夕食はまだですか? 遊んでいないで早く作ってくれないか」
スマートフォンをいじりながら和幸が言った。
「お前は見ていないで止めろ!」
遼二は和幸に向かい叫んでいた。和幸から返事は返ってこなかった。
「やっぱり信じられないわね……」
梓はだれに言うわけでもなく呟いていた。それほどにまで遼二の手つきは手慣れていたからだった。梓は小さくため息をついていた。
「親がほとんど家にいないから、いやでも慣れるんだ。家事は分担制だし」
聞こえていたのか、遼二が返していた。遼二は和幸に視線を送る。和幸は無言で頷いていた。
「さあ、完成だ」
遼二は料理を見ながら言った。テーブルにはサンドイッチとシーフードピラフ、フライドチキンに中華風の和え物、フルーツポンチが並べられていた。
「まあ、味についてはそっちで判断してくれ。あと、絶対米とパンがどっちがいいかって、もめるやつらがいるから、どっちとも作ったぞ」
遼二は小さく笑みを浮かべた。
「でもあたし、ご飯もパンもそんなに好きじゃないかもなの」
頬を膨らませながら遥が言った。それを聞くと遼二はキッチンに戻った。
「大丈夫だ。ラーメンもうどんもそばも焼きそばもある。好きなの選んでくれ」
遼二は遥の前にカップ麺を並べた。そして、遥の取り皿を取り上げた。
「冗談なの! ごめんなさいなの!」
慌てて遥は謝っていた。遼二はそれを聞くとどこか満足そうに遥の取り皿を元に戻した。
「じゃあ、ゆっくり食べててくれ」
遼二が言うのを待っていたかのように、梓達は目の前の料理を食べ始めた。
(うん。やっぱりおいしい。僕ほどじゃないけど)
(ふ~ん、遼二って、こんな表情もするのね)
(そっかそっか。お姉ちゃんをこんな風に篭絡するの)
普段通りの和幸と意外そうな表情をする梓。そして、完全に誤解している遥。遼二はそれを気にすることなく紅茶を飲んでいた。
「まあ……色々話したいし、言いたいこともあるかもしれないけどとりあえず食べてからな。あと、ピーマン刻んで入れているとかそういうこともしていないから」
遼二は遥に視線を移した。遥は心底安心しているように見えた。
食事が終わるとリビングの空気がどこか重く、張り詰めたものになった。遼二は彼以外の三人を見回した。
「じゃあそろそろ、本番だな」
遼二の言う本番が何を指しているかを梓達は十分理解していた。
「そうね。決めとこうかしら、いろいろと」
梓からも表情が消えた。
「とりあえず前衛の二人がバラバラに動きすぎている。だから俺が残って後衛を防ぐはずなんだけどなぜか俺に向かって鉛玉が飛んでくることが多々あるんだ。まず、それについて話し合おうか?」
遼二は端末を開いた。そして、その中からいくつかの情報が書かれた紙を印刷した。
「このグラフが梓と和幸の倒した数。突出しているだろ」
遼二に言われ、梓と和幸は当然だといわんばかりに頷いていた。それを確認すると遼二は続ける。
「で、ここにもう一枚あるんだ。こっちには、モンスターの後逸率とか半端ない。特に、戦っていた相手を倒し終わったら、すぐに次の相手に行くのはよくない。味方が戦っているモンスターにとどめを刺してから行くべきだ。それに、経験値は全員に入るし、素材はもっともダメージを与えたプレイヤーがとることになっている。まあ、全部のダメージ記録しているみたいだから、ダメージを与えた割合で素材を完全に再分配できる。だから、無理に斬って撃破数増やす必要はどこにもないんだ」
「待って。それじゃあ、斬るってことは無駄になるのですか。それから、とどめじゃなくて最も多くダメージを与えたプレイヤーがとるってことは……」
まくしたてる和幸に対し、遼二は首を横に振った。
「極端な話、ダメージ与えさせただけで最後に火事場泥棒をするってことがシステム上できないんだ。ダメージを50パーセント以上与えて撃破すればカウントがつく」
ここで遼二はいったん言葉を切った。そして、梓と和幸の顔を見比べる。
「だから、無理に競う必要なんてないんだ。このゲーム、こういうところはしっかりしているから。それでも、無理な戦い方を続ける理由は?」
和幸の表情には不満が強く浮かんでいた。梓も和幸ほどではないが不服そうにしている。
「遼二はわかっているだろ? 僕がこのゲームに参加した理由が」
「知っている。だからこそ勝ちたいんだ。お前は勝ちたくないのか」
遼二は和幸に迫った。だが、和幸からは予想外の言葉が返ってきた。
