第2話 彼が部活に入らない理由
時は少し遡り、五月の初旬。
季節で言えば梅雨の時期だが、全国的も雨の日は少なく、ここ舞台市でも強い日差しがさんさんと降り注いでいた。
そんなクソ熱い日のお昼時、俺は――、
「そろそろ出さないと不味いんだってば!」
「先生、その発言は色々と誤解を招くから止めた方がいいと思いますよ?」
人影のない学校の校舎の陰で、更に暑苦しい懇願を受けていた……。
相手は、俺の担任の
垢嘗先生は三十代前半の眼鏡をかけた男性教諭であり、今日は暑さの所為か、ワイシャツの長袖を腕まくりし、ネクタイを緩めていた。
俺は彼のその格好に、非難の目を向ける。
こっちは校則上、こんな真夏のような日でも『だらしないから』という理由で、学ランを脱いでれば注意されてしまう。
だというのに模範となる教師がこれでは、まるで説得力が無い。
だらしなさの権化だ。
とても教師には見えない。溶けたスライムのようだ。
垢嘗先生は、そんな格好でも熱いのか、開いたワイシャツの首元に指を突っ込み、ばさばさと動かし風を入れる。
「俺だって注意されてるよ。でも、こんなクソ暑い日にんなもん守れるかっての。お前も熱かったら脱げばいいだろ?」
「先生、発言がいちいちいかがわしいですよ」
「ふざけてる場合じゃないんだよ! 急かされてるのこっちの身にもなってくれよ!?」
「分かったから顔を近づけてこないでくださいよ……。暑苦しいな……」
本来の要件を思い出したらしく、垢嘗先生は俺の肩を掴むと、鼻息荒く隈が浮かぶ顔面を間近に近づけてきた。
勘弁してほしい……。
ただでさえ、人と目を合わせられないというのに、こんなに近づかれては困る。
しかも、相手は汗だくの冴えない男だ。余計、目に入れたくない……。
俺は垢嘗先生から視線を逸らした。
「入学してもう一ヶ月は経ってるのに、入部してないのはお前だけなんだからな? 流石にもうどの部活に入るか決まっただろ?」
「いやー、まだ迷ってまして。やっぱり部活動て入らなくちゃいけませんか?」
ダメ押しで確認してみるも、垢嘗先生は首を横に振る。
「劇場館高校の生徒全員入部するのが校則で決まってるんだよ。入学式に校長先生が講堂で話してたの聞いただろ?」
「いや、確かに言ってましたけど……」
俺の通う、『舞台私立劇場館高等学校』は、舞台市の中でも特に歴史の古い名門校だ。
そんな伝統あるこの学校で、今現在でもある校則の一つが、『全校生徒の部活動入部』。
帰宅部などという世迷い言は許されず、よほどの家庭的事情でも無い限りは、この校則は絶対であり、強力なまでの強制力を持つ。
俺もこれまでにどうにかして避けよう避けようとしていたが、遂に今日のお昼休みに入って早々に、昼食も食べられないまま垢嘗先生に捕まり、この人気の無い校舎の片隅まで連れて来られたというわけだ。
「でも入りたい部活とか特に無いんですよねぇ。流石にやる気も無いのに入部するのも不味いでしょ?」
「お前は考えすぎなんだよ。興味ありそうな所に適当に入って、後はそれなりにやってればいいんだってば。それで万事解決。俺も校長に呼び出されることもなくなる」
「それ、教師のアドバイスとしてどうなんすかね?」
俺の指摘を、垢嘗先生は鼻で笑った。
「はっ! 今時青春ドラマの真似事なんざできるかってんだよ! ただでさえテストの採点やら、部活動の顧問やら、厄介なモンスターの相手までして、その他もろもろの雑用があるっていうのに……っ。わざわざ部屋にまで呼びつけて『まだ入部していない生徒がいるようですねぇ~?』とか煽ってくるんだぞ!? あの野郎はァ……ッ!! くぁー! こっちはそれどころじゃないつぅーの!?」
よほどストレスがたまっているのだろう。
特定の名前は出していないものの、俺にはその人物が誰なのかが容易に想像できた。
担任教師ながら、少し同情してしまう。
「だから頼むよ! お前が入部届け出してくれるだけで、俺の業務が一つ減るんだよ! もう忙しい中、校長に呼びだされるのなんてごめんなんだ!!」
「せっかく伏せてたのに自分でバラしてどうするんですか」
「やべっ!? つい本音が!」
