第70話 イクスの決意
その日の晩、俺達はヴァイセに紹介された宿に泊まる事になった。イクスだけは専用の邸宅が用意されているのでそちらへ――と言う話もあったが、それは彼女が辞退したので俺達と同じ宿で寝泊まりする事になったのだ。どうやら昼間トルエノに言われた言葉が思った以上に堪えていたらしく、今は一人になりたくないらしい。
「ごめんなさいファウダー。無理言って」
「いいですよ。イクスさんの気持ちはわかりますから。同じハーフとしてね」
申し訳なさそうに謝罪するイクスと俺は二人部屋で一緒になった。宿の周りはトルエノの配下らしい兵士達が、警備と言う名目で取り囲んでいる。誰がどう考えても俺達を逃がすまいとした見張りだろうな。夕飯も済み、それぞれがベッドへ潜り込んだ頃、隣のベッドで寝ているはずのイクスから独り言のような声が聞こえてきた。
「ねえ、ファウダー……このまま私がここに残ったら、どうなると思う?」
明かりの無い部屋は暗く、窓から洩れる月明かりだけでは彼女の様子はよくわからない。しかし、世間話のような気軽さではあるが、イクスが真剣に悩んでいるのは何となく伝わってきた。俺の予想ではあるが、彼女はこのままヴァイセに協力すれば、当初話に聞いていた通り贅沢な生活が出来る様になるはずだ。ラビリント側もイクスの機嫌を損ねては火薬の量産をするのが難しくなるのはわかっているだろうし、仮に力で従わせようとしたところで、自決でもされればそれで終わり。なので出来る限り彼女をいい気分にさせたまま、生かさず殺さず飼い殺しにするだろう。しかしその場合、彼女の自由は完全に無くなると思って良い。大事な大事な兵器を作りだか道具を手放す訳がない。その証拠に、まだ完全に協力すると決めた訳でもないのに犯軟禁状態にあるのだ。いざ量産体制に入ったら、トルエノが彼女を外に出すはずが無かった。
「たぶん……贅沢な暮らしはできると思う。でも、今までの様に自由に動く事は出来なくなるよ」
「やっぱりね……誰だってそう思うよね……」
彼女の返答は暗い。何度も死ぬような思いをしてやって来た安住の地がこんなだったのだ。当然と言えば当然か。
「私ね、この船旅ではいろいろ怖い思いをしたけど、楽しかったんだ。それまで奴隷同然に扱われてきたから、人と一緒に食事したり買い物したり、初めての事だったし。ああ、私は生きているんだなって実感できた」
「…………」
静に話す彼女の言葉を黙って聞きながら眺めた横顔には、うっすらと涙の筋が見える。
「やっと居場所が出来たと思ったのにな……なんでこんな事になるんだろ……」
頭から毛布を被った彼女の身体は細かく震えていた。嗚咽を漏らすほど彼女は弱くない。けど、涙をこらえられるほど強くも無かったのだ。そんな彼女を見ていると、俺はわけのわからない衝動に駆られる。それは過去の自分に対する憤りか、それともただ泣くだけの彼女に対する怒りなのか。それは自分でもわからない。ただ、このまま彼女を一人にしておいてはいけない気がしたのだ。
「……イクスさん。俺達と共に来ませんか?」
俺の言葉に彼女の震えがピタリと止まる。毛布は被ったままだが、俺の言葉に耳を傾けているのだろう。
「実はね、俺がこんな仕事をやってるのは、自分の居場所を作る為なんだ。俺はもともと魔族領で生活しててね、そりゃあ酷い毎日だったよ。殴る蹴るは当たり前。食べる物なんか残飯だけだ。もう一生このまま奴隷みたいに使い潰されるだけだと諦めてた時、偶然スキルを手に入れる事が出来た。その時決意したんだよ。俺は俺だけの居場所を作るって。誰にも従わず、誰の命令も受ける事のない、俺だけの国を作ってやるって」
「……本当なの……それ」
半信半疑と言ったところか。そりゃそうだ。俺だって他人がいきなり国を作ってますなんて言ったら正気を疑う。しかし彼女は否定しきれない。今の彼女にとって、俺の話を無視する事など出来はしない。それがわかっていて話しているのだ。
「本当だよ。現に俺の支配下にある魔族達が、大森林の中に拠点を作っている最中だ。自由都市の議長の一人も味方につけ。後は身を守る事の出来る戦力が必要だけど、今のところ上手くいっていない。……イクスさんの力があれば別だけど……」
がばり――と、イクスが毛布を跳ね上げて起き上がった。ここが分かれ目、分水嶺だ。ここで彼女を心変わりさせる事が出来なければ、俺は火薬を手に入れる機会を逃してしまう。
「だから――イクス。手を貸してくれ。俺達虐げられてきた者の居場所を作る為に。お前の力を貸して欲しい」
俺が伸ばした手を、強張った表情で彼女は凝視する。俺の秘密を話した事で少しはわかってもらえるかと思ったが、やっぱり駄目だったかと諦めかけたその時、イクスが再び口を開いた。
「ファウダー……いえ、ケイオス。今の話に嘘はない? 本当に私達ハーフの居場所は作れるの?」
「作れる。作ってみせる。どんなに困難があっても、俺は必ずそれをやり遂げる」
「そう…………なら、私も力を貸すわ。よろしく頼むわね、ケイオス」
俺の手をがっちりと握り、彼女は微笑んだ。その顔からはさっきまでの迷いはなくなり、何者の言葉にも揺るがない決意が感じ取れる。彼女も覚悟を決めてくれたのだ。
「ああ、こちらこそよろしくイクス。お前が力を貸してくれるなら、俺達の夢は必ず叶うさ」
力強く彼女の手を握り返し、俺達は笑みを浮かべた。
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