「それを、遼二が言う資格はあるのですか」
和幸に言われ、遼二は口をつぐんだ。
「それは……いや、誰かが言わないといけないだろ」
「ものはいいようなの」
言い返そうとした遼二を遥が制していた。気まずい沈黙が流れる。
「……じゃあ、あのままいっていて勝つ見込みはあったのか」
絞り出すような声で遼二が言った。今度は、和幸が黙る番だった。和幸達も、薄々ではあるが勝てないということをどこかでわかっていたのかもしれない。そんなことを遼二は感じ始めていた。
「勝つ見込みがあったのと勝ちたいのかそれはどうなんだ?」
遼二は聞いていた。返事は返ってこなかった。
「勝ちたいけど、見込みはない。そうなんだろ」
再び返事は返ってこなかった。だが、それがすべてを物語っていた。
「図星だな。分かっているんだろ。ほとんど詰んでるってことが」
「詰んでないよ。まだあたしはやれる」
梓が強い口調で反論していた。それに対し遼二は首を振っていた。
「秩序だった集団に一人で挑んで勝つつもりか? パーティーで何度挑んでも勝てなかった相手に、一人で挑んでどうするつもりだ。勝てるわけがない」
梓は黙らざるを得なかった。
「とにかく、勝ちたかったら組織立って動くことだな。勝ちたいんだったら、な」
和幸はスマートフォンを見つめ続けていた。そして、大きくため息をつくとスマートフォンをテーブルに置いた。和幸の眼前では、遥が頭を使いすぎたのかテーブルに突っ伏していた。
「大丈夫ですか?」
苦笑しながら和幸は遥に声をかけていた。遥は首を横に振っていた。
「お兄ちゃん……、何か飲むものないの……出来たら甘いやつが欲しいよぉ」
ハイライトの死んだ目で遥は遼二に声をかけた。
「コーヒー紅茶ココア。それ以外は今切れているぞ」
洗い物をしながら遼二は返していた。
「じゃあ、ココアがいいの」
遥は笑みを浮かべた。一瞬和幸の目が見開いた。それを見た遼二は首をかしげる。
「台所借りるね~」
嬉しそうに遥はキッチンへと駆け寄った。入れ違いに遼二がテーブルへとくる。遼二はスマートフォンを開いた。
「和幸、昔からそうだったよな。アクションは得意だったけど、RPGはからっきしだった。人の動かし方は全く知らなかった」
「……言わないでほしいな。やっと、気にするようになったのですから」
笑みを浮かべ話しかけた遼二に和幸は目をそらした。
「で、結局どうなんだ。できそうなのか?」
和幸は一息つくと首を横に振った。
「だろうな」
遼二の返事は短かった。遼二が何か言おうとした時だった。
「うわわ! どいてどいて!」
遥の叫び声が聞こえた。遼二が何かをする前に、上から茶色い液体が降ってきた。
「冷たっ! って甘!? えっ……なに……これ……ココアか?」
「あうう~~ごめんね~~!」
遥の謝罪を聞きながら遼二は、タオルを出そうとした。だが、タオルはそこにはなかった。遼二は小さく舌打ちすると、浴室へと向かった。
「お兄ちゃん待って! 今そこは……」
遥が何かを言ってきたが、今の遼二には聞こえていなかった。
「タオルタオル……くそっ……においが移る……!」
ブツブツ呟きながら遼二は、脱衣室の扉を開けた。それと同時に浴室の扉が開いた。
「えっ……?」
「あっ」
浴室から梓が出てきた。真っ白でスレンダーな体、ほんのりと筋肉の乗ったすらりと伸びた手、絶妙なバランスで脂ののった足。その体は、タオルなどでは隠されてはいなかった。遼二が覚えていたのはそこまでであった。
リビングへと通じる扉が開いた。和幸と遥の視線が向けられる。
「遼二倒れちゃったけど、どうしよう?」
遼二を抱えた梓が入ってきた。
「お姉ちゃん……人の家で、そんな格好するのやめてほしいの……」
梓の上半身は首からタオルをかけているのみだった。それでいて、梓の表情に恥じらいの色は浮かんでいなかった。梓は小首をかしげていた。
「なんで? 気にすることないじゃない。あたしは気にしていないんだから」
平然としている梓に和幸は何度も目を瞬かせていた。
「えっと……その……遥?」
「お姉ちゃんね……色々見られても平気なの。あたしがいくら言っても、見られて困るようなスタイルじゃないからって家の中だと服あんまり着ないの……」
和幸に言われ、遥はあきれながら答えていた。その口ぶりから、梓がこのようなことをするのは昨日今日からの事ではないということがはっきりと見て取れた。和幸は何と答えればいいのかわからなかった。
