第2章 バーチャル世界のリアルな世界 前編

「すご~~い!」

 本部を出た大江遥の第一声はそれだった。そして彼女は、本部の前にある公園に歩み寄る。きれいな花が花壇に咲き見られており、背の高い樹が木陰を提供していた。

「でも、ちょっと暑いの」

 苦笑しながら遥は言った。

「そうかしら? あたしはちょうどいい感じだけど」

 笑みを浮かべながら一ノ瀬梓が言った。

「そりゃ、お姉ちゃんと違ってあたしはあんまり肌出したくないの」

 遥は頬を膨らませた。それを聞くと梓の顔に悪い笑みが浮かぶ。

「じゃあ遥、脱ごっか」

 遥の目が点になった。その遥をしり目に、梓は両手をワキワキさせながら遥に迫った。だが、それは最後まで行われなかった。

「そろそろ真面目にやりましょうか」

 笑みを浮かべた二宮和幸の刀が梓の後頭部に押し付けられた。

「む~~いいところだったのに……」

 不承不承といった様子で梓は手を引っ込めた。その様子を見て藤野遼二はため息をついた。そして、もう一度自らの装備を見た。

「布の服に初心者の剣。で、最低限の回復装備……」

 遼二は端末と周りを見た。にらみ合っている梓と和幸にそれを止めている遥。ただし遼二に向かっては遥は敵意をはらんだ視線を飛ばしてくる。

「いい加減に買い物に行くぞ」

 遼二に言われ、梓達はようやく動く気になった。遼二は懐から一枚の金貨を取り出した。それを見つけた梓が不満の声を上げる。

「本当に、これ一枚って冗談ないわよ」

 金貨を見ながら遼二は考え込んでいた。そして、辺りを見回す。一軒の建物が彼の目に飛び込んできた。遼二はそこに向かって走り出す。

「おい、どこいくんだ?」

 慌てて和幸は遼二の後を追った。梓と遥は互いの顔を見合わせた。遥の頬がとろけるように緩む。その遥を愛おしそうに梓は抱きしめた。

「それじゃ、あたし達も行こっか」

 遥は嬉しそうに、だが、どこか心残りがあるようにうなづいていた。


 BANKと書かれた建物の前に遼二達はいた。

「お前、それ持ってかちこむのですか?」

 遼二の腰に携えられた剣を見ながら和幸が言った。

「黙ってろ。てか、ここにも警察組織みたいなのがあるだろ」

 遼二が反論した時だった。

「たっ、助けてくれ!」

 悲鳴が上がった。遼二達は叫び声がした方向を見る。やはりBANKと書かれた馬車が、男達に襲われていた。

「おらおら! 馬車の金全部、ここに置いていけ!」

「この世界にも強盗っているんだねえ」

 感慨深そうに和幸は声を上げた。

「こんな世界だから、だ。RPGで犯罪がらみのイベントが少ないのはおかしい」

 遼二がまじめに返していた。また出たよ、とばかりに和幸は肩をすくめる。

「助けなきゃ!」

 遥が叫んだ。ただしそれは、純粋に助けなければという感情のみがこもっていないようにも聞こえた。梓は小さくうなづいた。

「ああ、また襲われているんだ」

 聞き覚えのない声が聞こえてきた。遼二達は声がした方へと振り向く。銀行の中から出てきた恰幅のよさそうな男の声だった。

「いや、あんたの銀行のだろ、あれ」

 馬車を指さしながら遼二が言った。男は頷く。

「放っておけばいいよ。すぐに助けがやってくる」

助けについて遼二が聞こうとした時だった。翼が羽ばたく音が聞こえた。遼二達は空を見る。数羽の白い鳥が空を舞っていた。鳥達の足には、例外なく水かきがついている。

「まさか……まさか、あれは……」

 うわごとを言うように遥が声を上げた。そうしているうちに、鳥達は馬車の前に降り立った。

「そこまでダック!」

「アヒルさんだ~~!」

 遥は目を輝かせながら叫んだ。

「アヒルって確か、空を飛べないはずじゃ……」

 戸惑いながら梓が言った。

「まあ……ここはゲームの世界だから……」

 遼二は苦笑していた。

「彼らが来たから大丈夫だ。さあ、うちの銀行に、何か用かな」

 男が声をかけてきた。

「大丈夫ですか、あれ」

 不安と不審が入り混じった視線を和幸は男に向けた。

「ああ、大丈夫だ。彼らはとても、強いからね」

 そういわれ遼二達は馬車に視線を戻した。


