第5話 定野の字
「お前どうだい、テストの方は」
「ばっちりだよ」
「まあお前はそうなんだろうけどさ、こちとら参ったよ。中間テストの時と同じパターンで来ると思ってたから数学の勉強時間が足りなくって」
期末テストは一日目が社会、数学、理科。二日目が英語、国語となってる。この内中間テストの時と日程が同じなのは社会だけだ。そのせいか、上田を始め中間テストと全然順番が違うじゃねえかって文句をこぼした奴の多いこと多いこと。
同じパターンを続けてその時だけに合わせるような姑息な真似をして来るのを避けるためにやってるんだろうけど、とにかくこっちとしては正々堂々と立ち向かうしかない。
「何事も最初が肝心だからな、まず社会科始め!」
試験が始まった。ふんふんなるほど、全部やった所じゃないか。じっくり思い出しつつ、ひとつひとつマス目を埋めて行く。最後の長文問題に少してこずった気もするが、時間を十五分余す事に成功した。
それで念には念を入れてチェックしてみたが、ああいけねえ見落としがあった!あわてて鉛筆を動かし答えを記し、残り時間との戦いを再開する。
「そこまでだ」
終了の合図と共に俺は鉛筆を置く。もう大丈夫だよなと伸びをして視線を動かすと、いつもの明るさのない上田の顔と何事もないかのようにテスト用紙を前に回す定野の姿がはっきりと見えた。
学生にとっての一大行事のはずだってのに、まあ冷静沈着だな。もっとも冷静でも点が取れなきゃ意味がねえけど、おそらくは高い点を取るんだろうな。負けてらんねえぜ。そして数学も理科も、同じ調子で進んだ。定野はやっぱりいつも通りだ、まったくいつも通りだ。
「ああ俺6割行ってるかな、行けてると思いたいんだけどな……なあお前どうだった」
「やれるだけの事はやったつもりだよ」
上田がこうして嘆きっぱなしなのと比べるとまあ好対照だ。そして普段より早い放課後にはクラスの半分ぐらいが上田と同じ調子で、残る半分があの問題はどうだったと言う話になっている。
俺は後者ではあるが、進んで話に加わってる訳じゃねえ。聞かれたから適当に答えてるだけだ。その時あって思う事も少なくねえ、多分正解を書いたよなと思いながら話を合わせたり、ああしまったと素直にため息をついたりする。
とにかくまだ二つもあるんだから気を付けないとダメだ、勝負はこれからなんだよ。と自分への励ましを込めて声を上げてみる。そして定野はと言うと、いつの間にか消えていた。確かに終わったならいつまでも教室にいる理由もねえが、だからと言ってあまりにもせかせかしすぎじゃねえか?
「なあ上田、お前は学校が好きか?」
「まあな、どっちでもねえな。お前はどうなんだよ」
「俺もどっちでもねえ。とにかくだ、明日は頑張ろうぜお互い」
「おうよ」
学校が好きか―――そう簡単に言っちまったが○○は好きだが××は嫌い、って言う理屈で総合的にまとめていくとどうなるんだろうか。俺は今の所学校生活にマイナス要素はあまり感じていない。プラス要素もあまり感じてないので、とりあえずは好きでも嫌いでもないでいいんだろう。上田の場合はどっちでもねえと言っても好き嫌いがはっきりしてそうな気もするが、それでもトータルで考えればプラマイゼロなんだろう。
それで定野はどうなんだろうか。あんなにせっせか帰って行く辺り、嫌いなのかもしれねえ。それにしてはサッカー部の活動とかずいぶん精力的にやってるらしいが、あるいはサッカーは好きだが授業は嫌いなんだろうか。じゃ成績がいいのは何だという話にもなって来るが、授業が嫌いでも成績のいい奴っているだろうしな。
まあ今は目の前のテストだ、国語と英語の勉強もしなきゃならねえ。帰宅した俺は英単語と漢字の書き取りに勤める。まあ今更やっても付け焼き刃でしかねえがやらねえよりいいだろう。とりあえず漢字と英単語の書き取りぐらいはしておく。ひとつ覚えるごとに賢くなれる気がする、上田だってタイムが1秒早くなるごとに快感を覚えてるらしい。やっぱりそういう気持ちを持つって事は重要だよな。
とにかく二日目のテスト、英語と国語。ったく、付け焼き刃ってのも侮れないもんだよな。昨日適当にやっただけの英単語がぴったり出て来るんでやんの。あまりにもすらすら行くもんだから100点とか言う欲望を思わず持ちたくなった、小学生ならともかく中学生になってから100点だなんて一生レベルの自慢だよな。
しかしそんな事を考えちゃいけねえとばかりにあわてて右頬をつねったもんだから、多分先生に怪訝な顔をされていただろう。たかが夜の八時まで追い込みをかけていただけで眠いと思われるのはしゃくだが仕方がねえか。こういう時、定野はどうしてるんだろう。
「授業中とか眠くなって仕方がない時、お前どうしてるんだ?」
「他の事を考えればいい」
英語のテストが終わった後、上田が俺の真似事でもしたのか知らねえけどどこで買ったのかわからねえ小さなメモ帳にその疑問を書いてよこしたら、定野はすぐさま返答を書いて来た。
素晴らしいね、俺だって眠くなることはあるのに。でも実際さ、どうしても集中しなきゃいけねえ時に限ってやって来るあの睡魔とかって化け物は本当に厄介だ。まあそういう時には考えを反らすとかして眠気から逃げるしかねえ、なるほどごもっともなお話だ。にしても、なぜこれまで他の誰にもなーんにも答えなかった定野の奴が急に返事をして来たんだか。
ああいけねえ、テストだテスト!