「お姉ちゃん! ここ、あたし達のところじゃないからちゃんと服着るの!」
それを聞いて梓は小さくため息をついた。そして、遼二をソファーに寝かせると元来た道を引き返していた。
遼二に頭に柔らかい感覚があった。徐々に開けてくる視界の中遼二はそんなことを感じていた。
「何が……起きたんだ……。って……頭の後ろが……柔らかい……」
遼二は目を開けた。それと同時に梓と目が合った。
「大丈夫?」
心配そうに梓が聞いてきた。遼二は頷くがその瞬間、再び柔らかい感覚が頭に当たった。
「お兄ちゃん、そろそろどいてくれるかな?」
笑顔は浮かべているが、怒気を隠そうとしない声で遥が言った。遼二は目を右にやった。梓の膝が見えた。今度は遼二は左に目をやった。梓の引き締まったウエストが見えた。遼二は起き上がり、今まで頭を置いていた場所を見た。そこには、梓の真っ白な太ももがあった。遼二は視線を上げた。梓の上半身は彼女の絶壁な胸を強調するチューブブラしか身に着けていなかった。その瞬間、遼二は再び意識を手放していた。
「面白~い!」
梓は歓声を上げた。その両目は、新しいおもちゃを与えられた子供のように輝いていた。それと同時に、遥の額に嫌な汗が流れた。
「お姉……ちゃん……」
遥は助けを求めるように和幸へと視線を移した。和幸は気まずそうに眼をそらした。
「ねえ、和幸。これってどういうことなの?」
弾んだ声で梓は和幸に尋ねていた。和幸は遼二を見た。遼二の意識は相変わらず霧散したままだった。
「遼二は……異性に弱いのです。それも、とても」
「そっか……そうなんだ……」
梓の笑みが深くなった。梓は意識が飛んでいる遼二の頭を平坦な胸に抱きよせた。
「女の子苦手なの、あたしと一緒に治そうね」
嬉しそうに梓は言った。和幸はひきつった笑みを浮かべると、遼二に同情していた。
翌朝、梓は嬉しそうに朝食を食べていた。遥は梓とは対照的に無表情で梓の膝の上に座りパンをかじっている。遥は視線を上げた。その先には、げっそりとした遼二の姿があった。遼二と遥の目が合った。遥はキッと遼二をにらみつけた。遼二はさすがに何が原因なのかわかっているのか、視線をそらした。梓はそれを見て首をかしげた。両耳のイヤリングが揺れる。
「うん……今日もコーヒーがおいしいですね。さすがは遼二だ」
和幸は人ごとのようにコーヒーを飲んでいた。
「和幸……あのこと、言ったな」
遼二に聞かれ、一瞬和幸は何のことかわからなかった。だが、すぐに和幸は悟った。
「いや……ほら、パーティーの間に隠し事は不要だと思いましたから。それに……たぶん勘の強いタイプだから、すぐにばれると思う」
和幸の回答を聞き、遼二は頭を押さえた。そして、梓へと顔を向ける。だが、梓と視線が合う前に遥が遼二と梓を遮った。
「遥。頭が邪魔で遼二が見えないんだけど」
梓が遥に声をかけた。遥は梓をまっすぐと見据えた。あまりの視線の強さに、梓は思わず口をつぐんだ。
「お姉ちゃんはずるいの」
遥が唇を尖らせながら梓に言った。梓は何度も目を瞬かせた。
「あたしがいるのに何で? お姉ちゃんはあたしだけ見てればいいの。なのに……」
頬を膨らませながら遥は梓に抗議していた。梓は額を抑えた。
「ねえ、遥。あたしはね誰のものにもなるつもりはないわよ、今のところは」
今のところは、という言葉に遥は引っかかったが、とりあえずは納得した。不承不承といった表情で遥は、梓の膝の上から降りた。それを見ると、梓は遥を抱きしめ頭を撫でる。その途端、遥の表情がだらしないものになった。遥はたっぷりと梓の感触を味わったのち、名残惜しそうに離れる。それを確認すると遼二は話し出した。
「で、前衛は絶対に敵を後ろにそらさない。そらしたならば俺が止める。それから、後衛は基本的に前衛と戦っているオークを狙う。こっちはこっちで何とかするから何があっても前衛と戦っているやつを狙ってくれ。それから、アイテム係もする。食料袋は絶対に落とさせないから安心してほしい」
遼二の言い方に、梓も和幸も遥も納得しているようではなかった。だが、遼二のやり方が少なくとも悪いものではないということも分かっていた。
「いいな。今言った通りに動いてくれ。勝ちたいんだったらな」
言い残すと遼二は立ち上がった。
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