 数羽のアヒルが羽をはばたかせながら男達を威嚇している。

「現金輸送車の強奪は、極めて重要な犯罪ダック」

「なんだ、てめえら! 引っ込んでろ、焼き鳥にするぞ、こらあ!」

 男達がアヒルに向かって怒声を吐く。アヒル達はそれにひるまなかった。

「あんまりおいたが過ぎると、お仕置きするダックよ」

 それを聞いた男達から嘲笑が漏れる。

「聞いたか、お前ら。こんなアヒル風情が、俺達にケンカ売ってるぜ」

 先頭にいた男に至っては、アヒル達を指さして笑い出した。だが、男達が笑っていられたのはそこまでだった。アヒルのうちの一羽が口から白い霧を男に向かい吐き出した。一瞬で男が白い霧に包まれる。霧が晴れると、男は骨と化していた。他の強盗達はもとより、周りにいたテスター達が凍り付く。

「すごぉ~い!」

 唯一テスター達の中では遥のみが歓声を上げた。

「もう怒ったダック! 降参すれば優しくしようと思ったけど、絶対に許さないダック!」

 アヒルのうちの一羽が怒声を発した。それが合図だったかのように、他のアヒル達が一斉に襲い掛かった。


「いらっしゃいませ。お口座の開設ですか、端末と口座との連動ですか、それとも、両替ですか」

 受付嬢の明るい声がした。

「とりあえず全部で」

 どこか疲れ切ったように遼二は返していた。そして、窓口の脇に置かれていた紙を取り、和幸達に渡した。

「口座に現金入れられて、端末が財布になって、両替もできるって」

 両替、という言葉を聞いて、和幸達は首をかしげた。

「一ゴールドは、一万コインに当たるんだ」

 紙を見ながら遼二が言った。和幸達は食い入るように遼二から渡された紙を見る。

「ホントだ……」

 梓の声が漏れた。

「お客様、あの……顔色が少し悪いようですが」

 受付嬢が声をかけてきた。遥を除く三人の顔色は確かに悪かった。

「まあ……いろいろありましたので……」

 苦笑しながら和幸が返していた。そして彼は、先ほどのことを思い出す。


 それは、まさしく蹂躙だった。ある男は、アヒルの口から吐かれた高熱火炎により焼かれ、ある男はアヒルの目から出された破壊光線で吹き飛ばされる。ある男は果敢にも剣でアヒルに立ち向かったが、アヒルの羽により剣を断ち切られ、そのまま男も倒れる。

「ひっ……!」

 頭目と思しき男は逃げ出した。だが、それはかなわなかった。追撃したアヒルのくちばしが、男の背中に刺さる。重厚なプレートアーマーが簡単に貫通された。男は倒れる。そして。アヒルは男の上に乗ると胸をくちばしでめった突きにした。男が動かなるのを確認するとアヒルは、辺りを見回した。立っているのは、仲間のアヒルのみだった。それを互いに確認すると。アヒル達は飛び立っていった。

「さようなら~~!」

 遥はアヒル達に向かい、手を振っていた。

「絶対あれだ……ここで犯罪が起きない理由が、分かった気がする……」

 げんなりとしながら遼二は呟いていた。そのつぶやきが聞こえたのか、和幸も首を縦に振る。

「そうですね……」

 和幸は視線を遼二から遥へと移した。遥は相変わらず手を振り続けている。そして、何かを思い出したかのようにハッとなった。

「アヒルさん、抱っこしていない!」

 それを聞いて遼二達は思わず転びそうになった。

「遥……口から人間溶かす溶解液吐くようなアヒルがかわいいの……?」

「かわいいよ。だって、アヒルさんだよ」

 制した梓に対し、基本的には梓の言うことに異論をはさまないはずの遥が反論していた。

「いや、あれは……普通のアヒルじゃなくて」

「でも、悪いことしなければ大丈夫でしょ」

 なおも梓は食い下がろうとしたが、遥の一言であきらめざるを得なかった。


 銀行の受付で手続きをしている梓は、先ほどのやり取りを思い出して小さくため息をついた。

(遥があたしの言うことに反論するようになったのはいいんだけど……よりによってこんなこととはね……)

 梓は悟られないように遼二と和幸を見た。相変わらずの表情がそこにあった。遼二は無表情で、和幸には笑みが張り付いていた。

(まあ……別にいいんだけどね)

