乙女、異界に先導(3)

 土曜日、池袋駅東口。

 四月に安藤くんを連れて姐さんと待ち合わせをした場所に集合し、わたしたちは駅を離れて歩き出した。BL星探索ツアー。案内人はわたしで、ツアー参加者は高岡くんともう一人。高岡くんが落ち着かない風に辺りを見回しながら、どこかはしゃいだ様子でわたしに話しかけて来る。

「どこ行くの?」

「この先に女性向けのショップが並んでる乙女ロードって通りがあるの。そこ」

「乙女ロード?」

「そう。まあもうそういうショップもメジャーになってあっちこっちにあるから、別に乙女ロードに拘る必要はないんだけどね。分かりやすいかなと思って」

「へー」

 高岡くんが感心したように頷いた。その隣からもう一人のツアー参加者――小野くんが茶々を入れる。

「乙女って。自分らのこと綺麗に言い過ぎだろ。ウケる」

 露骨に馬鹿にされ、わたしは小野くんを睨んだ。高岡くんが「まーまー」と間に入って場をなだめる。感謝はしない。そもそもこのツアーに小野くんを連れて来ることを提案したのは高岡くんだ。逆にそれぐらいのケアはして貰わないと困る。

「小野っち、もうちょい大人になろうぜ。せっかく案内してもらってんだからさ」

「素直で率直な意見が聞きたいとか言って、お前が俺を呼んだんだろ。別に来たくて来たわけじゃねえぞ」

「じゃあ来なくても良かったんだけど?」

 刺々しく言い放つ。今度は小野くんが、ムッとわたしを睨んだ。

「仕方ねえだろ。亮平にしつこく頼まれたんだから」

「なんで高岡くんにしつこく頼まれると仕方ないの?」

「それは……色々めんどくせえから……」

「……小野くんって本当に高岡くんのこと好きだよね」

「はあ!?」

 小野くんが声を荒げた。すさかず高岡くんが、反応を面白がるように間に入る。

「そーなんだよなー。オレへの当てつけで作った彼女とも別れるし……愛が重いわ」

「え、うそ。あの子、別れたの?」

「別れたの。しかも聞いて、別れた理由が超傑作で……」

「亮平!」

 大声で制されて、高岡くんが「へーい」と軽く返事をした。――なんとなく、頼みを断れなかった理由が見えてきた。かわいそうに。

「ところでその乙女ロードっつーのはまだなのかよ」

「もうすぐ。あの大通りを渡ってちょっと行ったとこ」

 向かう先を指さし、二人を先導して歩く。コスプレ衣装を着た集団とすれ違って大通りを渡り、少し歩いたところでわたしは足を止めた。観光バスの添乗員が景色を示すように、指を揃えた手で通りを示して告げる。

「ここ」

 二人は、ぽかんと呆けていた。

 わたしからしたら大した光景ではない。歩道の傍に女性向けの店が並んでいて、歩道と車道を隔てる柵の傍に女性がたくさん並んでいるだけだ。今日は乙女ロードのすぐ傍にある東池袋中央公園で、女性向けコンテンツの野外イベントが行われているからコスプレイヤーたちが大量に行き来しているけれど、それだって別に珍しいことではない。ただ二人にとってはよほど異文化だったのだろう。そもそも高岡くんも小野くんも男性向け女性向け以前に、オタク文化をあまり知らなそうだ。

「なんつーか……すごいな」

 珍しく、高岡くんが困っていた。わたしはフォローを入れる。

「この先に公園があって、今日はそこでイベントがあるの。だからいつもより人多いし、コスプレイヤーだって普段からこんな歩いてないよ」

「あ、そうなんだ。三浦はそういうのも観に行ったりするの?」

「うーん、半ナマのイベントだからなー。わたし、あまりナマ系は手を出さないんだよね。お金かかるし、お金かけないと茶の間とかディスられちゃうし……」

「……茶の間?」

 高岡くんが、フォローを入れる前よりも困った顔をして呟いた。――いけない。今日のわたしは案内人。専門用語は使わないようにしないと。

「まあいいや。とりあえず行こ。どの店入る?」

「どの店って言われても……小野っち希望ある?」

「あると思うか?」

「じゃあ、とりあえず手近なところから順番に行こうか」

 わたしは通りに足を踏み入れ、一番最初に出て来たアニメショップに入った。二次元男性キャラの缶バッチやらラバーストラップやらがところ狭しと並んだ空間に二人を誘導する。もの珍しげに首を動かす高岡くんに対し、小野くんは顔をしかめて思いっきり居心地が悪そうだ。あまり感想を聞きたい雰囲気ではない。

「三浦」

 高岡くんに呼ばれ、わたしは「何?」と振り返った。高岡くんがぐるっと店内を見渡して口を開く。

「あのさ、こことBL星って関係あるの?」

「どういうこと?」

「だってさ、確かにあっちこっちイケメンだらけだけど、別にイケメン同士が絡んだりはしてないじゃん。それってBLなの?」

 ――そうか。言われてみれば、その通りだ。わたしはここに並んでいるキャラクターたちが絡むBLを死ぬほど読んだからこの店とBLを結び付けられるけど、高岡くんたちにとってはただキャラクターグッズが売られている店にすぎない。というかこういう店はBLに興味のない人だって普通に来るわけで、どちらかというとわたしの認識がおかしい。

