第24話

 

「……んっ」


 目を覚ますと先日見た天井がそこにあった。

 こんな光景前にも見た気がすると既視感を覚える。

 ゆっくり上半身を起こすると、不思議とあんなに痛かった頭痛が抜き取られたように無くなっていた。

 不思議そうに首を振ったり、ぽんぽんと自分で頭を軽く叩くが、そんな余韻もなく、まるで薬を飲んでそれが完全に効果が出たような軽さだった。


 ――まるで魔法を使ったみたいな不思議さだ……。


「あ、起きた?」

「え? あぁ、すみません。またベッド使わせて貰ったみたいで……」

「大丈夫よ。気絶する程つらいなら、ちゃんと休まないとダメよ」


 私の物音で、保健医のラブ先生が柔らかい微笑みでカーテンから顔をのぞかせるとウインクをした。愛想のいい人だ。

 何がつらいのかを知っていて言ったのか分からないが、軽く「すみません」とだけ返した。

 そしてまたあの時のように、ふと掛け時計に目をやると自分の目を疑った。


「……私、寝過ぎじゃないですか!

「こら、調子よくない日なら大人しくして。最近は実行委員会で忙しそうにしているって聞いたから、余程疲れも溜まっていたんじゃないかしら?」

「もう放課後って……、一日の授業が……」

「大丈夫大丈夫。シュトアールさんが、貴女の分の授業は代わりに受けるからって私に話してたもの。出席日数まではどうにも出来ないけれどね」


 スティがお見舞いに顔を出してくれたのだろう、朝の騒動で色々私もめちゃくちゃになってしまったせいで気まずさからこれからどうするか悩んだ。

 そんな私をよそにクスクスと面白げに話すラブ先生に、私も気が抜けて自然と笑ってしまった。

 彼女は既婚者の二児の母で、学園長が直々に頼んでここに勤めて貰う事になったのだという事は学園中で有名な話だ。

 中身は普通の女性だが、医者としてはとても有能な人だ。


 ――医学にかなり精通したこの世界でも珍しい女医だけど、この人本当に子供が二人もいるのかわからないくらいに綺麗なんだよね……。


 ついでに言うと、ラブ先生は学園長とは幼馴染らしく、仲が良いそうだ。

 何だかんだ他愛もない話をして気を紛らすと、体も朝より楽だから荷物を取りに行こうとベッドから降りようとした時、誰かが一人保健室に入ってきたようだ。

 先生を呼ぶ小さい声に聞き覚えを感じ、覗いてみようと体を動かしたがまだ腹部が怠く、それが邪魔をして動くのが億劫になる。

 良くなったのは頭痛だけだったようだ。

 この瞬間女をやめたくなる。

 すると、先生はまたカーテンから顔を出してた。


「面会いいかしら?」

「……? どうぞ」


 誰が来たんだと首を傾げながら返事を返すと、入ってきたのはマーニーだった。

 流石の今の私は冷静だ。

 睨む事もせず、表情を消してその相手を見据える。


「あの……、シャルティエ様。お話があって、クリストファー様やグランツ様に許可を頂いてここへ来る事が出来ました……」

「……はぁ」


 今にも壊れそう、と表現できる程に弱々しく儚げな表情で目を伏せる彼女を表情を変える事なく見つめる。

 何事かと覗いてくる先生が視界に入り、少し体を傾けてアイコンタクトで「席を外して欲しい」と示すと肩を竦ませて出て行った。

 ここが職場なのに本当に申し訳ない。

 人が居なくなった保健室で、マーニーは俯きながら肩を震わせてまだ黙っている。

 まだ話す勇気が出ないのだろうかと様子を見ていると、彼女の手元にある物が目に入り目を細める。

 それを、見つけた事を悟られぬように顔を見た。


「マーニー様――」

「ごめんなさい! 私……、やっぱり悔しくて、貴女に嫉妬してまたあんな……」

「あの――」

「本当に、嫉妬で人を変えてしまうなんて……愚かな私を、お許しください……」

「話を――」


 聞いて欲しいと言う隙も与えられず、全く会話になっていないから聞いて欲しいと制してみるが、まずはこちらの話を聞いて貰おうと身を起こそうとした瞬間、ドスッと鈍い音がした。

 あまりに一瞬で、あまりに衝撃的で、それはもうあまりに急で思考が一瞬止まった。見開いた目が急激に乾いていく。

 そして、その音のした方へ見下ろす。


「っ!」


 すると、私の足の間にカッターナイフが刺さっていた。

 これが手元が狂って自分の足に刺さっていたらと想像するだけでおぞましく、自分でも頭から水をかぶったような感覚になり、一気に頭が冷えて咄嗟に足を引っ込めた。


「ちょっと、マーニー様! 落ち着いてください!」

「貴女が……どうして、どうしてどうしてどうして! なんでなんでなんで! クリストファー様にィ!」


 正気を失っている。そう悟った。

 きっと、彼女は私が変わらずクリス様に絡まれている所を見る事こそ耐えられなかったのだろう。

 あるいは、何か考えがあって私についていたのかもしれない。

 そこに、生徒会室の密室でグランツと私が二人きりになったり、帰り送って貰っている所を見ていい餌を見つけたとでも思ったに違いない。


 ――ここまで彼女が精神的に追いやられていたなんて……!


 血迷っているマーニーは、刺さったカッターナイフを抜こうとするが、思ったよりも深く刺さってしまっているのか、なかなか抜けないようだ。

 甘い汁を吸ってぬくぬくと室内で育ったお嬢様がそんなに力があるとは思えない。

 四苦八苦しているうちに逃げようと、怠い体を奮い立たせてベッドから飛び降りるが、足ががくりと力なく崩れ落ち地に手を付いた。


「あっ……!」

「…………」


 上手く動けずに、恐怖で呼吸が荒くなる。呼吸が次第に浅くなり、酸素がうまく吸えなくなる。

 その時、初めて本物の恐怖と言うものが分かったような気がした。

 ホラー映画やそんな物とは比べ物にならない恐怖。

 ようやくカッターナイフが抜けたのか、それを片手に正気のない瞳で座り込んでしまった私の方へじりじりと近寄ってくる。

 殺されてしまうかもしれない、そう思った時、ゲームのマーニーはどうだったかを記憶の中で呼び起こす。

 彼女――マーニーは、クリストファールートでライバルキャラでそして悪役令嬢だった。

 しかし、彼女の断罪の時に、嫉妬や公衆の面前で恥をかかされた怒りで、ヒロインのクルエラのポケットに潜ませていたカッターナイフで襲いかかるというシナリオだったはずだ。


「シャルティエぇ……ふぇり…ちたぁ……! 死ね死ね死ね!! 殺すゥ!」

「っ……!」


 まさか、こんな所でそんな風に展開が捻じ曲がるとは想像もつかず、大きくカッターナイフを振りかぶった姿を見て、頭を両腕で守るように構え痛みを待った。


 ――クリス様、助けて……!


 漫画のようにそんな都合よく助けが来るはずもないのに、祈るようにクリス様を心の中で呼んだ。



2019/08/15 校正+加筆

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