垢嘗先生は慌てて両手で口を押さえ、忙しそうに首を動かして周りを見渡した後、安堵の息を吐き出した。
どうやら、周りには誰もいなかったようだ。
普段パチンコで負けてるくせに、こういう時だけ運がいい。
「とにかく、入部に関しては絶対条件だ。どうしてもいやなら転校でもしろ。てか、入部が嫌なら、なんでこの学校に入ったんだよ?」
「家から近かったからに決まってるじゃないですか。高校なんてどれも同じだと思ってたら、とんだ罠っすよ」
「安直な理由で決めた、お前の自業自得だろうが……素直に諦めろ。ともかくだ、後一週間だけ待ってやる。その期間でなんとか決めろよ? もしそれでも決まらなかったら……」
「決まらなかったら?」
「お前を帰さない」
「その発言、モンスター召喚呪文になりません?」
「あ、やっべ。て、親御さんにチクるなよ? いや、振りとかじゃなくて絶対だからなマジで本当お願いします」
厄介ごとを避けるためならば、自分の生徒にすら敬語を使って頭を下げる。
それが、垢嘗という教師だった。
見てるこっちが悲しくなる。
そんな不憫な担任を俺は気の毒に感じ、長く伸びた前髪を右手で少し上げ、彼を軽く見た。
ふん、ふん、なるほどな。
「先生、いくら忙しいからって流石に四時間睡眠は不味いすよ。食生活もインスタント麺多めだし。後、教師なんだから風俗嬢と遊ぶのも程々にしといた方がいいすよ。んじゃ」
「んなこと言ったって、睡眠時間削らないと、逆に自分の時間がなくなるし、飯だって簡単に済ませた方が楽……て、おい待て、どうして風俗のこと知ってるんだ……? おい!?」
釈明するのも面倒なので、百目鬼はそそくさにその場を後にした。
◇◇◇
「調子乗って使うんじゃなかったかな。まあ、あの先生鈍い大丈夫だろう」
俺は再び目を前髪の中に隠し、先端を指でつまんでねじる。
髪をねじり遊ばせながら考えるのは先ほどの、部活動入部の話しだ。
俺だって何も、部活動そのものが嫌だというわけじゃない。
入ればきっとそれなりに楽しいだろうし、今しかできない経験だとも思うから入部できるなら、入部したい。
でも俺には、容易にそれを出来ない理由があった。
「この目がある以上、迂闊に何かやるわけにはいかないんだよなぁ……」
俺は先ほど髪先を掴んでた右手を下にスライドさせて、両目の近くをなぞる。
俺が部活動に入れない理由――それは、俺の『目』にはある特殊な能力が備わっていたからだ。
俺の目は、外見から得られた情報を光速で処理し、可視化して見ることができた。
つまり、人物や物の外見情報を文字にして読むことができる超観察能力。
同級生で友人の
シャーロック・ホームズは、『観察をする』という過程を踏んだ上で、答えを導く。
だが、俺の目の場合は、見ただけで、『自動的』に答えが表示される。
どのような箇所を見て、そんなことが分かったのか。
どのような考えで、そんな結論に至ったのか。
俺には分からない。考えもつかない――だが、今までその答えが間違ったことはない。
外見から得られる情報ならば、どんなことでも見えるし分かる。
それが、俺の目の能力だ。
だから俺は先ほど、垢嘗先生の私生活を言い当てることができたというわけだ。
彼の周りには、以下の文字が表示されていた。
“睡眠時間:四時間から四時間半”
“食生活偏り気味、主食:カップ麺”
“昨晩、女性との性行為あり”
などなどだ。
風俗嬢云々に関しては簡単な推理だ。
あの先生に彼女はいない。
一件便利そうに見えるこの能力だが、全くもってそんなことはない。
迂闊に目を解放しようものなら、大量の外部情報が頭の中に飛び込んでくるんだ。
そうしたらとてもじゃないが、処理しきれない情報量に脳がパンクして、ぶっ倒れてしまう。
だからこんな真夏に近い暑さだろうと、俺は前髪を長く伸ばしたままだ。
こうすることで、前髪が気になり、それら情報をある程度処断することができた。
長さに関しても、頭髪検査に引っかからないギリギリのラインを心得ているので、注意もされることはない。そこら辺も完璧だ。
では本題だが、もしこんな厄介な目を持つ俺が、もし何かしらの部活動に参加したらどうなるか?
