最終話
春を迎えた。
私とスティは、飛び級試験と卒業試験を無事にクリアして卒業が確定し、その直後に産気づいてしまった彼女は今頃出産と戦っていることだろう。
そんななか私は、彼女のお産に立ち会えずに〝クリス様を連れて一度帰ってきて欲しい〟と父からの速達の書簡を受けて乗り物酔いに負けないように学園長に頼み、乗り物酔い予防の魔法をかけてもらった。
そのおかげでクリス様に無様な姿を見せないで済み、ベルンリア領に到着した。
帰れば皆がいつもと変わらない笑顔で迎え入れてくれて、クリス様はまるで来る事をもとより予定にしていたとでも言わんばかりに平然としている。
「クリス様、何か知っていますね?」
「それはどうかな」
意地悪げに笑いながら、父と母に連れられて応接室へ招かれる。
そのまま促されてソファに腰を掛けて向かい合うように座る父の言葉を待つ。
「シャル、これから話す事は大切な事だ。お前が嫌ならこの話は無かった事にする」
どこかで似たような事を言われた気がすると、脳裏でグラムの顔を思い浮かべながらちゃんと頷いた。
「私は、よほどの事がない限りは拒絶はしません」
「拒絶……あぁそうか、言い方が悪かった。すまないな、これはシャルティエとしてでは無く、アヤカとしても含まれている。だが決して悪いような話では無い」
また前世の話かと、溜息交じりに小さく頷くと、うんざりしていると捉えたのか父は少し慌てた。
「いや、別に私は何でもいいと行ったのだが彼がな……」
しどろもどろな父の言葉で、次に注目するのはクリス様だった。
私は隣に座るクリス様を見上げて首を傾げると、頷いて一枚の書類を差し出した。
「読んでくれ」
「はい……〝出生届訂正書。フェリチタ辺境伯令嬢、シャルティエ・フェリチタにミドルネーム『アヤカ』を追加し、シャルティエ・アヤカ・フェリチタに改名致す事を許可する。書面に署名を行い、再度転送行い正式に受理するものとする。〟――ミドルネーム?」
紙一枚の内容に、私は手を震わせながらどういう事なんだとその字面を何度も読み返しては唖然とする。
「シャル、君は確かにここに生を受けたシャルティエだ。しかし、君の中に存在するのはアヤカだ。言っている意味は分かるか?」
私に向かって真剣な表情で諭すように語りかける彼に、私は疑うこともなく素直に頷いて聞く。
「前に話してくれた君の前世の事を聞いてすぐに、ベルンリア領の義父上と義母上と話し合ったんだ」
「どう、して……」
「僕は、初恋の相手はシャルティエだが――今恋をしている相手はシャルティエを演じているアヤカ。君なんだ」
「演じている……」
そう改めて言われて言葉を失う。
色々と考えてパンクしそうな頭を少し落ち着かせていると、じわりじわりと目から涙が溢れてくる。
ぽろぽろと溢れて出てくる物を、何度も手の甲で拭っていると胸ポケットからハンカチを取り出して渡してくれた。
受け取り、両目を覆いながら泣き、そんな私を躊躇いなく抱き締めてくれた。
「私の、居場所は……ありますか……? この世界に……――私は、誰なんですか?」
「君はアヤカだ。それで良いんだ、僕は言っただろう?〝全てを受け入れる〟と、君が好きだ。愛している」
「うぅ……っ……ふえぇ……っ、ありがとう……ございますっ」
抱き締める腕の力が強まり、クリス様の温もりで安堵してそれがまた心を絆してまた泣いた。
フランチェスカ家に顔を出す暇もなく王都へ戻ると、スティが産気づいて一週間が経過していた。戻るなり早速グラムの使いが現れて「エストアール様が無事に出産を終えて母子とも健やかでいらっしゃいます」と報告を受けた。
顔を出しに行ってもいいか確認を取ると、そのために馬車も準備を済ませてあると言われてクリス様と顔を合わせて笑った。
王宮の王太子妃のために準備された部屋へ招かれると、広々としたベッドに布にくるまれた小さい赤子を抱き上げて微笑みを浮かべるスティが居た。
「スティ、こんにちは」
「シャル! お兄様も! はやくこっちに来て」
大声を出さないように控えめに呼ぶと、こちらに気づいて花が咲いたように笑ううちの幼馴染の、ものすごい可愛さに脳天を抜かれた気分になる。
――本当に、うちの幼馴染可愛すぎない?
