第23話 陣は思う(前編)

 母親が亡くなる寸前、俺には一つの魔法がかけられた。


『舞のこと、後は、よろしくね……』


 その言葉は俺の心を綺麗に包み込み、母の温もりとともにふわふわと体の中を漂い続けている――。


   ◇


 なにかと苦労をする三人――父親と俺と舞との生活も、日々、なんとか沈没は免れていた。


 だが俺は一つ、人生において重要なことに気が付いていた。


 ――人に助けてもらえるのは、最初のうち。


 悲観的な話ではない。

 一般的な事実に、子供の俺が気が付いていなかっただけだ。


 たしかに母親が亡くなったとき、皆がやさしくしてくれた。

 だが、世の中には不幸がたくさん詰まっている。

 毎日だれかが泣いている。


 人の優しさには限りがある。

 俺ばかりにそれが注がれるわけがない。

 当たり前だ。


 だから俺はいつまでも泣くことは許されず、母の言葉に付き従うしかなかった。


『妹を、守ることが一番』


 自分のことは二番。

 それが俺の定め。

 なにも悲しいことじゃない。

 だって毎日誰かが泣いているのだから――俺の物語の起承転結。

 俺が泣いていても良いページは、すでに読み終えてしまったのだ。


 ページが進めば場面は変わる。

 場面が変われば登場人物は変わる。

 そんなことは当たり前だ。


 世界は人に、当たり前を求めるものなのだ。


   ◇


 中学を過ぎ、高校に入学をした。

 その頃の俺は、自分の定めた色に、自然と染まることができていた。


 人間、最後は一人。

 家族だけが運命共同体。

 家族は家族、他人は他人。

 

 俺の価値観は極まっていた。

 友達との付き合いを減らし、妹を守る。

 父親と協力し、妹を育てる。

 

 誰も助けてはくれない。悲観なんてしていない。

 それが事実。

 ただ、事実だからこそ、生きるための最適化を行うと――世の中は、家族か、それ以外かに区分けされる。そういうことだ。


 最後に残るのは家族。

 あとは他人。

 友達が嫌いというわけでも、邪魔というわけではない。


 失敗していたらしいが、人付き合いもうまくやっているつもりだった。

 ただ一歩、引いている。

 記憶に残らない関係が限界――家族のためには仕方のないことだ。


 俺は自分に魔法をうわがけしていく。

 そんな毎日。


   ◇


 でも、正直に言おう。

 なんだか少しだけ寂しかった。


 だって世の中には、泣き続けたい人もいるだろうし。

 泣いているのに笑っているフリをしている人もいるだろうし。

 本当はまだ助けてほしいのに黙っている人も沢山いるだろう。


 世の中の人が冷たいという話をしているわけではない。

 そうじゃなくて、泣き続けている人もいるはずだが、それに気がつくには難しい世界だという話だ。

 

 だから俺はごみを拾った。

 机を拭いた。

 用務員さんを手伝った。

 ほかにも様々なことをした。

 

 なぜって?

 

 もしかしたら俺の行動が、誰にも気づかれていない、誰かの悲しさを癒せるかもしれないと思ったからだ。


 誰からも気が付かれない、おきざりの悲しみ――順番が過ぎてしまった、独りぼっちの悲しみ。


 俺一人で何が変わるかなんて知らないけれど、誰かが困っていそうなことに関わっていれば、いつか誰かの隠れた悲しみに指先が引っかかるかも。


 気が付かれないのは俺と同じ。

 気が付けないのは俺も同じ。

 見えない妖精をどうやって探す?――手を伸ばす以外、なにがあるだろうか。


 だから俺はゴミに手を伸ばし、捨てる。

 雑巾に手を伸ばし、机を拭く。

 ベンチを探して、修理をする――誰かが隠した寂しさよ、消えていけと願う。

 俺の行動が『誰かの、なにかに』作用しますように――俺は同じことを繰り返す。


 とはいえ人生にも起承転結はある。

 物語とはうまくできている。

 ルーティン化され、落ち着いたはずのストーリー。

 俺の出番は終わったと思っていた。


 そんな矢先――父親が倒れた。





 

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