「目のことバレたら……絶対に酷使されるんだろうな……」
球技系統の部活に入れば、ボールの軌道や、相手の動きが事前に分かるので酷使される。
陸上系の部活に入れば、相手の残り体力や、走り方の軌道、ペース配分が分かるので、体力差や身体的な面を大きくカバー出来るため、結果的に酷使される。
文化部系の部活に入ったとしても、この目を使えば大概のことはどうにでもなるため、やっぱり酷使される。
つまるところ、俺の目を使えば大概の活動は簡単になってしまう。というわけだ。
でも、これにも問題がある。
先ほども言った通り、俺の目を解放すれば、大量の情報に耐えきれずオーバフローを起こして倒れてしまう。
部活動は、多かれ少なかれ集団行動。
目を使う事なんて殆どできないだろう。
だから現実問題、上記のような活躍はできないしないんだ。
むしろ、役に立たない方が多い。
出来ることといえば、雑用作業くらいだろうが、そんなことをしていては、それこそ何のために部活に入ったのか分からない。
結果、俺は完全に詰んでいた。
どの部活に入っても、どの活動をしてもお荷物。
だから、俺は入学して一ヶ月も経っているのに、入る部活を未だに決められないでいた。
「あーあ、この目を使っても大丈夫な部活ってなんだろうなぁ……」
空を仰いで見るも、都合のいい答えなど出るはずもない。
ただ、学校の廊下の白い天井が見えるだけだ。
そんな時だ。
「んがっ!?」
太陽の光が一直線に差す、階段の踊り場に差し掛かった時、突然俺の顔の上に一枚の紙が飛んできた。
「なんだこれ?」
俺は紙を顔から剥がす。
紙にはびっちりと文字が書かれており、普通なら何が書いてあるがすぐには分からないが、俺はその紙を直接『目』で見てしまったため、紙に書かれた内容がすぐに表示された。
「これは小説の原稿か。でもなんで一枚だけ……いや、違う」
周りを見渡すと、踊り場には大量にばらまかれた紙の束が散らばっていた。
この紙もきっと、その中の一枚だったんだろう。
その証拠に、少し離れたところには、この紙の束をまとめていたと思われるクリップが落ちていた。
俺は再び紙の内容を読もうとしたが、太陽の光に照らされていた原稿に、一気に陰を落ちた。
俺は上を見上げる。
すると、階段の中間地点からこちらを見下ろす、一つの長細い陰。
その陰は人の形をしていたが、顔を確認することは出来ない。
だが、三つ編みの髪型とスカートのシルエットから、その人物が女子であることは分かった。
女子生徒の陰は、上からゆっくりと一歩ずつ階段を降り、俺のいる踊り場に来てようやく、その顔を確認することができた。
華奢で、線の細い曲線で描かれたような顔をした、黒縁眼鏡をかけた少女。
その外見からして、『文学少女』という言葉がとても似合う女子生徒だった。
そんな彼女は、夏の暑さすら涼しげに感じてしまうほどの絶対零度の真顔が、俺を見ていた。
何かを確かめるように、ただじっと、俺を見ていた。
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