3 秘密の時間
「エセルは魔女をどうおもう?」
システィーナはたずねました。
「それは、呪いの魔女のはなし?」
エセルグウェンは顔をしかめます。
自分に要らぬ呪いをかけた憎い魔女のことをかんがえると、胸のなかがまっくろにそまるような気持ちになるのです。
「魔女はきらい?」
「きらいだよ。魔女が呪いをかけたせいで……」
「――そうだね。呪いのせいで、王子さまはみんなに怖がられてる」
「ティーも王子が怖いとおもう?」
エセルグウェンにきかれて、システィーナは困惑しました。
魔女である自分にとって、みたこともない王子はちかくてとおい存在です。どんな人なのかも知らないのです。
町できくうわさでも、呪いの王子という立場だけで、顔も名前も誰も知りません。
「わからない。会ったことないもの」
けっきょくシスティーナは、そう答えるしかありませんでした。
「だけど、王子はちっともわるくない。わるいのはずっとむかしの王さまと魔女だわ。どうして仲良くしなかったのかしら」
「王さまは、よい魔女と結婚したんだ。仲良くしていないわけじゃないよ」
「……そうだね」
エセルは知らないから。
システィーナはおもいます。
王さまと結婚した魔女は、王さまを殺して自分が王になったのです。シェンナひとりを悪者にして。
だけど、そんなことはいえません。
システィーナが魔女であることを、エセルグウェンには知られたくなかったからです。魔女はきらいだといった彼に、魔女だなんていえるわけがありませんでした。
エセルグウェンもおもいます。
自分がその王子であることを、ティーには知られたくない。
怖がられて、もう会えなくなってしまうのはいやでした。
なんとなく気まずいままで、ふたりは次の約束をして別れました。
エセルグウェンの姿をのみこんだ穴は、なんだかいつもよりも小さく見えて、エセルはいつまでこの穴を通ることができるのだろうと、システィーナは初めてそのことを意識したのでした。
*
「やれ、王子や。いかがなされたか」
「ただの散歩だ」
王子に声をかけた老人は、にたりとわらいました。
彼はお城に古くから住んでいる男で、みんなからじいさんとよばれています。
お城の大人がまだ子どもだったころからそうよばれていて、そのころから姿がかわっていないともいわれていますが、それが彼本人なのか、それとも彼のおじいさんなのか、本当のところはわかりません。
老人はお城の庭にすんでいて、そこの管理をしている男です。庭のことなら、生えている木や花の場所まですべて知っています。
それだけではなく、古いおはなしもたくさん知っているので、王子は老人のことがきらいではありませんでした。
「用事がないなら、ぼくはもういく」
「お気をつけなされ、王子」
老人はそれだけを告げると、木々の隙間に消えていきました。
王子は首をかしげつつも、いつも通り奥に向かいます。
今日はシスティーナがパイを焼いてくれると約束してくれました。それならばと、エセルグウェンはおいしいお茶をもっていくと約束したのです。
土でよごれてしまわないように、ふくろを二重にして上着のなかにしまいこみ、穴へ入ろうとしたときです。
うしろからやってきた兵士が、王子をひきとめました。振りかえった王子に、お城の兵士がいいました。
「王子、なにをしているのですか」
「散歩をしているだけだ」
「こんな誰もこないような奥深くになにがあるというのです」
「なにもありはしないよ」
「いつもどこへ行っているのですか」
「どこへも行ってはいないよ」
兵士に質問され、王子はたどたどしく答えました。
王子の様子を不審におもった兵士は辺りを見まわし、枯草でおおわれた穴を見つけてしまいました。
「この穴はなんですか?」
「そんな穴、ぼくは知らない」
もしも知られてしまったら、システィーナに迷惑がかかってしまう。
呪いの王子にかかわった人物として、ティーがつかまってしまうかもしれないとおもったエセルグウェンは、とっさにうそをつきました。
「それではあぶないので、ふさいでしまいましょう」
そういうと兵士は、落ちていた太くてながい木の棒で、穴の入口をくずしてしまいます。
そうしてしばらく土を落としたあと、大きな足でずんずんと踏みつけて、とうとう穴はなくなってしまいました。
「これで安心です。王子、王さまがおよびです。もどりましょう」
□■□
穴がふさがり、ふたりが会うことはなくなりました。
時折、穴のあった場所へと向かい、土をさぐってみるけれど、庭師によって整えられたそこは、もうなんの跡ものこっていないのです。
はじめのころは残念そうにながめていた王子も、数年がたつと穴の場所へ行くこともなくなってしまいました。
あれは夢だったのかもしれないとおもいます。
ずっと見張りをつけられて、監視されていた自分が作りだした幻の存在。