ある意味上田と定野に邪魔された国語は多分英語ほど良くねえだろう、あーあやっちまったなと思いながら俺はテストを渡した。期末テストが完璧に終わって後は野となれ山となれと言わんばかりに好き放題にはしゃぐ上田以下のクラスメイトたちともまともに顔を合わせずに、俺は教室からとっとと出た。でも出る間際にチラっと定野の方を見てみたら、あいつは机に右ひざを置いて座ってた。授業中にはできないポーズだが、もしあいつに頭があればそれを右手に乗せていただろう。その時の定野の顔は、多分えらく疲れていたと思う。
とにかくテストは終わった、後は返って来るのを待つだけ。一学期の授業はもうほとんどねえ。まあ、テストの反省はしなきゃならねえだろうけどな。
何をやりたいのかって言う人生の目的は今の所見つかってない。まあ一応デカい所に務めてそれなりに出世したいとは思っているけど、あるいは国家公務員になってみるのもいいかもしれない。まあいずれにせよ、平凡なサラリーマンか公務員になるしかねえのだろうか。
つまらねえとは思わないけど、定野のような人間に出会う事はないだろう。あいつがどうしてあんな風に疲れていたのだろうか、期末テストという一学期最後の行事が終わって気が抜けちまったのか。まあ俺だってそうなんだけどな。
――――しかしうちの学校も強引だよな、テスト返却を一日でまるごとやろうだなんてよ。
「絶望する時間は短いに限る、絶望するだけしたらまた希望を持ち直せ」
だそうだ。まあごもっともなお話だ。
ああ結果から言えば
俺 国語 88点
数学 95点
理科 92点
社会 90点
英語 99点
計 464点
定野太郎 国語 90点
数学 90点
理科 89点
社会 87点
英語 99点
計 455点
と、9点差で定野に勝ちクラス一位になれた。つっても全クラス内じゃ2位、ってか英語で実際に100点取った女子がいたんだよ!あーあ、二学期以降には目に物見せてやりたいもんだね。一応男では1位だったけど、勉強に男も女もねえもんだよな。
私学校らしいのかどうかわからねえけど、トップ20の名前がでかでかと貼り出されてるのを見ると、誇らしくもあり恥ずかしくもありだ。
「お前はいいよな、今回もこんな高い所でよ」
「そういう上田はどうなんだよ」
「338点だよ、一応平均が334.4点らしいからギリギリ合格点ではあるけどさ。英語の勉強しなきゃダメだな。後は70点越えてるのにそこで大損してさ」
「どこを間違ったか考えなきゃダメだよ、まあ実は俺もやってないんだけど」
「お前らしくねえな」
「お前だって勝ちたいから初っ端からガンガン飛ばして行くんだろ?つまりそういうことだ」
これは半分本当だ。俺はテストについては案外ホイホイと忘れる方であり、見直すとすれば答案全体を見直す時だけだろう。それでもやっぱり勝ちたいからそういう勉強もする。
好き嫌いはあまりないつもりだが、だからと言って学者になるつもりもない。
最近気づいた事だが、俺はケンカが好きだ。俺は俺なりの戦い方でルールの中でケンカを行い、勝つのが大好きだ。
小学校六年生の修学旅行でトランプをした時、気合を入れてやったせいで5連勝しちまって誰も対戦してくれなくなっちまったのは苦い思い出だ。
だから普段は欠けている知識を埋めてやろうと思い、テストになれば点数というはっきりとした数字が出る形で俺の勝利を示してやりたくなる。だから学者っぽい生き方ってのは多分合わねえ。
その点では上田にも無理だろう、こいつは成績そのものは優秀な長距離ランナーだが最初から飛ばして強引に逃げ込むタイプで抑えたレースはできないって言うか、部活動よりずっとレベルの低いはずの体育の授業のマラソンで抑えて走って定野に負けたことがあるぐらいだ。やっぱりこいつもケンカ屋なんだろう、その点で俺と上田は似ているし、そして得意分野が違うって事は実にありがたい。
ケンカなんてどんな理由でも起きる。図書室でサッカー戦争って単語を見た時は思わず笑っちまった。前後を読んであくまでサッカーはきっかけに過ぎなかったって事がわかったがそれにしてもと思わずにいられねえ。
「定野、残念だったな。でも僕らより全然上なんだから、胸を張っていいと思うよ」
「………………」
定野はいつものごとく他の誰にも何の返事もしねえ。俺に負けたとは言え、クラスで2位学年で5位だなんて威張っていいじゃねえか。