 無意識のうちに梓はそんなことを考えていた。

「ここって」

 考えごとをしていた梓の耳に、遼二の声が入ってきた。

「死んだらどうなるんだ?」

 それを聞いた瞬間、和幸達に緊張の表情が走った。

「それは、僕よりお前が知ってるんじゃないのですか」

 和幸の疑問はもっともだった。だが、遼二は首を横に振った。

「何も聞いていないんだ。母さんに聞いても、秘密です、の一点張りだった」

「ってことは、本当に死ぬことはないみたいなの」

 遥が会話に入ってきた。彼女は強い視線を遼二に向ける。

「たぶん、な」

 遼二の回答はどこか自信のないものだった。


 本部と呼ばれる建物はその名に恥じないものだった。RPGの世界ではほとんど見られない高層の建物で、エントランスや中庭を完備していた。その屋上庭園に遼二達四人はやってきていた。彼らの他にも、何人かのテスターの姿がある。

「いい眺めだな。屋根に準備中って文字が、わざわざ書いていなかったらだけど」

 遼二は眼下の景色を見ながら呟いていた。

「で、さっきの話の続きだけど、死んだらどうなるんだ? さすがにここから飛び降りたら死ぬだろ。アクションゲームとかだと高い所から落ちたら死ぬのは定番だし」

 遼二はちらりと視線を和幸に向けた。

「最初に断わっておきますけど、絶対に飛び降りませんからね」

 意味ありげな遼二の視線に、何かを悟った和幸が返していた。遼二は肩をすくめていた。

「で、話は変わるけど、死んだらどうなると思う? 最近やってるオープンワールドのゲームだと、死んだ場所でアイテムと装備品全部落として、何かのアイテム置いたリスポーン地点に戻るってことになっているけど」

 遼二の回答を聞き、和幸は考えるそぶりをした。

「昔やってたRPGだと所持金が半分になっていましたね」

「あったあった。懐かしいな。それされたら本当にシャレにならないとこになるけどな」

 昔していたゲームの事を思い出しながら遼二は笑みを浮かべていた。そして、梓と遥の方へと振り返った。

「来てみろよ。結構いい眺めだぞ」

 遼二に言われ、遥は早歩きで屋上の端へと歩み寄った。

「遥! 危ないわよ。そんなに急いじゃ……」

 遥の動きを見て、梓が注意した。だが、その注意が終わらないうちに遥は置かれていた遼二達の荷物に躓いた。

「はにゃ!?」

 奇妙な悲鳴を上げて、転んだ遥の先には遼二と和幸がいた。遼二と和幸が屋上のきわから押し出される。

「「えっ」」

 遼二と和幸の声が重なった。それが、遼二と和幸が覚えていた最後の光景だった。

「ああああああああ!」

 遥の本当の悲鳴が聞こえた。梓は慌てて遥に歩み寄る。

「大丈夫!? ってこっちは大丈夫じゃない!」

 遥は大丈夫そうであったが、遼二と和幸は屋上から落ちていた。梓は屋上の端から下をのぞき込む。

(っ……! 何も見えない!)