彼女の姿が絵本でみた妖精に似ていたのも、そのせいだったのでしょう。
王子はふたたび名前を封印し、ただの「王子」にもどりました。
けれど王子は、どんなふうに見られようとも自分を卑下するのはやめることにしました。たとえ幻だったとしても、ティーはだいじな友達です。
王子はちっともわるくない。わるいのはずっとむかしの王さまと魔女だわ。
ティーがいった言葉をエセルグウェンはおぼえています。
王子はわるくないと言ってくれたのは、ティーがはじめてだったのです。忘れるわけがありません。
怖がられないように、呪いになんて負けないように、正しいこころをしめして、自分を信じてもらえるように。
王子は前を向いて生きるようになりました。
そうすると、周囲の大人たちも王子のことをあまりわるくいわないようになりました。
おとぎ話のような、生きているかもわからない魔女の呪いよりも、利発そうな王子がよいこころをもってくれるほうが大切だからです。
王さまと王妃さまは、王子に国でいちばん頭のいい先生をつけ、正しいこころをもつよう育てることにしました。
こうして王子は呪いに打ち勝つため、いつかわるい魔女が現れたとしても、かつての王さまのように魔女を閉じこめるため――、いいえ、今度は魔女を滅ぼしてしまえるよう、心も身体も強くなるために励んだのです。
*
エセルグウェンが現れなかった日、システィーナはいつまでも穴の外でまっていました。
夜があけて、お日様が高くのぼっても、エセルグウェンを待っていましたが、三日もたつころにはあきらめました。
はじめから偶然だったのです。
人がいるとはおもわないような場所から出てきた男の子。どこから来たのかわからない、名前しか知らない男の子です。
深く知ろうとしなかったのは、いつか会えなくなることを頭のかたすみでわかっていたからなのかもしれません。
どんな理由があったのかわかりません。とうとう穴が崩れてしまったのかもしれませんし、他の誰かに見つかって怒られてしまったのかもしれません。
だけどとにかく、きっともう、エセルグウェンに会うことはないのでしょう。
システィーナは魔女です。
いばらの森に住む、さいごの魔女です。
ひとりで暮らし、そうしていつか、ひとりで死ぬのです。
決めたはずのことが、少しだけさみしくおもえました。
それからシスティーナは変わらない暮らしをつづけました。
一緒に食べる相手は森の動物だけですが、時折森の外に出て買い物をしたりもします。
木の実や果物を売ったり、木の皮を削いで乾かした物も高く売れました。薬草をつかった薬をつくることもできましたので、よその町から来た者として商いをすることもおぼえました。
そうして過ごしているうちに、自分以外の誰かと話をする機会も増え、声をかけられることも増えました。
森の奥で暮らすシスティーナは、町の人よりも肌の色が白く、美しいみどり色の瞳をしていましたので、たいそう目立ちました。
風にゆれる金色の髪も、システィーナの印象をよりやわらかくみせます。
色めいた声をかけられることもありましたが、そのどれもシスティーナのこころを動かすことはありません。
ひとりきりで生きるときめている彼女は、誰の誘いも受けようとはしなかったのです。
町のなかでそのうわさをきいたのは、やはり偶然でした。
呪いの王子の話です。
お城にこもりきりで出てこない王子は、人々にとっては忌避される存在でしたが、どうやら最近はそうでもないようです。
正しいこころを持ち、剣の腕も立つ青年となった王子を、かつてのように野卑する声が少なくなっています。
お城近くに商いに出たという人が、声高にいいました。
「王子のお姿をはじめて見たんだが、それはとても美しく凛々しい人であったよ。輝く銀糸の
「おやまあ、それではあの呪いは、王子とは関係がないのかね」
「きっとまだ千年もたっていないのさ。あんな王子が国を滅ぼすわけがない」
システィーナは声をあげるのをなんとかおさえたものです。
髪の色も、瞳の色も、システィーナの知っている誰かと同じです。
きらいだよ。魔女が呪いをかけたせいで……。
ティーも王子が怖いとおもう?
あの時、彼はどんな気持ちだったのでしょう。
そして自分は、なんと答えたのでしょうか。
魔女がきらいだといわれたことに気をとられ、きちんとおぼえていないのです。
ああ、エセル。きっとあれは貴方だったのね。
王さまの住むお城に通じる抜け道は、小さな子供ならば通れる程度の大きさでずっとつながっていたのでしょう。
大人になった王さまでは通り抜けられない穴をつかい、かつての王さまと魔女のように、王子と魔女はいばらの森で出会ったのです。
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