当然だと誰かに言われてしまいそうだが、呼ばれるままクリス様とベッドの側へ歩み寄ると、スティは抱き上げたままの赤子をこちらへ向けてくれる。
「わぁ……小さい。あ、おめでとう……妃殿下?」
「まだグランツ様と結婚していないわよ? もう茶化さないで」
「おめでとうスティ、まさか僕まで中に入れて貰えるとは思わなかった」
「ありがとう。肉親はもうお兄様だけなんだから当たり前よ」
私達はここに来るまでにお祝いの花束を用意していた事を思い出して、花を見せて近くにいたスティ付きの侍女へと預ける。
その後も抱かせて貰ったり、軽く雑談をしてグラムは忙しくて顔を出せないと言われたためそのまま王宮を後にした。
スティの出産で慌ただしい王宮だが、こちらも予定していた結婚式もありウェディングドレスの試着や打ち合わせなどで多忙な毎日が始まった。
正式に私はシャルティエ・アヤカ・フェリチタとして改名したが、その数日後にシュトアール家へと嫁ぎシャルティエ・アヤカ・シュトアールへと変わった。短いフェリチタでの名前だったが、自分が受け入れられた事により肩の力が抜けた気がした。
スティが出産してから一ヶ月後、王都の大きな聖堂で挙式をおこなわれた。
ベルンリア領から両親も来て、もちろんスティや王太子のグラムまで参列してくれた。
クルエラや、ジャスティンも来てくれて見慣れた友人達が視界に入るとヴァージンロードを父と歩いている間はちっとも寂しくならなかった。
クリス様の隣に立ち、神父の前で愛を誓った。
口付けの際は、やっと人前で心置きなく私に口付けできると思ったクリス様が、なかなか開放してくれなくて神父に咳払いをされてその場が一気に和んだ。
少し照れくさくて顔が赤くなってしまったけれど、神父に名を呼ばれる際にはシャルティエと呼ぶように頼んだ。
これは、私とシャルティエの結婚式なのだから、それでいいと伝えると納得してくれた。
――私の事情を知らない人が聞いたら混乱するし、それでいいんだ。
ミドルネームを付けてから、クリス様は二人の時はアヤカと呼ぶようになってしまい、少しの居心地の悪さやむず痒さを感じつつ、前世で彩香としていい人生を歩んでいなかった事を気にかけてくれたらしい。
そんな事は気にしなくていいのにと、つい笑ってしまった。
『僕はシャルティエに惹かれて、アヤカに惚れたんだ。そんな事なんて言わないでくれ』
こんな事を言われてしまったら、笑って受け入れるしかないじゃないかと顔を赤くして頷くしかなかった。
そして、あの気にしていた〝クルエラの例の件〟は杞憂に終わった。
何故なら、教会を出て祝福の花の雨を浴びている時に、クリス様の表情を盗み見ると、憂いを帯びた表情をしていた。
その視線の先には、男装したクロウディアが私に向かってにこやかに微笑み、クリス様の方を見て声には出していなかったが唇で『シャルティエ様を悲しませたらすぐに奪いに行く』と言っていた。
気のせいではない、確実にそうだと思った。
クリス様はそれに対して呆れていたのだ。
それを知って笑うしかなくてそっと手を繋いだ。
クロウディアは、どの時系列も彼女を大切に思っていた。それだけなんだから。
結婚式を終えて、シュトアール家に帰って私はメイド達に体の隅々まで磨かれて、小説でよく見る香油を刷り込まれるという体験をした後、ベッドに座らされて初夜の心得を受けて笑いをこらえながら頷くしかなかった。
『最初は痛いかもしれませんが、旦那様はきっとお優しく手ほどきして下さいますからご安心ください。では、素敵な夜を……』
そんな事を言って、微笑ましげに出て行くメイドに私は笑いをこらえるのに体力を使った気がする。
ベッドに突っ伏して、声を殺して笑いを我慢していると、扉が開かれて慌てて体を起こしに入ってきた人物の方を見ると、私の顔を見て顔を青くしたクリス様が視界に入る。
「くりすさ――」
「アヤカ? どうして泣いているんだ……?」
足早にこちらに来るなり、私の両方を掴んで顔を心配そうに覗き込んでくる。
――あ、これ誤解されてる?
「いえ、これは泣いていたわけでは――」
「顔が赤くなっているし、目も涙で潤んでいるじゃないか、今夜は止めた方が――」
「クリス様! 聞いてください! 泣いてませんし、決して嫌なわけでもありませんから! 話を聞いて!」
「し、しかし……」
――でも、初夜の説明が実体験に比べてあまりにも役に立たなくて面白くて笑ってしまったなんて言えるわけないし……。
未だに心配そうな顔をしてm私の頬に触れたり頭を優しく撫でて宥めてくれる優しい夫である彼に水を差すような事を言いたくはない。
上手く誤魔化さねばと深呼吸をして、思い切ってクリス様に抱きついた。
「アヤカ?」
「……実は、怖くなったのではなくて、幸せすぎて夢を見ているんじゃないかって……思ってしまって」
ここは自分の演技力との勝負だと、どうかバレませんようにとクリス様のガウンをぎゅっと握り、湯浴みをした石鹸の香りを吸うと自然と焦る気持ちも和らいだ。
「……ははは、ホースとマーニーの事を盗み見ていた時の事を思い出すな」
「そういえば、あの時も匂い嗅いでましたね」
懐かしい事を思い出してお互いに笑いながら、その背中を優しく撫でて「大丈夫、これは夢じゃない」と低い落ち着いた声で言い聞かせてくれる。
それだけで嬉しくてそのままベッドに押し倒され、覆いかぶさるクリス様と見つめ合う。
ここまで持ち込めば後は大丈夫だと、クリス様の頬に手を添えるとその手は掴まれて手のひらに口付けをする。
「アヤカ、――何度経験した?」
一気に青ざめる。
クリス様にかなうわけがないのに、私は無駄な抵抗だったようだ。
小さく前世での経験を告げると、そのまま嫉妬で表情を歪めるクリス様を宥めるのに時間がかかって初夜を無事に終えたのは朝方だった。
Happy end
2019/08/30 校正+加筆
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