そう思うんだけどあいつは何も言わねえ。胸を反らす事もしなければ肩を落とす事もない。これだけの点数を取っといてさも当然見たくされていると恨めしさを通り越して逆にすがすがしい。
って言うか、定野にケンカを売る奴はいるんだろうか。上田のようにケンカを吹っかけたり俺のようにここぞとばかりに乗っかったりする奴はいるが、定野はどっちもしない。
ケンカの舞台があったとしても素通りし、吹っかけられてもああそうと流してしまう。じかに見た訳じゃねえけど、定野ならそうするだろう。サッカーの時でさえそうだ、あいつはマイペースに走り、激しいスライディングやマークをうまく避けている。
って言うか、マークされそうになると簡単にパスを出してる。まああいつの試合なんぞ俺は二度しか見ていないが、なんて言うか争いごとをことごとく避けようとしている感じだ。
「テイタロウ君ってさ、お父さんたちの教育がいいんだろうなー」
その謙虚なご姿勢を見てたひとりの女子がそうつぶやくと、定野の肉体がそちらの方へ回った。もし顔があれば、その方向へ顔を動かしたんだろう事がまるわかりなほどの大きな動き方だ。
定野太郎ってフルネームを縮めたテイタロウって言う悪気のないあだ名で呼ばれた定野の顔は、多分笑顔じゃなかった。その女子が二歩ほど後ずさりしていたことから見ても、まあ多分そんな事だろう。
家に帰ってテストを母さんに渡し、俺は塾の資料を漁る。テストが終わって先送りもできなくなっちまった以上、いよいよ真剣に考えなきゃならねえ。
やっぱりあれもこれもと手を出しちゃいけねえのか、あるいはもっともっとと追うのが正解なのか。正直わからねえ。
「さすがじゃない、今回もクラスで一番なんでしょ。十分よ、もう休みなさい。夏休みなんでしょ」
「でもさー…」
「ためらってもしょうがないでしょ、迷うぐらいなら大した価値じゃないって事なんだから、やめときなさい。二年生まで待つ方がいいわよ」
「ああ、そうするよ」
でも結局、母さんの言葉に甘えて逃げた。
情けないけど、それが俺にできる精いっぱいだった。実際、その後俺は適当に片づけて部活動と大した関係のない小説を読みふけった。
ありえそうでありえなかったり、まったくありえなかったり。そんな世界が小説の中にはあふれている。俺には及びも付かねえ世界だ。
でも向こうだって、もし俺の住む世界に頭のない中学一年生がいると知ったらどう思うだろうか。今俺が手にしてるのは一人称の作品だが、その主人公のように冷静沈着に状況を分析して淡々と気持ちを表すだろうか。あるいは何もわからなくなってむちゃくちゃな事を抜かすか、実に楽しみだ。
終業式の日。俺たち中学一年生は初めて10点方式の通信簿を手に取った。
国語数学社会理科英語の五教科で9が並んだが、10はない。まあ10だなんて特別だよな、学年でもひとりぐらいにしか与えられねえもんだよなと割り切ってみたが、やはり微妙にすっきりしない。
でもまあ、上田だって体育が9にしかなってねえんだから、たやすく10はあげられないって事なんだろう。
「何でもいいから10取った奴いる?」
上田みたいにでかい声を上げるのはどうかと思うが、俺だって同じ興味は持っている。案の定誰も手を上げる奴はいなかったが、真横に指を向ける奴はいた。その指が指していたのは――――――――定野だった。
あるいはそんな事かもしれねえとちょっとだけ思っていたが、やっぱり定野は10を取っていた。しかも二つ、国語と体育でだ。
「素晴らしいじゃねえか」
「………………………」
「何だよ照れる事ないだろ、お前もすげえと思うだろ上田」
「ああ全くだ」
嫉妬する気持ちとかは起きない、ああ間近にそんな存在がいるとは思わなかったぜと言う程度の感情ぐらいだ。
しかし俺でも嫉妬されるんだから定野の場合尚更だろう。
「他の事を考えればいい」
数日前にその十文字を書いた後、あいつはひどく疲れていた気がした。ノートを取ってる時はだいぶすらすらと書いてるだろうはずなのに、それがどうしてああなったんだろうか。
その字も正直汚くて、これまで幾度か見た事のあるあいつの字とは到底思えなかった。テストを回す時とかにチラっと見たあいつの字はまるでワープロかなんかのように正確で、グループ授業の時の字はまあ普通だった。
そして上田の質問に答えた時はかなり乱雑な字をしていたように見えた。字には気持ちが出るとか言うが、同級生相手だってのにまたずいぶんな態度だよな。
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