第104話 詰めの甘さ
意識の触手をいくつも体から出しながら、ゆっくりとピエスの体にまとわりつけていく。精神に干渉するスキルは、火炎や氷と言った物理的なものと違い他人の目に見える事はない。つまり、今ピエスを絡め取っている触手は俺にしか見えていないって事だ。
俺に服従しろと念じながらピエスをスキルの影響下に置こうとすると、一瞬彼の体がビクリと震えた。セイスの時と全く同じ反応だったので、これで後はピエスが目を覚ますのを待つだけだ。成功する確信がないため、俺達は警戒を解く事なく固唾を飲んでピエスの様子を見つめている。万が一失敗した場合、残念ながら彼等には帰りの道中で『事故死』してもらう手はずになっている。俺のスキルの存在を知られるわけにはいかないからな。
「う……」
俺達が見守る中、ゆっくりと身を起こしていくピエス。次に彼が発する言葉次第で、彼とリンの運命が決定づけられるのだ。
「ここは……私は何を……」
「ウー! ウー!」
少しぼんやりしていたピエスだったが、すぐ側で拘束されて身動きも出来ずに唸っている自らの秘書の姿を見た途端、驚いたように声を上げた。
「リン!? これは一体どう言う……セイス! 何の真似だ! ファウダー様!?」
「ウーッ!?」
今ピエスは間違いなく俺の事をファウダー様と言った。つまりそれは支配のスキルが上手く作用した事を意味している。突然立ち上がった自らの主が、敵であるはずの俺を様付けした事が理解できなかったのか、リンは随分と混乱しているようだ。
「落ち着けピエス。彼女は少し悪酔いしたようでな。暴れそうになったから拘束させてもらっただけだ」
「そう……だったんですか。私の部下がご迷惑をおかけしたようで、大変申し訳ありませんファウダー様。このお詫びはいつか必ず」
「気にするな。それよりお前達、リンの猿轡をとってやれ」
俺の指示でリンの口元が自由になった。と言っても体は未だに拘束中で、ハグリーに押さえつけられたままだが。
「ピエス様! そんな奴を様付けするなど、一体どうしたというのですか!?」
「リンこそ口を慎みたまえ。私の主であるファウダー様に対して無礼だぞ。ファウダー様、重ね重ね、部下の非礼をお許しください」
「構わん。俺は気にしてない」
「ありがとうございます」
まるで別人かと思うようなピエスの言動に、拘束されているのも忘れてリンは呆然としていた。彼女にとっては受け入れがたい現実なのかも知れない。
「お前達……ピエス様に何をしたんだ? やはりさっきのお茶に何か入っていたのか? いや、それはカップを入れ替えた事で防いだはず……」
「ああ、それか。単純な事だ。お前が睨んだとおり、あのお茶には特殊な睡眠薬が入っていた。ただ、あらかじめ中和剤を飲んでいれば効果がなくなる程度の薬だがな」
この日のためにセイスが方々手を尽くして手に入れた薬だ。最初はカップに細工をしようと考えたが、ピエスや護衛も馬鹿ではないので気づく可能性がある。万が一取り替えられる事があっても問題ない方法がコレだったってだけだ。一度は見破ったはずの細工が空振りだったと知って、リンは悔しげに唇を噛んでいる。
「……睡眠薬だけでピエス様がそんな状態に? 他に理由があるんだろう?」
「あるにはあるが……種明かしをする気はない。俺は用心深くてな。悪く思うなよ」
今日は支配を使ってしまったのでリンにスキルを試す事は出来なくなったが、身柄の確保さえしておけば何の問題もない。ピエスさえ俺の言いなりになるのなら、リンの事などどうとでもなるからだ。
「ピエス様……申し訳ございません。この私が付いていながらこのような事態になるとは、痛恨の極みです」
「リン……お前が何を悔やんでいるのか知らないが、速くファウダー様に謝罪しなさい。ファウダー様は大変心の広いお方だ。お前の無礼など笑って済ませてくれるよ」
「必ず貴方を元に戻して差し上げます。この私の命に代えても」
ピエスの言葉など耳に入っていないように、何か決意を込めた目でそう言い切ったリンに、嫌な予感が走った。そうだ――スキル! まだこの女のスキルが何だったのか、俺達はわかっていない。不穏な空気を感じて咄嗟に彼女を昏倒させようと命じかけたその時、ハグリー達に拘束されていたリンの姿が忽然と消え去った。
「な!?」
「なに!?」
「消えた!?」
「どう言うことだ!」
戸惑うシーリやハグリー達に思わず怒鳴りつけてしまう。今リンは、何の前触れもなくこの部屋から姿を消した。自分を拘束していた縄ごと、瞬きするような一瞬でだ。どう考えてもスキルの影響だが、どんなスキルなのか見当も付かない。唯一答えを知っていそうなピエスに視線を向けると、彼は事態の深刻さを理解していないようなのんびりとした態度で、こう答えた。
「今のはリンの持つ『空間転移』というスキルでしょう。一カ所だけという制限がつきますが、あらかじめ用意した任意の場所になら、自分がどんな状態であれ、距離を無視して移動する事が出来るのです」
「――知ってるなら早く言え!!」
「も、申し訳ございません」
顔を真っ赤にして怒る俺にピエスは恐縮しきりだ。事情を説明していないのだから完全な八つ当たりだと自覚していても、それでもピエスを怒鳴らずにはいられなかった。
「マズいな……これは」
リンがどこに移動したのかはわからない。しかし俺が彼女の立場なら、真っ先に自分の拠点へ戻って事情を説明し、援軍を請うだろう。そうなったらせっかくピエスを配下に引き入れた成果が台無しになってしまう。最悪人質に取られたピエスを取り戻すと言う名目で、街対街の戦争になるかも知れない。
「さて、どうする?」
せっかく事が上手く運んだと思っていたらコレだ。いい加減自分の詰めの甘さにウンザリするが、愚痴を言っても始まらない。ここは一度頭を冷やして考えよう。この事態を打開するためどう言った策が取れるだろうか? テーブルに再びついて冷めたお茶を口に含み、俺は大きくため息をついた。
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