社会学部

 佳奈子のミスに笑った自分が、まさか同じことになるとは。

「あとで佳奈子に謝る……絶対謝る……!」

 途中のトイレでスーツに戻り、社会学部のある大学西棟へと走る。

 予定表を見ると『満点合格・まぐれ合格制度に当てはまる新入生は各教科の学科に集合すること』と書いてある。自分がそんなものに当てはまっているなんて、さっきまで知らなかった。

 それもこれも、300円上乗せで点数を知らせてもらえるのを俺がケチったから。

「……300円で血迷うとか」

 条件反射でいいえに丸をつけた。

 まあそもそも『俺が満点とか絶対ないな』という確信で選んだのだが……

「300円もあったら夕飯の材料買えるよね」

「そうなんだよ。安売りの切り身買って半額の野菜も刻んで」

「醤油か味噌と、適当な出汁で鍋にしたりね」

「本当にさ……でも、こういう事故があるなら、ケチるべきじゃ……」

 途中で誰かと会話が成立していたことに気付き、顔を上げる。

 その瞬間、俺の目の前には銀髪の女性が居た。

「やあやあ、唯一無二の世界史満点野郎、森山光太くん」

 苛立っているようで実は無関心そうな不思議な口調で言葉を叩きつけてくる。

「遅刻することはすでにわかっていたから、迎えにきてあげたよ」

 異様なまでに青い瞳と銀色は、鬼畜を自称する天才を思い起こさせた。

「……」

「うん。……うん」

 女性は青い青いその目で俺を見つめ、静かに淡々と言う。

「幻術が効かないとは聞いていたが、神たる私の術をも弾くとは驚嘆に値する事実。これだから人間は素晴らしく馬鹿らしい」

「…………」

 この人は鬼だ。それを理解するのに理屈もいらない。

 本来ならば遭遇した時点で死ぬような生命体。

 だが、俺の直感は『逃げなくていい』と判定している。

「……。なんで足に、っ!?」

 足のミサンガを指摘しようとすると、首を絞められた。

 なんとか手を滑り込ませてガードしたが、剛力はシェルさんと同等か上。これより力を込められたら間違いなく呼吸が止まる。

「ぐ、ころ、すき……!?」

「おまえ、無神経だな」

 定まらない口調と人格。鬼に近づいたシェルさんと似ている。

「鈍感で人の思考を読まない。……気持ちばかり読み取って、こちらの細工を無視してしまう。腹立たしい」

「誰とっ、重ね合わせてんですか!!」

 幸いにも床に押し倒されたわけではない。体格差を利用し、上体を振って拘束を解く。

「……」

 冷たい目で俺を見据える彼女は、舌打ちしながら手に現した羽衣を振った。

 風景が、廊下から、本棚ばかりの部屋へと移り変わる。

「…………。ごめんなさい」

 無表情。淡々とした口調。

 シェルさんとシアさんの実母かと思ったが……何か違う。

「あなたはシェルさんシアさんのお祖母さんですよね?」

「……そうだよ」

 彼女は疲れたような口調で答えた。

「社会学部の長をしてる」



 社会学部のフリースペースは予約制の個室。寛光大学では学部の気質に合ったフリースペースをそれぞれに用意しているそうな。

 彼女が淹れてくれたミルクティーは、甘み少なめで飲み心地すっきり。とても美味しかった。

「…………。あなたのアーカイブ、幸せの平均値を取ると聞いた」

「あ……はい」

 原理は知らないが、そういう効果があることだけわかる。

「私が鬼として振る舞うことが幸せなのか、孫や娘をひっそり見守るのが幸せなのか……迷っていることを、あなたのアーカイブは知ってるんだな」

「……お、俺が操作してるわけでは……」

「それほどの神秘を操作出来る方が変だから気にしないで」

 彼女は首を傾げた。あの双子と同じ癖。

「私は全ての鬼の始祖たる神。名はない」

「なっ、なんでですか!?」

 そんな不便なこともないだろう。

「災害に名を付けることが不吉とされた時代があったから。……誰も私に名前をつけることはできない」

 妙な風習だとは思いつつも、初対面の俺が気軽に口出しできることでもない。

「呼ぶとしたら学部長がいい」

「……はい」

「そちらも名乗りなさい」

 このセリフ、シェルさんと似てるな。

「森山光太です。社会学部の新入生。……よろしくお願いします、学部長」

「よろしい」

 学部長は雨だれのように静かに言う。

「あなたのアーカイブの扱いを考えていきます」

「はい」

「ひーちゃんに足をあげるためにも、あなたの将来のためにも必要なこと」

 この人もやはり、翰川先生を知っている。

「……これから共に頑張っていきましょう。よろしく」

「よろしくお願いします」

 互いに頭を下げた。

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