いばらの魔女と呪いの王子
彩瀬あいり
1 はじまり
ひろい世界のどこかの端に、緑ゆたかな小さな国がありました。
その国には、かつて妖精が住んでいたとされる森があります。みずみずしい美しい森です。
ですが、それとはべつにもうひとつ。北の方角にうす暗く、うっそうとしげった森があり、そちらにはわるい魔女が住んでいるといわれています。
よい魔女が妖精を従えて人々に幸福をもたらすのとは逆に、わるい魔女は魔物を従えて人々に呪いをふりまきます。
ひどい日照りがつづいて作物が育たなくなったり、たくさんの人が苦しむ病気をはやらせたり。国を守るため、王さまはよい魔女と力をあわせて、わるい魔女を森の奥深くに閉じこめました。
妖精の力をつかい、森からけっして出てこられないようなまじないをかけたのです。
閉じこめられた、わるい魔女はいいました。
呪ってやる。これより千年先に生まれた王子によって、この国は滅びるだろう。
王さまは、わるい魔女の言葉におどろきました。
けれど、よい魔女がいったのです。
だいじょうぶです、王さま。わたしがかならず呪いをとめてみせましょう。
わたしの代でだめだったとしても、その子どもが。そのまた子どもが、きっと呪いに打ち勝つことでしょう。
王さまはいいました。
ありがとう。よい魔女よ。わたしにもその手伝いをさせてくれ。
わたしの代でだめだったとしても、その子どもが。そのまた子どもが、きっと呪いに打ち勝つことだろう。
そうして、よい魔女は王さまの花嫁となり、力を合わせて国を守りつづけているのです。
*
それは、エルフェンバインに伝わる物語。
はたしてその千年が、今日なのか昨日なのか明日なのか、本当のところは誰も知りません。
けれど、わるい魔女のことは知っています。
大昔、おじいさんの、そのまたおじいさんのおじいさんのおじいさんが、ずっとずっと小さなころにひどい
日照りがつづいたり、大雪で作物が育たなかったりするのも、わるい魔女のせいだといわれています。
北の森は、魔女の森。
いばらで覆われて入口すらわからなくなった森からは、ときおり不気味な声がひびいてきますが、それは魔物の声だといわれているのです。
わるい魔女はまだ生きていて、魔物と一緒に森のなかで暮らしている。
そして、千年たって国が滅びるのを待っているのです。
わるさをした子どもを叱るとき、おかあさんはこういいます。
あんまりいうことをきかないのなら、いばらの森においてきてしまうよ――と。
すると、たちまち子どもは泣きわめき、おかあさんにあやまるのです。
いばらの森は人々にとって、悪の根源でした。
うまくいかないこと、いやな気持ちになったとき、すべて「いばらの森のせい」でした。
そうすることで、人々は自分の気持ちを落ちつかせ、前向きにかんがえられるのです。
そうして、つぎにうまくできたとき、人々はこう感謝するのでした。
わるい魔女に打ち勝つことができた。ああ、よい魔女のおかげだ。
ばかみたいだ、とシスティーナはおもいました。
この世のすべてのいやなことを引き受けて、どうして平気でいられるのでしょう。
魔女シェンナはおおばかだと、システィーナはおもいます。
シェンナは魔女でした。
魔女によいもわるいもありません。魔女は魔女です。よい人わるい人も同じ人間であるように、どんな魔女も同じ魔女なのです。
けれどシェンナは、わるい魔女のなまえを引き受けたのです。
王さまのために、わるい魔女として人々におそれられることを選び、そうして森に閉じこもったのです。
それは、魔女が描いた筋書きでした。
当時、荒れていた国をひとつにまとめるため、そんな嘘をついたのです。
王さまはシェンナの友達でした。
だいじなだいじな友達でした。
友達をたすけるため、シェンナは森に住み、誰にも姿を見せないようこころがけました。
ですから誰も、魔女の本当の姿を知りません。
みんなの知っている魔女の姿がとってもみにくいのは、人々がおもいおもいに自分が知っている、とても怖い姿をはなしたせいです。
頭はまっしろで、血のように赤い瞳。