 眼下には、何もなかった。梓は何かないかと端末を取り出す。端末には、パーティー仲間の位置が示される機能があった。そして、その位置を見て梓は首をかしげた。

「これって確か……」

 何かを思い出した梓は、なおも呆然としている遥に歩み寄った。そして、有無を言わさず彼女の手を取ると歩き出していた。


 梓が向かった先は、宿屋で彼女達に充てられた部屋の前だった。梓はノックもせずそこを開ける。

「やあ、お帰りなさい。どうやら、宿屋のベッドがリスポーン地点になっているみたいですね。最後に使ったベッドがリスポーン地点になるかもしれないけど」

 視線の先には、苦笑する和幸の姿があった。

「資金半減。もっていた僅かな食料すべてロスト……」

 和幸のそばにはうわごとを呟く遼二の姿があった。ステータスの履歴に死亡がカウントされていた。

「なあ、俺って……どうすればいい?」

 放心したように遼二は言った。梓はそれを聞いて苦笑していた。


 遼二は無表情だったが、怒っているということはよくわかった。原因を作った遥は、さすがにどこか申し訳なさそうにしていた。

「で、これからどうするんですか」

 気まずい雰囲気を察した和幸が聞いていた。

「とりあえず、物資を整えなおしてそれから本部に戻って依頼を受ける」

 遼二の口調は普段と全く変わらなかったが、それが逆に怖かった。

「和幸……遼二って……」

 遼二に聞かれないように梓が和幸に聞いていた。

「うん。前も言いましたけど、RPGはめちゃくちゃやりこんでいたから。こういうのに結構うるさくて」

 和幸に言われ、梓は遥を見た。

「あたし悪くないもん……あんななところに荷物おいているのが悪いの……」

「遥~~。戻ってきなさ~~い」

 遥は遼二と梓和幸から目をそらしながら責任がないとブツブツ言っていた。それを見て梓はため息をつく。

「とにかく、死んでも本当の意味で死なないってことはわかった。でも、食料全ロスっていったいどういうことなんだ?」

 端末を見ながら遼二は呟いていた。

「これは推測だけど……」

 遼二の視線が遥に移った。どこかハイライトの死んだ目で遼二は遥を見た。一瞬遥はひるんだが、すぐに遼二を見返した。

「意外に度胸があるといいいますかなんというか」

 感心したように和幸が言った。

「ここに出てくるモンスターってなんでも食べるかもしれないの……」

「確かにそうだな、遥。……それはありえなくないな」

 遼二と遥の会話を聞いていた梓と和幸は、ひきつった笑みを浮かべながら首を横に振っていた。

「いや、人間の食べ物を食べるモンスターって多くないですよ」

 和幸は信じられないといったように声を上げた。

「じゃあ、何で豚の餌に残飯が出てくるんだ。カラスがごみをついばむ理由は? ほかにもいくらでもあるだろ」

 遼二の反論に和幸は口をつぐんだ。そして、遼二は再び遥に視線を戻す。

「復活した時に所持金が半額になっている理由は?」

 遼二の口調は、どこか遥を試すようなものだった。

「たぶん、復活の費用? みたいなものなの。口座に入れている分まで減るかはわからないけどたぶんそうなの」

 遥の回答に遼二は二度三度頷いていた。その様子から、遼二が少しは落ち着いていっていることを和幸は悟った。

「じゃあ、買い物に行こうか」

 遼二は梓達に向かって言い放った。梓達は頷いていた。


「武器に防具に道具に消耗品。それから……飲食店に本屋。後は……」

 端末を見ながら和幸は呟いていた。

「本当にいろいろあるんだな」

 感心したように遼二は言った。少し遅れている梓と遥は服屋に飾られている服を熱心に見ている。

「やっぱり暖色系がいいかしら、これからの季節は」

「でもお姉ちゃん。いろいろ言ってるけど、冬でも着てるのそれなの」

 遥は梓の露出過多な服を指さしながら言った。それを聞き梓は首を横に振る。

「おしゃれなんてあたしの柄じゃないわよ。それに、あたしはこの格好に、命かけてんの!」

 宣言している梓を遥は苦笑しながら見ていた。

「こうしていて見ている分には、普通だよな」

 遼二は和幸に耳打ちしていた。

「そうですね……って、冬でもあの服は……」

 和幸は梓を見た。梓がその視線に気づく。

「どしたの?」

「いや……ひょっとして、冬でもそれですか?」

 和幸が聞いていた。梓は当然とばかりに頷く。

「そうよ。寒いのは……まあ、慣れたわね」

 和幸は何も言い返せなかった。そして、助けを求めるように遼二を見る。

「そろそろ行くぞ」

 遼二も察したのか話題を変えていた。

「何から行くの?」

 遥が聞いていた。遼二は端末を見ながら考える。

「まず、武器と防具、それが終わったら道具と消耗品。それで資金はなくなるはずだ」

「えっ……? 他に何も買えないの!?」

 梓が驚いた声を上げた。

「他ってなんだ?」

 首をかしげながら遼二が聞いていた。

「服とかアクセとか、他にもいろいろあるでしょ。その辺にいくらでも売ってるわよ!」

「買えません、悪しからず。って、おしゃれに興味ないんじゃなかったのか」

 抗議した梓を遼二は問答無用で黙らせていた。

「あたしはいいけど、遥はおしゃれしたいのよ。だから、あたしが教えないといけないの」

 梓は遼二を指さし言った。

「そういうのは、自分の所持金で何とかしてくれ。パーティーの中で貸し借りするのは任せるけど、パーティーの外で貸し借りしたら俺は知らないからな」

 その梓を、無視しながら遼二は制していた。

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