「そうだね。じゃあ、別のところ行こ」 

「別のところ?」

「うん。近くに薄い――同人誌売ってるお店があって、そこならBLあるから。まあカバーかかってるし、中身読めるわけじゃないけど」

 これぐらいなら分かるだろうとは思いつつ、言いかけたスラングを正式名称に言い直す。高岡くんが「そうだな」と同意したので、わたしたちはすぐに店を出て同人誌のショップに向かった。通りを歩き、イベントをやっている公園を右に見ながら道路を一つ渡り、階段をくだって地下に向かう。

 店の中に入ったわたしは、まず二人を本棚のある奥に連れて行った。壁際の通路に入ると本棚に並ぶ同人誌がずらっとわたしたちの前に現れ、高岡くんがどこか間の抜けた声で呟く。

「これ、全部BLなの?」

「男女ものもあるよ。まあでも、だいたいBL」

「はー」

 高岡くんが感嘆の声を上げた。そして傍にある同人誌を手に取り、有名少年漫画の男性キャラクターが抱き合う表紙を見て「おおっ」と何だかよく分からない反応を返す。小野くんが高岡くんの持っている同人誌を自分の手に取り、あからさまに不審な目つきをわたしに向けた。

「三浦もこういうの読むの?」

「読むけど」

「こいつら二人とも好きな女いるじゃん。あの子たち、この世界ではどうなってんの?」

「出てこないパターンが多い」

「なんで」

「……実家に帰ったとか」

「実家住まいだったろ!?」

 適当に返したら、思いのほか強めにツッコまれた。高岡くんが軽い感じで小野くんに話しかける。

「気になるなら買えばいいじゃん」

「こんなもん家に置けるか! 見つかったら変に――」

 小野くんが、言葉を切った。

 わたしは、気づいただけ偉いと思う。前の小野くんなら絶対に気づかなかった。だけど小野くんは俯いて黙り、微動だにしない。自分で自分に納得出来ていないのがよく分かる態度。

「……まあ、難しいよな」

 高岡くんがフォローを入れる。だけどやっぱり歯切れが悪い。当たり前だ。この前、高岡くんは小野くんの目の前で、莉緒ちゃんの放送を聞いて同性愛を揶揄した一年生を叱った。どうしてあの終業式を見てそんなことが言えるんだ、と。だけど小野くんはあの終業式を「見ていた」どころではない。騒動の渦中にいた当事者だ。その前の、あの事件も含めて。

 ――近藤さんだってそういうネタっぽい空気に当てられたところはあると思うよ。

 俯き、安藤くんの言葉を思い出しながら考える。今の小野くんが「同性愛をどう思うか」と問われて、ストレートに変だの気持ち悪いだの言うとは思わない。でもBLを経由すると、つい口にしてしまう。良くも悪くも触れやすいのだ。BLは悪くないけれど、何かを娯楽として扱うことがそういう力を持っていることは否めない。

 BLは悪くないけれど。

 ――本当に?

 本当に、悪くないの?

 そういう力があるなら、やっぱりそれは、悪いものなんじゃないの?

「――買う」

 思考が、小野くんの声に断ち切られた。

 顔を上げると、わたしを見つめていた小野くんと視線がぶつかった。小野くんが同人誌を掲げながら、どこか恥ずかしそうに口を開く。

「これ、買うわ。そんで、読んでみる」

「……どうして?」

「どうしてって……勉強したいからだよ」

「BLを?」

「それもあるけど……安藤のこととか」

 安藤くんのこと。わたしはパチパチとまばたきを繰り返した。

「読んでないから何とも言えないけど、たぶんその本、リアルとは全然違うよ?」

「んなこと分かってるよ。でも俺はまだそういうレベルじゃねえから」

「……どういうこと?」

「リアルと違うとかそういう細かいこと考える段階じゃねえってこと。偽物でも形だけでも近づくのが最優先」

 本をぺらぺらと動かしながら、小野くんがぶっきらぼうに言い放った。

「そういう力ぐらいなら、この本にもあるんじゃねえの?」

 言葉が、胸の奥にすとんと落ちた。

 BLは基本、娯楽だ。少なくともわたしは同性愛の勉強をするつもりでBLを買ったことは一度もない。でも娯楽が何も教えてくれないわけじゃない。娯楽として作られた小説や漫画から大切なことを教わる人間なんていくらでもいる。だからBLがそういう力を持つことだって、十分にあり得る。

 悪いところだけではない。良いところだってあるのだ。お悩みランキング第一位がほんの少しだけど解消された。お礼を言いたいところだけど、意味不明すぎるのでそれは止めて、わたしは別の言葉を小野くんに返した。

「分かんないけど、何にでもまず触れてみるのはいいことだと思うよ」

「そーだぞ小野っち。だから読め。そして感想文を書け」

「なんでだよ。書くわけねえだろ」

 小野くんが高岡くんの頭を小突いた。そして持っている同人誌を見やりながら軽く呟く。

「ま、こんなペラペラな本、どーせ100円とかだろ? まるっきり無駄にしたって惜しい金額じゃねえしな」

「え?」

 つい、大きな反応を返してしまった。小野くんが怪訝な顔でわたしを見やる。

「なんだよ」

「いや、それ薄いって言っても普通の本と比べて薄いだけで結構あるでしょ? 表紙カラーだし、装丁しっかりしてるし、100円はないんじゃないかな……」

「ふーん。200円以上は出したくねえんだけどなあ」

 小野くんが同人誌を裏返した。そして、金額を目にして固まる。高岡くんが小野くんの手元を覗き込み、小さく首を振りながら小野くんの肩をポンと叩いた。

「ドンマイ」

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