よごれた草色のローブを引きずって、ふしくれだった手で大きな杖をもっている。
ひきがえるのような音で笑い、しわがれた声で呪詛をふりまく。
ずっとずっと生きている、わるい魔女。
いばらの魔女シェンナ。
システィーナは、そんな魔女の
だから彼女は知っているのです。誰もが知らない真実を。
いばらの森の奥深くにある洞くつが、王さまの住むお城に通じる抜け道になっていることも。
やがて、その穴をよい魔女が封じてつかえなくなってしまったことも。
そのおかげでシェンナは、王さまに二度と会えなくなってしまったことも。
会えないまま、よい魔女によって王さまが殺されてしまったことも。
ぜんぶぜんぶ、知っているのです。
シェンナは、そのことを誰にも話しませんでした。
わるい魔女のいうことなど、誰も信じてはくれないからです。
シェンナのむすめはよい魔女を見張るため、母の願いを無視するように魔法を学び、やがて次のわるい魔女として、いばらの森で暮らしはじめます。
いばらの森は外から入ることはかないませんが、内側から出ることはむずかしいことではありませんでした。
というのも、そのいばらを
森の木々はシェンナの味方です。動物たちもシェンナの味方です。
シェンナのむすめも、そのまたむすめも。
みんなシェンナの意思をくみ、いばらの魔女でありつづけました。
いつかくる、千年の呪いのために、魔女でありつづけることを決めたのです。
けれど、システィーナは決めました。
さいごの魔女になることを決めました。
千年のちに生まれる王子のことなんて、どこまで本当だかわかりません。そのことに捕われ、森に囚われつづけていること自体が呪いだといえるでしょう。
もうおわりにしよう。
おとぎ話のような呪いのことなんて、自分が背負って死んでしまえばいい。
いばらの森に住むシスティーナは、それだけを願い生きています。
ああ、いっそ。誰かわたしを殺してくれないかしら。
□■□
王子は生まれ落ちたその時から、呪いの王子とよばれていました。
はるかむかし、魔女がかけた千年の呪い。国を滅ぼすとされる千年後の王子が、自分だというのです。
小さなころから、王子のまわりにはたくさんの人がいました。たくさんの人に囲まれていました。
たいせつに育てられたというわけではありません。
王子がわるいこころを持たないように、わるいおこないをしないように。
彼はずっとずっと見張られているのです。
呪いの王子。
滅びの王子。
エセルグウェンは、本当の名前より、そちらの呼び名が有名でしたし、お城に住む者たちには「王子」とよばれ、王さまや王妃さまにも「王子」とよばれます。
誰も彼のことをエセルグウェンとはよびません。
なぜなら、その名前こそが呪われた名前だからです。
よい魔女が残した書きつけに、王子の名前は魔女に知られてはならないと
エセルグウェンは、その名前をつけられた時から、名前をよばれることはありません。
そんな名前ならば、最初からつけなければよかったのだ。
名をよばれない王子はそうおもいます。
いったい、なんの意味があるというのでしょう。
王子とよばれるたび、口にされない別の言葉がきこえます。
呪いの王子、滅びの王子。
つけられた名前を奪われ、たくさんの人に見張られ、なにもしていなくても、なにをしようとおもっていなくとも、国を滅ぼす者と見られる毎日です。
ああ、どうしてあなたは王子なのでしょう。わたくしの子が王子だなんて。
ああ、どうしておまえは王子なのだろう。わたしの子がこの国を滅ぼすだなんて。
生まれたその瞬間から、彼は呪われていました。
いるだけで、彼は呪われた存在でした。
王子は魔女を憎みます。こんな呪いをふりまいた、いばらの森のわるい魔女を憎みました。
けれど、同時におもうのです。
自分の存在を否定する国など、滅んでしまえばいい、と。
もしくはいっそ、自分が死んでしまえば、呪いから解放されるのだろうか。
ああ、いっそ。誰かぼくを殺してくれないだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます